2010年9月30日木曜日

廣瀬浩司「鏡像のメタモルフォーズと纏う身体の行為論」レジュメ

廣瀬浩司「鏡像のメタモルフォーズと纏う身体の行為論」レジュメ
(大宮勘一郎, 嶋田由紀, 廣瀬浩司, 柳橋大輔, 前田良三, 神尾達之 (著)『纏う 表層の戯れの彼方に』水声社, 2007.7所収)
(レジュメ作成: 2009.1)

レジュメの範囲を超えない文書。語句の選択には多少私の恣意が入っている。メルロ=ポンティは以下、メルロと略記。
あと、「他なる(もの)」と「他者」は意味の違いをもたせてない。
本論文に相当する語句でも、概念規定の差は特に設けられていないのと同様に。

書き出し
・ドゥルーズのシミュラクル、デリダの差延は
 存在/現れという形而上学的対立の逸脱として模索された。
 これは言語、象徴界における統御のもとで読まれがちだ。
 が、この言語論的展開はいまやメディア論的展開、情報論的展開に
 移行する中で思想史的意義の多くが失われた。
 そこで存在/現れの差異をもう一度身体において考える。


ラカン「鏡像段階論」(1949)
1. 自己の視覚像をもたない幼児は、鏡像の外在性を媒介に、自己のイマージュを身に纏う。
2. a.鏡像は理想自我(自己のモデル)を提供 かつ b.「フィクションの線」へ導く
b.全体像の先取りは完結せず、自己の現実との不調和が残る。
   そのため、疎外化的な目的と切り離して理想自我は形成されず、
   つねに「それを支配する幻影=亡霊」、自動人形、分身の出現にむすびつく。
3. 2の二重性のプロセスは、身体的現実/先取りされた全体像 の間の時間的弁証法。
  全体性-外在性は、「身体の寸断された像」のファンタスムを仕組む。

こうして、現れ/存在、内部世界/環境世界 の循環の破綻、非和解の問いとして出てくる。

ラカン「個人の形成における家族複合」(1938. Autre Ecrits所収)
ここでは上記の構図は顕著で、以下の問題が挙げられる。
・視覚的機能(鏡像の外在的全体像)の無前提の承認
・それが「讃える(saluer)」べきものとされ、「健康的(salutaire)]傾向とされる
後者はフーコーが『主体の解釈学』で分析したプラトン『アルキビアデス』と同じ構図。
プラトンは身体からの解放として、高貴な感覚器官である目をみつめる鏡像と語った。
この自己認識モデルへの対抗として、フーコーは「自己への気遣い」のテクノロジーの系譜を見出す。
[廣瀬はいわば、後期フーコーの展開をラカン的論理構成からの逸脱として考えている]


メルロの立場からするとラカンの鏡像論は、
すでに反省的に対象化可能なものとしての理念になってしまっている。
メルロは別のアプローチを立てる。
(以下は主として遺稿『見えるものと見えないもの』(1961)での議論から)
「像そのものが見えるようになるプロセス」を媒介する「感覚的なもの」の自己反省性。
:感覚的なものが 見る身体/見える身体、触れる身体/触れられる身体、
 能動/受動にみずから二重化し、両者の無限のメタモルフォーゼの場を創設する

いくつかの各論
・鏡像のしぐさの触感をも身体が感覚する例
 これは、「ここ」かつ「そこ」(鏡の中)の自己の身体を"同時に"感じる経験。
 メルロはこれを「距離をもった同一性(identité à distance)」と呼ぶ。
 感覚的身体は、「そこ」かつ「ここ」に、見える身体かつ見る身体。
 鏡という空間の「厚み」を通して行われる自己触発の経験。

 これは疎外に対して幸福な融合状態を対置するのでもなく、
 他者を「もう一人の私」にすることでもない。

・メルロは「可視性の危険」と言う。
 :人は「ある距離をもった場所から、体のどこかにまなざしを感じる」のだと。
  ex.その結果、たとえば、不意に人は自分の衣服を整える。
  この「場所」はどことも位置づけできない。
 :この事態は、身体が潜在的に可視的であること、
  可視的身体(見える身体)が他者のまざなしを先取りすることに由来し、
  身体が可視的なものとして知覚世界に入り込むときに不可避。
 :「可視性の危険」とは、実像/虚像、存在/現れ の戯れの場である以前に、
  そうした対立そのものの媒介である場。
 この危険の経験が、他者への第一の開けであり、自/他の区別の創設。

したがって、鏡像とは自己をたえず問いに付し、おののかせる場所なき場所性であり、
自己の二重化ではなく、他なるものの体内化。
感覚的なものの内在的距離、存在/現れの分離、像の像としての生成的過程が問われる。
メルロの「肉」は、この存在/現れの接合"と"分離の場のことであり、
場なき場、遠近を越えた「距離」の到来。


ラカンの議論はいわば、この他なるものの体内化による反復的な他なるものの変容を
一時停止させ、外在化させた、投影の場とするものだ。
ラカンの分析のドラマ性は、この一時停止→必然的な解体のプロセスであり、
感覚的なものの自己分裂(自己反復)をあらかじめ取り逃がし、かつ、暗黙に前提にしている。
そのため、自然/文化、現実/虚構、感覚/言語、内在/外在の対立を
ひそかに前提し、弁証法的な動力として利用しようとする。

この対立の前提と維持のために、ラカンは「現実」「現実界」の表象不可能性を
再定義し続けざるをえなくなり、それによって
概念的な素朴さと臨床的経験のズレを隠蔽し続けたのではないか。
すなわち、これは鏡像的経験の理論的な取り逃しからもたらされているのでは。
この問題は、アルチュセールのイデオロギー装置論においても共有されている。
「イデオロギーの中での現実の諸関係の想像上の変形」に語るとき、
装置の「物質的存在」/そこでの「主体の認知=再認」は同じ構図に陥ってる。
ここではラカン的な隠蔽が際限なく拡大している。
この問題が多くの文化研究においても共有されて生き延びている。


鏡像の経験は、視覚/触覚の対立を逸脱している。
身体の表面において、他者のまなざしに+触れられる 経験だからだ。

メルロの「身体図式」は、視覚/触覚の区別には関係せず、
「他者のまなざしへの身体的応答の総体」。
人が一定の身振りのスタイルを獲得するのは、
みずからの身体表面を他なるものの反復の場とすることによる。
他者のまなざしは、「見えないもの」「知覚できないもの」として経験の臨界をなす。
これに遠隔操作されるように身をよじり、
新たな身体図式を形成し、他者のまなざしの体内化をおこなう。

潜在的な行為
:他者のまなざしの体内化とともにおこなわれる、自己継続行為。
:そのとき、身体がみずからの上に折り重なり、他者の反復を反復し、行為の支えとなる。
:この行為によって、そのつど行為の零度から出発し、新たな身振りを創出する。


サルトル: 『存在と無』(1943)で語られるまなざしは
      私の身体を凝固させ、客観視する、私の自由を奪う「無」とされる。
[廣瀬はここで明言していないが、『四基本概念』におけるラカンのまなざし=対象aとする議論を、
 サルトルのまなざし論の延長にあるものとして、サルトルに遡りつつ指摘しているのだろう。
 実際、『四基本概念』ではサルトルの論も言及され、明白な系譜的連続性がある。]


メルロの「可視性の危険」は、
 客観視するまなざし(サルトル)でも、自己を疎外する超越的まなざし(ラカン)でもない。
 身体の一部を活性化し、応答の身振りを惹起させる。

「感覚的なものに内在するような否定性」として
他者のまなざしは鏡の表面に織りなされている。
この他者のまなざしの否定性が、感覚的なものの経験を織りなす。

「距離をもった同一性」の「距離」
:感覚そのものの表面において直に経験される内在的な距離。
:感覚的なものがみずから距離をとり、みずから内側から多数化する。
:感覚的なものが感覚的にはらむ、感覚的なものからの偏差。
:そこに「見えないもの」(「距離」そのもの)が到来する。
そこで「内的視点そのものを巻き込んで形成運動が起きている」
という事態を記述しなくてはならない(河本『システム現象学』p.21)。
いわば、制作的-創造的な視点から
「本質」(本質/事実の対立ではなく、メルロの言う「蔽われた本質」)の生成を追跡すること。


アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』は、以上の議論から考えると、
「自己自身への自我の現前」としての「恥ずかしさ」をレヴィナスから導入し、
ハイデガーの「自己触発」として関係付けている論旨になっているが、
「恥ずかしさ」はそこでは「主体化」/「脱主体化」の二重の運動による
一種の擬似弁証法と化し、感覚的なものの自己反省性の局面を通り過ぎていってしまう。


メルロ「眼と精神」(1961)
鏡像のまなざし=他者のまなざし は
物のなかから生まれるまなざし。
画家とはこの物のまなざしに沿って見る者であり、
画家のまなざしも者の中から生まれる


