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(最終更新08.12.29)
nos氏のブログdaily report from mt.oliveをちらちらと読んでいる。このブログはパヴェーゼやストローブ&ユイレへの持続的関心が光っており刺激されていたのだが、最初の記事から読み直して着眼点に驚いた。更新速度の速さや記事の分量から想像するに、文章執筆にはさほど長時間はかけていないのだろう。しかし、長きにわたって思考してきたらしき足取りが短い短評にも生かされている。こうしたブログを見ると、人間、蓄積がないと思考の出汁もでないものだと思う。
興味を引かれた論点にかぎり、しばらくにわたっていくつか抽出し、できれば小見出し作成のごとき一言コメントのみならずじっくり加筆考察していきたい。
ブログで注目した論点
●ベンヤミン-クロソウスキーへの関心:
シミュラクルとアレゴリーを接続
シミュラクルの複数性が、同時に同一性でもあり、そこに複数神学を見出す(フーコーのクロソウスキー論)
※ただしこれはグロイス/ジジェクの言う単一性と多様性は表裏一体という議論と同じ道に嵌らないか
あるいはこの議論とさらに別の射程が今からでも引けるのだろうか
(07.5.22a、07.5.22b)
・ドゥルーズ『シネマ』におけるウェルズ評価についてこの線で読む
ウェルズの偽なるものをベンヤミン~クロソウスキーのアレゴリー/シミュラクルであるとする。
そのため、『市民ケーン』の「薔薇の蕾」を「結晶核」と見るのは偽なるものの力を取りこぼしていると指摘。
(07.07.10、07.7.24、再論:07.11.10)
・平倉圭のゴダール理解、ドゥルーズ読解を「類似」では同一性に回収されてしまうものであり、
切り返しショットを類似ではなくそこにおける間隙として見ないとまずい、という指摘。
※ これは平倉論文評としては納得できるものだった。
イメージ/言語にして、外的であるイメージを言語に回収するとまずい、
という平倉は素朴すぎるのではないか。
(07.07.06、07.07.07)
・ベンヤミンのカイロス的時間から『帝国』の時間論的展開としてのネグリTime for Revolutionへ注目
ただの左翼ロマンティシズムだとする、よくあるネグリ誤解に嵌らないためにも重要な書とする
(07.5.15、07.10.30)
・樺山三英『ジャン=ジャックの自意識の場合』をデリダ/ルソー、ドゥルーズ/トゥルニエ、ベンヤミンから注目
※議論らしい議論にはなってないがこうした着目の線を作る記事には惹かれてしまう
(07.5.23、再論:07.07.19)
●マルレーネ・デュマスの絵画作品からまなざしとアイロニーを考える
視線の非対称性、モデルのまなざし、見られているのに見られていない観客の関係
(07.6.11)
・ゴダール『アワーミュージック』や下記の小津読解は同様の視線関係の問題として展開されている
●ハイデガーのハイマート/ウンハイムリッヒを西谷修では済まないとし、故郷/異郷の問題を考える。
※ここでのギリシアーヘルダーリンとする視覚、およびフィクションの問題を考えるのは鋭い。
ファリアスでも、リンギスやナンシーでも、ラクーラバルトでもハイデガーの故郷問題は
まだ片付いていないというのはそのとおりだと思う。
(07.7.21)
・四方田犬彦『先生とわたし』で漏れ落ちる由良君美について
※ これは今まで見た本書の評としては最もいいものだった。
高山、田中純の評はまだセンチメンタルな面が残りすぎているし、
それ以外の好評となると、師匠/弟子の関係に共感している程度の域を出ない。
哲次を父としたがゆえにロマン主義の問題にああもかじりつき、メタフィクション論から神話論、
デリダやド・マンの読者にもなり、葛藤のなかにあったはずだという指摘にはうならされた。
本書の評の多くで欠けていたのはこうした世界史的文脈における視点である。
ただし、その上で今どこまで由良が読めるものであるのかが焦点になるだろうとは思うが。
四方田には三木清、西田、由良哲次を含めた、京都学派の技術論やハイデガーとの共振問題が
根本的に抜け落ちていて、哲次に関する章は「秀才の書いた体のいい伝記」程度のものだ。
(07.8.17)
・賈樟柯(ジャ・ジャンクー)『長江哀歌』読解
※ ここで論じられている男女は、いわば、別の錯時性のある時間が堆積した地層が
人称化され、ドラマとして展開されているということだ。これはきわめて興味深い。
本作は私は未見なのだが、言及されているCG映像とこの男女ペアの扱い方は、
私にとってスレイマンの『D.I.』を考えるために発想した視点とほぼ重なり、
この作品を見てみたいと思わせられた。nos氏が「みごとな韜晦」と呼んだ監督の発言は、
スレイマンが『撮影ノート』で記した「ユダヤ系イスラエル人」への屈託と奇妙に重なる面がある。
(07.08.30a、07.08.30b)
ローカリティ/世界という対比からヴェンダースの軌跡とジャ・ジャンクーの軌跡を見る。
※ だがこの「世界」は全体小説における「全体性」とどう違うのか。
世界都市=国際性という混交を導入しているのは理解できるが、
こうした「世界」とは、世界=映画=ゲーム とし、そこからの脱出として
アルトマンを読み(07.07.13、07.07.19、07.11.10)、トゥルニエ/ドゥルーズを読むnos氏の姿勢
につながっているのだろうが、少々留保を置きたい。
(中原・松浦の趣味的な言説など心底どうでもいいのだが、
複製としてクロースアップやクレーンショットを用いるアルトマンの抵抗もまたシニカルなのではないかと疑問がある。
とはいえ、nos氏のアルトマン評はポール・トーマス・アンダーソンの先駆者かつ、
アンダーソンよりも優れた作家とするものであり、腑に落ちる議論であった)
ただし、ヴェンダース評としては「今読めるヴェンダース」になっており、未見作品を含め興味を引かれた
(07.09.29)
・ストローブ&ユイレ『彼らとの出会い』『ヨーロッパ 2005年10月27日』の読解
開かれとしてのカイロス(希望の時)、いまと永遠(クロノス)との間の間隙としてのカイロスの回路。
そして、間隙を導入するためのゴダールの切り返しショットと、
ストローブ&ユイレの視線の交差なき向かい合いを、問題設定を同じくするものとして読む。
いわばここにもまた、天使の問題があるのだと。
※ 失われた神話とその出会いの想起という軸。
これはまさにハイデガーの故郷/異郷、ギリシアとその翻訳(ミメーシスとしての翻訳)である。
この点で、ストローブ&ユイレはロマン主義と単に無縁であろうとしているという藤井仁子の指摘は
かなりまずいものがあり、nos氏の指摘は浅田でも藤井でも漏れてしまう重大な問題を見ている。
(藤井の視点にはマッケイブの語るゴダールにハイデガー/ベンヤミン的なロマン主義が抜けているのに似たところがある)
そもそも、アファナシエフとの対談でヴィーゼルが、ゴダールがどこかで語った
「儀式の喪失と、その喪失の記憶」のユダヤの寓話に触れる浅田が
まずもってこの問題を無視しているのがおかしいのだが。
(2005年の講演のように)旧左翼の歴史的弁証法/新左翼のミクロ政治力学 を
ストローブ&ユイレ/ゴダールに当てはめてしまっては、双方ともに見えてこなくなる局面が多く、
むしろゴダールもストローブ&ユイレもともに翻訳の問題に取り組んでいるとみなすべき。
ただしその介入局面、制作プロセスとの関係はかなり違うものであり、
かつ、原作のアダプテーションとしては双方ともに「正しさ」が基準ではないのだと。
これのみならず、浅田のこの講演は問題が多いのだが以下略。
浅田-蓮實を「各ショットのトポロジカルな既成の美学に押し込んでしまう」と指弾する
nos氏の見切りかたには共感を覚える。
トポロジカルな分析に代えてストローブ&ユイレを「ショットの光と音が明確に切断/接合されていく」と指摘するのだが、
同様の発想から私はフォーサイスをかつてストローブ&ユイレに見出していた。
高速/低速という対比は二次的な差異に過ぎない。あるいは、速度を知覚能力に沿って考えすぎなのではないか。
(07.10.08a)
ロッセリーニ『ヨーロッパ 1951年』は「死者、つまり「過去」をも救済することを目指」したものであり
イングリット・バーグマンは「世界そのものとの切り返しショットのごとき向き=合いを見せる」。
(「戦後映画」としてのnos氏のこの着眼は小津論における原節子の取り上げ方と好一対となっている)
この継承、続編として『ヨーロッパ 2005年10月27日』があるのだとする。
クロノス的には単なる同一物の反復でしかない同じショットを、
同じものではないとして見るために5回の反復が要請されている。
かつて言った「1968年5月についての映画を撮ることはできない」という発言。
その姿勢は出来事の再現、再演奏に対しての留保であっただろう。
晩年において日付を冠した『ヨーロッパ 2005年10月27日』を少年の死を再現するのではなく撮ろうと、
日付の固有性/脱固有性とともにストローブ&ユイレは模索したのだろう。
※ これは同じく遺棄されたがごとき「少年の死」でもって終わる『ドイツ零年』に対して
東西ドイツの終焉において歴史の間隙を見取る『新ドイツ零年』を撮ったゴダールと対比するとき、
ストローブ&ユイレのペアとしての最後の作品になる『ヨーロッパ 2005年10月27日』は興味深い軌跡だ。
変電所というそれ自体は歴史的固有性が希薄な土地・建造物を映しだしながら、
日付の刻印とともに不在の少年の死を反復とともに提示しようとしている。
ただ、この二つの日記は、「それはカイロス的時間である」で止まってるな。
もうちょっと論を展開させることができるように思う。それは私の関心であるが。
(07.10.08b)
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mixiの方
・小津「東京物語」の紀子(原節子)を情が凍結された空虚であり、紀子のショットは無限を見ている
あるいは何も見てはいない、亡夫を愛してもいない、という指摘(mixi05.4.23-5.1)
※ここで思考されているのは、山中がこだわった原節子と言及されているように、
時間をとめたように亡夫の写真を飾り「歳をとらないことに」決めたという紀子は
いわば戦争後遺症のような巨大な穴として描かれているのだという視点にほかならない
義母の紀子宅での宿泊後の死は紀子の嘘に由来した犠牲なのだが、
その贖いのために本当のことを言おうとする紀子を義父は肯定するという転換がある
「許されるはずのないことが、許されるはずのない人間が、許されてしまうのである。
ありえざることが、起こっている。」と氏は言う。義父が肯定するのは
彼もまた時の止まった尾道に生きているからであるのだと。
小津の時無き人口世界はこうして必然性をもって成立している。
終わりもまた紀子の顔はそら恐ろしいのだと。
※もはやこの段にいたって戦争後遺症などと(ドゥルーズがネオリアリスモについて語るようには)
うまく回収されない。虚空に向かって突き抜けているような無のみが口をあけている。
ここにいたって、もはや東京物語読解はジュネを語るバタイユよりもなお無性の露呈と化している。
・井筒~スフラワルディーのラインからイスラム神秘主義への関心
・エラノス会議、ショーレム/アドルノ/ベンヤミンにいたるメシアニズム・ユダヤ時間観への関心
(以上の二つはmixiのa:b:r:a:x:a:sトピック、エラノス会議トピック、ショーレムトピックなどで言及)
感傷的想起
読んでいくうちにnos氏がmixiをやっているとの記述に出くわし、はたと気づいた。私はこの人の名をかつて何度か目にしていたのだと。たしか彼の『アワーミュージック』評を最初に目にしたのだ。そしてまるで日記の多くをチェックしないままにお気に入り登録だけはしていたのだった。きっと何か気にかかるところがあったのだろう。お気に入りにはおよそ登録されていないのに残っていたのだから。なぜか記憶の中ではパラジャーノフやビクトル・エリセの印象とつながってすらいた。しかしそれは日記とは何の関係もない印章のごときイメージだったのだろう。2,3年ぶりに彼の日記欄を再び開いてみる。2004年から2005年にわたって詩のような語りのような作品があった。光景が立ち上がる詩をネットで偶然見つけて胸打たれたのは久しぶりだ。いや、気取るのはよそう。おそらく初めてのことだ。そして彼がドゥルーズとベンヤミンを愛するのを、昔の友達と再開したように得心した。それはかつて見た文章だったからではない。
思うに文章の淀みのなさに私は感銘を受けていた。数年前、私がチャットと掲示板だけで何がしかのことを議論しあっていたとき、ある種の流れのある文体が書けていた。その文章は今読み返すと、無用な気取りと拙速な結論、力量不足のために当時どのような文字の走らせ方をしていたのかを取り違える。自分の過去は幼さばかりが目に付いてしまう。だが、私もある種の文章の思い切った走らせ方に賭けていたときがあった。論理的展開にとって一見これは些事に思える。だが、筆の進み具合が持ち込むリズムは不意に書き手の思考を喚起させるものがあり、文章への姿勢を貧しくさせ切断しようとしていた私には、その絡み合ったものを忘れていたようだった。そう、私はnos氏の文章を読んで何かを取り戻したのだろう。
※nos氏はmixiにおけるエラノス会議、山城むつみ、『エデン・エデン・エデン』、メルヴィル、クライスト、フラナリー・オコナー、ロバート・アルトマン、ユジャン・バフチャル、ハンス・ヘニー・ヤーン、ヤコブ・ベーメ、a:b:r:a:x:a:s、などをはじめとするトピック主でもある。
2.
Uoh!というブログがある。
パヴェーゼに興味を持ち、岩波書店によるパヴェーゼ全集企画を耳にしたことをきっかけに(ただし残念ながら選集といった企画である)、一体いままでの訳にはどんなものがあるのかと探している途中で見つけた。そのときに他に出会ったのがnos氏のブログだった。Uohの持田氏は未だ未邦訳のパヴェーゼ『レウコとの対話』を2008年6月から断続的にブログ上で邦訳しており(2008年12月現在、27編中9編が邦訳されている)、その持続性、パヴェーゼを読むためにイタリア語をやり出したという歩みには驚嘆させられる。
とりわけ注目すべきは、ヘルダーリン、ハイデガーに親しみ、パヴェーゼと厳しく格闘するさなかにある者ゆえのストローブ単独監督作『アルテミスの膝』への鋭い指摘である(08.12.15)。かくも目を開かしめるストローブ作品評に出会うのはきわめて稀なことであり、私自身すら力強く叱咤されたかのような気持ちになった。ストローブ&ユイレ作品はいまなおろくに議論されていないのだと言ってよい。
「分からないことを口にするのはよろしくないことです。分からないことを分かっているかのような口ぶりで語るのはさらによろしくありません。だからと言って分からないことを分からないままにして押し黙るのも意気地のないことですし、分からないことから完全に目を背けてしまうのは卑怯な場合さえあるでしょう。分からないことを前にしたら分かろうとしなければなりません。分かるまでその場に立ちつづけなければなりません。」(08.12.20)。
この一節には少なからず心を揺さぶられ、泣きそうになった。感動のみならず自らの羞恥心によって。
ピンダロス/ヘルダリン『第三オリュンピア/ピューティア祝勝歌』を原案とする戯曲『SoPrates』に持田氏は演出・翻訳・編集として参加しているようだ。一体どんな作品なのだろう。
2008年12月29日月曜日
2008年12月16日火曜日
ジュネの話法と裏切りの軌道
2ちゃんねる文学板のジャン・ジュネのスレッドで書いた文章を加筆・再構成して投稿。《》に囲まれた文章はレスの引用箇所。新訳『花のノートルダム』(河出文庫、2008.12)を私はまだ未読。
● W.G.ゼーバルトとの対比(2008.9.19-9.23)
《結局、漂白者でありながら、真実すら裏切ってのがれてしまう「書く」》という側面でW.G.ゼーバルトと類似があるということですが、たしかにゼーバルトには偽記録ともつかぬ記録と挿話の配置や、話者と媒介を重ねた奇妙な裏切り、中間休止のようなものがある。『恋する虜』や「シャティーラの4時間」などの後期ジュネにもそういう展開があるということなのでしょう。《『アウステルリッツ』の誰にも知られず朽ちはててゆく布団》《『恋する虜』の、すでに肉のあぜのなかにきざまれていたように近しい、パレスチナの少年たちの歌声》というふうにジュネとゼーバルトの差異を強調することができるということですが、これは現前化への経路というか描く際に現前の構造のどこを切り取るかで違ってくるため、必ずしも差異として対比できないかもしれない。
ゼーバルトには《「回想」という行為そのものにまつわる登場人物の強迫観念に支えられていた一方》で、ジュネにはそうした強迫観念が無くあっけらかんとしているとされているが、私はゼーバルトにおける話法は一種の装置として勝手に動いてて、人物の葛藤などはむしろどうでもよく、(大文字のではない)歴史が人称のかたちをとって語ってるように読んだ。話者/アウステルリッツの、分離させる必要があるとも知れない二重体は、人称的なズレを出しながら、人称のかたちでやる上で要請されてるのではないか。
噛み砕いて説明すると、(大文字のではない)歴史と言ったのは、『アウステルリッツ』では非常に個人史に比重がかかおっており、しばしばアウシュヴィッツの背景がある云々と言われるが(しかしそんなのを全く意識せず読むこともできる)、他の作品、たとえば『移民たち』では名も無き老婆がただひたすら移民してきた頃、その記憶をつらつら語るみたいなところがある。アウステルリッツでも、人物アウステルリッツがごく個人的な話題である父や母と過ごした日々の回想や、学校時代の歴史教師との語らいなどが出たり、小さな個人史、地域的な風土史や建築物(要塞)のモチーフも出たりする。記述方法で匿名の話者や歴史家を置いたり、大きな政治的事件を語ることもなく進行してゆく。
歴史が人称のかたちをとって語ってるというときに念頭にあったのは、話者がエッセーや歴史読物のように語りだすのではなく、話者が人物アウステルリッツが語るのを語る、という二重性があって、『アウステルリッツ』ではよく顕著な特徴と言われるように、「と、アウステルリッツは言った」が、回想している過去の描写の中に通低音のように何度も何度も反復される。誰かが語った、という媒介性を何度も強調しながらも、かといってアウステルリッツや話者そのものが重要なのではなく、こうした躓きながらの話法が目指されていたんだと思う。そこで、歴史を「誰かのものとして」の歴史としてありありと出すために、「語る」人称性みたいなものが出てきているのかなと。人称については、ブランショの「ひと(On)」とか、それをやや継承的に議論していたドゥルーズ・ガタリの間接話法の非人称性などから発想していた。
人称のズレというのは、話者(作中の「私」)とアウステルリッツのズレのことであり、二重体といったのは、語られている内容だけで見れば、話者とアウステルリッツを別々の人物にする必要も無く感じるが、このセットで語らせることに主眼があったのだろう。読んでると、話者がアウステルリッツの言葉にどう相槌を打ってるのかすら不明確で、どんどん話者の存在感が希薄になり、=アウステルリッツなんじゃないの、という気になる。
話法が装置として勝手に動くと言ったのは、ゼーバルトはそのような登場人物の内面や衝動といったものを描きたかったというより、それを介して現れる歴史の姿の方に重点があるのではないかという意味で、「歴史を語る装置」として動いてるんじゃないかと。勝手に、と言うと、何やら自律的な意味合いが出てきてしまうけど、そこまでは言いすぎかな。また、小歴史のトラウマを抱え込む人物を描きたいってのもあったんだろう。
《ジュネがパレスチナの歴史的闘争にあってみずからを「夢のなかにおける、夢想家の機能」と捉えていたこと》《「語りを介して現れる歴史」が虚構であることをいささかも恐れていないかのよう》と語られ、そこがゼーバルトとの違いではないかと言われたわけですが、これは書く対象の違いに由来するものかもしれない。イスラエル/パレスチナという対立自体が、ナショナルな、あるいはエスノ-ナショナルな独立意識と国家の建設という、フィクションの相が大きいものなわけでしょう。
また、私はサルトルの『聖ジュネ』は積んだままでいまだ要約ぐらいしか知らないのだけれど、ジュネが自らを「自発的偽造者」として描くということがすでに、周囲や環境による間主観性から自己規定していること=虚構 とみなしているというかたちで、サルトルの言う「ユダヤ人はユダヤ人とされるがゆえにユダヤ人」といった論法を引きずってもいるのではないか。ひょっとするとその上で、さらにその圏域からも逃れて逸脱しているのかもしれないけれど。問題は、フィクションの相を導入するにしても、どういうレベル、どういう構造で考えるかであって、フィクションの要素が見られるというだけでは問題含みだと思います。
ただ、《唐突に政治家の状況分析やフェダイーンの論争を挿入》というのはいい。『アウステルリッツ』読んでるときにいつこうなるのか期待してたんだけど、そういう感じにはならず、どうも「雑学的」な余談のモザイク状の集積にも見えてしまうといった、ややつまらないところがあった。
また、ゼーバルトについて考えると、挿入される写真や図面によって読者が見返される感覚みたいなのもあって、結果的に妙にジュネ側の記述-読解関係に近しい効果もあったりするのかもしれないが、この議論はまだ棚上げとなることでしょう。
● 新訳『花のノートルダム』(鈴木創士)訳者解説と初期ジュネについて(2008.12.15-12.16)
《天国と地獄はこのカテドラルにおいてはあらゆる弁証法的な契機を奪われ、「ざらついて」、目を覆いたくなるような、あるいは歓喜に満ちた、分断され絶えず横滑りしていく現実の核心を喚起することによって、そのまま同時に二つの世界として現存している》(訳者解説)。これは、和解・止揚にむけた弁証法的な契機が奪われることで非和解のままに二者が共に出現している事態を言ってるのだろうか。明記はされていないが、この視点には、ヘーゲルとジュネをつなげるデリダのGlasや、止揚抜きの(留保なき)ヘーゲルを語るデリダを思い出される。
おそらくここで念頭に置かれているのはサルトル『聖ジュネ』とバタイユ『文学と悪』のことだとして、なるほど、サルトルでは間主観的な認識としての「悪」になっていて、容易に回収されるが、ジュネの悪はそういう視点以外からいまなお読めるということだろうか。初期ジュネと後期ジュネを分けて、後期にとりわけ可能性がある、という読解は多いが、のみならず、初期もサルトルでは済まないのだと。
《ジュネのゴロツキたちの「悪」はジュネ自身がそれを裏切ることによって書かれる》という箇所を見るならば、ジュネの描くゴロツキたちの悪/それを描くジュネによるさらなる裏切り といった構図をなし、弁証法的に統合できない運動がえがかれるとして読んでいるようですね。これはいささか乱暴すぎる整理かもしれないが、間主観的な悪ならば「ユダヤ人と思われている人がユダヤ人である」と同様に、「悪とみなされていることが悪である」という図に収まるのではないか。そしてその場合、ジュネの悪は、そうした認識を先取りする行為としてあって…と回収され、ある種の基底が避けられない。一旦描かれた悪、とさらにそれに対する裏切り、として展開されていくように、鈴木さんが関心があるのは、むしろ「裏切りとしての悪」というか、そうした基底、回収不可能性へ向けた運動として考えたいってことなんだろう。実在性という言い方を拒んでいるのもそのためなのだろう。
あと、鈴木さんが読んでるか、好ましいと思うかはともかくとして、十川幸司の新著『来るべき精神分析のプログラム』の末尾についてる付論では二度にわたるジュネの変貌の契機を読解しているんだけど、『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』に言及される二度目の変貌である、72年のジュネの啓示について、コミュニケーションの不可能性を基礎付ける「同一性」という視点が出ていて、ちょっと面白かった。identitéというよりle mêmeの方を感じさせる同一性となっており、相互循環的なナルシスの視線関係を破壊する、永遠回帰としての同一性、と扱われていた。
けれども、初期ジュネと後期ジュネを分けて、後期にとりわけ可能性がある、という読解は多いが、のみならず、初期もサルトルでは済まないとするとき、十川もまた初期ジュネをサルトルで整理しているわけで、「後期のジュネにいたる空白」と言われている視点から見ると、ナルシスからナルシス脱却という図式じゃ済まない異なった連続性や変化から考える余地もありそうだ。
ゴロツキの身振りの悪があり、ジュネは魅了されている。そしてそれを書くことにおいて身振りが裏切られる。そうしたとき、いわば重要になるのは、書くということのステータスを、実定させた扱いをすることなくどう考えるか、ということなのだろう。弁証法に関しては、サルトル的な弁証法はヘーゲルと関係ないと喝破したアドルノに沿って、理論的な思弁だけでは掴めないステータスを考えるために、弁証法に寄り添って(簡単に離脱することなく)考えたい。それはまたいつかの機会になり、またしても棚上げされてしまいそうではあるが……。
● W.G.ゼーバルトとの対比(2008.9.19-9.23)
わたしはこの世界を観察し、解読したのち記述することでよしとしよう。そしてわたしの人生の各節は、エクリチュールというあの軽労働に、言葉を選択し抹消し、個々の挿話を逆さまに読むだけのことになろう。それも超越的な目に映ずるような真実の挿話ではなく、このわたしが自分で挿話を選択し、解釈し、並べ方を決めるものである
ジュネ『恋する虜』
《結局、漂白者でありながら、真実すら裏切ってのがれてしまう「書く」》という側面でW.G.ゼーバルトと類似があるということですが、たしかにゼーバルトには偽記録ともつかぬ記録と挿話の配置や、話者と媒介を重ねた奇妙な裏切り、中間休止のようなものがある。『恋する虜』や「シャティーラの4時間」などの後期ジュネにもそういう展開があるということなのでしょう。《『アウステルリッツ』の誰にも知られず朽ちはててゆく布団》《『恋する虜』の、すでに肉のあぜのなかにきざまれていたように近しい、パレスチナの少年たちの歌声》というふうにジュネとゼーバルトの差異を強調することができるということですが、これは現前化への経路というか描く際に現前の構造のどこを切り取るかで違ってくるため、必ずしも差異として対比できないかもしれない。
ゼーバルトには《「回想」という行為そのものにまつわる登場人物の強迫観念に支えられていた一方》で、ジュネにはそうした強迫観念が無くあっけらかんとしているとされているが、私はゼーバルトにおける話法は一種の装置として勝手に動いてて、人物の葛藤などはむしろどうでもよく、(大文字のではない)歴史が人称のかたちをとって語ってるように読んだ。話者/アウステルリッツの、分離させる必要があるとも知れない二重体は、人称的なズレを出しながら、人称のかたちでやる上で要請されてるのではないか。
噛み砕いて説明すると、(大文字のではない)歴史と言ったのは、『アウステルリッツ』では非常に個人史に比重がかかおっており、しばしばアウシュヴィッツの背景がある云々と言われるが(しかしそんなのを全く意識せず読むこともできる)、他の作品、たとえば『移民たち』では名も無き老婆がただひたすら移民してきた頃、その記憶をつらつら語るみたいなところがある。アウステルリッツでも、人物アウステルリッツがごく個人的な話題である父や母と過ごした日々の回想や、学校時代の歴史教師との語らいなどが出たり、小さな個人史、地域的な風土史や建築物(要塞)のモチーフも出たりする。記述方法で匿名の話者や歴史家を置いたり、大きな政治的事件を語ることもなく進行してゆく。
歴史が人称のかたちをとって語ってるというときに念頭にあったのは、話者がエッセーや歴史読物のように語りだすのではなく、話者が人物アウステルリッツが語るのを語る、という二重性があって、『アウステルリッツ』ではよく顕著な特徴と言われるように、「と、アウステルリッツは言った」が、回想している過去の描写の中に通低音のように何度も何度も反復される。誰かが語った、という媒介性を何度も強調しながらも、かといってアウステルリッツや話者そのものが重要なのではなく、こうした躓きながらの話法が目指されていたんだと思う。そこで、歴史を「誰かのものとして」の歴史としてありありと出すために、「語る」人称性みたいなものが出てきているのかなと。人称については、ブランショの「ひと(On)」とか、それをやや継承的に議論していたドゥルーズ・ガタリの間接話法の非人称性などから発想していた。
人称のズレというのは、話者(作中の「私」)とアウステルリッツのズレのことであり、二重体といったのは、語られている内容だけで見れば、話者とアウステルリッツを別々の人物にする必要も無く感じるが、このセットで語らせることに主眼があったのだろう。読んでると、話者がアウステルリッツの言葉にどう相槌を打ってるのかすら不明確で、どんどん話者の存在感が希薄になり、=アウステルリッツなんじゃないの、という気になる。
話法が装置として勝手に動くと言ったのは、ゼーバルトはそのような登場人物の内面や衝動といったものを描きたかったというより、それを介して現れる歴史の姿の方に重点があるのではないかという意味で、「歴史を語る装置」として動いてるんじゃないかと。勝手に、と言うと、何やら自律的な意味合いが出てきてしまうけど、そこまでは言いすぎかな。また、小歴史のトラウマを抱え込む人物を描きたいってのもあったんだろう。
《ジュネがパレスチナの歴史的闘争にあってみずからを「夢のなかにおける、夢想家の機能」と捉えていたこと》《「語りを介して現れる歴史」が虚構であることをいささかも恐れていないかのよう》と語られ、そこがゼーバルトとの違いではないかと言われたわけですが、これは書く対象の違いに由来するものかもしれない。イスラエル/パレスチナという対立自体が、ナショナルな、あるいはエスノ-ナショナルな独立意識と国家の建設という、フィクションの相が大きいものなわけでしょう。
また、私はサルトルの『聖ジュネ』は積んだままでいまだ要約ぐらいしか知らないのだけれど、ジュネが自らを「自発的偽造者」として描くということがすでに、周囲や環境による間主観性から自己規定していること=虚構 とみなしているというかたちで、サルトルの言う「ユダヤ人はユダヤ人とされるがゆえにユダヤ人」といった論法を引きずってもいるのではないか。ひょっとするとその上で、さらにその圏域からも逃れて逸脱しているのかもしれないけれど。問題は、フィクションの相を導入するにしても、どういうレベル、どういう構造で考えるかであって、フィクションの要素が見られるというだけでは問題含みだと思います。
ただ、《唐突に政治家の状況分析やフェダイーンの論争を挿入》というのはいい。『アウステルリッツ』読んでるときにいつこうなるのか期待してたんだけど、そういう感じにはならず、どうも「雑学的」な余談のモザイク状の集積にも見えてしまうといった、ややつまらないところがあった。
また、ゼーバルトについて考えると、挿入される写真や図面によって読者が見返される感覚みたいなのもあって、結果的に妙にジュネ側の記述-読解関係に近しい効果もあったりするのかもしれないが、この議論はまだ棚上げとなることでしょう。
● 新訳『花のノートルダム』(鈴木創士)訳者解説と初期ジュネについて(2008.12.15-12.16)
《天国と地獄はこのカテドラルにおいてはあらゆる弁証法的な契機を奪われ、「ざらついて」、目を覆いたくなるような、あるいは歓喜に満ちた、分断され絶えず横滑りしていく現実の核心を喚起することによって、そのまま同時に二つの世界として現存している》(訳者解説)。これは、和解・止揚にむけた弁証法的な契機が奪われることで非和解のままに二者が共に出現している事態を言ってるのだろうか。明記はされていないが、この視点には、ヘーゲルとジュネをつなげるデリダのGlasや、止揚抜きの(留保なき)ヘーゲルを語るデリダを思い出される。
鈴木創士(レス番号237)
「現実の核心」というのは、この場合、「ごろつきたちの身振り」のことなのですが、いい表現とは言えないかもしれませんね。ただ「現実的なもの」とか、また意味はちがいますが、「実在性」という言葉を使いたくなかったのです。むしろこれはマラルメがいっていたような「サスペンスの中心」を絶えず逸脱していく「ざらついた現実」(ランボーの幻滅)に近い意味で使ったつもりでした。ジュネのゴロツキたちの「悪」はジュネ自身がそれを裏切ることによって書かれるものだからです。それが弁証法的にひとつの世界になることは、微妙ですが、ないと私は考えています。その点ではサルトルの見解にもバタイユの見解にも組みできないのです。
おそらくここで念頭に置かれているのはサルトル『聖ジュネ』とバタイユ『文学と悪』のことだとして、なるほど、サルトルでは間主観的な認識としての「悪」になっていて、容易に回収されるが、ジュネの悪はそういう視点以外からいまなお読めるということだろうか。初期ジュネと後期ジュネを分けて、後期にとりわけ可能性がある、という読解は多いが、のみならず、初期もサルトルでは済まないのだと。
鈴木創士(レス番号245)
私が解説で明言しなかったことですが、あなたの言うとおりです。「初期もサルトルでは済まないのだ」と私もますます考えるようになっています。後期のジュネにいたる空白は、サルトルが『聖ジュネ』を書いて彼を生きながらに解剖したせいだけではないということです。
《ジュネのゴロツキたちの「悪」はジュネ自身がそれを裏切ることによって書かれる》という箇所を見るならば、ジュネの描くゴロツキたちの悪/それを描くジュネによるさらなる裏切り といった構図をなし、弁証法的に統合できない運動がえがかれるとして読んでいるようですね。これはいささか乱暴すぎる整理かもしれないが、間主観的な悪ならば「ユダヤ人と思われている人がユダヤ人である」と同様に、「悪とみなされていることが悪である」という図に収まるのではないか。そしてその場合、ジュネの悪は、そうした認識を先取りする行為としてあって…と回収され、ある種の基底が避けられない。一旦描かれた悪、とさらにそれに対する裏切り、として展開されていくように、鈴木さんが関心があるのは、むしろ「裏切りとしての悪」というか、そうした基底、回収不可能性へ向けた運動として考えたいってことなんだろう。実在性という言い方を拒んでいるのもそのためなのだろう。
あと、鈴木さんが読んでるか、好ましいと思うかはともかくとして、十川幸司の新著『来るべき精神分析のプログラム』の末尾についてる付論では二度にわたるジュネの変貌の契機を読解しているんだけど、『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』に言及される二度目の変貌である、72年のジュネの啓示について、コミュニケーションの不可能性を基礎付ける「同一性」という視点が出ていて、ちょっと面白かった。identitéというよりle mêmeの方を感じさせる同一性となっており、相互循環的なナルシスの視線関係を破壊する、永遠回帰としての同一性、と扱われていた。
けれども、初期ジュネと後期ジュネを分けて、後期にとりわけ可能性がある、という読解は多いが、のみならず、初期もサルトルでは済まないとするとき、十川もまた初期ジュネをサルトルで整理しているわけで、「後期のジュネにいたる空白」と言われている視点から見ると、ナルシスからナルシス脱却という図式じゃ済まない異なった連続性や変化から考える余地もありそうだ。
ゴロツキの身振りの悪があり、ジュネは魅了されている。そしてそれを書くことにおいて身振りが裏切られる。そうしたとき、いわば重要になるのは、書くということのステータスを、実定させた扱いをすることなくどう考えるか、ということなのだろう。弁証法に関しては、サルトル的な弁証法はヘーゲルと関係ないと喝破したアドルノに沿って、理論的な思弁だけでは掴めないステータスを考えるために、弁証法に寄り添って(簡単に離脱することなく)考えたい。それはまたいつかの機会になり、またしても棚上げされてしまいそうではあるが……。
2008年12月10日水曜日
ウィリアム・フォーサイスの現在
2005年3月にフランクフルトのフォーサイスカンパニーで1週間のワークショップを行った日野晃とそのときの記録である日野晃・押切伸一『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』(白水社、2005.8)を読んで以来、フォーサイスの作品とその組織化、現在にいたるまでのプロセスを支えた制作モチーフなどを再考する衝動に駆られている。この本は怪しげな表紙写真といい、ピンクの文字といい、内容を知らずにタイトルだけを見ると来日時のイベント本か何かかとずっと誤解したままだったのだがまったくの勘違いであり、この1,2年でも屈指の拾い物の本だった。(内容紹介は省略)
フォーサイスとそのダンサーにフランクフルトバレエ団解散からフォーサイスカンパニーへの移行が生じていたことはよく知られているし、フランクフルト市財政上の理由から団の危機が起きた際、桜井圭一らをはじめとしてメールで反対署名を集める動きがたしか2002年前後にあったことは記憶に残っていた。
人が知るその後の経緯は、カンパニーに変化してその後、2004年に来日し安藤洋子をメインに据えた公演「WEAR」をおこない、また2006年にはさいたま芸術劇場で「one flat thing, reproduced」「7 to 10 Passages」「Clouds after Cranach」を上演、2008年になって「one flat thing, reproduced」と「From a classical position」の日本版DVDが発売(one flat thing, reproducedの方は英仏版DVDと同時発売)、しかし最近日本に来るという情報も無いなあ、といったところだろう。そして映像版の「one flat thing, reproduced」を見るかぎり、多人数・同時進行・高速複雑動作といった大雑把な面ではフォーサイスダンスの印象の差がなく、一見齟齬は無いように見える。が、どうやらそうでもないようなのだ。というわけで、以下はいろいろ考えた内容。
・私は未見だが「WEAR」上演のさいに出ていた評価はこんな感じだったと思う。
1.「安藤のようなバレエトレーニングの経ていない身体が浮きすぎだ。坂本のオペラ「LIFE」の頃から安藤のダンスには「大母の大地」的な、舞踏的な面があり、フォーサイスが安藤を好むのには懸念が。これまでの「超絶技巧」スタイルからするとこれは一体どうしたことなのか。やっつけ仕事なのか?」
2.「バレエ団解散とともに30人以上いたダンサーたちも10数人に減り、身体技能の低下が目に付く(1999年時点と2006年時点で比較すると残っているのはダナ・カスパーセン、フランチェスカ・カロティ、ジョーン・サン・マルティン、ファブリス・マツリアの4人のみ)。今回上演された過去の演目(N.N.N.N.やクインテット)にしても以前の1999年公演の方が際立ってしまっている。今後のフォーサイスはどうなるのか不安だ」
3.「パフォーマンスアートっぽくなってる。メディアインスタレーション作家の方向がより顕著になってきた? あの超絶複雑な身体文法の構築からのこの転身は一体どうなることなのか」
1と2は重なる項目だが、ここで共通しているフォーサイスの思惑は、抽象的な身体から各々固有なる身体を活かしていこうという方向性の強化によるものだ。こう考えたとき、カンパニーから「バレエ」という文字が消え、少人数体制になったことも単に縮小を意味するのではなく、フォーサイスの関心が明確になったことでもある。いわゆる「モダンダンスの脱構築の人フォーサイス」ではなく、よりトリシャ・ブラウンやマース・カニングハムの系譜に連なるコンテンポラリー・ダンスの相貌が明白になった結果なのだろう。したがって、身体固有性と即興性をどう接続させ、組織化させていくかという課題が生じていた。また、ここで3が飾りや余分なものではなくもう一度関係してくる。コンタクト・インプロヴィゼーションに関与させる事物としてさまざまな仕掛けが凝らされてきたということなのだろう。
こうして、いくつかの線が見えてくる
・コンタクトインプロヴィゼーションと身体固有性をどう考えるか
・それらの中で仕掛けや空間の設計、振付をどうするか
この二面性はこれまでのフォーサイスにもあったものだが、アルゴリズムに基づき振付を自在に接続するといったコンセプトが際立っていたが、コンタクトインプロヴィゼーションと振付との関係は十分に言説にされてきたわけではなかったと言ってよいのではないか。
日野が2003年にフォーサイスに着目され、親密になる背景はここにある。相手の身体作動、筋肉の緊張などを察知する高感度カウンター型の武道を培ってきた日野は同時にフリージャズの経験者であり、ベジャール「ボレロ」のジョルジュ・ドンから肘の操作による腕使用や胸骨操作による背骨使用を吸収し、ダンスに興味を示していた(とりわけシルヴィ・ギエムを彼は評価している)。身体の形態操作をよりミクロに力学分析したかのような日野の身体理論は、「形象化して残るのではなく(...)瞬間ごとに変容し消滅する」身体観をもっていたフォーサイスには、ましてやバレエ団から心機一転の端緒についたフォーサイスには心を射止めるものがあったに違いない(「interview ウィリアム・フォーサイス」(聞き手:立木燁子)、堤広志編『現代ドイツのパフォーミングアーツ』(三元社、2006.3))。「深く根源的な水準に達した知覚単位(a degree of perceptual unity so profoundly fundamental)」とフォーサイスが日野を激賞するのはこういった模索ゆえだった。
ダンスへの身体技術貢献ができると感じた日野は、2005年の横浜BankArtでの安藤とおこなったワークショップをはじめとして毎年コンテンポラリーダンスのワークショップを開講している。最も最近開催されたものでは今年11月に神戸での佐藤健大郎やフォーサイスカンパニーのIoannis Mantafounisを交えたショーケースがあるが、これも大成功だったようだ。「ねじれ」トレーニングによる身体連動、「正面向かい合い」トレーニングによるコンタクト知覚の習得を下地とし、複数グループを組み合わせて高密度の空間を実現しているとのことだ。
ただし、日野の日記による記述では「振付をどう設計するのか」という問題はボキャブラリー上、得意分野でなないからかあまり言葉にされて掘り下げられているとは言えない。日野のフォーサイスとの出会いの記録である上記書籍でも欠けている視点はこれだ。
日野トレーニング以後のフォーサイス、日野以後の国内ダンサーにおいて重要な問題は、空間や事物の設計や振付をどう考えるかということである。つまり上の二面が再浮上することになる。思うにこの構造はダンサーと振付という要素を不可避とするダンスにつきまとうものなのだろう。この意味で再び「現在のフォーサイス作品」および「現在にいたるまでのフォーサイスにおける二面性」を考える必要がある。
■ 追記(12.19)
日野晃のHP付属BBSで告知されたところによると、2004年末から2008年12月上旬まで続いていた日野晃の日記は残念ながら誤って削除されてしまったらしく、新規に12.11からブログがオープンした。過去ログの復旧は行う予定が立てられていないのか、そうした告知はない。開講したワークショップの日野自身によるレポートはHPに転載されているので読むことができる。本文中の日野日記のリンクは新ブログのものに代えておいた。