ラカン『四基本概念』(1963)
三角形1. 実測点=感覚器官としての目=デカルト的表象主体  
三角形2. 物から生まれる視覚=光点=まなざし=対象a   とされる
2は1のパースペクティブ(実測的空間)を崩壊させ、主体の地位を揺るがす。
2が主体を構成しつつ否定する。
この一点、光点をラカンは「ファルスのファントム(亡霊)」と呼ぶ(p.116)。
 注 ファルス:欲望の対象を暴き、かつ、それを隠蔽するシニフィアンの代表。
       :シニフィアンのシニフィアン。
       :不在において欲望の対象を具現する
ホルバインの「大使たち」のドクロ
 :ファルスそのものではなく、欠如・不在の象徴。
 :ドクロにまなざしが欠如しているように、ここには欠如が現れている。

ここでラカンは、鏡像段階論の枠にメルロを当てはめている。
感覚的なメタモルフォーズの自己反復的過程を、ラカンは
去勢の欠如(のシステム)によってブロックしているのではないか。


メルロの語るセザンヌ
 :光・色のつかのまの戯れではなく、物の存在感やヴォリュームを奪還。
  感覚そのもの、イマージュそのものの堅固さを救出しようとした。

1. ここでメルロは襞と言う。
襞 :感覚的なものみずからが折り重なり、持続的テクスチャーを自己産出すること。
  :見えるものと同じ平面上の見えないもの (この点でホルバインのドクロの別平面性とは異なる)

廣瀬による「見えないもの」の到来の説明
 :いわば地と図の関係で言うならば、地の表面化。
  地と図の関係が脱臼され、新たな関係が予告される。
  ラカンのような「スクリーン」の平面性はすでにそこになく、
  光の変調(modulation)による襞だらけの空間と化す。
[この説明ではちょっと問題が出てくると思う。
 なぜなら、ラカンが『四基本概念』で言うくだりは、対象aによるタブローの光学装置
 と総括しやすい箇所と、言葉足らずな変な箇所の両方があり、
 後者と言えそうな「自分が絵の中のシミとなって浮き上がる」(pp.126-127)局面は
 これ自体、絵の他の部分=地、自分=図とするかのような関係性の出現として、
 奇妙な議論になっていると読める。そしてこの間において自己反省性の媒介性が
 絵=鏡の表面 に近いかたちで作動するのだとも言えそうな気配があるからだ。
 よって、ここでの廣瀬の地/図の説明のしかたでは、
 単にラカンを裏返したような水準になりかねず、かつ、
 地/図の問題へのアプローチとしては単純なものになるのでは。]

廣瀬によるセザンヌ読解
 :セザンヌの色彩は、光の転調の空間と化し、
  折り曲げられ、繰り広げられるたびに収縮・拡張を反復し、
  表面のテクスチャーを形成する。

いわば、メルロの議論は、ラカンの去勢(不在の穴)の到来自体ををたえず宙吊りにし、
遠近法的構図の解体そのものを持続的に反復するもの。

2. 奥行き=深さ
セザンヌの静物画の事物は、別々の複数の視点において見る者のまなざしを奪い合いながら、
一つの平面におさまっている
奥行き=深さこそが、そうした共存不可能な共存をその場で実現させる。
ここにおいて、私たちは世界がここにある、物がそこにある、という確信を回復する。
絵画はラカンの言うような騙し絵ではない。

「見えるものがそこに見える」「まなざしがまなざす[視る]」とメルロは言う。
この(メルロ的)鏡像的トートロジー。自己反復としての自己産出的トートロジー。
メルロはハイデガーをもじって、このトートロジーは
根拠の不在の深遠=無底(Abgrund)を隠し持つと言う。

「思考することは思考し、語ることは語り、まなざしはまなざす
 ――だが同じ一つの言葉の間に、思考するため、話すため、まなざすために
 跨ぎ越さなければならない隔たりが、そのつどあるのだ」(『シーニュI』pp.29-30)

視覚のみならず、思考、言語も同様であり、
鏡像的なトートロジーにおいて深遠を跨ぎ越す行為。

2010年8月20日金曜日

ゴダールの構成 3

2010.8.12のログから。若干の加筆修正。cineeyeさん・tysmtさんとのやりとりのめいたものに。cineeyeさんの言っている『アニメルカ』寄稿の記事とは2号所収の「手がイメージを見る」のこと。)

cineeye: 『アニメルカ』では、まさにこのことを空気系アニメとの関連で書きました。 RT @ttt_ceinture: その軽さゆえに、スクリーンセイバーのように画面上で放置しやすいんだろうな。注意力を集中させなくてもよいと最初からされているような…。ベンヤミンの「気散じ」…?URL

 空気系=気散じ? 対項は何なのだろう。

cineeye: 対項はシネフィル的な「注視」ですかね。映画批評もアニメ批評も「画面をよく見ろ」ばかり言うので、むしろ情報量が少なくて、気を抜いて見れるものの方がすごくね?という単純な論ですwURL

 注視/弛緩の対立を崩してもいいかもね。前にこのまとめ内で言ったけど、観想-集中と気散じ-習慣は一回性と反復可能性にある程度対応しているのでしょう。で、この二つはむしろ対立してないととらえることもできると思っているので、いわば、習慣や反復可能性の中でこそ作品の細部が別の見え方をするというのもあると思う。蓮実は劇場での一回的経験を強調するけれど、細部の発見には気散じのもとで反復させていた方が効果的だったりする。そのため、注視と反復可能性は実のところ混ざり合っていて、そもそも蓮実の映画の語り方は一種の反復可能性のもとで語りなおす面もあるように思う。つまり、言動不一致がある。そう考えると一回性のアジテーションとは無縁にシネフィルは行動しているとも言えるかも。注視の条件は気散じであるとか、そういう攻め方もできるかも、と思った。でも、そこでの「注視」は一般的にみなされているようなものとはかなり変わるかもしれないけど。でも、こうやって気散じを語るだけだとなんか片手落ちかもしれないな…。注視の方を組み立てなおすまでやった方がいいのか。

cineeye: なるほどー。たしかに蓮實は一回的な体験を強調することで、細部を「映画史的記憶」に回収してしまいますね。そこがある種のトリックというか、レトリックといえるかもしれない。気散じと反復可能性についても論じたので、わが意を得たりという感じです。細部を細部のまま、「強い主題」に回収されない形で、反復的に受容することとして「萌え」を捉えました。注意の条件は気散じである、これはまさにクレーリー『知覚の宙吊り』の主題で、そのクレーリーも大いに参照しました。まあ、主に参照したのは『観察者の系譜』ですが、もちろん前者も意識しています。(URL: 1, 2, 3

 それってめっちゃテマティスム=萌え要素の話ではないかと…。蓮実の言う「官能」とテマティスムの両方を萌えの対象/要素に投入させたわけね。そこで蓮実相対化をしつつつなげるのはわかるけど、話がそこで終わりそうな気がして私はやる気がなかった点だった。ああ、『知覚の宙吊り』ってそんな話をやってたの。知らなかった。

cineeye: いや、萌えにおいて、テマティスム/官能性が崩れていくというところまで論じたので、もうちょっと先までいったのではないかと思います(まあ、それほど自信はないけれど…)。詳しくは読んでくださいと言う他ないのですが。URL

 へえ、それは面白い! 読んでみたいな。

cineeye: 主題にしても、官能にしても、それは「目」を引き付けるという意味で視覚性に基礎付けられていると思うのですが、空気系アニメはこの視覚性という基盤をも揺るがしているのではないかと考えています。URL

tyskmt: 部分が全体を内包する萌え要素となるのかな?URL

 部分と全体の議論って映画-蓮実にあっては、鬼門のように触れられてこなかった問題圏。全体の内包として突っ切った議論は見たことがないな…。私は部分と全体を分けて考えてた。部分と全体の関係って、実際どうなんだろう。私はここが最大のホットポイントだと睨んでいたんだけど、まだ思考がまとまらない。アルチュセールの最終審級と重層決定の分裂みたいに考えてたな。

cineeye: 部分と全体ということについては論じていないけど、今後考えるべき問題だと思います。URL

tyskmt: 局所と大域が被るというラカン的構造……URL

 部分(細部や要素)と全体は重要だと思う。蓮実にあってはテマティスムやジャンル論が全体性を確保する手段だったと思うわけね。私の大雑把な整理についてはブログにある蓮実まとめ参照。

cineeye: tttさんの蓮實論は前に読ませていただいて、大いに啓発されました。テマティスムとジャンル論で全体性を確保しているというのは、その通りだと思いました。私はそこを「ゆるさ」や「相対的」という言葉でずらそうと思っているのですが、うまくいっているかどうか…。URL

tyskmt: 部分と全体を離散的総合させればいいんでしょうね……URL

cineeye: 「部分が全体を内包する」と言うとき、全体がすっかり部分に収まってしまっている(モナド論)と考えるのだけは避けたいと思う。ドゥルーズは『シネマ』で「開かれた全体」と言っているけれど、全体と部分がどちらにも回収されないような構造を考えたい。URL

 蓮実においては被るようにはしてあるんだけど、かぶり方が独特すぎるし、限界があるという認識。どうかぶるか、どう連動するかってあたりをつめていく必要があると思ってる。そうするとその産物の一つとして蓮実を割とあっさり相対化できるんじゃないかなと。
 ゆるさをどこに仕込むかによって議論が違ってきそう。私のまとめは「5分でわかる蓮実システム」状態になってるけど、何気にイメージ個々の取り扱いなどの話はしてないんだよね。というかぶっちゃけ、蓮実はイメージ単体があるように見せかけたんじゃないかと思う。

cineeye: イメージにすべてがある、といういつもの断定ですね。官能やテマティスムもそこにつながっているのだと思います。(後略)URL

 蓮実には指差して同定可能なショットなり画面なりを単位にできるという身振りがあると思う。あのまとめではレイヤー間の賦活によって錯覚が成立しているとしたけど、レイヤー単体というのはほんとに抽出できるのだろうか、という発想もあり、そうした課題設定において蓮実を引きずってるのだろうと思う。そこで、私はレイヤー個々の分割と相対的自律性といったアプローチとはやや異なる発想をしている。たとえばエリア・スレイマンの『DI』を私が偏愛してるのは、レイヤーが同型性をもって反響してるような構造があると見てるからだった。つまり、レイヤー間関係を変える作品の構成を求めていた路線。私はおそらく、レイヤー個々を取り扱うのではなく、レイヤーの別の総合を求めているという意味では蓮実の影響が濃く残存しているんだと思う。ただし、映画は短くていいし構成があればそれでいい、みたいな路線なんだけど。

 前にストローブ&ユイレについてゴダールからの発展だと見ればわかりやすいと言ったけど、あの件はテキストや構成の手順からだったけど、スレイマンはテキストは無いんだけど、構成の手順をゴダールのような小単位から作っていく路線で、ショートレンジの構成方法がそのまま全レイヤーの構成と同じになる。ゴダールは大抵、AからBへ、で済む話で、東独から西独へ(『新ドイツ零年』)、パリから親類の家へ(『ウィークエンド』)、フランスからサラエヴォへ(『フォーエヴァーモーツァルト』)、煉獄から天国へ(『アワーミュージック』)となる。で、途中で何かが起こって失敗する。なので、A/B間の境界と移行過程の構成だと見ればわかりやすい。で、A/B間の関係を、Aにいる私がBについて考える、みたいになると『ヴェトナムから遠く離れて』になる。そういうA/B間の境界と移動の構成が『DI』には露骨なのね。しかもAとBが判別できないような展開をしている。四方田犬彦が『パレスチナ・ナウ』でスレイマン初期について『ヒア&ゼア』の残響が見られると言っていたけれど、『DI』だけを見てもスレイマンがゴダールから継承的課題を抱えていることが見て取れる。『DI』は、簡単に言うと、ショット間関係がA/B(男/女)間の切り返しなどのレンジでできてる+二項間の距離がメロドラマとしてジャンルをなしているが、二項以外がものすごくシンプルに削り落とされている+境界の往復と非対称性だけが話の原動力になってる。二項問題に同心円状に貫徹されている。細部単位の最小要素の構成の仕方を、そのまま全体構成にまで貫徹する路線。部分から組み立てる意味ではゴダール路線で、ゴダールが構成しきれなかったやり方をとっていると見ている。

ゴダールの構成 2

2010.8.5のログから。若干の加筆修正。話のきっかけとなった冒頭にcineeyeさんの発言を足す)

cineeye: 先ほどの愛と萌えの問題を考え直してみた(もういいよ!)。さっき言ったのとは逆に、「あなたの中にあなた以上のもの」=剰余価値を見ることこそが幻想で、「あなたの中にあなたしか見ない」ことが幻想への抵抗になるんじゃないか。このことは、イメージにイメージ以上のものを見るのではなく、イメージにイメージしか見ないことはできるのか、という問題とつながる。「あなたの中にあなたしか見ない」とは愛の未然に留まるということであり、それを便宜的に萌えと呼びたい。だから、ナギに処女性を見ている人は、ナギに萌えているのではなく、愛しているのだ。しかし、ファンタスムなしに萌えはあるのか?いや、ないだろう。しかし、萌えとファンタスムが別の原理で働いていると考えることはできる。これはモンタージュなしに映画のイメージがありうるか、ということと同じ。それはありえない。しかし、モンタージュとイメージを別の原理で考えることはできる。(URL: 1, 2, 3, 4, 5

 私は発想を転倒させていて、イメージという単位措定までに見落とされている過程があり、イメージとイメージ以外のものという境界画定をめぐる諸力の場を考えられないか、というところから始める感じ。というのは、私はモンタージュのような間から先に考える発想はとれないものかというふうに思っていて、帰着点としてのイメージ、みたいにイメージの位置を組み替えたかったというのがあったのね。ゴダールよりもストローブ&ユイレからだとそっちに行けると思ってた。ゴダールを見るときにおいては、間から、というときに、その両端である或るイメージAと或るイメージBとセットになっていて、間から、とは行きにくい。ゴダールの構成がショートレンジになるのはそのためではと。ゴダールのモンタージュ論は、衝突と接合、圧縮にあるので、間から構成を考えることができないというふうに私は思ってる。ストローブ&ユイレにはテキスト全体が制作において先にある以上、構成の問題に直面している。
 ただ、しばしばストローブ&ユイレについて言われるショットの持続性や時間はオミットしてもいいと思う。構成が先立っているのならば、時間経過感は抜きに同一性が保たれるのではないか、という疑問がある。ストローブ&ユイレの構成についてはゴダールの特性から説明した方がわかりやすいかもしれない。ゴダールには本を読むシーンって結構あるでしょう。台詞で愛について語るのも近い効果があるけど。そもそも「イメージ」に収まりにくいものをもってしてゴダールはイメージにしているという面がある。そうしたいわゆるイメージとされていないものと融合させながらイメージにするという、可視的要素を拾い上げる視点からは不純物として見られるようなものが、当初からゴダールにはあったんだけど、その展開においては散発的になってしまった。一方、ストローブ&ユイレにおいては、そうした意味でのイメージを作り上げるものとテキスト全体やテキストの抜粋選択・編制という課題がまずあった。そのため、構成とイメージが乖離せずに取り組まれている。私はストローブ&ユイレを見るのがゴダールを見るのに比べて遅れたんだけど、ゴダールを見ながら構想していたものがあって、その視点ではゴダールは不徹底だろうと考えていたんだけど、ストローブ&ユイレを見てそのときの構想とかなり重なるものがあると感じた。つまり、ゴダールはストローブ&ユイレと対立にして見るべきではないし(浅田の対立発想を有害だとみなしていた)、ゴダールにはできていないある面の徹底だと見たほうがわかりやすい面がある。もちろん、ストローブ&ユイレにも何かしら疑問点はあるんだけども。ストローブ&ユイレには、(ゴダールにもあった)テキスト「の朗読」による再演としてのイメージ、という軸があった。再演、再現前をどう編制し、論じるか、という焦点がありえるんだと思う。で、そのとき構成を軸に見たほうが、ショット個々の特徴にのみ拘泥せずに済むんじゃないかと。

 黒沢清が何かのゴダール関係のパンフで「どうもストローブ&ユイレは形式的に見えて苦手で…」と言ってるんだけど、ゴダール的なショットのあり方で感覚が形成されるときに現れる典型的な反応だと思った。そういう立場に基づいてゴダールとストローブ&ユイレが対置されやすいんだと思う。私はむしろ、ゴダールの試みとその限界から考えたからこそ、ストローブ&ユイレのよさがわかるって感じなので、構成をいわゆる形式的/具体的という対立に回収せずに考えないことが、ストローブ&ユイレにおいては重要だと思ってる。浅田と蓮実は一見対立的に振舞っていることもあったけれど、一般的にそう思われている以上に彼らの足場となっている感覚と構成のあり方はよく似ていて、どちらも「イメージの現れ」に重点を置き、共犯的な面がある。現状、ストローブ&ユイレについて言われる「厳密さ」というのは、実のところ具体的なもの/形式的なものという対立に根ざした、蔑称すれすれの「敬して遠ざける」形容詞だと思っている。形容詞張ってそのまま議論が進んでないのがまさにそれを示している。