フォーサイスとそのダンサーにフランクフルトバレエ団解散からフォーサイスカンパニーへの移行が生じていたことはよく知られているし、フランクフルト市財政上の理由から団の危機が起きた際、桜井圭一らをはじめとしてメールで反対署名を集める動きがたしか2002年前後にあったことは記憶に残っていた。
人が知るその後の経緯は、カンパニーに変化してその後、2004年に来日し安藤洋子をメインに据えた公演「WEAR」をおこない、また2006年にはさいたま芸術劇場で「one flat thing, reproduced」「7 to 10 Passages」「Clouds after Cranach」を上演、2008年になって「one flat thing, reproduced」と「From a classical position」の日本版DVDが発売(one flat thing, reproducedの方は英仏版DVDと同時発売)、しかし最近日本に来るという情報も無いなあ、といったところだろう。そして映像版の「one flat thing, reproduced」を見るかぎり、多人数・同時進行・高速複雑動作といった大雑把な面ではフォーサイスダンスの印象の差がなく、一見齟齬は無いように見える。が、どうやらそうでもないようなのだ。というわけで、以下はいろいろ考えた内容。
・私は未見だが「WEAR」上演のさいに出ていた評価はこんな感じだったと思う。
1.「安藤のようなバレエトレーニングの経ていない身体が浮きすぎだ。坂本のオペラ「LIFE」の頃から安藤のダンスには「大母の大地」的な、舞踏的な面があり、フォーサイスが安藤を好むのには懸念が。これまでの「超絶技巧」スタイルからするとこれは一体どうしたことなのか。やっつけ仕事なのか?」
2.「バレエ団解散とともに30人以上いたダンサーたちも10数人に減り、身体技能の低下が目に付く(1999年時点と2006年時点で比較すると残っているのはダナ・カスパーセン、フランチェスカ・カロティ、ジョーン・サン・マルティン、ファブリス・マツリアの4人のみ)。今回上演された過去の演目(N.N.N.N.やクインテット)にしても以前の1999年公演の方が際立ってしまっている。今後のフォーサイスはどうなるのか不安だ」
3.「パフォーマンスアートっぽくなってる。メディアインスタレーション作家の方向がより顕著になってきた? あの超絶複雑な身体文法の構築からのこの転身は一体どうなることなのか」
1と2は重なる項目だが、ここで共通しているフォーサイスの思惑は、抽象的な身体から各々固有なる身体を活かしていこうという方向性の強化によるものだ。こう考えたとき、カンパニーから「バレエ」という文字が消え、少人数体制になったことも単に縮小を意味するのではなく、フォーサイスの関心が明確になったことでもある。いわゆる「モダンダンスの脱構築の人フォーサイス」ではなく、よりトリシャ・ブラウンやマース・カニングハムの系譜に連なるコンテンポラリー・ダンスの相貌が明白になった結果なのだろう。したがって、身体固有性と即興性をどう接続させ、組織化させていくかという課題が生じていた。また、ここで3が飾りや余分なものではなくもう一度関係してくる。コンタクト・インプロヴィゼーションに関与させる事物としてさまざまな仕掛けが凝らされてきたということなのだろう。
こうして、いくつかの線が見えてくる
・コンタクトインプロヴィゼーションと身体固有性をどう考えるか
・それらの中で仕掛けや空間の設計、振付をどうするか
この二面性はこれまでのフォーサイスにもあったものだが、アルゴリズムに基づき振付を自在に接続するといったコンセプトが際立っていたが、コンタクトインプロヴィゼーションと振付との関係は十分に言説にされてきたわけではなかったと言ってよいのではないか。
日野が2003年にフォーサイスに着目され、親密になる背景はここにある。相手の身体作動、筋肉の緊張などを察知する高感度カウンター型の武道を培ってきた日野は同時にフリージャズの経験者であり、ベジャール「ボレロ」のジョルジュ・ドンから肘の操作による腕使用や胸骨操作による背骨使用を吸収し、ダンスに興味を示していた(とりわけシルヴィ・ギエムを彼は評価している)。身体の形態操作をよりミクロに力学分析したかのような日野の身体理論は、「形象化して残るのではなく(...)瞬間ごとに変容し消滅する」身体観をもっていたフォーサイスには、ましてやバレエ団から心機一転の端緒についたフォーサイスには心を射止めるものがあったに違いない(「interview ウィリアム・フォーサイス」(聞き手:立木燁子)、堤広志編『現代ドイツのパフォーミングアーツ』(三元社、2006.3))。「深く根源的な水準に達した知覚単位(a degree of perceptual unity so profoundly fundamental)」とフォーサイスが日野を激賞するのはこういった模索ゆえだった。
ダンスへの身体技術貢献ができると感じた日野は、2005年の横浜BankArtでの安藤とおこなったワークショップをはじめとして毎年コンテンポラリーダンスのワークショップを開講している。最も最近開催されたものでは今年11月に神戸での佐藤健大郎やフォーサイスカンパニーのIoannis Mantafounisを交えたショーケースがあるが、これも大成功だったようだ。「ねじれ」トレーニングによる身体連動、「正面向かい合い」トレーニングによるコンタクト知覚の習得を下地とし、複数グループを組み合わせて高密度の空間を実現しているとのことだ。
ただし、日野の日記による記述では「振付をどう設計するのか」という問題はボキャブラリー上、得意分野でなないからかあまり言葉にされて掘り下げられているとは言えない。日野のフォーサイスとの出会いの記録である上記書籍でも欠けている視点はこれだ。
日野トレーニング以後のフォーサイス、日野以後の国内ダンサーにおいて重要な問題は、空間や事物の設計や振付をどう考えるかということである。つまり上の二面が再浮上することになる。思うにこの構造はダンサーと振付という要素を不可避とするダンスにつきまとうものなのだろう。この意味で再び「現在のフォーサイス作品」および「現在にいたるまでのフォーサイスにおける二面性」を考える必要がある。
■ 追記(12.19)
日野晃のHP付属BBSで告知されたところによると、2004年末から2008年12月上旬まで続いていた日野晃の日記は残念ながら誤って削除されてしまったらしく、新規に12.11からブログがオープンした。過去ログの復旧は行う予定が立てられていないのか、そうした告知はない。開講したワークショップの日野自身によるレポートはHPに転載されているので読むことができる。本文中の日野日記のリンクは新ブログのものに代えておいた。
2008年8月30日土曜日
「殴れ」? - 勇午2
(投稿:8.30、加筆:9.1)
『勇午』では字義通りの依頼遂行と根本的問題への対処が分けられている。ただし、この場合、a.字義通りの依頼、b.依頼者の意図、c.根本的問題への対処、の区別が大事で、しかもc.は勇午自身が独自に、依頼引き受けの時点では明確に語られることなく選択されている。a/bに対してcが独自の運きをするのがいわばドラマを形成しているところがある。この場合、c.は勇午の意図でも言うべき感じになる。交渉人を素材にした物語が他にどれだけあるのか知らないけど、「勇午」の特色ってこのあたりだと思う。
ロシア:
資金凍結というかたちで、使用法の保留・先送りではあれ、遺産を真にロシアのために使おう、という問題の前進(c達成)に。激怒し地団駄を踏むに違いない(bは思いっきり裏切られている)アンドレイが最後に出てこないのが惜しいぐらい。
インド:
ヒンドゥーとイスラムの和解(c)に向けた歩みに向かって、火種の着火を一つ防いだ、しかし和解の未来はまだ遠い、ミシュラのような人に期待しよう…というものだね。解決には長期を要するが、その一歩となることを祈ろう、という勇午の交渉の成功パターン。
LA編は契約遂行に関して他よりちょっと複雑で、マケインが言うタフトの依頼は「スーザンを無事に連れ戻せ」(17巻p.184)、タフト「連れ戻してくれたまえ」(17巻p.218)となってて、bは鮮明なんだけどそいつもの勇午の「わかりました、~~を遂行するという意味でなら引き受けます」のくだりがないので、aが何なのか不鮮明。これは最後になってようやく暗に示される。
「既にスーザンがイベットを殺害したという確信を持っていた勇午は、スーザンの意思を考え彼女の幸せと人生を最重要視して(c1)スーザンが新しい人生を生きれるようにする(c2)という目的に向けて、死体というかたちではあれ連れ戻し(タフトの言葉だけで考えてa=bとする)、自分は殺人犯として刑を受ける」というふうになってる。さらに、「連れ戻す」前提には、マクスウェル・ビッカーズのオーナーである事実がある以上、自由の身にはなれないから、というのがあって、「オーナーではなくなってスーザンとしてではなく新たな人生を与えられれば、連れ戻す必要はない」ということも意味している。これはa(=b)ではないんだが、cの基礎となる。しかしマケインの必死の行動がスーザンの気持ちを変え、勇午の念頭にあったc1とc2が矛盾し、彼女は殺人犯として刑に服すことを選ぶ(c1)。その結果、勇午がとった「スーザンの新しい自身」(c2)のための行動がご破算になるわけだ。ただし、そうしたスーザンの意思は重んじることを勇午は選ぶ。LA編は、勇午は何のために動いているのかが謎のまま進行し、それが明かされるまでの話で、結構異色なんだ。
他方、パリ編は、aが明かされるまでに(21巻p.82)事態が動き回り、おそらく勇午自身のcは強いて言うなら「イスラエルとパレスチナの別の共存を目指す一歩となる」なのだろうと読者には推測がつくんだけど、aが謎だから勇午がなんでテロ活動に加わっているのかわからない、ということになる。aとcの見せ方の進行の点では、LA編とパリ編は真逆の構成になってて対照的。
上海編は、a=松木夫人が郭波心に会見し謝罪すること(誤解を解けるか否かは問わない)で、美々の依頼はa=母親の居所を突き止めること。それぞれ、廃人となった郭波心に会うことはでき、謝罪はできた(が、意思が伝わったかどうかも定かではない)、母親の死体の埋められた場所は突き止められた(が、依頼の念頭にあった、母親に悪態をつくとか謝罪させるといった意図の前提が、母親の死の経緯を知らされることで崩壊)。
変化球になってるのは、LA編と同じく勇午の意図(c)がどこにあるのかということ。最後の最後で暗示されるだけにとどまるのだが、「文革でおきた悲劇を経て、中国の人々の未来への一歩になる」とでもいう感じなのか、かなり晦渋なニュアンスになってる。殴ることで過去を清算できるのならば、殴りなさい、ってことなんだろうが、本来、依頼内容と勇午の意図からいって美々が真相を知る羽目になり、葛藤をする必然性がない(これは物語構成上必要だったのだろう)。あと、シャベル持って力いっぱい殴ったら死ぬだろうと思うんだが、殺すな=殴れ って意味で言ってるのか、殺してお前の好きなようにしろ=力いっぱい殴れ と言ってるのか、かなり多義的になってる。
これは、文革の悲劇を経て、世代間の格差、齟齬、葛藤が険しくなっている中国、というモチーフがまずあって、そこにダブルミーニングな「殴れ」という言葉を放り込む。そして、その言葉に対して美々が苛立ったような表情で返しているのが面白い。
偽であれ誇りえないものであれ過去はあり、過去から綺麗に生まれ育ったわけではない現在があり、現在はその過去に対して和解し清算しなくてはならないが、多義的で葛藤をはらんだものになる、という構図を、偽郭波心/美々という世代間対比のかたちにしたんだろうね。U.K.編のイングランドと北アイルランドのような対立を、中国国内の世代差、年代差でもって扱ってる。
対比的にここから考えると面白くなってくるのは、オーストリア編で、ザルツマンはある意味で、勇午みたいな役柄をやってる。彼はいわば和解と調停のための実践(キリストによる統合)をやろうとしたわけで、勇午との違いは、手法や調和の構想と、ノエミの人生への配慮でしかないのでは、というものになってる。U.K.編とオーストリア編は、勇午以外にも調停役が出現することによって、それぞれにとってのcとその手法が際立って対立しているところが面白いね。
『勇午』では字義通りの依頼遂行と根本的問題への対処が分けられている。ただし、この場合、a.字義通りの依頼、b.依頼者の意図、c.根本的問題への対処、の区別が大事で、しかもc.は勇午自身が独自に、依頼引き受けの時点では明確に語られることなく選択されている。a/bに対してcが独自の運きをするのがいわばドラマを形成しているところがある。この場合、c.は勇午の意図でも言うべき感じになる。交渉人を素材にした物語が他にどれだけあるのか知らないけど、「勇午」の特色ってこのあたりだと思う。
ロシア:
資金凍結というかたちで、使用法の保留・先送りではあれ、遺産を真にロシアのために使おう、という問題の前進(c達成)に。激怒し地団駄を踏むに違いない(bは思いっきり裏切られている)アンドレイが最後に出てこないのが惜しいぐらい。
インド:
ヒンドゥーとイスラムの和解(c)に向けた歩みに向かって、火種の着火を一つ防いだ、しかし和解の未来はまだ遠い、ミシュラのような人に期待しよう…というものだね。解決には長期を要するが、その一歩となることを祈ろう、という勇午の交渉の成功パターン。
LA編は契約遂行に関して他よりちょっと複雑で、マケインが言うタフトの依頼は「スーザンを無事に連れ戻せ」(17巻p.184)、タフト「連れ戻してくれたまえ」(17巻p.218)となってて、bは鮮明なんだけどそいつもの勇午の「わかりました、~~を遂行するという意味でなら引き受けます」のくだりがないので、aが何なのか不鮮明。これは最後になってようやく暗に示される。
「既にスーザンがイベットを殺害したという確信を持っていた勇午は、スーザンの意思を考え彼女の幸せと人生を最重要視して(c1)スーザンが新しい人生を生きれるようにする(c2)という目的に向けて、死体というかたちではあれ連れ戻し(タフトの言葉だけで考えてa=bとする)、自分は殺人犯として刑を受ける」というふうになってる。さらに、「連れ戻す」前提には、マクスウェル・ビッカーズのオーナーである事実がある以上、自由の身にはなれないから、というのがあって、「オーナーではなくなってスーザンとしてではなく新たな人生を与えられれば、連れ戻す必要はない」ということも意味している。これはa(=b)ではないんだが、cの基礎となる。しかしマケインの必死の行動がスーザンの気持ちを変え、勇午の念頭にあったc1とc2が矛盾し、彼女は殺人犯として刑に服すことを選ぶ(c1)。その結果、勇午がとった「スーザンの新しい自身」(c2)のための行動がご破算になるわけだ。ただし、そうしたスーザンの意思は重んじることを勇午は選ぶ。LA編は、勇午は何のために動いているのかが謎のまま進行し、それが明かされるまでの話で、結構異色なんだ。
他方、パリ編は、aが明かされるまでに(21巻p.82)事態が動き回り、おそらく勇午自身のcは強いて言うなら「イスラエルとパレスチナの別の共存を目指す一歩となる」なのだろうと読者には推測がつくんだけど、aが謎だから勇午がなんでテロ活動に加わっているのかわからない、ということになる。aとcの見せ方の進行の点では、LA編とパリ編は真逆の構成になってて対照的。
上海編は、a=松木夫人が郭波心に会見し謝罪すること(誤解を解けるか否かは問わない)で、美々の依頼はa=母親の居所を突き止めること。それぞれ、廃人となった郭波心に会うことはでき、謝罪はできた(が、意思が伝わったかどうかも定かではない)、母親の死体の埋められた場所は突き止められた(が、依頼の念頭にあった、母親に悪態をつくとか謝罪させるといった意図の前提が、母親の死の経緯を知らされることで崩壊)。
変化球になってるのは、LA編と同じく勇午の意図(c)がどこにあるのかということ。最後の最後で暗示されるだけにとどまるのだが、「文革でおきた悲劇を経て、中国の人々の未来への一歩になる」とでもいう感じなのか、かなり晦渋なニュアンスになってる。殴ることで過去を清算できるのならば、殴りなさい、ってことなんだろうが、本来、依頼内容と勇午の意図からいって美々が真相を知る羽目になり、葛藤をする必然性がない(これは物語構成上必要だったのだろう)。あと、シャベル持って力いっぱい殴ったら死ぬだろうと思うんだが、殺すな=殴れ って意味で言ってるのか、殺してお前の好きなようにしろ=力いっぱい殴れ と言ってるのか、かなり多義的になってる。
これは、文革の悲劇を経て、世代間の格差、齟齬、葛藤が険しくなっている中国、というモチーフがまずあって、そこにダブルミーニングな「殴れ」という言葉を放り込む。そして、その言葉に対して美々が苛立ったような表情で返しているのが面白い。
偽であれ誇りえないものであれ過去はあり、過去から綺麗に生まれ育ったわけではない現在があり、現在はその過去に対して和解し清算しなくてはならないが、多義的で葛藤をはらんだものになる、という構図を、偽郭波心/美々という世代間対比のかたちにしたんだろうね。U.K.編のイングランドと北アイルランドのような対立を、中国国内の世代差、年代差でもって扱ってる。
対比的にここから考えると面白くなってくるのは、オーストリア編で、ザルツマンはある意味で、勇午みたいな役柄をやってる。彼はいわば和解と調停のための実践(キリストによる統合)をやろうとしたわけで、勇午との違いは、手法や調和の構想と、ノエミの人生への配慮でしかないのでは、というものになってる。U.K.編とオーストリア編は、勇午以外にも調停役が出現することによって、それぞれにとってのcとその手法が際立って対立しているところが面白いね。
2008年8月20日水曜日
交渉 - 勇午1
「勇午」(真刈信二・赤名修)の中で出色のシーンは21巻(第10部[パリにおけるイスラエル-パレスチナ編])にある。アメリカ国務長官を殺害するために走り抜けようとするTGVの当該車両を狙って線路をまたがる高架橋からロープを結わえて飛び降りるパレスチナ人の子供は、イスラエル側の秘密部員によって飛び降りの直後射殺される。TGVの当該車両への巻き込みは成功せず、ロープに下がったまま、撃ち抜かれた頭部から子供は血を流す。
勇午は秘密部員を問い詰める。イスラエル国家を安住の地というが、こんな子供たちの犠牲の上に成り立っているんじゃないかと。しかしこう返される。「だからどうだ。お前たちはいつもそうだ、血を流すこともなく安全な場所から奇麗事を言うだけ。お前があの子たちの側じゃないことぐらい本当はわかっているはずだ。弱者を力でねじ伏せ、安寧と富の生を生きているのはお前も一緒だ。いま私が撃たなければ私もお前も死んでいただろう。子供を殺してまで守るべきものがあるだなんて考えたくないのは私だって一緒だ。だが、お前が私たちに何を言えることがあるんだ?」
語る側について即座に返される、語る側自身への叱責、立場の違いという残酷な差の露呈。22巻の第11部(中国編)でも勇午は、誰の立場でもないような交渉人、容易に依頼者の立場を代理できるかのような交渉人という欺瞞から外れ、何がしかの立場に立たざるをえないことをあらわにする。
文革のときに母を殺し父を廃人にし父の論文を略取し(その論文が今後の中国のためになると考え)父に成り代わった張紫功はそのことを娘の前で暴露される。謝罪し、私を父と呼ばないでくれと繰り返す張は、怒りに駆られてシャベルを振りかざす娘の美々に対して目を閉じ抵抗せず振り下ろされるシャベルを待つ。それを止めることなく勇午は「殴りなさい」と言い、美々はシャベルを下ろし、知らなきゃよかった、最愛の父が両親を殺したも同然の人間で、その男にぬくぬくと育てられてきたなんて、今日からこの男を憎んであの廃人を愛して生きろとでもいうのかと泣き崩れる。
後日、「殴りなさい」となぜ言ったのか、そう言うことで父に成り代わった偽者を殺すことに躊躇することを狙ったのか、美々にそう問われて勇午は「もし殴れるなら殴ったほうがいいと思った。そのほうが中国の人々ためになる」と返し(どういう意味での「中国のため」なのかが不穏なのだが)、美々の、苛立ち、憮然としているような表情が突きつけられるとともに(実質的には)物語が終わる。
勇午の交渉はつねに、長年にわたる非和解、亀裂を和解にもちこめることには成功していない。それは最初のパキスタン編のころからであり、ダコイット(山賊)とパキスタン政府の抗争に終止符を打つことはできず、当初の依頼内容である人質を救出することで終了する。ダコイットの首領と互いに神と名誉を祈り、別れを告げる。和解そのものは達成されることなく、ある小さな交渉内容の終止があり、和解は祈られるにとどまる。こうした、交渉内容は成功するが、和解や未来に向けた陰謀・構想の直接的な阻止・解決には失敗するという構成は、第3部(ロシア編)や第5部(イギリス-北アイルランド編)の時点で明瞭だった。第3部。ロマノフ王朝の隠し遺産は適切な使われ方のために未来に向けて凍結され、当座の使用は保留される(ただし、依頼内容は「依頼人自身の意図よりも遺産遺言者の遺志を継ぐ」というかたちで、依頼内容の文面を読み替えられ、依頼者の望む資産の私的利用は、交渉人自身の意図から阻止されている)。第5部。IRA分派によるEU外相会議の会議場爆破が死傷者を出すことを阻止するという依頼内容は達成するが、その過程でIRAへの共感者を生み出すIRA分派党首の策の阻止には失敗し、IRAとイギリスとの亀裂を埋めるどころか逆の事態を未来に先送りしてしまう。
イブニング連載第1部(下北半島編)ではアメリカへの亡命を望む北朝鮮工作員ユン・ミッチョルと勇午はこう会話を交わす。(抜粋ではなく文脈に合わせて箇所によっては大幅に修正した大意)
ユン 君はなぜ交渉をするように?
勇午 僕も訊きたかった。あなたはなぜ対日工作を?
ユン 北と日本は敵同士だ。日本は植民地時代の清算を済ませていない。だから志願した。
敵に損害を与え未来の国交交渉を有利に導く。
勇午 それで交渉が有利になるとでも?