 たとえば藤井仁子の講演では、素人演技の演奏の下手さやパンク的雑駁さをもって「正しさ」ではない、とされるが、ゴダール=パンク=瑞々しいイメージ、の伝統に引き寄せるロジックでもあるので、問題だと思う。藤井の"アルチュセールまで持ち出して、ストローブ&ユイレが、あたかも撮ることに先立ってドグマ的に「正しいイマージュ」というものを信奉しているかのようにいうのは、端的に「正しくない」"は、別の意味でまた浅田の含意を見落としてもいる。あの対立を持ち出した浅田の念頭にあったのは、旧左翼:新左翼=ストローブ&ユイレ:ゴダールという類比であって、もちろんその乱暴さと弁別によってそれぞれが失うものがあるんだけど(ゴダールは80年代後半以後、歴史救済に転じるとはいえ、「革命の大義」側、つまり旧左翼側の理念に近いし…)、その含意を見ず、乱暴にまとめるなら「アルチュセールもちだずな雑すぎ」と返してるような構図になってる。浅田のあの手口には同時に、ストローブ&ユイレを旧左翼に還元、ゴダールを新左翼に還元(しつつ新左翼側に共感する立場表明)、という左派文脈をたぶん混ぜている。というわけで、この対立軸を本当にまともに批判的に継承するとき、実は「左翼と映画」という(ゴダールやストローブ&ユイレのみならず)広範に広がる問題に手をつけなければならないという超めんどくさい事態が出てくると思う。
 藤井のロジックはいろいろ単純すぎてて、ゴダールがロマン主義に傾倒する一方、ストローブ&ユイレにはそれはない、と(よくあるロマン主義悪玉論で)やってるわけだけど、ヘルダーリンやらモーリス・バレスやら(バレス派の)ガスケのセザンヌ本を使うなどの側面を考えるとき、そんな単純な話なわけがない。私は藤井は楽天的なまでに、蓮実派-蓮実派におけるゴダール受容派 の線の人だと思っているので、まさにこういう傾向に飲まれないことが重要。私は「蓮実パラダイム」とされているものを語法や修辞の傾向ではなく、感覚と思考、経験と理論の噛み合わせ方で定義変更したほうがいいと思っている。そうすると、浅田(のかなりの側面)を含め実に多くの「蓮実派」がいて、パラダイムに飲まれているのだとみなせる。

ゴダールの構成 1

2010.8.3のログから。若干の加筆修正)

 80年代後半の後期ゴダールからゴダールを見始めた私は、初期作をあまり見直してない。『勝手にしやがれ』を見るとあまり乗れず、初期作には映像の溌剌さが特徴とされるが、むしろセバーグショットなどに関心が向く。大きく後期と異なるのは、使用されている音楽の趣味やショットのリズムなどだろう。『勝手にしやがれ』の場合、移動カメラで活発に動き回って撮っているため、ショットの持続性やショットごとのつながりが人物の行動に沿って数珠繋ぎにされたものとして見えすぎる。
 ゴダール作品の構成を、しばしば取り上げられる映像上の短絡・圧縮(ジャンプカット)、生き生きしていること(カメラワーク)、とは別視点から読みたくなる。たとえば、「最低 dégueulasse」はポワカールが最初に金をせびりに行った女から言われる台詞で、ポワカールは勝手に財布から盗み取るけれど、そのままパトリシアに密告として反転してる、といった視点から。映画館入り口のハンフリー・ボガートのブロマイドとにらめっこして、独りポワカールが眉間に皺を寄せて「俺、似てね?」というふうに切り返しがおきるのは面白い。当人は鏡のつもりで見ているような180度切り返しがある。
 ただし、構成がシンプルすぎて発展性がほとんど出てこないのもゴダールの悪癖だ。ゴダールの作品の大半は「A地点からB地点へ」でまとまる。今回は、ローマから来たポワカールがパリで事件を起こして、別のところへ逃亡しようとするけどそれが躓く構成。多くの作品の構成は、頓挫する過程になっている。

 ゴダールの欠点は退屈さというより、むしろ「ぱっと見で楽しすぎる」ことにある。見てるだけで妙に収まりがよくなってしまう。そこで、シンプルな構成単位をうまく反復させてそれ自体で組織化させるところまでにはいたってないのだが、その点が気にならなくなってしまう。その乖離が欠点。古典映画とか初期映画は、とりあえず見てればいい代物が多いので似てると言えば似てるけれども。
 シンプルな構成要素のまま、『「マリア」のためのシナリオ』など、エッセイを書くように思考している後期では展開が見られる。語彙や事物をつなげたり飛躍させる作業。初期ゴダールに物足りなさを感じるのは、プロットがただショットを詰め込む器になってて相互関係が薄いからなんだろう。それと同時にショートレンジの思考に陥ってしまい、断章群の集積でしかないような限界も明らかになっているが、初期がショットの美学にたやすく回収されてしまうのに比べれば刺激的だ。エッセイ路線では思考と構成の連結が不足し(思考作業と製作が一体になっている意味では間違ってないのだろうが)、一方、『アワーミュージック』『フォーエヴァーモォツアルト』『愛の讃歌』では、複数の編や登場人物たちのユニットや時間の層が、構成要素の別のレイヤーを作りかけてもいる。しかし悪戦苦闘中でもあり扱いが難しい。

 ショットとプロットの双方を二者択一ではない絡ませ方において、シンプルさと構成をいかに同時に実現するか。ショットの成立条件をむき出しにし、最小限に抑えることで、自由度が高まったようにしばしば感じられるが、同時にショットがショットとなる成立条件は頑なに保守される逆転も生じる。ショットとプロットという分け方は、カメラ・脚本というそれぞれの生産手段や生産物に依拠しているが、作品の構想-構成においてプロットは文字通り構成というよりも、交渉や媒介の手段になることもあり、notationそのものではないのだろう。ショットもプロットも、何らかの帰着点や開始点にしないような議論の仕組みが必要になるんだろうが、採録の際にはつねにプロットが産物となり、見る際にはショットから見ることを経由することになってしまう。絵画の写真と筆触みたいなものか。
 しかしこのとき、そうした読解に見合う作品が必要なのか、そうした読解のための思考が必要なのか、どっちなのだろう。ショットはつねに見てしまう入り口になるのだからその場所が無くなるわけではないけれど、ショットに中心化させずにショットの生産を取り扱うにはどうすればいいのだろうか。作品から「プロットを読む」というとき、別種の言語に一旦還元しなおすことを意味する。テマティスムだって還元手法の一つだ。テマティスムが還元に思われてないのは、画面から可視的な要素を拾ってきてそれらを組み合わせて、要素によるプロットを作り上げ、前述のプロットを保存しつつ部分的に絡ませることで、可視的要素だけで作品をもう一度作り上げことができるように錯覚させることができるからだろう。単に要素や要素の関係性を拾い上げ、プロットと再度絡ませるのではなく、ショットを成立させる、選択された環境のように編み上げることはできるのだろうか。そのとき、可視的要素の列挙というよりむしろ、関係性を規定する要素の抽出が必要になる。
 『勝手にしやがれ』は、独り(ポワカール)→ペア(ポワカールと女友達)→ペア(ポワカールとフランキーニ)→独り(ポワカール)→ペア(ポワカールとフランキーニ)→別のペア(刑事とポワカール)→ペア(ポワカールとフランキーニ)→独り(フランキーニ) の推移がある。独りのときにポワカールは独り言を繰り返し、助手席に人がいるかのようにしゃべり続けたり、鏡に向かうように映画俳優のブロマイドとにらめっこして写真を見つめながら表情を変えていく。フランキーニが最後には独りになるときは、ポワカールが残した言葉で自問自答し、誰でもない方向を見つめて終わる。男女のペアのときは、金銭や服、新聞、記事を書く約束、寝るか寝ないかをめぐって、言葉の上か手を用いて、奪取したり据え置いたり先延ばしにし、一方から他方への何かの移送が起きているか阻止されている。刑事とポワカールのペアの場合、刑事が獲得しようとしているのはポワカールの身柄自身なのだから、追う/逃げるという非対称な構図が生じる。フランキーニが気を持たせ先延ばしにされ続ける男女のペアの進行は、刑事とポワカールの構図が終点を迎えることで、成就されることなく区切りをつけられる。相手の気持ちを尋ねるときには台詞が(何度も繰り返される「愛」のフレーズは目に見えない物品のようだ)、もののやり取りには手の動きが手段となっているが、画面では歩行による移動がカメラの動きを導いている。人物間の駆け引きでは台詞が、人物間での動作では手と物が、画面と人物との間での相互関係では歩行や車の走行が、それぞれの関係性や構図を成立させている。

 テマティスムというよりは、テマティスムが扱う素材を配置させるそれぞれの層における関係性の構成、諸構成の相互関係、構成において何が終始点をなすか、というふうに見ていくこともできるのだろう。しかし下記の規則のような考え方は、ショットへの求心力といわば「ショットへの還元」が際立つゴダールからこそ別方向に引き戻すために意味ありげには見えても、ここまで雑駁だと一般性のある分析手法にはまるでならないな…まあ、画面上の可視的要素、人物間の諸関係性、画面と事物・人物の相関関係を画面の現れに対してより先行的に把握、のみならず作品や作家や領域ごとにレイヤーを考えて、それぞれの複合状態を見ればいいか。

2010年8月12日木曜日

『10+1』総目次no.1-50(1994-2008)

(最終更新2014.8.25)

INAX出版の『10+1』Databaseが雑誌記事を無料公開企画をおこなっている。このメインページは人名・書籍・建築物・キーワードなどから記事を関連記事を見つけ出せるため興味深いものとなっているが、付属のDBの雑誌バックナンバーページからは公開制限記事と公開記事が混在して把握しづらいため、書誌作成と併せて公開済の記事を目次順に並べた。
DB更新履歴を見るとわかるように現在進行中の企画なので今後公開が進むようだ。10+1DBは更新を報告してくれるTwitterアカウントがある。
原則として連載記事は公開していない。単行本に収められた記事は把握できたものにかぎり、〔〕で囲んで書誌情報を付した。ドミニク・チェン氏の記事は当人のblogで公開されているpdfファイルにリンクした。2010.8に作成したdocファイルをテキストファイル置き場にアップロード。このファイルにはurlリンクは記載されていない。
関連
・ 雑誌終刊の後も活発にWebsiteで活動を続ける10+1の公式サイト
・ INAX出版から刊行された単行本「10+1」シリーズ
・ 公式サイトの『10+1』バックナンバー目次
(2010.8.14)

■追記
・11月ごろにDBの更新があり、187本の記事が追加された。追加記事のリンク付けを行ない、追加記事には冒頭の・をと表示する。(2010.12.14)
・サイトは最終更新2012.1.25以来、掲載物が増えていないようだ。1年半の増加分を反映させた。(2014.8.25、追加リンク記事はと表示した)

No.1, 1994.5, 「特集=ノン・カテゴリー・シティ 都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容」 編集委員 多木浩二・八束はじめ
No.2, 1994.11, 「特集=制度/プログラム/ビルディング・タイプ」 編集委員 多木浩二・八束はじめ
No.3, 1995.5, 「特集=ノーテーション/カルトグラフィ」 編集委員 多木浩二・八束はじめ
No.4, 1995.11, 「特集=ダブルバインド・シティ」 編集委員 多木浩二・八束はじめ
No.5, 1996.5, 「特集=住居の現在形」 編集協力 若林幹夫
No.6, 1996.8, 「特集=サイバーアーキテクチャー」 編集協力 浜田邦裕
No.7, 1996.11, 「特集=アーバン・スタディーズ 都市論の臨界点」 編集協力 田中純
No.8, 1997.3, 「特集=トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション 渚にて」 編集協力 今福龍太・上野俊哉
No.9, 1997.3, 「特集=風景/ランドスケープ」 編集協力 松畑強・松岡新一郎
No.10, 1997.5, 「特集=ル・コルビュジエを発見する」 編集協力 米田明
No.11, 1997.8, 「特集=新しい地理学」 編集協力 多木浩二・吉見俊哉
No.12, 1997.11, 「特集=東京新論」 編集協力 若林幹夫
No.13, 1998.2, 「特集=メディア都市の地政学」編集協力 田中純
No.14, 1998.5, 「特集=現代建築批評の方法」 編集協力 五十嵐太郎
No.15, 1998.8, 「特集=交通空間としての都市」 編集協力 田中純
No.16, 1998.12, 「特集=ディテールの思考」 編集協力 五十嵐太郎
No.17, 1999.3, 「特集=バウハウス1919-1999」 編集協力 伊藤俊治・大口晃央
No.18, 1999.6, 「特集=住宅建築スタディ」 編集協力 青木淳
No.19, 2000.3, 「特集=都市/建築クロニクル1990-2000」 編集協力 五十嵐太郎・南泰裕・後藤武・松田達
No.20, 2000.6, 「特集=言説としての日本近代建築」 編集協力 八束はじめ
No.21, 2000.9, 「特集=トーキョー・リサイクル計画作る都市から使う都市へ」 編集協力 塚本由晴・貝島桃代
No.22, 2000.12, 「特集=建築2001 40のナビゲーション」 編集協力 五十嵐太郎・槻橋修
No.23, 2001.3, 「特集=建築写真」 編集協力 五十嵐太郎・磯達雄
No.24, 2001.7, 「特集=フィールドワーク/歩行と視線」
No.25, 2001 .10, 「特集=都市の境界/建築の境界」 編集協力 五十嵐太郎
No.26, 2002.1, 「特集=都市集住スタディ」 編集協力 五十嵐太郎
No.27, 2002.4, 「特集=建築的/アート的」 編集協力 五十嵐太郎
No.28 2002.6, 「特集=現代住宅の条件」 編集協力 五十嵐太郎
No.29 2002.9, 「特集=新・東京の地誌学 都市を発見するために」 編集協力 五十嵐太郎
No.30, 2003.1, 「特集=都市プロジェクト・スタディ」 編集協力 五十嵐太郎・貝島桃代
No.31, 2003.7, 「特集=コンパクトシティ・スタディ」 編集協力 太田浩史・南泰裕
No.32, 2003.9, 「特集=80年代建築/可能性としてのポストモダン」 編集協力 五十嵐太郎・日埜直彦
No.33, 2003.12, 「特集=建築と情報の新しいかたち」 編集協力 仲隆介・中西康人・本江正茂・五十嵐太郎
No.34, 2004.3, 「特集=街路」 編集協力 五十嵐太郎
No.35, 2004.6, 「特集=建築の技法 19の建築的冒険」 編集協力 プロスペクター[今村創平・南泰裕・山本想太郎]・吉村靖孝
No.36, 2004.9, 「特集=万博の遠近法」 編集協力 五十嵐太郎・小田マサノリ
No.37, 2004.12, 「特集=先行デザイン宣言 都市のかたち/生成の手法」 編集協力 中谷礼仁・宮本佳明・清水重敦
No.38, 2005.4, 「特集=建築と書物 読むこと、書くこと、つくること」 編集協力 五十嵐太郎
No.39, 2005.6, 「特集=生きられる東京 都市の経験、都市の時間」 編集協力 内田隆三
No.40, 2005.9, 「特集=神経系都市論 身体・都市・クライシス」 編集協力 田中純
No.41, 2005.12, 「特集=実験住宅」 編集協力 今村創平
No.42, 2006.3, 「特集=グラウンディング 地図を描く身体」 編集協力 石川初・田中浩也
No.43, 2006.7, 「特集=都市景観スタディ いまなにが問題なのか?」 編集協力 五十嵐太郎
No.44, 2006.9, 「特集=藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。」 編集協力 中谷礼仁・清水重敦・青井哲人
No.45, 2006.12, 「特集=都市の危機/都市の再生 アーバニズムは可能か?」
No.46, 2007.3, 「特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits 極地建築を考える」 編集協力 松村秀一
No.47, 2007.6, 「特集=東京をどのように記述するか?」
No.48, 2007.9, 「特集=アルゴリズム的思考と建築」 編集協力 柄沢祐輔
No.49, 2007.12, 「特集=現代建築・都市問答集32」
No.50, 2008.3, 「特集=Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960」

No.1, 1994.5, 「特集=ノン・カテゴリー・シティ 都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容」
 編集委員 多々浩二・八束はじめ
・ 八束はじめ「ノン・カテゴリー・シティ多摩」
西沢大良「近代都市」
・ 斉藤千尋「パラレル・ユートピア」
塚本由晴「「更地と集合住宅」 多摩丘陵におけるニュータウンと集合住宅の分節」 
・ 多木浩二・青木淳・入江経一・吉松秀樹「ディスカッション 建築は何処へ 多摩ニュータウンと快適性をめぐって」
・ 宮前正樹・松本真澄・上野俊哉・北吉貴行・高島久嗣・長濱美穂「サイコ=スキゾ マトリクス・マップ」
・ 東京工業大学建築学科・金一・峯田建「サイコ-ジオグラフィカル・マップ」
峯田建「フィットネス」
若林幹夫「視線と意匠 郊外ニュータウン試論」 〔『都市への/からの視線』青弓社(青弓社ライブラリー)、2003.10、第7章〕
・ 上野俊哉「ペリフェリーの構造転換」
・ 生井英考「夢みられた場所 サバーブ/サバービア/コミュニティ」
・ 今福龍太「ディアスポラの楽園」
・ 児玉房子「多摩ニュータウン」
・ 米田明「「周縁都市の将来」 幕張」
・ 内田隆三「場所と風物 ニュータウンのトポロジー」
・ マンフレッド・タフーリ「これは都市ではない」(菊池誠訳)
・ エレーニ・ジガンテス「ブルジョアジーの卵の夢 ベルギーのマグニトゴルスク」(八束はじめ訳)
・ リアンヌ・ルフェーブル「ヨーロッパ現代建築のダーティ・リアリズム メイキング・ザ・ストーン・ストーニー」(岡田哲史訳)
・ レム・コールハース「アトランタ」(上田知正訳)
・ 片木篤「フレデリック・ロウ・オルムステッドと辺境の変容」
・ トム・ヘネガン「洗練された郊外居住者」(安藤和浩訳)
・ 港千尋「皮膜都市序論」
・ 多木浩二・八束はじめ「言説としての境界」
連載
・ 多木浩二「風景の修辞学1 「夢」の地図帖 アジェの旅するパリ」 〔『建築・夢の軌跡』青土社、1998.2、第3章第2節〕
・ 上野俊哉「都市論の系譜学1 「批判」の黄昏」
論考
鈴木了二「「空洞幾何」断章 展覧会<空地・空洞・空隙>前後」
・ ベルナール・チュミ「空間を問う『建築講義』」(岡河貢訳)