ユン 日本人は想像力が欠けている。「今日本人が怒っている」。
なるほど、ならばわかるだろう、我々の怒り悲しみ憎しみの深さが。
勇午 理解したいと思っている。
ユン 私の質問に答えろ。
勇午 交渉は最後には和解に終わる。それを信じたい。
ユン …そう思えるのは幸せだ。
和解に向けての一歩としてしか行為はできないが、現在時においてそれは、未来における和解の実現への「祈り」としてあるほかないという構図はここで明確に出ている。第10部、第11部、日本編第1部はシリーズ制作時期において連続しているのだが、この3作において両立場の齟齬、両立場そのものには立てない交渉人自身の立場という齟齬、しかし余白としてある交渉人の立場ゆえに言われもする「幸せ」な「傲慢」でも同時にあるような希望の表明(そしてそれは祈りとしてしか提出しえない)は濃厚になっていく。認識においてはペシミスト、しかしながら行動においてはオプティミストであれ、と説いたのはロマン・ロランを引いてこう言うグラムシだが、遺産相続的な翻訳であり交渉であるような介入作業は、つねにこうした立場への分け入りと、未来に向けられた場のオプティミスティックな創出としてあるほかない。蛇足的に対比するならば、これが、たとえば浦沢の「モンスター」では遂に回避し続け、描きえなかったものであり、渾然一体に雰囲気に飲み込むような演出に傾いてしまって全く現れなかったものだった。
第10部、秘密部員に問い返されて勇午はこう応える。「せめて忘れないでいよう、あの子がいたことを、あの子を救えなかったことを」。死者は亡霊となり私たちのもとに住み着いている。
■追記
上に書いた文章は、友達に単に勇午を読ませて、是々非々にその模索点と読める箇所とその限界について話し合ってみようかと思って走り書きしたようなもの。書いた後で読み返すと、無駄に気取ってるし、限界について触れていない(あんまり考えきれてない)文章になってて駄文と感じた。まあ、記憶殺し(ゴイティソーロ)や終わりなき交渉-折衝の線で読んでみた、というぐらいか。
こういうとき、興味深い読解がすでにあるのなら、と調べるのだが、文学研究や文学批評と違って漫画に関してはどうアクセスしていいのかわかりにくくて難しい。そもそも刺激的な議論がすでに1つでもあるのかどうかすら疑わしいし。
しばし調べてこんなレヴューを見つけたが、まあよく言われる側面はこの「相手との信頼関係の構築」なんだろう。そしてそのためにできるだけ下準備をし、相手の情勢を把握し、先手を取ることと、相手からの協力を互いの利益になるよう交換として行うかプロフェッショナルな間柄同士の友情に基づいていること。麻生外相がなぜか勇午を好きだという(こんなんウィキにわざわざ載せんなと思うが)のもこういう工夫と努力に基づく信頼関係や友情、さらには、それらをアドホックに打ち立てることに可能にする構えについて外交とのアナロジーを見ているからなのだろう。そういえば、かつて私はゴダールの言う行商人としての映画と柄谷の言う交通を混ぜたような発想から、(実際的な事柄や組織的制約などを全部捨象して)外交官としての翻訳者-批評家というモデルを考えていたのだが、念頭にあったのはこういう事例や人類学者の参与観察の概念からだったように思う。
勇午は秘密部員を問い詰める。イスラエル国家を安住の地というが、こんな子供たちの犠牲の上に成り立っているんじゃないかと。しかしこう返される。「だからどうだ。お前たちはいつもそうだ、血を流すこともなく安全な場所から奇麗事を言うだけ。お前があの子たちの側じゃないことぐらい本当はわかっているはずだ。弱者を力でねじ伏せ、安寧と富の生を生きているのはお前も一緒だ。いま私が撃たなければ私もお前も死んでいただろう。子供を殺してまで守るべきものがあるだなんて考えたくないのは私だって一緒だ。だが、お前が私たちに何を言えることがあるんだ?」
語る側について即座に返される、語る側自身への叱責、立場の違いという残酷な差の露呈。22巻の第11部(中国編)でも勇午は、誰の立場でもないような交渉人、容易に依頼者の立場を代理できるかのような交渉人という欺瞞から外れ、何がしかの立場に立たざるをえないことをあらわにする。
文革のときに母を殺し父を廃人にし父の論文を略取し(その論文が今後の中国のためになると考え)父に成り代わった張紫功はそのことを娘の前で暴露される。謝罪し、私を父と呼ばないでくれと繰り返す張は、怒りに駆られてシャベルを振りかざす娘の美々に対して目を閉じ抵抗せず振り下ろされるシャベルを待つ。それを止めることなく勇午は「殴りなさい」と言い、美々はシャベルを下ろし、知らなきゃよかった、最愛の父が両親を殺したも同然の人間で、その男にぬくぬくと育てられてきたなんて、今日からこの男を憎んであの廃人を愛して生きろとでもいうのかと泣き崩れる。
後日、「殴りなさい」となぜ言ったのか、そう言うことで父に成り代わった偽者を殺すことに躊躇することを狙ったのか、美々にそう問われて勇午は「もし殴れるなら殴ったほうがいいと思った。そのほうが中国の人々ためになる」と返し(どういう意味での「中国のため」なのかが不穏なのだが)、美々の、苛立ち、憮然としているような表情が突きつけられるとともに(実質的には)物語が終わる。
勇午の交渉はつねに、長年にわたる非和解、亀裂を和解にもちこめることには成功していない。それは最初のパキスタン編のころからであり、ダコイット(山賊)とパキスタン政府の抗争に終止符を打つことはできず、当初の依頼内容である人質を救出することで終了する。ダコイットの首領と互いに神と名誉を祈り、別れを告げる。和解そのものは達成されることなく、ある小さな交渉内容の終止があり、和解は祈られるにとどまる。こうした、交渉内容は成功するが、和解や未来に向けた陰謀・構想の直接的な阻止・解決には失敗するという構成は、第3部(ロシア編)や第5部(イギリス-北アイルランド編)の時点で明瞭だった。第3部。ロマノフ王朝の隠し遺産は適切な使われ方のために未来に向けて凍結され、当座の使用は保留される(ただし、依頼内容は「依頼人自身の意図よりも遺産遺言者の遺志を継ぐ」というかたちで、依頼内容の文面を読み替えられ、依頼者の望む資産の私的利用は、交渉人自身の意図から阻止されている)。第5部。IRA分派によるEU外相会議の会議場爆破が死傷者を出すことを阻止するという依頼内容は達成するが、その過程でIRAへの共感者を生み出すIRA分派党首の策の阻止には失敗し、IRAとイギリスとの亀裂を埋めるどころか逆の事態を未来に先送りしてしまう。
イブニング連載第1部(下北半島編)ではアメリカへの亡命を望む北朝鮮工作員ユン・ミッチョルと勇午はこう会話を交わす。(抜粋ではなく文脈に合わせて箇所によっては大幅に修正した大意)
ユン 君はなぜ交渉をするように?
勇午 僕も訊きたかった。あなたはなぜ対日工作を?
ユン 北と日本は敵同士だ。日本は植民地時代の清算を済ませていない。だから志願した。
敵に損害を与え未来の国交交渉を有利に導く。
勇午 それで交渉が有利になるとでも?
ユン 日本人は想像力が欠けている。「今日本人が怒っている」。
なるほど、ならばわかるだろう、我々の怒り悲しみ憎しみの深さが。
勇午 理解したいと思っている。
ユン 私の質問に答えろ。
勇午 交渉は最後には和解に終わる。それを信じたい。
ユン …そう思えるのは幸せだ。
和解に向けての一歩としてしか行為はできないが、現在時においてそれは、未来における和解の実現への「祈り」としてあるほかないという構図はここで明確に出ている。第10部、第11部、日本編第1部はシリーズ制作時期において連続しているのだが、この3作において両立場の齟齬、両立場そのものには立てない交渉人自身の立場という齟齬、しかし余白としてある交渉人の立場ゆえに言われもする「幸せ」な「傲慢」でも同時にあるような希望の表明(そしてそれは祈りとしてしか提出しえない)は濃厚になっていく。認識においてはペシミスト、しかしながら行動においてはオプティミストであれ、と説いたのはロマン・ロランを引いてこう言うグラムシだが、遺産相続的な翻訳であり交渉であるような介入作業は、つねにこうした立場への分け入りと、未来に向けられた場のオプティミスティックな創出としてあるほかない。蛇足的に対比するならば、これが、たとえば浦沢の「モンスター」では遂に回避し続け、描きえなかったものであり、渾然一体に雰囲気に飲み込むような演出に傾いてしまって全く現れなかったものだった。
第10部、秘密部員に問い返されて勇午はこう応える。「せめて忘れないでいよう、あの子がいたことを、あの子を救えなかったことを」。死者は亡霊となり私たちのもとに住み着いている。
■追記
上に書いた文章は、友達に単に勇午を読ませて、是々非々にその模索点と読める箇所とその限界について話し合ってみようかと思って走り書きしたようなもの。書いた後で読み返すと、無駄に気取ってるし、限界について触れていない(あんまり考えきれてない)文章になってて駄文と感じた。まあ、記憶殺し(ゴイティソーロ)や終わりなき交渉-折衝の線で読んでみた、というぐらいか。
こういうとき、興味深い読解がすでにあるのなら、と調べるのだが、文学研究や文学批評と違って漫画に関してはどうアクセスしていいのかわかりにくくて難しい。そもそも刺激的な議論がすでに1つでもあるのかどうかすら疑わしいし。
しばし調べてこんなレヴューを見つけたが、まあよく言われる側面はこの「相手との信頼関係の構築」なんだろう。そしてそのためにできるだけ下準備をし、相手の情勢を把握し、先手を取ることと、相手からの協力を互いの利益になるよう交換として行うかプロフェッショナルな間柄同士の友情に基づいていること。麻生外相がなぜか勇午を好きだという(こんなんウィキにわざわざ載せんなと思うが)のもこういう工夫と努力に基づく信頼関係や友情、さらには、それらをアドホックに打ち立てることに可能にする構えについて外交とのアナロジーを見ているからなのだろう。そういえば、かつて私はゴダールの言う行商人としての映画と柄谷の言う交通を混ぜたような発想から、(実際的な事柄や組織的制約などを全部捨象して)外交官としての翻訳者-批評家というモデルを考えていたのだが、念頭にあったのはこういう事例や人類学者の参与観察の概念からだったように思う。
2008年7月17日木曜日
第10章 「翻訳」としての映画作品 3
第11段落~第15段落
(最終更新:2008.7.17)
(原文 第10章第11段落p.202.)
Translation and its impossibility are of great importance to both Hölderlin and Benjamin. What we will see is that the problems and virtues of translation form much of the interest that Straub/Huillet bring to bear in the cinema, both in the area of so-called adaptation and in the question of fiction versus documentary and the ontology or truth of the cinematic/photographic image. If we examine the scarring of the text by translation, we will get closer to the issues that these texts and these films raise.
(第10章第11段落)
翻訳とその不可能性はヘルダーリンとベンヤミンにとってきわめて重要だ。翻訳の諸問題と諸力は、ストローブ&ユイレが惹起させた関心の多くを形成している。彼らは映画において、いわゆる改作〔翻案、編曲〕の領域、フィクション対ドキュメンタリーという問い、映画的/写真的イメージの存在論や真理といった関心を惹起したのだ。翻訳がテクストに傷跡〔瘢痕〕を与えることについて分析するとき、これらテクストと映画作品によって生じる問題設定[issues]にさらに接近することだろう。
(原文 第10章第12段落p.202.)
We turn here to Benjamin's essay "The Task of the Translation" as well as Paul de Man's reading of it in The Resistance to Theory . In general, we can postulate that Straub/Huillet's method of filmmaking is quite analogous to the act of translating as Benjamin describes it. De Man points out that Benjamin's text is in fact a "poetics," investigating the relationship of poetic language, intentionality and meaning, and history. Many of Benjamin's observations about poetic language, as revealed through the task of the translator, apply directly to the filmmaking of Straub/Huillet.
(第10章第11段落)
さて、ポール・ド・マンが『理論への抵抗』で読解したようにベンヤミンの試論「翻訳者の使命」に立ち戻ろう。おおよそストローブ&ユイレの映画制作の手法はかなりのところ、ベンヤミンが描く翻訳行為に類似しているのだと仮定できる。ド・マンはベンヤミンのこのテクストにおける詩的言語、言葉が意図するところ〔志向性〕[intentionality]、意味作用、歴史がどのような関係を作っているのかを吟味し、このテクストは内実において「詩学」なのだと指摘する。詩的言語は翻訳者の使命を通して露呈されるというベンヤミンの見解の多くが、直接にストローブ&ユイレの映画制作へと適用されている。
(原文 第10章第13段落pp.202-203.)
First of all is Benjamin's insistence that the translation, as de Man puts it, "per definition fails."[19] It is not the task of the translator to express anything but merely to demonstrate the relationship between languages. This, in turn, does not reveal the meaning of the original but instead shows its "temporary" quality: the original, too, is "foreign."
[19]. Paul de Man, "Conclusions: Walter Benjamin's 'The Task of the Translator,'" in The Resistance to Theory (Minneapolis: University of Minnesota Press, 1986), 80. The troubling revelations, after de Man's death, of his wartime journalism in Belgium have produced much published discussion of questions of guilt, collaboration, anti-Semitism, and the relation of de Man's silence about his past to his practice as a critic. Although it is poignant that de Man's last essay treats Walter Benjamin, who committed suicide in 1940 while fleeing Nazi persecution as a Jew and a Marxist, I believe one can find de Man's interpretation of Benjamin useful without either demonizing its author or stylizing him as a tragic brother figure of Benjamin. For a discussion of these issues, see Shoshana Felman, "Paul de Man's Silence," Critical Inquiry 15, no. 4 (Summer 1989):704-744 (followed by a group of related essays in the same journal); and Responses: On Paul de Man's Wartime Journalism , ed. Werner Hamacher, Neil Hertz, and Thomas Keenan (Lincoln: University of Nebraska Press, 1989).
(第10章第13段落)
まず第一にベンヤミンの主張では、ド・マンが言うように、翻訳とは「定義の機能不全を介する」ものだ(19)。翻訳者の使命とは、何かを表現することなのではなく、単に諸言語のあいだの関係を実演することなのだ。起源の〔本来の〕意味を露呈させ、これまでの読解に成り代わることではなく、むしろ「一過的」な特性を提示する――そう、起源がすでに「異邦の〔外国の〕」ものなのだ、と。
(19). ポール・ド・マン「結論:ヴァルター・ベンヤミンの「翻訳者の使命」」、富山太佳夫・大河内昌訳『理論への抵抗』(国文社、1992)。ド・マンの死後、厄介な事実が暴露された。それは、彼が戦時中にベルギーにいたころ、ジャーナリズムで対独協力や反ユダヤ主義といった罪深い論点の議論を数多く雑誌に寄稿していたことであり、彼が批評家としておのれの過去の実践について沈黙し続けたことだ。ド・マンの最後のエッセイがヴァルター・ベンヤミンを論じたものだというのは痛烈なことだが――ベンヤミンはナチからのユダヤ人迫害およびマルクス主義者迫害から逃れるなかで1940年に自殺する――、彼のベンヤミン解釈は有用だと私は信じているし、ド・マンを悪魔化すること必要も、ベンヤミンと〔真逆のものとして対比させて〕悲劇的な兄弟の肖像の型にはめてしまう必要もないと信じている。この一連の議論についてはショシャナ・フェルマン「ポール・ド・マンの沈黙」、『クリティカル・インクアイアリー』第15巻第4号(1989年夏号)pp.704-744(この号には本論文を含むもろもろの関係論文も載っている)や、ヴェルナー・ハーマッハー、ネイル・ヘルツ、トマス・キーナン編『それぞれの応答 ポール・ド・マンの戦時中ジャーナリズムについて』(リンカーン:ネブラスカ大学出版、1989)を参照。
(原文 第10章第14段落p.203.)
To give honor to this reality, Benjamin proposes a number of rather provocative "givens." The first is the categorical assertion that a work of art has nothing to do with an audience. Benjamin reduces the postulation of an audience to the postulation that humans exist at all, which becomes meaningless. Straub/Huillet's persistent refusal to manipulate the grammar of "film language" to reach a bigger audience is entirely consistent with Benjamin's position.
(第10章第14段落)
〔テクストの意味がつねにすでに異邦であるという〕このリアリティに敬意を示すベンヤミンは多くの挑発的な「与件」を提案する。まず主張される定言的な〔無条件な〕原理は、芸術作品を考える際に観衆のことなど何ら考慮する必要はない、ということだ*6。ベンヤミンは観衆がおこなう要求を人間の存在がおこなう要求に帰し、そんなことはまったく無意味だと言う*7。より多くの慣習に届けるために「映画言語」を操作するのをストローブ&ユイレは粘り強く拒否しているが、その姿勢はまったくベンヤミンの立場と一致している。
*6. categoricalはカントの定言命法(kategorischer Imperativ)の意味で使われているようだ。givenは認識上のアプリオリな前提、という意味に読み、与件と訳した。
*7. 「翻訳者の使命」冒頭部ではこう語られる。「芸術作品ないし芸術形式について考察しようとするとき、受容者を考慮することは、それらの理解ににとっていかなる場合にも決して実りあるものとはならない。(…)〈理想的な〉受容者という概念ですら、あらゆる芸術理論的な論究においては有害である。なぜなら、芸術理論的な論究というものは、もっぱら人間一般の存在と本質を前提としなければならないからである」。「悪しき翻訳は、非本質的な内容を厳密さを欠くままに伝達することと定義できる。その際、翻訳が読者のへの奉仕を事としているかぎり、事態は変わらない。(…)〔というのは〕翻訳が読者のためにあるとするなら、原作もまたそうでなけばならない〔からだ〕」。内村博信訳「翻訳者の使命」、『ベンヤミン・コレクション2』ちくま学芸文庫、1996、p.388-389
(原文 第10章第15段落p.203.)
Straub/Huillet's position on the translation of the subtitles for their films reveals both their affinity for Benjamin's position on translation and its relevance for their cinematic adaptation of texts as well. In her own translations into French and in her requests to me in making the English translation of the subtitles beginning with Class Relations , Huillet insisted, as does Benjamin, that "the word is the primary element of translation."[20] Using word-for-word translation and respecting the original syntax wherever possible, metaphor and equivalent expressions in the second language were to be avoided at all times.[21] The translation was to be neither a replacement of the original nor an "interpretation" of it. This method pushes comprehensibility to its limits, since, as de Man points out, the German word for translate is a version of the word metaphor : "It is a curious assumption to say übersetzen is not metaphorical, übersetzen is not based on resemblance, there is no resemblance between the translation and the original."[22] Indeed, the French of Huillet's subtitles (for Antigone ), in the view of Laurence Giavarini, lets the verse form of the German and the Greek show through.[23]
[20]. Walter Benjamin, Illuminations , ed. Hannah Arendt, trans. Harry Zohn (New York: Schocken, 1969), 79 (translation altered); Illuminationen (Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1955), 66. Cited hereafter with page numbers from the English edition first, followed by those of the German.
[21]. See Joël Magny, "Lecture d'Empédocle," Cahiers du cinéma 402 (December 1987):xiv.
[22]. de Man, Resistance to Theory , 83.
[23]. Laurence Giavarini, "Antigone, sauvage!" Cahiers du cinéma 459:38-40.
ストローブ&ユイレが自身の作品の字幕翻訳に対してとる立場によって露呈されるのは、それが翻訳についてのベンヤミンの立場と類縁性があることと、彼らがテクストを映画に翻案するのが翻訳と関連性があるということだ。ドイツ語からフランス語への字幕翻訳はユイレがおこない、『階級関係』以来は私がドイツ語から英語への字幕翻訳をユイレから依頼されているのだが、その作業にあってユイレが主張することは「翻訳の原初的なエレメントは語にある」と、さながらベンヤミンのようなのだ(20)。語を語でもって翻訳し、かつ、できるかぎり全面的に原文の構文を尊重しながら、翻訳言語において比喩や等価表現を用いて変形してしまうことを絶えず回避しようとする(21)。翻訳は原作の置換物でもなく*8、原作の「解釈」でもない。こうした方法は、原作の理解可能性を限界に追いこみ、ド・マンが指摘するように、翻訳にとってドイツ語の語は一種の比喩語にまでなってしまうのだ。「übersetzen(翻訳)*9は比喩的なものではないと言うのは好奇心を惹く仮定だ。übersetzenは類似に基づかず、翻訳と原作との間には類似はないのだと」(22)。実際ローレンス・ジャヴァリーニが見るには、ユイレによる(『アンティゴネー』の)仏訳字幕はドイツ語とギリシア語の詩形をあらわにする[show through]ものとなっている(23)。
(20). ベンヤミン「翻訳者の使命」p.79〔-〕。ハンナ・アレント編『イルミネーション』に入っている英訳版は、ズーアカンプ刊『イリュミナショネン』の原文とは少々変更されている。以下で引用する際には最初に英訳版の頁数、次にドイツ語原文の頁数を示す。〔判明した箇所に限り、〔〕を付して邦訳の対応頁数を示す〕
(21). ジョエル・マニュイ「エンペドクレスの教え」、『カイエ・デュ・シネマ』402号(1987年12月号)、p.xiv
*8. 交換物、代用品、とも訳せる。displacement(位置ずらし、転位)との対比を念頭に置いてるのかも。
(22). ド・マン『理論への抵抗』p.-
*9. übersetzenは英直訳するとtranslate。cf.アントワーヌ・ベルマン『他者という試練』藤田省一による「序論」訳注3:「〔Übersetzungは〕ドイツ語で「翻訳」を指す語のひとつでüber(…の上に、を超えて、の向こうに)とsetzen(置く)からなる動詞übersetzenの名詞形。フランス語に無理に直訳すればtrans-poserとなる。同様に「翻訳」を意味するÜbertragungも類似の成り立ちである(フランス語でtransfert)。」
(23). ローレンス・ジャヴァリーニ「野生のアンティゴネー!」、『カイエ・デュ・シネマ』459号、pp.38-40
(最終更新:2008.7.17)
(原文 第10章第11段落p.202.)
Translation and its impossibility are of great importance to both Hölderlin and Benjamin. What we will see is that the problems and virtues of translation form much of the interest that Straub/Huillet bring to bear in the cinema, both in the area of so-called adaptation and in the question of fiction versus documentary and the ontology or truth of the cinematic/photographic image. If we examine the scarring of the text by translation, we will get closer to the issues that these texts and these films raise.
(第10章第11段落)
翻訳とその不可能性はヘルダーリンとベンヤミンにとってきわめて重要だ。翻訳の諸問題と諸力は、ストローブ&ユイレが惹起させた関心の多くを形成している。彼らは映画において、いわゆる改作〔翻案、編曲〕の領域、フィクション対ドキュメンタリーという問い、映画的/写真的イメージの存在論や真理といった関心を惹起したのだ。翻訳がテクストに傷跡〔瘢痕〕を与えることについて分析するとき、これらテクストと映画作品によって生じる問題設定[issues]にさらに接近することだろう。
(原文 第10章第12段落p.202.)
We turn here to Benjamin's essay "The Task of the Translation" as well as Paul de Man's reading of it in The Resistance to Theory . In general, we can postulate that Straub/Huillet's method of filmmaking is quite analogous to the act of translating as Benjamin describes it. De Man points out that Benjamin's text is in fact a "poetics," investigating the relationship of poetic language, intentionality and meaning, and history. Many of Benjamin's observations about poetic language, as revealed through the task of the translator, apply directly to the filmmaking of Straub/Huillet.
(第10章第11段落)
さて、ポール・ド・マンが『理論への抵抗』で読解したようにベンヤミンの試論「翻訳者の使命」に立ち戻ろう。おおよそストローブ&ユイレの映画制作の手法はかなりのところ、ベンヤミンが描く翻訳行為に類似しているのだと仮定できる。ド・マンはベンヤミンのこのテクストにおける詩的言語、言葉が意図するところ〔志向性〕[intentionality]、意味作用、歴史がどのような関係を作っているのかを吟味し、このテクストは内実において「詩学」なのだと指摘する。詩的言語は翻訳者の使命を通して露呈されるというベンヤミンの見解の多くが、直接にストローブ&ユイレの映画制作へと適用されている。
(原文 第10章第13段落pp.202-203.)
First of all is Benjamin's insistence that the translation, as de Man puts it, "per definition fails."[19] It is not the task of the translator to express anything but merely to demonstrate the relationship between languages. This, in turn, does not reveal the meaning of the original but instead shows its "temporary" quality: the original, too, is "foreign."
[19]. Paul de Man, "Conclusions: Walter Benjamin's 'The Task of the Translator,'" in The Resistance to Theory (Minneapolis: University of Minnesota Press, 1986), 80. The troubling revelations, after de Man's death, of his wartime journalism in Belgium have produced much published discussion of questions of guilt, collaboration, anti-Semitism, and the relation of de Man's silence about his past to his practice as a critic. Although it is poignant that de Man's last essay treats Walter Benjamin, who committed suicide in 1940 while fleeing Nazi persecution as a Jew and a Marxist, I believe one can find de Man's interpretation of Benjamin useful without either demonizing its author or stylizing him as a tragic brother figure of Benjamin. For a discussion of these issues, see Shoshana Felman, "Paul de Man's Silence," Critical Inquiry 15, no. 4 (Summer 1989):704-744 (followed by a group of related essays in the same journal); and Responses: On Paul de Man's Wartime Journalism , ed. Werner Hamacher, Neil Hertz, and Thomas Keenan (Lincoln: University of Nebraska Press, 1989).
(第10章第13段落)
まず第一にベンヤミンの主張では、ド・マンが言うように、翻訳とは「定義の機能不全を介する」ものだ(19)。翻訳者の使命とは、何かを表現することなのではなく、単に諸言語のあいだの関係を実演することなのだ。起源の〔本来の〕意味を露呈させ、これまでの読解に成り代わることではなく、むしろ「一過的」な特性を提示する――そう、起源がすでに「異邦の〔外国の〕」ものなのだ、と。
(19). ポール・ド・マン「結論:ヴァルター・ベンヤミンの「翻訳者の使命」」、富山太佳夫・大河内昌訳『理論への抵抗』(国文社、1992)。ド・マンの死後、厄介な事実が暴露された。それは、彼が戦時中にベルギーにいたころ、ジャーナリズムで対独協力や反ユダヤ主義といった罪深い論点の議論を数多く雑誌に寄稿していたことであり、彼が批評家としておのれの過去の実践について沈黙し続けたことだ。ド・マンの最後のエッセイがヴァルター・ベンヤミンを論じたものだというのは痛烈なことだが――ベンヤミンはナチからのユダヤ人迫害およびマルクス主義者迫害から逃れるなかで1940年に自殺する――、彼のベンヤミン解釈は有用だと私は信じているし、ド・マンを悪魔化すること必要も、ベンヤミンと〔真逆のものとして対比させて〕悲劇的な兄弟の肖像の型にはめてしまう必要もないと信じている。この一連の議論についてはショシャナ・フェルマン「ポール・ド・マンの沈黙」、『クリティカル・インクアイアリー』第15巻第4号(1989年夏号)pp.704-744(この号には本論文を含むもろもろの関係論文も載っている)や、ヴェルナー・ハーマッハー、ネイル・ヘルツ、トマス・キーナン編『それぞれの応答 ポール・ド・マンの戦時中ジャーナリズムについて』(リンカーン:ネブラスカ大学出版、1989)を参照。
(原文 第10章第14段落p.203.)
To give honor to this reality, Benjamin proposes a number of rather provocative "givens." The first is the categorical assertion that a work of art has nothing to do with an audience. Benjamin reduces the postulation of an audience to the postulation that humans exist at all, which becomes meaningless. Straub/Huillet's persistent refusal to manipulate the grammar of "film language" to reach a bigger audience is entirely consistent with Benjamin's position.
(第10章第14段落)
〔テクストの意味がつねにすでに異邦であるという〕このリアリティに敬意を示すベンヤミンは多くの挑発的な「与件」を提案する。まず主張される定言的な〔無条件な〕原理は、芸術作品を考える際に観衆のことなど何ら考慮する必要はない、ということだ*6。ベンヤミンは観衆がおこなう要求を人間の存在がおこなう要求に帰し、そんなことはまったく無意味だと言う*7。より多くの慣習に届けるために「映画言語」を操作するのをストローブ&ユイレは粘り強く拒否しているが、その姿勢はまったくベンヤミンの立場と一致している。
*6. categoricalはカントの定言命法(kategorischer Imperativ)の意味で使われているようだ。givenは認識上のアプリオリな前提、という意味に読み、与件と訳した。
*7. 「翻訳者の使命」冒頭部ではこう語られる。「芸術作品ないし芸術形式について考察しようとするとき、受容者を考慮することは、それらの理解ににとっていかなる場合にも決して実りあるものとはならない。(…)〈理想的な〉受容者という概念ですら、あらゆる芸術理論的な論究においては有害である。なぜなら、芸術理論的な論究というものは、もっぱら人間一般の存在と本質を前提としなければならないからである」。「悪しき翻訳は、非本質的な内容を厳密さを欠くままに伝達することと定義できる。その際、翻訳が読者のへの奉仕を事としているかぎり、事態は変わらない。(…)〔というのは〕翻訳が読者のためにあるとするなら、原作もまたそうでなけばならない〔からだ〕」。内村博信訳「翻訳者の使命」、『ベンヤミン・コレクション2』ちくま学芸文庫、1996、p.388-389
(原文 第10章第15段落p.203.)
Straub/Huillet's position on the translation of the subtitles for their films reveals both their affinity for Benjamin's position on translation and its relevance for their cinematic adaptation of texts as well. In her own translations into French and in her requests to me in making the English translation of the subtitles beginning with Class Relations , Huillet insisted, as does Benjamin, that "the word is the primary element of translation."[20] Using word-for-word translation and respecting the original syntax wherever possible, metaphor and equivalent expressions in the second language were to be avoided at all times.[21] The translation was to be neither a replacement of the original nor an "interpretation" of it. This method pushes comprehensibility to its limits, since, as de Man points out, the German word for translate is a version of the word metaphor : "It is a curious assumption to say übersetzen is not metaphorical, übersetzen is not based on resemblance, there is no resemblance between the translation and the original."[22] Indeed, the French of Huillet's subtitles (for Antigone ), in the view of Laurence Giavarini, lets the verse form of the German and the Greek show through.[23]
[20]. Walter Benjamin, Illuminations , ed. Hannah Arendt, trans. Harry Zohn (New York: Schocken, 1969), 79 (translation altered); Illuminationen (Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1955), 66. Cited hereafter with page numbers from the English edition first, followed by those of the German.
[21]. See Joël Magny, "Lecture d'Empédocle," Cahiers du cinéma 402 (December 1987):xiv.
[22]. de Man, Resistance to Theory , 83.
[23]. Laurence Giavarini, "Antigone, sauvage!" Cahiers du cinéma 459:38-40.
ストローブ&ユイレが自身の作品の字幕翻訳に対してとる立場によって露呈されるのは、それが翻訳についてのベンヤミンの立場と類縁性があることと、彼らがテクストを映画に翻案するのが翻訳と関連性があるということだ。ドイツ語からフランス語への字幕翻訳はユイレがおこない、『階級関係』以来は私がドイツ語から英語への字幕翻訳をユイレから依頼されているのだが、その作業にあってユイレが主張することは「翻訳の原初的なエレメントは語にある」と、さながらベンヤミンのようなのだ(20)。語を語でもって翻訳し、かつ、できるかぎり全面的に原文の構文を尊重しながら、翻訳言語において比喩や等価表現を用いて変形してしまうことを絶えず回避しようとする(21)。翻訳は原作の置換物でもなく*8、原作の「解釈」でもない。こうした方法は、原作の理解可能性を限界に追いこみ、ド・マンが指摘するように、翻訳にとってドイツ語の語は一種の比喩語にまでなってしまうのだ。「übersetzen(翻訳)*9は比喩的なものではないと言うのは好奇心を惹く仮定だ。übersetzenは類似に基づかず、翻訳と原作との間には類似はないのだと」(22)。実際ローレンス・ジャヴァリーニが見るには、ユイレによる(『アンティゴネー』の)仏訳字幕はドイツ語とギリシア語の詩形をあらわにする[show through]ものとなっている(23)。
(20). ベンヤミン「翻訳者の使命」p.79〔-〕。ハンナ・アレント編『イルミネーション』に入っている英訳版は、ズーアカンプ刊『イリュミナショネン』の原文とは少々変更されている。以下で引用する際には最初に英訳版の頁数、次にドイツ語原文の頁数を示す。〔判明した箇所に限り、〔〕を付して邦訳の対応頁数を示す〕
(21). ジョエル・マニュイ「エンペドクレスの教え」、『カイエ・デュ・シネマ』402号(1987年12月号)、p.xiv
*8. 交換物、代用品、とも訳せる。displacement(位置ずらし、転位)との対比を念頭に置いてるのかも。
(22). ド・マン『理論への抵抗』p.-
*9. übersetzenは英直訳するとtranslate。cf.アントワーヌ・ベルマン『他者という試練』藤田省一による「序論」訳注3:「〔Übersetzungは〕ドイツ語で「翻訳」を指す語のひとつでüber(…の上に、を超えて、の向こうに)とsetzen(置く)からなる動詞übersetzenの名詞形。フランス語に無理に直訳すればtrans-poserとなる。同様に「翻訳」を意味するÜbertragungも類似の成り立ちである(フランス語でtransfert)。」
(23). ローレンス・ジャヴァリーニ「野生のアンティゴネー!」、『カイエ・デュ・シネマ』459号、pp.38-40
2008年7月1日火曜日
日記1
(最終更新2008.7.17)
ボリス・グロイスBoris Groys『全体芸術様式スターリン』は面白い。ロシア研究・ロシア文学研究の人しか読んでないのではないかと思うほどに日本では不当に読まれていない美学者なのだが、彼はZKMの姉妹組織であるカールスルーエ造形大学の「哲学とメディア理論」部門の教授で、この部門の学部長はスローターダイクだったりするのだ。つまりドイツ現代美学とロシアの交差線にいる人でもあり、2002年のドクメンタ11のカタログにも論文を寄稿している。Multitude webの22号ではエリック・アリエズも寄稿しているヴァイベル小特集が組まれておりグロイスも文章を載せてもいる(ヴァイベルはメディア理論、知覚理論の研究者であり、90年代にアルス・エレクトロニカのディレクターも勤めた)。グロイスがドクメンタ11で書いた文章は「Art in the Age of Biopolitics: From Artwork to Art Documentation」というのだが、彼のロシア・アヴァンギャルド論自体、党=芸術家による生・生活の技術設計主義というアプローチであり、その彼が生政治における芸術を論じるのは適役だろう。『全体芸術様式スターリン』の初読の際、党組織を外して考えたらこの問題はいまなお現代的なのではないかなどとしばし思った。今年初頭にグロイスはArt Powerという英語新刊を出したが、カタログでしか読めなかった上記論文が掲載されているようなので注文。
・『全体芸術様式スターリン』以外の邦訳済みのグロイスの論文には以下のものがある:ボリス・グロイス「ユダヤの逆説、ヨーロッパの逆説:テーオドール・レッシングの『ユダヤ人の自己憎悪』によせて」(1991、中澤英雄訳);「新しさについて」(鷲江めるろ訳)[pdf]、金沢21世紀美術館研究紀要『R』issue 2, 2003
・ヴァイベルについては:「知性的イメージ──神経(ニューロ)映画か、量子(クォンタム)映画か?」(堀潤之訳)、『Future cinema 来たるべき時代の映像表現に向けて』NTT出版、2003、pp.26-37.;「速度の時代における巨大写真像」(前川修訳); NTT ICCのHIVEにあるビデオインタヴュー(1997年製作?)
グロイス関係で調べていたら、いくつかのサイト・記事を見つけた。
・アトミック・サンシャイン - 九条と日本
(キュレーターの渡辺真也のブログ。グロイスとの会談の記事(08.3.4)、酒井直樹研究室への訪問(08.6.01)、近代と法制度やヨーロッパにおける宗教/世俗性によるその下地という視点(いい線いってると思う)、などなど興味を引く。こういう人いるんですねぇ)
・■[本]スローターダイク『デリダ、一人のエジプト人』 - もぐらの国
(スローターダイクの仏訳新刊Derrida, un Egyptien(Maren Sell, 2006)の雑駁な書評。デリダ/グロイスの対比が論じられているらしく、興味を引く)
●
積んだままだったラクー=ラバルトの本を読んでいる。連動させてハイデガーのニーチェ論、ヘルダーリン論を読もうと思っている。ちょうど増田靖彦「思考と哲学 ドゥルーズとハイデガーにおける」(『ドゥルーズ/ガタリの現在』)がニーチェ読解を軸にして、ドゥルーズ/ハイデガーの対比を行っていて興味深い。なにしろドゥルーズもまたヘルダーリンに相当のこだわりを持っているのだ。ヘルダーリン全集を買おうかと思いつつある。ベンヤミンの未読・既読テキストを再び読みたいと思っている。
Bygの文中のtwofoldを二重襞と訳したのは蛇足だったかな。別にあれは存在論的差異でもなさそうだし。
●7/4追記部
Bygの翻訳ではlanguageを原則として「言語」に、wordを「言葉」(文脈によっては「語」)に訳し分ける。Bygがどの程度ハイデガーの議論を意識しているのか。ハイデガーは、たとえば『言葉についての対話』で「言葉」に相当する、Sprache/Wortが出てくるが(高田珠樹訳ではそれぞれ言語/(単)語か言葉。従来の訳語では前者は言葉)、英語訳ではlanguage/word(Peter D. Hertzによる英訳)、通常、仏訳語ではlangueかparole/motが相当する。
●7/7追記部、7/11加筆
現在までに訳文は16段落ぐらいまで来ているのだが、11段落目以後出てくるド・マン、ベンヤミンの注記に該当邦訳ページ数を記そうと、投稿を先送りにしている。それぞれをある程度読み終えてから投稿を続行する。
「目次」の方に乗せるのはある程度訳の投稿記事がたまってから。最終的には、現在やっている対訳記事は投稿日付を数年前に飛ばし(最終更新・初投稿の日付は注記に残す)、 読みやすく邦訳文だけをまとめたものを目次に置くかたちにするかも。
: : : :
アントワーヌ・ベルマン『他者という試練:ロマン主義ドイツの文化と翻訳』(藤田省一訳、みすず書房、2008)を読んでいる。面白い。ドイツ・ロマン主義において詩・翻訳がいかに絡み合っていたかについて議論している。ベンヤミンを相当意識しながら書かれており、かつ、こうした主題に関しては著者の発表時点(1984)においても、ロマン主義でいわれていたことのパラフレーズを超える水準での充実はほとんどなかったらしい。例外的にアンドレアス・ヒュイッセンの60年代末の著書が挙げられているが。
完全に蛇足の指摘をすると、巻末のBibliographyにちょっと穴があって気になった。ジョージ・スタイナーのAfter Babelは上巻のみだが邦訳がある(永久に2巻が出ないかと思われていたガダマー『真理と方法』2巻が、上巻から20年を隔てて先ごろ出たのだから、『バベル以後』も下巻が出る可能性だってある)。あとは挙げられていたデリダの『プシュケ』所収論文のいくつかも邦訳が別の単行本・雑誌に存在している(「隠喩の退-引」「バベルの塔」など)。このへんを訳者には記してほしかった。 なお、藤田氏がブログで乗せている破棄された訳者あとがき第一稿の一部でBygの本が触れられているので、最初藤田氏がみすずで翻訳中なのかと勘違いしてしまった。
ところで、ベンヤミンとドイツロマン主義に関する議論の書籍(メニングハウスなど多数)や、ベンヤミンとカフカおよびユダヤ性に関する議論の書籍(ハンデルマンやモーゼスなど)が、訳者とその協力者によって作成されたBibliography追加箇所にあまり見当たらないように思った。文学と多言語使用に関わる翻訳、という軸に関しては上記の追加一覧でフォローされており、その一環としてBygの本も挙げられているのだが。
非常に面白い本なので、読了次第何か論点をピックアップして書くかも。
●7/17追記
ド・マン、ベンヤミンの邦訳頁数の注記は後回しで、作成済みの邦訳段落を載せることにした。対応頁数は追々加筆する。それまでは「p.-」とでも仮においておこう。
ボリス・グロイスBoris Groys『全体芸術様式スターリン』は面白い。ロシア研究・ロシア文学研究の人しか読んでないのではないかと思うほどに日本では不当に読まれていない美学者なのだが、彼はZKMの姉妹組織であるカールスルーエ造形大学の「哲学とメディア理論」部門の教授で、この部門の学部長はスローターダイクだったりするのだ。つまりドイツ現代美学とロシアの交差線にいる人でもあり、2002年のドクメンタ11のカタログにも論文を寄稿している。Multitude webの22号ではエリック・アリエズも寄稿しているヴァイベル小特集が組まれておりグロイスも文章を載せてもいる(ヴァイベルはメディア理論、知覚理論の研究者であり、90年代にアルス・エレクトロニカのディレクターも勤めた)。グロイスがドクメンタ11で書いた文章は「Art in the Age of Biopolitics: From Artwork to Art Documentation」というのだが、彼のロシア・アヴァンギャルド論自体、党=芸術家による生・生活の技術設計主義というアプローチであり、その彼が生政治における芸術を論じるのは適役だろう。『全体芸術様式スターリン』の初読の際、党組織を外して考えたらこの問題はいまなお現代的なのではないかなどとしばし思った。今年初頭にグロイスはArt Powerという英語新刊を出したが、カタログでしか読めなかった上記論文が掲載されているようなので注文。
・『全体芸術様式スターリン』以外の邦訳済みのグロイスの論文には以下のものがある:ボリス・グロイス「ユダヤの逆説、ヨーロッパの逆説:テーオドール・レッシングの『ユダヤ人の自己憎悪』によせて」(1991、中澤英雄訳);「新しさについて」(鷲江めるろ訳)[pdf]、金沢21世紀美術館研究紀要『R』issue 2, 2003
・ヴァイベルについては:「知性的イメージ──神経(ニューロ)映画か、量子(クォンタム)映画か?」(堀潤之訳)、『Future cinema 来たるべき時代の映像表現に向けて』NTT出版、2003、pp.26-37.;「速度の時代における巨大写真像」(前川修訳); NTT ICCのHIVEにあるビデオインタヴュー(1997年製作?)
グロイス関係で調べていたら、いくつかのサイト・記事を見つけた。
・アトミック・サンシャイン - 九条と日本
(キュレーターの渡辺真也のブログ。グロイスとの会談の記事(08.3.4)、酒井直樹研究室への訪問(08.6.01)、近代と法制度やヨーロッパにおける宗教/世俗性によるその下地という視点(いい線いってると思う)、などなど興味を引く。こういう人いるんですねぇ)
・■[本]スローターダイク『デリダ、一人のエジプト人』 - もぐらの国
(スローターダイクの仏訳新刊Derrida, un Egyptien(Maren Sell, 2006)の雑駁な書評。デリダ/グロイスの対比が論じられているらしく、興味を引く)
●
積んだままだったラクー=ラバルトの本を読んでいる。連動させてハイデガーのニーチェ論、ヘルダーリン論を読もうと思っている。ちょうど増田靖彦「思考と哲学 ドゥルーズとハイデガーにおける」(『ドゥルーズ/ガタリの現在』)がニーチェ読解を軸にして、ドゥルーズ/ハイデガーの対比を行っていて興味深い。なにしろドゥルーズもまたヘルダーリンに相当のこだわりを持っているのだ。ヘルダーリン全集を買おうかと思いつつある。ベンヤミンの未読・既読テキストを再び読みたいと思っている。
Bygの文中のtwofoldを二重襞と訳したのは蛇足だったかな。別にあれは存在論的差異でもなさそうだし。
●7/4追記部
Bygの翻訳ではlanguageを原則として「言語」に、wordを「言葉」(文脈によっては「語」)に訳し分ける。Bygがどの程度ハイデガーの議論を意識しているのか。ハイデガーは、たとえば『言葉についての対話』で「言葉」に相当する、Sprache/Wortが出てくるが(高田珠樹訳ではそれぞれ言語/(単)語か言葉。従来の訳語では前者は言葉)、英語訳ではlanguage/word(Peter D. Hertzによる英訳)、通常、仏訳語ではlangueかparole/motが相当する。
●7/7追記部、7/11加筆
現在までに訳文は16段落ぐらいまで来ているのだが、11段落目以後出てくるド・マン、ベンヤミンの注記に該当邦訳ページ数を記そうと、投稿を先送りにしている。それぞれをある程度読み終えてから投稿を続行する。
「目次」の方に乗せるのはある程度訳の投稿記事がたまってから。最終的には、現在やっている対訳記事は投稿日付を数年前に飛ばし(最終更新・初投稿の日付は注記に残す)、 読みやすく邦訳文だけをまとめたものを目次に置くかたちにするかも。
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アントワーヌ・ベルマン『他者という試練:ロマン主義ドイツの文化と翻訳』(藤田省一訳、みすず書房、2008)を読んでいる。面白い。ドイツ・ロマン主義において詩・翻訳がいかに絡み合っていたかについて議論している。ベンヤミンを相当意識しながら書かれており、かつ、こうした主題に関しては著者の発表時点(1984)においても、ロマン主義でいわれていたことのパラフレーズを超える水準での充実はほとんどなかったらしい。例外的にアンドレアス・ヒュイッセンの60年代末の著書が挙げられているが。
完全に蛇足の指摘をすると、巻末のBibliographyにちょっと穴があって気になった。ジョージ・スタイナーのAfter Babelは上巻のみだが邦訳がある(永久に2巻が出ないかと思われていたガダマー『真理と方法』2巻が、上巻から20年を隔てて先ごろ出たのだから、『バベル以後』も下巻が出る可能性だってある)。あとは挙げられていたデリダの『プシュケ』所収論文のいくつかも邦訳が別の単行本・雑誌に存在している(「隠喩の退-引」「バベルの塔」など)。このへんを訳者には記してほしかった。 なお、藤田氏がブログで乗せている破棄された訳者あとがき第一稿の一部でBygの本が触れられているので、最初藤田氏がみすずで翻訳中なのかと勘違いしてしまった。
ところで、ベンヤミンとドイツロマン主義に関する議論の書籍(メニングハウスなど多数)や、ベンヤミンとカフカおよびユダヤ性に関する議論の書籍(ハンデルマンやモーゼスなど)が、訳者とその協力者によって作成されたBibliography追加箇所にあまり見当たらないように思った。文学と多言語使用に関わる翻訳、という軸に関しては上記の追加一覧でフォローされており、その一環としてBygの本も挙げられているのだが。
非常に面白い本なので、読了次第何か論点をピックアップして書くかも。
●7/17追記
ド・マン、ベンヤミンの邦訳頁数の注記は後回しで、作成済みの邦訳段落を載せることにした。対応頁数は追々加筆する。それまでは「p.-」とでも仮においておこう。
2008年6月30日月曜日
第10章 「翻訳」としての映画作品 2
第6段落~第10段落
(最終更新:2008.7.15)
(原文 第10章第6段落pp.200-201.)