No.2, 1994.11, 「特集=制度/プログラム/ビルディング・タイプ」
編集委員 多木浩二・八束はじめ
・ 内田隆三・多木浩二・八束はじめ「《プログラム》あるいは空間の言説と思考をめぐって」
・ 「La ville 三人の建築家へのインタヴュー」レム・コールハース(荒原邦博訳)・ジャン・ヌーヴェル(西野修訳)・アンドレア・ブランジ(村上靖彦訳)
・ 入江経一・山家京子監修「都市空間のノーテーション」
・ 入江経一「フィールドワークに向けて」
・ 篠崎隆「「R」 デパートの屋上」
・ 小山光・迫慶一郎・繁昌朗・風袋宏幸「ステーション・シティ」
・ 伊藤香織・金塚英雄・高橋美佳・丸山剛史「渋谷ラビリンス」
・ 小関聖仁・川瀬康和・馬立歳久「街路」
・ 岩佐明彦・持丸伸吾「首都高速」
・ 山家京子「新たなプログラム論へ」
・ 八束はじめ「レギュレーターとしての建築 制度/施設論に向けて」
・ 伊東豊雄・坂本一成・山本理顕・八束はじめ「建築とプログラム」
・ 桂英史「世界記述のプログラム」
・ 磯崎新「テーマ・パーク」
・ マーガレット・クロフォード「第五のエコロジー ファンタジー、自動車、ロサンジェルス」(鈴木英明訳)
・ トレヴァー・ボディ「地下と高架 擬似都市の建築」(末廣幹訳)
・ 今福龍太・吉見俊哉(司会=多木浩二)「移動とツーリズム」
・ 大澤真幸・多木浩二「エアポート」
・ 港千尋「空港のイマジネール」
・ 上野俊哉「ターミナル・コンプレックス 都市不安の諸形式」
・ 澤野雅樹「衛生都市 文明開化にともなう空間と肉体の分割」
・ リチャード・インガソル「ショッピング・モール ファンタスマゴリーII」(八束はじめ訳)
・ 多木浩二「欲望の変質 コンビニとファースト・フードの出現」
・ 多木浩二「パサージュ 19世紀が生んだ都市のビルディング・タイプ」
連載
・ 多木浩二「風景の修辞学1 寓意の帝国 イタロ・カルヴィーノの言葉の都市」
・ 上野俊哉「都市論の系譜学2 批判の切断」
論考
・ 沖健次「スタルク・デザイン」
 安藤重男・ジュディス・ターナー「光と影の形象 写真と建築」(栩木玲子訳)

No.3, 1995.5, 「特集=ノーテーション/カルトグラフィ」
編集委員 多木浩二・八束はじめ
・ 八束はじめ「現代建築におけるノーテーションの冒険 見えない建築へ」
・ 五十嵐太郎、入江経一、福田誠、山家京子「Ninety-two Walks in the Notational Woods」
・ 上野俊哉「アスガー・ヨルンにおける地図のエピステモロジー」
・ アンソニー・ヴィドラー「流浪の建築」(太田晋訳)
・ フレドリック・ジェイムソン「認知地図」(太田晋訳)
・ タナカノリユキ、福田誠、曲淵英邦「A Tokyo Reading by Taxi 意識と無意識のNOTATION」
・ エンリコ・シャペル「国際画像言語 都市計画のためのノーテーション・システム オットー・ノイラートとCIAM」(三井邦子訳)
菊池誠「建築のオペレーション・フィールド あるいは、サイバースペースの記法と慣例」
・ 浜田邦裕「建築の記譜法」
・ 佳手芙美「コレオグラフィと身体 カニングハム、フォーサイス、そしてピナ」
・ 庄野進「音のエピステモロジー 記譜法から」
五十嵐太郎「Parasitical Notation(たとえば、るくー、あるいは、さてぃ、しゅーまん)」 〔菅野裕子との共著『建築と音楽』NTT出版、2008.9、所収〕
・ 松浦寿夫「経験と定義」
・ 中村桂子・多木浩二「対談 生命誌への想像力 中村桂子氏に聞く」
・ 多木浩二「身体のカルトグラフィ」
連載
 多木浩二「風景の修辞学3 妄想の海 メルヴィルの『白鯨』」
・ 上野俊哉「都市論の系譜学3 批判の離散」
論考
・ ダヴィド・D・エキモヴィッチ「白く燃え上がる彼方 都市の哲学に関するノート」(田中純訳)

No.4, 1995.11, 「特集=ダブルバインド・シティ」
編集委員 多木浩二・八束はじめ
・ 多木浩二「都市、それとも社会?」
・ 八束はじめ「千年王国とダブルバインド・シティ」
・ 上野俊哉「空間の政治学 文化研究における空間の諸概念について」
・ ポール・ギルロイ「ディアスポラ再考」(上野俊哉訳)
・ 港千尋「港湾情報都市論序説」
・ 大島洋「千の顔、千の国 エチオピア」
五十嵐太郎「新宗教の建築・都市、その戦略論序説」 〔加筆修正、『新宗教と巨大建築』講談社(講談社学術新書)、2001.12、『新編 新宗教と巨大建築』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2007.6〕
・ マーガレット・クロフォード「建築家、依頼主、カンパニー・タウン ニューメキシコ、タイロンの場合」(田中純訳)
・ シェリー・シェイプ「周辺から主流へ 東京エスニック・ランドスケープ」(山家京子訳)
・ アリーン・ウィダーマン「複数の世界がぶつかる所 LAについての考察」(中村秀之訳)
ティヤン・スジック「ドラゴン・シティーズ 生の未来」(松原弘典訳)
・ 今福龍太・沼野充義「対談 ポリローグの都市」
・ ティーベ・ファン・タイエン「心のなかの風景を辿れ」(尾河直哉訳)
・ ヘアート・ロフィンク&アディリノ「バルカン料理盛り合わせ F・フクヤマの塹壕の中へ」(大宮勘一郎訳)
・ 宮本隆司「阪神大震災」
・ 内田隆三・多木浩二「対談 危機的都市をめぐって」
・ アリ・フラーランド「マンハッタンのデュシャン」(田中純訳)
連載
・ 多木浩二「風景の修辞学4(完) 動物たちの越境 ロートレアモン『マルドロールの歌』」
・ 上野俊哉「都市論の系譜学4(完) 批判の群島」

No.5, 1996.5, 「特集=住居の現在形」
編集協力 若林幹夫
・ 芹沢俊介・隈研吾「住居の現在形 住居の個人史あるいは脱家族 脱住居への欲望」
若林幹夫「住居 社会的媒体としての」 〔『都市への/からの視線』青弓社(青弓社ライブラリー)、2003.10、第8章〕
・ 米沢慧「住居という視点にいま何が必要か 山本理顕『住居論』にふれて」
五十嵐太郎「住宅の廃墟に 建築家と住居をめぐる七つの物語」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第2章第3節、改題「住宅の廃墟に建築家と住居をめぐる七つの物語」〕
柏木博「住宅を構想することは可能か 近代における住宅の試み」
・ 「《The Internal Landscapes of Tokyo Today's Japan》展 4・1/2 四畳半」(構成 鈴木明)
鈴木明「展覧会のコンセプトについて」
鈴木明「四畳半を通して都市に住む」
・ 宇野浩二「夢見る部屋」
・ ロビン・ルブラン「〈ワンルーム・マンション〉での暮らし」
・ 伊藤豊雄「At Home (or Homeless? ) in the City」
山本理顕「『細胞都市』」
・ 上野千鶴子「交流の場 四畳半の過去・現在・未来」
・ A.T.E.「Wabi-Sabi Net」
・ 都築郷一「2万4000円の小宇宙」
・ ジョン・シュナイアー「段階的移行」
鈴木明「都市の四畳半 ヴァーチュアルな世界へのインターフェイス」
・ 東京大学高橋研究室「東京1995」
鈴木毅・岩佐明彦「Editor's Notes for "Tokyo 1995"」
新連載
松浦寿輝「知の空間=空間の知1 閲覧室と無限 「知の装置」としての図書館をめぐって」 〔『知の庭園』筑摩書房、1999.1、第1章第1節〕
田中純「非都市の存在論1 未来の化石 J=G・バラードと都市のアクシデント」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、プロローグ〕
・ 生井英考「境界線上のアメリカ1 われアルカディアにもありき ニューイングランド断章」
10+1 REVIEWS
 大島哲蔵「建築の言説、都市の言説1 構築者のテクストまたはアーキテクトの罠 60年代を牽引したプロタゴニストの遍歴と漂着」
・ 松岡新一郎「建築とイマージュ1 スカルパの疑い」
 大川信行・五十嵐太郎「ビルディング・タイプの解剖学1 教育と学校 壁のエクリチュールをめざして」 〔加筆修正し、大川信行・五十嵐太郎『ビルディングタイプの解剖学』王国社、2002.12に所収〕
・ 毛利嘉孝「情報空間の地理学1 都市の中のサイバースペース、サイバースペースの中の都市 「デュアル・シティ」を生み出す概念装置」