Determinant for the Hölderlin text is the pause at the end of each line, which was carefully orchestrated by Straub/Huillet according to the rhythm of the words. This corresponds to a "classical" aspect of Hölderlin, that the caesura is the essence of the spirit that the work conveys. As Bettina von Arnim wrote, citing Hölderlin, "The laws of the Spirit are metrical."[7] However, the stylized manipulation of speech in the service of the rhythm of the words functions simply to distance the hearer from both the meaning and the delivery, again so that the elements can be appreciated in their separation.
[7]. See Der Tod des Empedokles/La mort d'Empédocle , ed. Jacques Déniel and Dominique Païni (Dunkerque: Studio 43/Paris: DOPA Films/Ecole regionale des beauxarts, 1987), hereafter cited as Dunkerque ; and Philippe Lacoue-Labarthe, "The Caesura of the Speculative," in Typography: Mimesis, Philosophy, Politics (Cambridge: Harvard University Press, 1989), 208-235.〔原著、"La Césure du spéculatif" in L'Imitation des modernes: Typographies 2, Éditions Galilée, 1986〕
(第10章第6段落)
ヘルダーリンのテクストにとって決定要因は各行末尾での中断/休止〔pause〕だ。ストローブ&ユイレは、もろもろの言葉のリズムにしたがって中断/休止〔pause〕を念入りに組織化〔編曲〕する。中間休止〔caesura〕が作品によって伝達される魂の本質だということは、ヘルダーリンの「古典的」側面に一致している。ベッティナ・フォン・アルニムがヘルダーリンを引用しながら書いたように、「精神の掟/法は韻律的」なのだ(7)もろもろの言葉のリズムにしたがって発話操作に表現形式を与えることは、単に、意味作用と意味内容の両方から聞き手を隔ててしまうだけの効果を発するのだが、この場合もまた、分離のうちにあっても諸要素が正確に認識されるように操作しなくてはならないのだ。
(7). ジャック・デニエル、ドミニク・パイーニ編『エンペドクレスの死』(ダンケルク:スタジオ43、パリ:ドパ・フィルム/〔ナントの〕地方美術学校、1987)を参照。以下ではこの文献を「ダンケルク」と略記する。また、フィリップ・ラクー=ラバルト「思弁的なるものの中間休止」、『近代人の模倣』(大西雅一郎訳、みすず書房、2003)、pp.50-99.を参照。
(原文 第10章第7段落p.201.)
The hostility of the reception of this method, especially in Germany, is quite telling. As Huillet has observed, experimentation with sound and speech is much less acceptable in the cinema today than visual experimentation. An analogy with atonal music is again appropriate, since twentieth-century music in the mainstream cinema is almost entirely banned to the horror genre (in Stanley Kubrick's The Shining , for example). Critics have generally not accepted either the analogy to rap music, proposed by Harun Farocki,[8] or the filmmakers' insistence that such rhythms do indeed occur in natural speech: they have related the story of a child approaching them as they walked their dog in Hamburg with an "unnatural" caesura in the question "Beißt / der Hund?"[9] One critic even trotted out Alexander Kluge's objection, that one cannot treat language as an object, without noting that it dated from 1965.[10] And even Brecht insisted on the "unnatural" emphasis on the caesura in his Hölderlin adaptation, rather than "psychological" readings of the text, comparing it to the syncopation of jazz.[11]
[8]. Farocki, "Den Text zu Gehör bringen."
[9]. Cited in Rembert Hüser, "Stummfilm mit Sprache: Der Tod des Empedokles oder Wenn dann der Erde grün von neuem euch erglänzt von Danièle Huillet und Jean-Marie Straub," filmwärts 9 (1987):17. "Does the dog / bite?"
[10]. Ulli Müller-Schöll, "Heil' ge Natur," Film/Video Logbuch 12 (May 1987):7.
[11]. Brechts Antigone des Sophokles , ed. Werner Hecht (Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1988).
(第10章第7段落)
彼らの手法を受容することへの敵意は、とりわけドイツにおいては多くの示唆をはらんでいる。ユイレが観察するように、音響と発話をもちいた実験作品は、映画においては映像実験作品よりも受けいれられにくい。無調音楽のアナロジーがここでも有効だろう。なぜなら、主流の映画において20世紀音楽のおよそ大半が、ホラー映画での使用を除いて禁止されていたからだ(たとえば、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』)。一般的に批評家は、ハルーン・ファロッキが提起したようにラップ音楽とのアナロジーで受容することもなかったし(8)、映画作家たち〔ストローブ&ユイレ〕が主張するようにそうしたリズムが自然な発話において生じているというふうに考えもしなかったのだ。映画作家たちはある子供の話を語った。その子供は、彼らがハンブルグで犬を散歩させているときに、彼らのところへ寄ってきて、途中で「不自然」な区切りを入れながら〔with an "unnatural" caesura〕、「その犬は/噛むの?」とたずねてきた(9)。ある批評家は、人は言語を対象として扱うことは不可能だというアレクサンダー・クルーゲの異議を持ち出した。ただし、そのクルーゲの主張が1965年以降のことだと言及することなしに(10)。ブレヒトもまたヘルダーリンを翻案する際、ジャズのシンコペーションと比べながら中間休止の「不自然」な強調を主張し、「心理学的」読解よりもこれが重要だと言ったのだ(11)。
(8). ファロッキ「テクストを聴取にいたらしめる」
(9). レンベルト・ヒューザー「言葉つきのサイレント映画:ストローブ&ユイレ『エンペドクレスの死 あるいは おまえたちに大地の緑が新たな輝きを見せる時』」、『映画の方へ』9号(1987)、p.17.〔filmwärtsのwärtsとは副詞または名詞のあとにつけて副詞をつくる語尾で、英語で言うnorthwardのwardに相当する。この雑誌名はおそらく造語だろう〕 Beißt / der Hund?"とは英訳すると"Does the dog / bite?"である。〔ただし英語と違ってドイツ語文法特有の動詞+主語という倒置構文になっている〕
(10). ウリ・ミュラー=ショル「自然万歳/聖自然」、『フィルム/ビデオ 航海日誌』12号(1987年5月号)、p.7〔Heil(万歳、福祉、幸福)とHeilige(聖なる)をかけたタイトルと思われる。あるいはBygのテキストのOCR読解ミス。その場合は普通に「聖自然」、「聖なる自然」という意味。〕
(11). ヴェルナー・ヘヒト編『ブレヒトのソポクレス「アンティゴネー」』(フランクフルト・アム・マイン:ズーアカンプ、1988)
(原文 第10章第8段落p.201.)
Huillet and Straub of course do not endear themselves to German critics by asserting that, on the contrary, this is the first time Hölderlin has ever really been heard in Germany. In saying this, they are continuing the Brechtian tradition, shared apparently by Renoir, that accents and foreigners' difficulty in speaking a language actually reveal a truthfulness not available in "normal" speech. The revelatory power of this foreignness is also to be found in Hölderlin, as Santner points out: "Hearing our own language from the mouth of a foreigner (or, perhaps, of a poet) is much like framing the language with a kind of Brechtian Verfremdungs-Effekt ; our own language is made strange, is objectified. This can secure for us the necessary distance from our mother tongue so that we may then use it 'more freely.'"[12] By alienating the German language, Straub/Huillet are both "wresting it from the control of the bourgeoisie," to use the rhetoric of the 1960s, and regaining a new access to it for contemporary Germans (who, it seems, generally do not appreciate it). But the principle Straub/Huillet employ seems at least consistent with Hölderlin's position: "But what is proper to oneself must be as well learned as what is alien. Therefore the Greeks are indispensable to us."[13]
[12]. Eric Santner, Friedrich Hölderlin: Narrative Vigilance and the Poetic Imagination (New Brunswick: Rutgers University Press, 1986), 58.
[13]. Cited in Santner, Friedrich Hölderlin , 59.
(第10章第8段落)
もちろんストローブ&ユイレはドイツの批評家に好まれはしなかった。というのは二人は、ヘルダーリンはドイツ文学者であるどころか、〔今回〕初めてドイツで真に聴かれることになったのだと言い張ったからだ。こう主張することで二人はブレヒト的伝統を持続したわけだが、外国人が発話するときの困難さやアクセントによって通常の発話では得られない真実性が露呈されるというのは、明白にルノワールにも共有されていた伝統だった。ザントナーが指摘するように、こうした異邦の〔馴染みのない〕露呈的な力をヘルダーリンは見出した。「私たちの言語を外国人の口を介して(あるいはたぶん、詩人の口を介して)聴取することは、ブレヒト的なある種の異化作用をともなった言語を組み立てることと酷似している。すなわち、私たちの言語は奇妙に作られており〔maid strange〕、対象化されているのだ。このことが私たちに母語からの必然的な隔たりを保証し、したがって私たちは母語を「より自在に」用いることができる」(12)。ドイツ語を異化することでストローブ&ユイレの二人は、1960年代のレトリックを用いて「ブルジョワ的な管理からドイツ語を奪い取り」、(一般的にドイツ語を賞味〔appreciate〕しないような)現代のドイツ人のためにドイツ語への新たな接近手段〔アクセス〕を奪還している。しかしストローブ&ユイレが用いる原理は、少なくともヘルダーリンのポジションに一致するものだ。「しかし人にとって固有なものとは、異邦のもの[what is alien]と同じぐらいに身についたものだ。したがってギリシア人が〔異邦であるがゆえに〕私たちに必須なのだ」(13)。
(12). エリック・ザントナー『フリードリッヒ・ヘルダーリン:説話的警戒と詩的想像力』(ニュー・ブランシュヴィック:ラトガー大学出版、1986)、p.58
(13). ザントナー『フリードリッヒ・ヘルダーリン』p.59から引用
(原文 第10章第9段落pp.201-202.)
As in their other films, but to a more theatrical degree, the Empedocles is thus what Raphaël Bassan calls a "creative documentary" of the performance. Against the background of the careful scoring of the text, the film documents the quality of spontaneity that shines through because each actor has a particular manner of speaking that has its own history. As Andreas von Rauch put it, it could even take some detective work to discover how certain Rhineland pronunciations came into the speech of young Germans raised in Rome, or to explain why a scholar of German literature in Italy might have a Bavarian accent (the peasant in Empedocles). The personal history, although not manifest, does play a role in the "character" of the figures, however. For example, Pausanias is indeed a young man gradually gaining more self-confidence (both in the German of the text and before the camera) as he works through the drama of Empedocles' fate. As an Italian speaker of German, he is also documented as he learns what is proper to himself, to paraphrase Hölderlin.[14]
[14]. See Farocki, "Den Text zu Gehör bringen"; and Bassan, " La mort d'Empédocle ," 50. Hüser also writes of Straub/Huillet's avoidance of trained actors and its effects: "For the two [Straub/Huillet] it is a disadvantage, since they consider professional actors as an independent group sociologically uninteresting ('In the early Hollywood films one can still see that the actor is a farmer or something'). The choice of actors is correspondingly mixed. Next to each other appear a Dutch opera singer, an Italian philosophy professor (and Gramsci specialist) next to a German ballet dancer and Goethe Institute teacher; an almost 80-year-old Melville/Lang/Godard actor next to a pair of Italian siblings. A majority of the actors speak German as a second language. Melodically that is very interesting. The Empedocles actor is Andreas von Rauch, a former teacher from Hamburg-Altona. The Bach violin sonata in the opening credits is played by him." Hüser, ''Stummfilm mit Sprache," 20-21.
(第10章第9段落)
ほかの作品にも見られるように――これは舞台に関する点だが――エンペドクレスはラファエル・バッサンが上演の「創造的記録」と呼ぶものになっている。テクストを入念に楽譜作成するという背景の一方で、映画は映画を通して輝く自発性の質を記録する。俳優のおのおのには、彼彼女ら自身の歴史をもつ特定の発話方法があるからだ。アンドレアス・フォン・ラアホが指摘するように、ローマで育った若いドイツ人の発話のなかでどのようにラインラント地方の発音が現れてくるのかを発見することや、イタリアに住むドイツ文学の研究者がなぜ(『エンペドクレス』に登場する農夫の)バイエルン地方のアクセントをもつのかを説明することは、もはや探偵的な作業にすらなるだろう。個人史とは公式声明文のような文書とは異なるものだが、〔作品を構成する〕諸形象〔文彩〕のなかでも「登場人物」の役割を果たす。たとえばパウサニアスは次第にうぬぼれてゆく若い男であり(独訳版テクストにおいてもカメラの前にあっても)、エンペドクレスの運命のドラマをとおしてその役割を演じる。パウサニアスを演じるのはドイツ語を話すイタリア人だが、映画で記録されているのは、彼がヘルダーリンを朗読しつつ自らの固有なものを身につけていく過程なのだ(14)。
(14). ファロッキ「テクストを聴取にいたらしめる」およびバッサン「『エンペドクレスの死』』p.50を参照。またヒューザーは、ストローブ&ユイレがプロの俳優やその演技効果を避けることについてこう書いている。「二人[ストローブ&ユイレ]にとって、プロの俳優は社会学的に関心を引かない独立集団と考えられ、プロの俳優を用いることは不利なことだった(「初期ハリウッド映画にはなおも農夫などが役者となっているのを見ることができる」)。俳優は、〔テクストやその上演に〕沿って混ざり合わされて選ばれた。オランダ人オペラ歌手とイタリア人哲学教授(さらにはグラムシの研究者)を隣り合わさせ、ドイツ人バレエダンサーとゲーテ・インスティチュートの教師を隣り合わさせる。あるいは、約80歳の〔ジャン=ピエール・〕メルヴィル/〔フリッツ・〕ラング/ゴダールを俳優としてイタリア人兄弟のペアと隣り合わせる。大方の俳優たちはドイツ語を第二言語として話すため、その発話は旋律において実に興味深いものとなる。エンペドクレス役を演じたアンドレアス・フォン・ラアホは〔ハンブルグ西部の〕ハンブルグ=アルトナ(訳注4)出身の元教師で、作品の冒頭クレジットにあるバッハのバイオリン・ソナタは彼による演奏だ。」、ヒューザー「言葉つきのサイレント映画」pp.20-21
(原文 第10章第10段落p.202.)
The difficulty of non-native speakers with language combines with the inherent difficulty of the text itself to produce this document of the creation of sense from words. For that reason, Straub has admitted to choosing this version of Empedocles, as with other texts, because it is "impure" and because it "resists" being filmed.[15] We have seen that modern interest has arisen from the "loosening" of syntactic structures in Hölderlin's later works, and the Hölderlin edition by Sattler (a consultant on the films) reveals the indeterminacy of variants rather than striving for a "definitive" reading.[16] Straub/Huillet purposely demonstrate that this is an "impure" text, not a completely polished one. This is reminiscent of their removal of Max Brod's "polishing" from the Kafka text. In this case they even acquired photocopies of unfinished material from Sattler and made their won choices.[17] Although a single performance of the play cannot place textual variants side by side, as in the Frankfurt edition, the distancing of the performance makes it clear that it is a product existing between the words on the page and the meaning that either was intended or is received. Here the "archaeology" so often apparent in Straub/Huillet's work functions on the textual level. Their mortification of the body of the text by delivery and choice of speakers is consistent with another concept of Benjamin's, as elucidated by Paul de Man, and that is the "task of the translator."[18]
[15]. Hans Hurch and Stephan Settele, "Der Schatten der Beute: Gespräch mit Danièle Huillet und Jean-Marie Straub," Stadtkino Programm [Vienna] 121 (October 1987): n.p.
[16]. On the Frankfurt edition by D. E. Sattler, see Helen Fehervary, Hölderlin and the Left: The Search for a Dialectic of Art and Life (Heidelberg: Carl Winter Universitätsverlag, 1977), 235.
[17]. Hüser, "Stummfilm mit Sprache," 18.
[18]. I am grateful to Catherine Russell for calling my attention to this term from Benjamin.
(第10章第10段落)
母語として育っていない人がその言語を話すことの困難さは、テクストそのもの――そのテクストはもろもろの言葉から感覚が創造されるのを記録している――に本来備わっている〔inherent〕困難さと結びついている。したがって、他のテクストと同様に「混交して[impure]」いて映画化に「抵抗する[resists]」ものだったため、ストローブはエンペドクレスのこのバージョンを選択したのだった(15)。ヘルダーリン後期作品の「弛緩した」統語的〔構文的〕構造は現代的な関心の対象になると私たちは理解してきたのだが、サトラーが編纂したヘルダーリン作品(ストローブの映画作品で参照されているのはこれである)は「決定的」読解に向けられた努力よりも、多数の異文〔変異形〕[variants]による不確定性を露呈させている(16)。ストローブ&ユイレは、完全に研磨されたテクスではなく「混交した」テクストこそがヘルダーリンの作品だとして、意図的に実演する[demonstrate]。このことは、カフカのテクストを「研磨」したマックス・ブロートの作業を彼らが〔『階級関係』を映画化し上演した際に〕取り除いたことを連想させる。ヘルダーリン作品を映画化したとき、彼らが必要としたのはサトラー編のバージョンから未完の素材そのもののコピーであり、その選択を勝ち取ったのだ(17)。演劇の一組の上演ではテクストの異文同士が隣接し合う場が生じないのだが、フランクフルト版のように、上演の隔絶によって明らかにされるものとは、紙面の言葉とその言葉の意図され受容される意味の間にあるものこそが上演の生産物なのだということだ。ストローブ&ユイレの作業〔制作〕はテクストのレベルで機能し、そこには「考古学的なもの」がしばしば現れる。朗読される台詞箇所とその選択はテクストの身体に苦行を生じさせるのだが、このことはベンヤミンの概念であり、ポール・ド・マンが明晰に議論した、「翻訳者の使命」と一致している(18)。
(15). ハンス・フルヒ&ステファン・セトル「盗品の影:ダニエル・ユイレとジャン=マリー・ストローブとの討議」、『映画都市のプログラム』[ウィーン]、121号(1987年10月号)、出版地不明。
(16). D.E.サトラー編のフランクフルト版については、ヘレン・フェハーヴァリー『ヘルダーリンと左翼:芸術と生の弁証法のための研究』(ハイデルベルク:カール・ウィンター大学出版、1977)、p.235を参照。
(17). ヒューザー「言葉つきのサイレント映画」p.18
(18). ベンヤミンのこの概念に注意をうながしてくれたカトリーヌ・ラッセルに感謝する。
追記
・抜けていた注6の埋め込み ・脚注リンクづけ ・文字色配置変更(以上は7/11修正点)・8段落目の「異化作用」を太字強調 ・8段落目最終行を修正(以上は7/15修正点)
(最終更新:2008.7.15)
(原文 第10章第6段落pp.200-201.)
Determinant for the Hölderlin text is the pause at the end of each line, which was carefully orchestrated by Straub/Huillet according to the rhythm of the words. This corresponds to a "classical" aspect of Hölderlin, that the caesura is the essence of the spirit that the work conveys. As Bettina von Arnim wrote, citing Hölderlin, "The laws of the Spirit are metrical."[7] However, the stylized manipulation of speech in the service of the rhythm of the words functions simply to distance the hearer from both the meaning and the delivery, again so that the elements can be appreciated in their separation.
[7]. See Der Tod des Empedokles/La mort d'Empédocle , ed. Jacques Déniel and Dominique Païni (Dunkerque: Studio 43/Paris: DOPA Films/Ecole regionale des beauxarts, 1987), hereafter cited as Dunkerque ; and Philippe Lacoue-Labarthe, "The Caesura of the Speculative," in Typography: Mimesis, Philosophy, Politics (Cambridge: Harvard University Press, 1989), 208-235.〔原著、"La Césure du spéculatif" in L'Imitation des modernes: Typographies 2, Éditions Galilée, 1986〕
(第10章第6段落)
ヘルダーリンのテクストにとって決定要因は各行末尾での中断/休止〔pause〕だ。ストローブ&ユイレは、もろもろの言葉のリズムにしたがって中断/休止〔pause〕を念入りに組織化〔編曲〕する。中間休止〔caesura〕が作品によって伝達される魂の本質だということは、ヘルダーリンの「古典的」側面に一致している。ベッティナ・フォン・アルニムがヘルダーリンを引用しながら書いたように、「精神の掟/法は韻律的」なのだ(7)もろもろの言葉のリズムにしたがって発話操作に表現形式を与えることは、単に、意味作用と意味内容の両方から聞き手を隔ててしまうだけの効果を発するのだが、この場合もまた、分離のうちにあっても諸要素が正確に認識されるように操作しなくてはならないのだ。
(7). ジャック・デニエル、ドミニク・パイーニ編『エンペドクレスの死』(ダンケルク:スタジオ43、パリ:ドパ・フィルム/〔ナントの〕地方美術学校、1987)を参照。以下ではこの文献を「ダンケルク」と略記する。また、フィリップ・ラクー=ラバルト「思弁的なるものの中間休止」、『近代人の模倣』(大西雅一郎訳、みすず書房、2003)、pp.50-99.を参照。
(原文 第10章第7段落p.201.)