No.6, 1996.8, 「特集=サイバーアーキテクチャー」
編集協力 浜田邦裕
・ 浜田邦裕・森田秀之・米田明・松岡新一郎「サイバーアーキテクチャーの可能性 建築の新たな全体像」
・ 浜田邦裕「サイバーアーキテクチャー 普遍性をもった手続きの構築へ向けて」
・ スティーヴ・パーネル「ニューロマンティック・アーキテクチャー コンピュータ革命の建築」(後藤武訳)
・ マーコス・ノヴァク「トランスアーキテクチャー 思惟のふちを建てること」(五十嵐太郎訳)
・ ジュリア・フレーザー&ジョン・フレーザー「インタラクティヴェーター 進化論的デザインの試み」(横山亮訳)
・ ジョン・フレーザー「ヴァーチュアル・ワールドの逆説的イメージ 空間と場の新たな理論構築へ向けて」(横山亮訳)
・ ラリー・バークス「インフォメーション・アーキテクチャー ヴァーチュアルな環境の表現」(横山亮訳)
・ 木島竜吾「サイバースペースの認知地図 ネットワークの散歩者のためのナヴィゲーション・システム」
・ 山本精一「三次元仮想空間表現技術 VRML 建築分野における可能性」
連載
松浦寿輝「知の空間=空間の知2 円環の廃墟 図書館と「19世紀の夢」」 〔『知の庭園』筑摩書房、1999.1、第1章第2節〕
田中純「非都市の存在論2 〈光の皮膚〉の肌理 都市写真という寓意」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第1章第1節〕
・ 八束はじめ「千年王国論3 ユートピアのシミュラークルとしてのポストモダン都市」
・ 生井英孝「境界線上のアメリカ2 「アメリカ写真」の神話と逆説 スティーグリッツの「不在のアメリカ」」
10+1 REVIEWS
 大島哲蔵「建築の言説、都市の言説2 計画者のテクスト ケヴィン・リンチのDuplex-Complex」
・ 松岡新一郎「建築とイマージュ2 円柱論のための覚え書きI 有限と無限の対立」
 大川信行・五十嵐太郎「ビルディング・タイプの解剖学2 呼吸する機械 病院 近代的衛生観と建築」 〔加筆修正し、大川信行・五十嵐太郎『ビルディングタイプの解剖学』王国社、2002.12に所収〕
・ 毛利嘉孝「情報空間の地理学2 世界都市、要塞都市、電脳都市 サイバーシティ東京の二重性」
・ 米沢慧「住居の視点、住居の死角1 ヒトが宇宙人になる夢を語るとき 宇宙都市建設とヒトの居住空間」
・ 図版構成 鵜沢隆「未来都市の考古学」

No.7, 1996.11, 「特集=アーバン・スタディーズ 都市論の臨界点」
編集協力 田中純
田中純「〈無人〉の風景 建築が見る〈不眠の夢〉」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第1章第4節〕
・ ハーヴェイ・モロイ「遺棄された車 J.G.バラードに捧ぐ」(横山亮訳)
・ 南泰裕「極限都市論 東京湾岸、あるいは未在の空間水準 」
八束はじめ・南泰裕「アーバニズムと計画論 「湾岸都市」あるいは「メトロポリスのニヒリズム」について」
・ M.クリスティーヌ・ボイヤー「サイバーシティという想像的な現実の世界 電子コミュニケーション時代の都市」(毛利嘉孝訳)
・ アーサー・クローカー「ヴァーチュアリティへの意志、西洋の没楽」(瀧本雅志訳)
・ 渡辺誠「複雑系としての都市を解く 「誘導都市プロジェクト」」
・ 毛利嘉孝「「節合(アーテイキュレィション)」する都市論 カルチュラル・スタディーズからアーバン・スタディーズへ」
五十嵐太郎「視覚的無意識としての近代都市 三つの都市の展覧会をめぐって」 〔『戦争と建築』晶文社、2003.8、第2章第2節〕
連載
松浦寿輝「知の空間=空間の知3 8・8の迷宮 ゲーム空間の変容」 〔『知の庭園』筑摩書房、1999.1、第1章第3節〕
田中純「非都市の存在論3 〈路上〉の系譜 バラックあるいは都市の〈忘我状態〉」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第1章第2節〕
・ 八束はじめ「千年王国論4 メトロポリスのニヒリズム」
・ 生井英孝「境界線上のアメリカ3 「アメリカ写真」の神話と逆説2 スティーグリッツの肖像」
10+1 REVIEWS
 大島哲蔵「建築の言説、都市の言説3 批評者のテクスト 浅海に没した〈弁証法〉」
・ 松岡新一郎「建築とイマージュ3 円柱論のための覚え書きII 柱と壁」
 大川信行・五十嵐太郎「ビルディング・タイプの解剖学3 世界をコード化する施設「倉庫」 物流からロジスティクス・システムの構築へ」 〔加筆修正し、大川信行・五十嵐太郎『ビルディングタイプの解剖学』王国社、2002.12に所収〕
・ 毛利嘉孝「情報空間の地理学3 新たに想像されつつある「地球」という共同体 インターネット上の「想像的な」政治参加」
・ 米沢慧「住居の視点、住居の死角2 「法制都市」東京にGスポットはあるのか 都市計画の線引きに見る東京」

No.8, 1997.3, 「特集=トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション 渚にて」
編集協力 今福龍太・上野俊哉
・ 多木浩二・今福龍太・上野俊哉「ゆらめく境界あるいはトラヴェローグをめぐって 渚にて」
・ ブルース・チャドウィン「ノマドという可能性 トム・マシュラーへの手紙」(宮田和樹訳)
・ アンドレイ・コドレスク「ぼくの生涯の余白に」(管啓次郎訳)
・ ココ・フスコ「ミランダの日記」(井村俊義訳)
・ ケアリル・フィリップス「ヨーロッパ族 イントロダクション」(越川芳明訳)
宮田和樹「デジタル・ブーメラン」
・ 今福龍太・上野俊哉・井村俊義「アーバン トライブ」
・ ボグダン・ボグダノヴィッチ「都市と死」(篠儀直子訳)
・ ベンヤミン・ペラソヴィッチ「シャープ・スキンはクロアチアにどのようにやって来たか?」(上野俊哉訳)
・ ドゥブラフカ・ウグレシチ「バルカン・ブルース」(岩崎稔訳)
今福龍太「クリケット群島」
・ 上野俊哉「リデンプション・ソング 海賊と資本主義」
連載
松浦寿輝「知の空間=空間の知4 記憶の終着駅 オルセー美術館の廃墟の記憶」 〔『知の庭園』筑摩書房、1999.1、第2章第1節〕
田中純「非都市の存在論4 コンピュータの屍肉 サイバースペースの〈生ける死者〉たち」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第2章第1節〕
・ 八束はじめ「千年王国論5 ジェントリフィケーションとそのオルタナティヴ」
・ 生井英孝「境界線上のアメリカ4 光の船を追って アメリカの神話と象徴1」
・ 宮本隆司「ダンボールの家」
10+1 REVIEWS
 大島哲蔵「建築の言説、都市の言説4 写真者のテクスト 建築写真術の過剰」
・ 松岡新一郎「建築とイマージュ4 ある友への手紙 ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パヴィリオンをめぐって」
・ 五十嵐太郎・大川信行「ビルディング・タイプの解剖学4 未だ分節されざる原=教会 アーミッシュの宗教空間」
・ 毛利嘉孝「情報空間の地理学4 「可視性」と「孤立」 リチャード・セネットにおける「公共性の喪失」と「親密さの専制」」
・ 米沢慧「住居の視点、住居の死角3 ホームレス群居。皮膚化する住居をめぐって 都市の規範からの自由を求めて」
・ 図版構成/シンポジウム '96アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー
第1部 磯崎新・田中純・五十嵐太郎・中谷礼仁・松原弘典・貝島桃代・黒田潤三・韓亜由美「カメラ・オブスキュラあるいは革命の建築博物館」
第2部 磯崎新・新居千秋・田中純・中谷礼仁・松原弘典「カメラ・オブスキュラ あるいは革命の建築博物館をめぐって」