The hostility of the reception of this method, especially in Germany, is quite telling. As Huillet has observed, experimentation with sound and speech is much less acceptable in the cinema today than visual experimentation. An analogy with atonal music is again appropriate, since twentieth-century music in the mainstream cinema is almost entirely banned to the horror genre (in Stanley Kubrick's The Shining , for example). Critics have generally not accepted either the analogy to rap music, proposed by Harun Farocki,[8] or the filmmakers' insistence that such rhythms do indeed occur in natural speech: they have related the story of a child approaching them as they walked their dog in Hamburg with an "unnatural" caesura in the question "Beißt / der Hund?"[9] One critic even trotted out Alexander Kluge's objection, that one cannot treat language as an object, without noting that it dated from 1965.[10] And even Brecht insisted on the "unnatural" emphasis on the caesura in his Hölderlin adaptation, rather than "psychological" readings of the text, comparing it to the syncopation of jazz.[11]
[8]. Farocki, "Den Text zu Gehör bringen."
[9]. Cited in Rembert Hüser, "Stummfilm mit Sprache: Der Tod des Empedokles oder Wenn dann der Erde grün von neuem euch erglänzt von Danièle Huillet und Jean-Marie Straub," filmwärts 9 (1987):17. "Does the dog / bite?"
[10]. Ulli Müller-Schöll, "Heil' ge Natur," Film/Video Logbuch 12 (May 1987):7.
[11]. Brechts Antigone des Sophokles , ed. Werner Hecht (Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1988).
(第10章第7段落)
彼らの手法を受容することへの敵意は、とりわけドイツにおいては多くの示唆をはらんでいる。ユイレが観察するように、音響と発話をもちいた実験作品は、映画においては映像実験作品よりも受けいれられにくい。無調音楽のアナロジーがここでも有効だろう。なぜなら、主流の映画において20世紀音楽のおよそ大半が、ホラー映画での使用を除いて禁止されていたからだ(たとえば、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』)。一般的に批評家は、ハルーン・ファロッキが提起したようにラップ音楽とのアナロジーで受容することもなかったし(8)、映画作家たち〔ストローブ&ユイレ〕が主張するようにそうしたリズムが自然な発話において生じているというふうに考えもしなかったのだ。映画作家たちはある子供の話を語った。その子供は、彼らがハンブルグで犬を散歩させているときに、彼らのところへ寄ってきて、途中で「不自然」な区切りを入れながら〔with an "unnatural" caesura〕、「その犬は/噛むの?」とたずねてきた(9)。ある批評家は、人は言語を対象として扱うことは不可能だというアレクサンダー・クルーゲの異議を持ち出した。ただし、そのクルーゲの主張が1965年以降のことだと言及することなしに(10)。ブレヒトもまたヘルダーリンを翻案する際、ジャズのシンコペーションと比べながら中間休止の「不自然」な強調を主張し、「心理学的」読解よりもこれが重要だと言ったのだ(11)。
(8). ファロッキ「テクストを聴取にいたらしめる」
(9). レンベルト・ヒューザー「言葉つきのサイレント映画:ストローブ&ユイレ『エンペドクレスの死 あるいは おまえたちに大地の緑が新たな輝きを見せる時』」、『映画の方へ』9号(1987)、p.17.〔filmwärtsのwärtsとは副詞または名詞のあとにつけて副詞をつくる語尾で、英語で言うnorthwardのwardに相当する。この雑誌名はおそらく造語だろう〕 Beißt / der Hund?"とは英訳すると"Does the dog / bite?"である。〔ただし英語と違ってドイツ語文法特有の動詞+主語という倒置構文になっている〕
(10). ウリ・ミュラー=ショル「自然万歳/聖自然」、『フィルム/ビデオ 航海日誌』12号(1987年5月号)、p.7〔Heil(万歳、福祉、幸福)とHeilige(聖なる)をかけたタイトルと思われる。あるいはBygのテキストのOCR読解ミス。その場合は普通に「聖自然」、「聖なる自然」という意味。〕
(11). ヴェルナー・ヘヒト編『ブレヒトのソポクレス「アンティゴネー」』(フランクフルト・アム・マイン:ズーアカンプ、1988)
(原文 第10章第8段落p.201.)
Huillet and Straub of course do not endear themselves to German critics by asserting that, on the contrary, this is the first time Hölderlin has ever really been heard in Germany. In saying this, they are continuing the Brechtian tradition, shared apparently by Renoir, that accents and foreigners' difficulty in speaking a language actually reveal a truthfulness not available in "normal" speech. The revelatory power of this foreignness is also to be found in Hölderlin, as Santner points out: "Hearing our own language from the mouth of a foreigner (or, perhaps, of a poet) is much like framing the language with a kind of Brechtian Verfremdungs-Effekt ; our own language is made strange, is objectified. This can secure for us the necessary distance from our mother tongue so that we may then use it 'more freely.'"[12] By alienating the German language, Straub/Huillet are both "wresting it from the control of the bourgeoisie," to use the rhetoric of the 1960s, and regaining a new access to it for contemporary Germans (who, it seems, generally do not appreciate it). But the principle Straub/Huillet employ seems at least consistent with Hölderlin's position: "But what is proper to oneself must be as well learned as what is alien. Therefore the Greeks are indispensable to us."[13]
[12]. Eric Santner, Friedrich Hölderlin: Narrative Vigilance and the Poetic Imagination (New Brunswick: Rutgers University Press, 1986), 58.
[13]. Cited in Santner, Friedrich Hölderlin , 59.
(第10章第8段落)
もちろんストローブ&ユイレはドイツの批評家に好まれはしなかった。というのは二人は、ヘルダーリンはドイツ文学者であるどころか、〔今回〕初めてドイツで真に聴かれることになったのだと言い張ったからだ。こう主張することで二人はブレヒト的伝統を持続したわけだが、外国人が発話するときの困難さやアクセントによって通常の発話では得られない真実性が露呈されるというのは、明白にルノワールにも共有されていた伝統だった。ザントナーが指摘するように、こうした異邦の〔馴染みのない〕露呈的な力をヘルダーリンは見出した。「私たちの言語を外国人の口を介して(あるいはたぶん、詩人の口を介して)聴取することは、ブレヒト的なある種の異化作用をともなった言語を組み立てることと酷似している。すなわち、私たちの言語は奇妙に作られており〔maid strange〕、対象化されているのだ。このことが私たちに母語からの必然的な隔たりを保証し、したがって私たちは母語を「より自在に」用いることができる」(12)。ドイツ語を異化することでストローブ&ユイレの二人は、1960年代のレトリックを用いて「ブルジョワ的な管理からドイツ語を奪い取り」、(一般的にドイツ語を賞味〔appreciate〕しないような)現代のドイツ人のためにドイツ語への新たな接近手段〔アクセス〕を奪還している。しかしストローブ&ユイレが用いる原理は、少なくともヘルダーリンのポジションに一致するものだ。「しかし人にとって固有なものとは、異邦のもの[what is alien]と同じぐらいに身についたものだ。したがってギリシア人が〔異邦であるがゆえに〕私たちに必須なのだ」(13)。
(12). エリック・ザントナー『フリードリッヒ・ヘルダーリン:説話的警戒と詩的想像力』(ニュー・ブランシュヴィック:ラトガー大学出版、1986)、p.58
(13). ザントナー『フリードリッヒ・ヘルダーリン』p.59から引用
(原文 第10章第9段落pp.201-202.)
As in their other films, but to a more theatrical degree, the Empedocles is thus what Raphaël Bassan calls a "creative documentary" of the performance. Against the background of the careful scoring of the text, the film documents the quality of spontaneity that shines through because each actor has a particular manner of speaking that has its own history. As Andreas von Rauch put it, it could even take some detective work to discover how certain Rhineland pronunciations came into the speech of young Germans raised in Rome, or to explain why a scholar of German literature in Italy might have a Bavarian accent (the peasant in Empedocles). The personal history, although not manifest, does play a role in the "character" of the figures, however. For example, Pausanias is indeed a young man gradually gaining more self-confidence (both in the German of the text and before the camera) as he works through the drama of Empedocles' fate. As an Italian speaker of German, he is also documented as he learns what is proper to himself, to paraphrase Hölderlin.[14]
[14]. See Farocki, "Den Text zu Gehör bringen"; and Bassan, " La mort d'Empédocle ," 50. Hüser also writes of Straub/Huillet's avoidance of trained actors and its effects: "For the two [Straub/Huillet] it is a disadvantage, since they consider professional actors as an independent group sociologically uninteresting ('In the early Hollywood films one can still see that the actor is a farmer or something'). The choice of actors is correspondingly mixed. Next to each other appear a Dutch opera singer, an Italian philosophy professor (and Gramsci specialist) next to a German ballet dancer and Goethe Institute teacher; an almost 80-year-old Melville/Lang/Godard actor next to a pair of Italian siblings. A majority of the actors speak German as a second language. Melodically that is very interesting. The Empedocles actor is Andreas von Rauch, a former teacher from Hamburg-Altona. The Bach violin sonata in the opening credits is played by him." Hüser, ''Stummfilm mit Sprache," 20-21.
(第10章第9段落)
ほかの作品にも見られるように――これは舞台に関する点だが――エンペドクレスはラファエル・バッサンが上演の「創造的記録」と呼ぶものになっている。テクストを入念に楽譜作成するという背景の一方で、映画は映画を通して輝く自発性の質を記録する。俳優のおのおのには、彼彼女ら自身の歴史をもつ特定の発話方法があるからだ。アンドレアス・フォン・ラアホが指摘するように、ローマで育った若いドイツ人の発話のなかでどのようにラインラント地方の発音が現れてくるのかを発見することや、イタリアに住むドイツ文学の研究者がなぜ(『エンペドクレス』に登場する農夫の)バイエルン地方のアクセントをもつのかを説明することは、もはや探偵的な作業にすらなるだろう。個人史とは公式声明文のような文書とは異なるものだが、〔作品を構成する〕諸形象〔文彩〕のなかでも「登場人物」の役割を果たす。たとえばパウサニアスは次第にうぬぼれてゆく若い男であり(独訳版テクストにおいてもカメラの前にあっても)、エンペドクレスの運命のドラマをとおしてその役割を演じる。パウサニアスを演じるのはドイツ語を話すイタリア人だが、映画で記録されているのは、彼がヘルダーリンを朗読しつつ自らの固有なものを身につけていく過程なのだ(14)。
(14). ファロッキ「テクストを聴取にいたらしめる」およびバッサン「『エンペドクレスの死』』p.50を参照。またヒューザーは、ストローブ&ユイレがプロの俳優やその演技効果を避けることについてこう書いている。「二人[ストローブ&ユイレ]にとって、プロの俳優は社会学的に関心を引かない独立集団と考えられ、プロの俳優を用いることは不利なことだった(「初期ハリウッド映画にはなおも農夫などが役者となっているのを見ることができる」)。俳優は、〔テクストやその上演に〕沿って混ざり合わされて選ばれた。オランダ人オペラ歌手とイタリア人哲学教授(さらにはグラムシの研究者)を隣り合わさせ、ドイツ人バレエダンサーとゲーテ・インスティチュートの教師を隣り合わさせる。あるいは、約80歳の〔ジャン=ピエール・〕メルヴィル/〔フリッツ・〕ラング/ゴダールを俳優としてイタリア人兄弟のペアと隣り合わせる。大方の俳優たちはドイツ語を第二言語として話すため、その発話は旋律において実に興味深いものとなる。エンペドクレス役を演じたアンドレアス・フォン・ラアホは〔ハンブルグ西部の〕ハンブルグ=アルトナ(訳注4)出身の元教師で、作品の冒頭クレジットにあるバッハのバイオリン・ソナタは彼による演奏だ。」、ヒューザー「言葉つきのサイレント映画」pp.20-21
(原文 第10章第10段落p.202.)
The difficulty of non-native speakers with language combines with the inherent difficulty of the text itself to produce this document of the creation of sense from words. For that reason, Straub has admitted to choosing this version of Empedocles, as with other texts, because it is "impure" and because it "resists" being filmed.[15] We have seen that modern interest has arisen from the "loosening" of syntactic structures in Hölderlin's later works, and the Hölderlin edition by Sattler (a consultant on the films) reveals the indeterminacy of variants rather than striving for a "definitive" reading.[16] Straub/Huillet purposely demonstrate that this is an "impure" text, not a completely polished one. This is reminiscent of their removal of Max Brod's "polishing" from the Kafka text. In this case they even acquired photocopies of unfinished material from Sattler and made their won choices.[17] Although a single performance of the play cannot place textual variants side by side, as in the Frankfurt edition, the distancing of the performance makes it clear that it is a product existing between the words on the page and the meaning that either was intended or is received. Here the "archaeology" so often apparent in Straub/Huillet's work functions on the textual level. Their mortification of the body of the text by delivery and choice of speakers is consistent with another concept of Benjamin's, as elucidated by Paul de Man, and that is the "task of the translator."[18]
[15]. Hans Hurch and Stephan Settele, "Der Schatten der Beute: Gespräch mit Danièle Huillet und Jean-Marie Straub," Stadtkino Programm [Vienna] 121 (October 1987): n.p.
[16]. On the Frankfurt edition by D. E. Sattler, see Helen Fehervary, Hölderlin and the Left: The Search for a Dialectic of Art and Life (Heidelberg: Carl Winter Universitätsverlag, 1977), 235.
[17]. Hüser, "Stummfilm mit Sprache," 18.
[18]. I am grateful to Catherine Russell for calling my attention to this term from Benjamin.
(第10章第10段落)
母語として育っていない人がその言語を話すことの困難さは、テクストそのもの――そのテクストはもろもろの言葉から感覚が創造されるのを記録している――に本来備わっている〔inherent〕困難さと結びついている。したがって、他のテクストと同様に「混交して[impure]」いて映画化に「抵抗する[resists]」ものだったため、ストローブはエンペドクレスのこのバージョンを選択したのだった(15)。ヘルダーリン後期作品の「弛緩した」統語的〔構文的〕構造は現代的な関心の対象になると私たちは理解してきたのだが、サトラーが編纂したヘルダーリン作品(ストローブの映画作品で参照されているのはこれである)は「決定的」読解に向けられた努力よりも、多数の異文〔変異形〕[variants]による不確定性を露呈させている(16)。ストローブ&ユイレは、完全に研磨されたテクスではなく「混交した」テクストこそがヘルダーリンの作品だとして、意図的に実演する[demonstrate]。このことは、カフカのテクストを「研磨」したマックス・ブロートの作業を彼らが〔『階級関係』を映画化し上演した際に〕取り除いたことを連想させる。ヘルダーリン作品を映画化したとき、彼らが必要としたのはサトラー編のバージョンから未完の素材そのもののコピーであり、その選択を勝ち取ったのだ(17)。演劇の一組の上演ではテクストの異文同士が隣接し合う場が生じないのだが、フランクフルト版のように、上演の隔絶によって明らかにされるものとは、紙面の言葉とその言葉の意図され受容される意味の間にあるものこそが上演の生産物なのだということだ。ストローブ&ユイレの作業〔制作〕はテクストのレベルで機能し、そこには「考古学的なもの」がしばしば現れる。朗読される台詞箇所とその選択はテクストの身体に苦行を生じさせるのだが、このことはベンヤミンの概念であり、ポール・ド・マンが明晰に議論した、「翻訳者の使命」と一致している(18)。
(15). ハンス・フルヒ&ステファン・セトル「盗品の影:ダニエル・ユイレとジャン=マリー・ストローブとの討議」、『映画都市のプログラム』[ウィーン]、121号(1987年10月号)、出版地不明。
(16). D.E.サトラー編のフランクフルト版については、ヘレン・フェハーヴァリー『ヘルダーリンと左翼:芸術と生の弁証法のための研究』(ハイデルベルク:カール・ウィンター大学出版、1977)、p.235を参照。
(17). ヒューザー「言葉つきのサイレント映画」p.18
(18). ベンヤミンのこの概念に注意をうながしてくれたカトリーヌ・ラッセルに感謝する。
追記
・抜けていた注6の埋め込み ・脚注リンクづけ ・文字色配置変更(以上は7/11修正点)・8段落目の「異化作用」を太字強調 ・8段落目最終行を修正(以上は7/15修正点)
2008年6月26日木曜日
第10章 「翻訳」としての映画作品 1
邦訳
Barton Byg『抵抗の景観/地勢 ストローブ&ユイレのドイツ映画』
Barton Byg, Landscapes of Resistance. The German Films of Danièle Huillet and Jean-Marie Straub, Berkeley: University of California Press, c1995. PP.301
凡例
・訳者が補った箇所は〔〕で、原文の指示箇所は[]で示す。
・強調部のためのイタリック体は太字で示す。
・訳注は*1,*2...と記した。
・注で挙げられる文献の掲載雑誌は、カタカナで表記、英直訳で表記、日本語訳で表記、などの手段をとった。
第1段落~第5段落
(最終更新:2008.7.21)
10—
Film as "Translation"
The Deterritorialization of Language
(原文 第10章第1段落 p.199.)
The "impossibility of translation" has produced an apparently opposite realization that the translation of a text actually reveals an alienation from its own language that was already there. The gap between what words say and what they mean, between signifier and signified, may be invisible in one's own language, but the inevitable failure of translation brings it to the fore. Straub/Huillet's methods of distancing texts from their performance in film has a similar effect. Particularly in regard to German literary works, the films reveal that these works are not necessarily at home with conventional German diction, nor do they necessarily belong to Germany at all.[1] As Louis Seguin put it, "the film is the exodus of the text."[2]
[1]. See also Adorno on this point: "On the Question 'What Is German?'" preceded by Thomas Y. Levin's essay "Nationalities of Language: Adorno's Fremdwörter ; An Introduction to 'On the Question: "What is German?"'" New German Critique 36 (Fall 1985):121-131, 111-119. 〔原著、"Auf die Frage : Was ist deutsch", in Stichworte, Kritische Modelle 2, Suhrkamp, 1965, pp.102-112〕
[2]. Louis Seguin, " Aux Distraitement désespérés que nous sommes . . ." (Sur les films de Jean-Marie Straub et Danièle Huillet) (Toulouse: Editions Ombres, 1991), 76.
第10章 「翻訳」としての映画作品
言語の脱領土化
(第10章第1段落)
「翻訳の不可能性」は一見したところ正反対の認識を生産した。その認識とは、テクストの翻訳は実質的に、原著のテクストにあった固有の言語からの疎外〔異化〕を露呈させるということだ。言葉が言うことと言葉が意味することの間の隔たり、つまり、シニフィアンとシニフィエの間の隔たりは、固有の言語における不可視なものになりうる。しかし〔それは同時に〕、テクストを前方へと押し出す翻訳にとって不可避な失敗〔の源泉〕でもある。映画においてテクストをその演奏から隔たらせるストローブ&ユイレの手法には同じ効果がある。特に、ドイツ文学作品についての彼らの映画は、もとの文学作品がドイツの慣習的な語法に親和的だと限らないのだと、また、ドイツにすべて帰属するとは限らないのだと、露呈させる(1)。ルイ・スガンが言うように、「映画とはテキストからの集団移動なのだ」(2)。
(1). この点については、アドルノ「ドイツ的とは何かという問いに答えて」、『批判的モデル集II-見出し語』(大久保健二訳、法政大学出版局、1971年)所収、を参照。
(2). ルイ・スガン「いま私たちがある、何気ない絶望において…」、『ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの映画について』(トゥルーズ:オンブル出版、1991)
(原文 第10章第2段落 pp.199-200.)
Since the double impossibility and virtue of translation were major concerns for Hölderlin, presentation of his work by Straub/Huillet adds additional layers to the displacement of language from its function as transparent communication. To alienate the German language and to make its textual quality evident, Straub/Huillet employ a number of devices other than the "scoring" of the delivery. If a "truthfulness" of language arises from its being spoken by non-native speakers, this certainly is a method that Straub/Huillet have by now used in a majority of their films, with special consistency since Othon . In Class Relations , as we have seen in relation to Brecht's Saint Joan of the Stockyards , a differentiation is added between both native and foreign accents and the degree of theatrical training of the speakers, plus extreme variations of style, pitch, and speed. The Death of Empedocles broadens the spectrum of voices even further (including Sprechstimme, as in Schoenberg's opera), while a triple impossibility of translation is enacted in the film of Brecht's adaptation of Hölderlin's translation of Sophocles' Antigone.
(第10章第2段落)
二重の不可能性と翻訳の力[virtue]はヘルダーリンの主な関心事でもあったため*1、ストローブ&ユイレによる上演で加えられるのは、言語をその透明なコミュニケーション機能から転移させることに向けられた付加的な層である。ドイツ語を疎外化〔異化〕しテクストの特性[quality]を可視的にするために*2、ストローブ&ユイレは、台詞箇所から「楽譜を作成する」のみならず、多くの仕掛けを用いる。それを母語としない朗読者が朗読することで言語の「真実性」が生じるのだとすれば、これはたしかにストローブ&ユイレが今のところ多くの作品で用いている手法であり、『オトン』以来、特別な堅固さ〔一貫性〕が備わっている。『階級関係』には、私たちがすでにブレヒトの「屠殺場の聖ヨハンナ」に関連付けて見たように、母語および外国語のイントネーションと、朗読者の舞台トレーニングの水準との間に加えられた差異化があり、そのうえ、スタイル・ピッチ・速度は危機的な[extreme]多様性に達している。『エンペドクレスの死』でこの声のスペクトラムがさらに押し広げられ(シェーンベルクのオペラのようなシュプレヒシュティンメを含めて*3)、ソポクレスの『アンティゴネ』のヘルダーリンによる独訳のブレヒトによる翻案版を映画化したこの作品においては翻訳の三重の不可能性が成立させられているのだ。
*1. virtueをラテン語のvirtus(力)の意味で訳す。アリストテレスの『デ・アニマ』(邦訳、「霊魂論」;「心とは何か」;「魂について」)ではエネルゲイア/デュナミスの対があるが、このラテン語訳がactualitas/virtus(なお、ドゥルーズのactualité/virtualitéはアリストテレス読解が充実した中世スコラ学を継承して用いている)。potention, dynamis, virtualitéが「潜勢力」、energeia, actualitéが「現勢力」とも訳された背景は、virtusの意味合いが関わるとみなされたことにある(cf. 高桑和己による訳注3、ジョルジョ・アガンベン『バートルビー 偶然性について』高桑訳、月曜社、2005、p.87)
*2. evidentの語源は「完全に(ex)見えている(video)」。
*3. シュプレヒシュティンメ(Sprechstimme, 独)とは、ピッチを保持せず、語りのような要領で音高を上げ下げする発声法。直訳すると「話し声」。
(原文 第10章第3段落 p.200.)
In Empedocles, each word of Hölderlin's text is recited so that it can be understood; the text is as clear as if it were printed on the page. However, the speed of the recitation makes it impossible for the audience to always comprehend the text. Because of the density of Hölderlin's text and the suspension of meaning through parataxis, even if individual words are understood, the pace prohibits the hearer from always remaining in control of the meaning, or even the associations the text produces. The result of this is not that there is a loss of meaning but that each viewer will have different associations, and that associations arising from the combination of sound and image will be different with each viewing. Here again the comparison to twelve-tone music would be appropriate, although Peter Buchka resorted to an earlier musical metaphor. "But precisely when concentration wanes, the sensuality of proceeding reservedly proves itself: Hölderlin's text suddenly becomes a musical score, and the sounds of nature play the basso continuo ."[3]
[3]. Peter Buchka, "Der gute Mensch von Agrigent: Die Straubs verfilmen Hölderlin," Süddeutsche Zeitung , 5 December 1987.
(第10章第3段落)
『エンペドクレスの死』ではヘルダーリンのテクストのそれぞれの言葉が朗読され、理解可能なものとなる。あるいはこう言ってもいい、テクストはあたかも紙面に印刷されたかのようにクリアになっているのだと。しかしながら、その朗読の速度たるや、観客がテクストを普段のように把握することを不可能にするものだ。ヘルダーリンの厚みのあるテクストの言葉が並列されることで意味が宙吊りされるため、たとえ個々の言葉は理解できても、その朗読の速度〔ペース〕は、聞き手が意味のコントロールを保持するのを禁止し、テクストが産み出す言葉の連結すら禁止してしまう。その結果、意味は喪失されるのではなく、観客それぞれが異なる連結を見出すことになるだろう。そしてそうした連結は、互いにそれぞれ孕む光景[viewing]が異なる音響と映像の結合状態によって生じる。さあ、再び12音技法の音楽との比較がふさわしいだろう。ペーター・ブッカは序盤の音楽的比喩を用いてこう言っている。「しかしまさに、集中力が落ちると、手続きの官能性に秘めた実力がひかえめに現れてくる。すなわち、ヘルダーリンのテクストは突如として音楽の楽譜と化し、テクストの音響的本質が通奏低音を奏ではじめるのだ」(3)*4。
(31). ペーター・ブッカ、「アグリジェントの善き人たち:ストローブたちのヘルダーリン映画」、『南ドイツ新聞』1987年12月5日号
*4. basso continuoとはバロック音楽の演奏形態の一つであり、低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態。伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということから「通奏低音」と訳される。
(原文 第10章第4段落 p.200.)
The mode of delivery that Straub/Huillet have perfected over the years is carried to a rhythmic extreme with the Hölderlin text, where the author's straining of German syntax threatens to make individual elements break off and stand for themselves. By emphasizing rhythm and intonation, but never "psychologizing"[4] or "romanticizing"[5] language, the filmmakers allow the words of the text to resonate beyond the conventions of syntax and to connect with the visual image in unpredictable ways. For instance, the actor of the Empedocles role cited the example of the line, "Und schönes stirbt in traurig stummer Brust nicht mehr" (And beautiful dies in sorrowing silent breast no more): "At first I was tempted to develop the psychological aspect and said, 'in sorrowing silent breast'; I emphasized 'sorrowing.' And I remember that Danièle Huillet immediately insisted on following the rhythm exactly and thus to give both words equal weight, sorrowing and silent. That actually makes one aware of the actual meaning for the first time, that sorrow is silent, that it cannot be spoken."[6]
[4]. Hans Hurch, "'Habt ihr die Raben gehört?' Notizen zur Arbeit am Tod des Empedokles /Dreharbeiten von Straub-Huillet," Frankfurter Rundschau , 23 December 1986. Hereafter cited as "Dreharbeiten."
[5]. Raphaël Bassan, " La mort d'Empédocle : Approche plastique du texte d'Hölderlin," Revue du cinéma 431 (October 1987):50.
[6]. Harun Farocki, "Den Text zu Gehör bringen: Gespräch mit Andreas von Rauch," Stadtkino Programm [Vienna] 121 (October 1987): n.p. Reprinted in die tageszeitung , 19 November 1987.
(第10章第4段落)
ストローブ&ユイレが長年にわたり遂行してきた台詞箇所の変形は、ヘルダーリンのテクストをリズムの危機[rhythmic extreme]へと持ち込なのだが、そのもともとのテクストは、ヘルダーリンがドイツ語の構文に強い負荷をかけ[straining]、言葉の個々のエレメントが引き裂き、その引き裂かれたエレメントを自らによって支えさせるよう追い込む[threatens to make]ものなのだ。リズムとイントネーションの強調によって、言語を「心理学化」(4)するのでもなく「ロマン化」(5)するのでもなく、二人の映画作家はテクストの言葉を構文の慣習を超えて反響させ、予測不可能な回路[ways]で視覚映像と接続させる。たとえば、エンペドクレス役の俳優はこの行を朗読する。「そしてもはや、美しき者は悲しみ黙した胸のうちに死なぬ」と。「この心理学的側面を展開するようにまず私は引き込まれ、こう言った。『悲しみ黙した胸のうちに』と。これは『悲しみ』に強調がある。それから私は、ダニエル・ユイレが直接的に続くリズムを正確に主張したのを、そうやって「悲しみ」と「黙した」の両方に等しい重量を課そうとしたのを思い出した。〔こうした工夫によって、〕悲しみは沈黙であり話されえないものなのだと、はじめて人はその実質的な意味に目覚めるんだ」(6)。
(4). ハンス・フルヒ、「「鴉を聞いたか?」 作品『エンペドクレスの死』についてのノート/ストローブ&ユイレの撮影」、『フランクフルト・レヴュー』1986年12月23日号。以下ではこの文献を「撮影」と略記する。
(5). ラファエル・バッサン、「『エンペドクレスの死』:ヘルダーリンのテクストについての可塑的アプローチ」、『ルヴュ・デュ・シネマ』431号(1987年10月号)、p.50
(5). ハルーン・ファロッキ「テクストを聴取にいたらしめる:アンドレアス・フォン・ラアホとの討議」、『映画都市のプログラム』[ウィーン]、121号(1987年10月号)、出版地不明。『die tageszeitung』〔タッツ(taz)が発行する日刊紙〕1987年11月19日号に再掲載。
(原文 第10章第5段落p.200.)
The effect on the language here is twofold. On the one hand, the precise work on the rhythm and intonation, almost to the extent that the script becomes a musical score, is meant to be wholly in service to making the fundamental rhythmic quality of the Hölderlin text audible, nothing more. On the other hand, to make Hölderlin's unique manipulation of German syntax audible, a Brechtian "alienation effect" is also introduced.
(第10章第5段落)
言語についてのこの効果は二重のもの〔二つ折りにされたもの;二重襞〕だ*5。一方、もっぱらヘルダーリンのテクストの根本的にリズム的な質を可聴的なものたらしめるために、リズムとイントネーションに適切な作業が加えられ(それは原稿が音楽的楽譜になるかぎりほとんどすべてにわたる)、他方でまた、ドイツ語構文に対するヘルダーリンの唯一無二な操作を可聴的なものたらしめるために、ブレヒト的な「異化作用」が導入されている。
*5. ハイデガーの二重襞(Zwiefalt)の英訳語。cf.ハイデガー『思惟とは何の謂いか』(辻村公一訳、創文社、1985)
追記
・virtueについて訳注1を追加 ・それにしたがって以下の訳注番号を補正 ・qualityの訳語を特性に変更 ・twofoldに訳注5を追加 ・読みやすくするために注、訳注、追記部の文字サイズ変更(以上は6/29修正点)、・4段落目第1文を大幅変更 ・threaten to, threateningを「追い込む」と訳することにする(以上は7/4修正点)、・脚注リンクづけ ・文字色配置変更(以上は7/21修正点)
Barton Byg『抵抗の景観/地勢 ストローブ&ユイレのドイツ映画』
Barton Byg, Landscapes of Resistance. The German Films of Danièle Huillet and Jean-Marie Straub, Berkeley: University of California Press, c1995. PP.301
凡例
・訳者が補った箇所は〔〕で、原文の指示箇所は[]で示す。
・強調部のためのイタリック体は太字で示す。
・訳注は*1,*2...と記した。
・注で挙げられる文献の掲載雑誌は、カタカナで表記、英直訳で表記、日本語訳で表記、などの手段をとった。
第1段落~第5段落
(最終更新:2008.7.21)
10—
Film as "Translation"
The Deterritorialization of Language
(原文 第10章第1段落 p.199.)
The "impossibility of translation" has produced an apparently opposite realization that the translation of a text actually reveals an alienation from its own language that was already there. The gap between what words say and what they mean, between signifier and signified, may be invisible in one's own language, but the inevitable failure of translation brings it to the fore. Straub/Huillet's methods of distancing texts from their performance in film has a similar effect. Particularly in regard to German literary works, the films reveal that these works are not necessarily at home with conventional German diction, nor do they necessarily belong to Germany at all.[1] As Louis Seguin put it, "the film is the exodus of the text."[2]
[1]. See also Adorno on this point: "On the Question 'What Is German?'" preceded by Thomas Y. Levin's essay "Nationalities of Language: Adorno's Fremdwörter ; An Introduction to 'On the Question: "What is German?"'" New German Critique 36 (Fall 1985):121-131, 111-119. 〔原著、"Auf die Frage : Was ist deutsch", in Stichworte, Kritische Modelle 2, Suhrkamp, 1965, pp.102-112〕
[2]. Louis Seguin, " Aux Distraitement désespérés que nous sommes . . ." (Sur les films de Jean-Marie Straub et Danièle Huillet) (Toulouse: Editions Ombres, 1991), 76.
第10章 「翻訳」としての映画作品
言語の脱領土化
(第10章第1段落)
「翻訳の不可能性」は一見したところ正反対の認識を生産した。その認識とは、テクストの翻訳は実質的に、原著のテクストにあった固有の言語からの疎外〔異化〕を露呈させるということだ。言葉が言うことと言葉が意味することの間の隔たり、つまり、シニフィアンとシニフィエの間の隔たりは、固有の言語における不可視なものになりうる。しかし〔それは同時に〕、テクストを前方へと押し出す翻訳にとって不可避な失敗〔の源泉〕でもある。映画においてテクストをその演奏から隔たらせるストローブ&ユイレの手法には同じ効果がある。特に、ドイツ文学作品についての彼らの映画は、もとの文学作品がドイツの慣習的な語法に親和的だと限らないのだと、また、ドイツにすべて帰属するとは限らないのだと、露呈させる(1)。ルイ・スガンが言うように、「映画とはテキストからの集団移動なのだ」(2)。
(1). この点については、アドルノ「ドイツ的とは何かという問いに答えて」、『批判的モデル集II-見出し語』(大久保健二訳、法政大学出版局、1971年)所収、を参照。
(2). ルイ・スガン「いま私たちがある、何気ない絶望において…」、『ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの映画について』(トゥルーズ:オンブル出版、1991)
(原文 第10章第2段落 pp.199-200.)
Since the double impossibility and virtue of translation were major concerns for Hölderlin, presentation of his work by Straub/Huillet adds additional layers to the displacement of language from its function as transparent communication. To alienate the German language and to make its textual quality evident, Straub/Huillet employ a number of devices other than the "scoring" of the delivery. If a "truthfulness" of language arises from its being spoken by non-native speakers, this certainly is a method that Straub/Huillet have by now used in a majority of their films, with special consistency since Othon . In Class Relations , as we have seen in relation to Brecht's Saint Joan of the Stockyards , a differentiation is added between both native and foreign accents and the degree of theatrical training of the speakers, plus extreme variations of style, pitch, and speed. The Death of Empedocles broadens the spectrum of voices even further (including Sprechstimme, as in Schoenberg's opera), while a triple impossibility of translation is enacted in the film of Brecht's adaptation of Hölderlin's translation of Sophocles' Antigone.
(第10章第2段落)
二重の不可能性と翻訳の力[virtue]はヘルダーリンの主な関心事でもあったため*1、ストローブ&ユイレによる上演で加えられるのは、言語をその透明なコミュニケーション機能から転移させることに向けられた付加的な層である。ドイツ語を疎外化〔異化〕しテクストの特性[quality]を可視的にするために*2、ストローブ&ユイレは、台詞箇所から「楽譜を作成する」のみならず、多くの仕掛けを用いる。それを母語としない朗読者が朗読することで言語の「真実性」が生じるのだとすれば、これはたしかにストローブ&ユイレが今のところ多くの作品で用いている手法であり、『オトン』以来、特別な堅固さ〔一貫性〕が備わっている。『階級関係』には、私たちがすでにブレヒトの「屠殺場の聖ヨハンナ」に関連付けて見たように、母語および外国語のイントネーションと、朗読者の舞台トレーニングの水準との間に加えられた差異化があり、そのうえ、スタイル・ピッチ・速度は危機的な[extreme]多様性に達している。『エンペドクレスの死』でこの声のスペクトラムがさらに押し広げられ(シェーンベルクのオペラのようなシュプレヒシュティンメを含めて*3)、ソポクレスの『アンティゴネ』のヘルダーリンによる独訳のブレヒトによる翻案版を映画化したこの作品においては翻訳の三重の不可能性が成立させられているのだ。
*1. virtueをラテン語のvirtus(力)の意味で訳す。アリストテレスの『デ・アニマ』(邦訳、「霊魂論」;「心とは何か」;「魂について」)ではエネルゲイア/デュナミスの対があるが、このラテン語訳がactualitas/virtus(なお、ドゥルーズのactualité/virtualitéはアリストテレス読解が充実した中世スコラ学を継承して用いている)。potention, dynamis, virtualitéが「潜勢力」、energeia, actualitéが「現勢力」とも訳された背景は、virtusの意味合いが関わるとみなされたことにある(cf. 高桑和己による訳注3、ジョルジョ・アガンベン『バートルビー 偶然性について』高桑訳、月曜社、2005、p.87)
*2. evidentの語源は「完全に(ex)見えている(video)」。
*3. シュプレヒシュティンメ(Sprechstimme, 独)とは、ピッチを保持せず、語りのような要領で音高を上げ下げする発声法。直訳すると「話し声」。
(原文 第10章第3段落 p.200.)
In Empedocles, each word of Hölderlin's text is recited so that it can be understood; the text is as clear as if it were printed on the page. However, the speed of the recitation makes it impossible for the audience to always comprehend the text. Because of the density of Hölderlin's text and the suspension of meaning through parataxis, even if individual words are understood, the pace prohibits the hearer from always remaining in control of the meaning, or even the associations the text produces. The result of this is not that there is a loss of meaning but that each viewer will have different associations, and that associations arising from the combination of sound and image will be different with each viewing. Here again the comparison to twelve-tone music would be appropriate, although Peter Buchka resorted to an earlier musical metaphor. "But precisely when concentration wanes, the sensuality of proceeding reservedly proves itself: Hölderlin's text suddenly becomes a musical score, and the sounds of nature play the basso continuo ."[3]
[3]. Peter Buchka, "Der gute Mensch von Agrigent: Die Straubs verfilmen Hölderlin," Süddeutsche Zeitung , 5 December 1987.
(第10章第3段落)
『エンペドクレスの死』ではヘルダーリンのテクストのそれぞれの言葉が朗読され、理解可能なものとなる。あるいはこう言ってもいい、テクストはあたかも紙面に印刷されたかのようにクリアになっているのだと。しかしながら、その朗読の速度たるや、観客がテクストを普段のように把握することを不可能にするものだ。ヘルダーリンの厚みのあるテクストの言葉が並列されることで意味が宙吊りされるため、たとえ個々の言葉は理解できても、その朗読の速度〔ペース〕は、聞き手が意味のコントロールを保持するのを禁止し、テクストが産み出す言葉の連結すら禁止してしまう。その結果、意味は喪失されるのではなく、観客それぞれが異なる連結を見出すことになるだろう。そしてそうした連結は、互いにそれぞれ孕む光景[viewing]が異なる音響と映像の結合状態によって生じる。さあ、再び12音技法の音楽との比較がふさわしいだろう。ペーター・ブッカは序盤の音楽的比喩を用いてこう言っている。「しかしまさに、集中力が落ちると、手続きの官能性に秘めた実力がひかえめに現れてくる。すなわち、ヘルダーリンのテクストは突如として音楽の楽譜と化し、テクストの音響的本質が通奏低音を奏ではじめるのだ」(3)*4。
(31). ペーター・ブッカ、「アグリジェントの善き人たち:ストローブたちのヘルダーリン映画」、『南ドイツ新聞』1987年12月5日号
*4. basso continuoとはバロック音楽の演奏形態の一つであり、低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態。伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということから「通奏低音」と訳される。
(原文 第10章第4段落 p.200.)
The mode of delivery that Straub/Huillet have perfected over the years is carried to a rhythmic extreme with the Hölderlin text, where the author's straining of German syntax threatens to make individual elements break off and stand for themselves. By emphasizing rhythm and intonation, but never "psychologizing"[4] or "romanticizing"[5] language, the filmmakers allow the words of the text to resonate beyond the conventions of syntax and to connect with the visual image in unpredictable ways. For instance, the actor of the Empedocles role cited the example of the line, "Und schönes stirbt in traurig stummer Brust nicht mehr" (And beautiful dies in sorrowing silent breast no more): "At first I was tempted to develop the psychological aspect and said, 'in sorrowing silent breast'; I emphasized 'sorrowing.' And I remember that Danièle Huillet immediately insisted on following the rhythm exactly and thus to give both words equal weight, sorrowing and silent. That actually makes one aware of the actual meaning for the first time, that sorrow is silent, that it cannot be spoken."[6]
[4]. Hans Hurch, "'Habt ihr die Raben gehört?' Notizen zur Arbeit am Tod des Empedokles /Dreharbeiten von Straub-Huillet," Frankfurter Rundschau , 23 December 1986. Hereafter cited as "Dreharbeiten."
[5]. Raphaël Bassan, " La mort d'Empédocle : Approche plastique du texte d'Hölderlin," Revue du cinéma 431 (October 1987):50.
[6]. Harun Farocki, "Den Text zu Gehör bringen: Gespräch mit Andreas von Rauch," Stadtkino Programm [Vienna] 121 (October 1987): n.p. Reprinted in die tageszeitung , 19 November 1987.
(第10章第4段落)
ストローブ&ユイレが長年にわたり遂行してきた台詞箇所の変形は、ヘルダーリンのテクストをリズムの危機[rhythmic extreme]へと持ち込なのだが、そのもともとのテクストは、ヘルダーリンがドイツ語の構文に強い負荷をかけ[straining]、言葉の個々のエレメントが引き裂き、その引き裂かれたエレメントを自らによって支えさせるよう追い込む[threatens to make]ものなのだ。リズムとイントネーションの強調によって、言語を「心理学化」(4)するのでもなく「ロマン化」(5)するのでもなく、二人の映画作家はテクストの言葉を構文の慣習を超えて反響させ、予測不可能な回路[ways]で視覚映像と接続させる。たとえば、エンペドクレス役の俳優はこの行を朗読する。「そしてもはや、美しき者は悲しみ黙した胸のうちに死なぬ」と。「この心理学的側面を展開するようにまず私は引き込まれ、こう言った。『悲しみ黙した胸のうちに』と。これは『悲しみ』に強調がある。それから私は、ダニエル・ユイレが直接的に続くリズムを正確に主張したのを、そうやって「悲しみ」と「黙した」の両方に等しい重量を課そうとしたのを思い出した。〔こうした工夫によって、〕悲しみは沈黙であり話されえないものなのだと、はじめて人はその実質的な意味に目覚めるんだ」(6)。
(4). ハンス・フルヒ、「「鴉を聞いたか?」 作品『エンペドクレスの死』についてのノート/ストローブ&ユイレの撮影」、『フランクフルト・レヴュー』1986年12月23日号。以下ではこの文献を「撮影」と略記する。
(5). ラファエル・バッサン、「『エンペドクレスの死』:ヘルダーリンのテクストについての可塑的アプローチ」、『ルヴュ・デュ・シネマ』431号(1987年10月号)、p.50
(5). ハルーン・ファロッキ「テクストを聴取にいたらしめる:アンドレアス・フォン・ラアホとの討議」、『映画都市のプログラム』[ウィーン]、121号(1987年10月号)、出版地不明。『die tageszeitung』〔タッツ(taz)が発行する日刊紙〕1987年11月19日号に再掲載。
(原文 第10章第5段落p.200.)
The effect on the language here is twofold. On the one hand, the precise work on the rhythm and intonation, almost to the extent that the script becomes a musical score, is meant to be wholly in service to making the fundamental rhythmic quality of the Hölderlin text audible, nothing more. On the other hand, to make Hölderlin's unique manipulation of German syntax audible, a Brechtian "alienation effect" is also introduced.
(第10章第5段落)
言語についてのこの効果は二重のもの〔二つ折りにされたもの;二重襞〕だ*5。一方、もっぱらヘルダーリンのテクストの根本的にリズム的な質を可聴的なものたらしめるために、リズムとイントネーションに適切な作業が加えられ(それは原稿が音楽的楽譜になるかぎりほとんどすべてにわたる)、他方でまた、ドイツ語構文に対するヘルダーリンの唯一無二な操作を可聴的なものたらしめるために、ブレヒト的な「異化作用」が導入されている。
*5. ハイデガーの二重襞(Zwiefalt)の英訳語。cf.ハイデガー『思惟とは何の謂いか』(辻村公一訳、創文社、1985)
追記
・virtueについて訳注1を追加 ・それにしたがって以下の訳注番号を補正 ・qualityの訳語を特性に変更 ・twofoldに訳注5を追加 ・読みやすくするために注、訳注、追記部の文字サイズ変更(以上は6/29修正点)、・4段落目第1文を大幅変更 ・threaten to, threateningを「追い込む」と訳することにする(以上は7/4修正点)、・脚注リンクづけ ・文字色配置変更(以上は7/21修正点)
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