No.9, 1997.3, 「特集=風景/ランドスケープ」
編集協力 松畑強・松岡新一郎
・ 松畑強・松岡新一郎「参照項なき風景ランドスケープの時代」
・ 松畑強「ランドスケープの認識論 近代風景の起源をめぐって」
五十嵐太郎「大地を刻む ランドスケープからランドスクレイプへ」
・ 槻橋修「観測者のランドスケープ 離散性、あるいは不連続性と「形式」の問題」
・ W.J.T.Michelle「帝国の風景」(篠儀直子訳)
・ ジョン・マッカッサー「肉屋の店先 ピクチャレスクの美学と建築とに見られる嫌悪」(篠儀直子訳)
・ 松岡新一郎「格子模様の論理 チェス盤が与える思考の範型」
・ 綿谷修「distortion」
 五十嵐太郎・森山学・山内彩子・陳玲「終わりと始まりのランドスケープ」
連載
松浦寿輝「知の空間=空間の知5 怪物のエチカ 「タクシノミア」の空間としての植物園」 〔『知の庭園』筑摩書房、1999.1、第2章第2節〕
田中純「非都市の存在論5 逆説都市 室内の幻像からノワールの宇宙へ」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第2章第3節〕
・ 八束はじめ「千年王国論6 計画の王国の挫折の彼方に」
若林幹夫「地図、統計、写真 大都市の相貌」 〔『都市のアレゴリー』INAX出版、1999.2、序章〕
・ 宮本隆司「サティアン」
新連載
桂英史「東京ディズニーランドの神話学1 富士山と東京ディズニーランド」
10+1 REVIEWS
 大島哲蔵「建築の言説、都市の言説5 ゲシュタルトのユートピア コーリン・ロウ 透明性の翳り」
・ 松岡新一郎「建築とイマージュ5 幾何学と起源1 デザルグの定理」
 大川信行・五十嵐太郎「ビルディング・タイプの解剖学5 清潔な身体精神 監獄 彼岸への装置化」 〔加筆修正し、大川信行・五十嵐太郎『ビルディングタイプの解剖学』王国社、2002.12に所収〕
・ 毛利嘉孝「情報空間の地理学5 都市をめぐる二つのSF サイバーパンクとヒップホップ」
・ 米沢慧「住居の視点、住居の死角4 いのちが共鳴する「ファミリィ・トライアングル」の位相 ホスピスにみる〈場〉の論理」

No.10, 1997.5, 「特集=ル・コルビュジエを発見する」
編集協力 米田明
・ 入江経一・丸山洋志・米田明「ル・コルビュジエをどのように発見するか 主体/リアリティ/メタ建築」
・ 米田明「コルビュジエのまなざしと絵画、そして透明性へ ピュリスム」
・ マーク・ウィグリー「ディープ・スキン」(松畑強訳)
・ 中村貴志「古典の発見 ジャンヌレのミメーシス」
岩谷洋子「『ラ・ロッシュのアルバム』 ル・コルビュジエ1920-1922」
・ 呉谷充利「ル・コルビュジエの絵画 あるいはル・コルビュジエの身体像」
・ 松畑強「保守主義、近代主義、戦争 戦前のル・コルビュジエ」
加藤道夫「描かれた「現代都市」 ル・コルビュジエのドローイングと都市計画」
森山学「衛生を建築する 近代的衛生者としてのル・コルビュジエ」
・ マルク・デュボワ「2 into 1 スタイン-ド・モンジー邸の思考プロセス」(三宅理一訳)
・ ヘラ・ファンサンデ「「2 into 1」への序説」(植林麻衣訳)
・ ザイネップ・セリック「ル・コルビュジエ、オリエンタリズム、コロニアリズム」(篠儀直子訳)
・ ビアトリス・コロミーナ「戦線 「E1027」」(篠儀直子訳)
・ メアリー・マクレオード「家具と女性性」(毛利嘉孝訳)
・ 写真 林美佐「『ル・コルビュジエ』を創造した写真家 ルシアン・エルヴェ」
連載
桂英史「東京ディズニーランドの神話学2 極端な日常」
若林幹夫「都市の全域性をめぐって 上 空間と「場を占めぬもの」」 〔『都市のアレゴリー』INAX出版、1999.2、第1章、改題「定住と〈場を占めぬもの〉 都市の全域性をめぐって1」〕
松浦寿輝「知の空間=空間の知6 共和国と「楽しい科学」 あるいは通俗化の諸形態」 〔『知の庭園』筑摩書房、1999.1、第2章第3節〕
田中純「非都市の存在論6 ポスト郵便都市 手紙の来歴、手紙の行方」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第2章第4節〕
・ 宮本隆司「九龍城砦」
10+1 REVIEWS
 大島哲蔵「建築の言説、都市の言説6 曖昧なる明晰 ヴェンチューリの折衷神話」
・ 松岡新一郎「建築とイマージュ6 幾何学と・起源2 洪水の後で」
 五十嵐太郎・大川信行「ビルディング・タイプの解剖学6 動物(園)の幾何学 分類と権力」 〔加筆修正し、大川信行・五十嵐太郎『ビルディングタイプの解剖学』王国社、2002.12に所収〕
・ 毛利嘉孝「情報空間の地理学6 サイバースペースの「第三の空間」 空間における権力の「再生産」と「交渉」」
・ 米沢慧「住居の視点、住居の死角6 集合住宅の原点は「シニア住宅」をうながす 代官山アパート復元にみる「同潤会」の精神」  

No.11, 1997.8, 「特集=新しい地理学」
編集協力 多木浩二・吉見俊哉
・ 水内俊雄・大城直樹・多木浩二・吉見俊哉「「新しい地理学」をめぐって 地図の解体、空間のマッピング」
・ デイヴィッド・ハーヴェイ「空間から場所へ、そして場所から空間へ ポストモダニティの条件についての考察」(加藤茂生訳)
・ イアン・チェンバース「地図のない都市」(遠藤徹訳)
・ ドリーン・マッシー「政治と空間/時間」(篠儀直子訳)
・ 中村秀之「サイレント・コメディにおける<異空間>の生産 浮浪者のユートピアとその運命」
・ カレン・テイ・山下「オレンジ回帰線」(管啓次郎訳)
・ 今福龍太+カレン・テイ・山下「作家のラティテュード(緯度=自由度)」(宮田和樹訳)
・ ヴィジュアル 南泰裕・三好隆之・笹井敦史・張希実子・松田達・北見啓輔「都市の境界を捕獲する 東京湾岸線のトラヴァーシング・サーヴェイ」
・ 伊藤豊雄「外形のない建築 アレハンドロ・ザエラ・ポロ+ファッシド・ムサビの「横浜国際客船ターミナル」コンペティション応募案」
・ 南泰裕「境界についてのノート 極限都市における動体と多様体」
今福龍太「クリケット群島(続)」
 伊従勉「ル・コルビュジエ・ソニエ著『建築をめざして』初版本の謎について」
連載
松浦寿輝「知の空間=空間の知7 死体と去勢 あるいは「他なる女」」 〔『知の庭園』筑摩書房、1999.1、第3章第1節〕
田中純「非都市の存在論7 メモリー・クラッシュ 都市の死の欲動」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第3章第1節〕
・ 宮本隆司「ベルリン1997」
桂英史「東京ディズニーランドの神話学3 ディズニー主義の核心」
若林幹夫「都市の全域性をめぐって 下 共異体=共移体としての都市」 〔『都市のアレゴリー』INAX出版、1999.2、第2章、改題「共異体=共移体としての都市 都市の全域性をめぐって2」〕
10+1 REVIEWS
 大島哲蔵「建築の言説、都市の言説7 ドナルド・ジャッドの純理空間」
・ 松岡新一郎「建築とイマージュ7 舞台について あるいは言語の病理学が明らかにするもの」
 大川信行・五十嵐太郎「ビルディング・タイプの解剖学7 自己修復する機械 工場 フォーディズムからトヨティズムへ」 〔加筆修正し、大川信行・五十嵐太郎『ビルディングタイプの解剖学』王国社、2002.12に所収〕
・ 毛利嘉孝「情報空間の地理学7 モーバイル・テクノロジーについて レイモンド・ウイリアムズとモーバイル・プライヴァタイゼーション」
・ 米沢慧「住居の視点、住居の死角6 週刊誌が刻印した事件としての住居'97 秘かな聖地と化した、死の思想家酒鬼薔薇聖斗の部屋」
・ マーク・ウィグリー、ビアトリス・コロミーナ「建築家の言説 建築、建築家、書くこと」(聞き手・訳:松畑強)

No.12, 1997.11, 「特集=東京新論」
編集協力 若林幹夫
・ 内田隆三・若林幹夫「東京あるいは都市の地層を測量する ポスト「東京スピード」の都市をめぐって」
五十嵐太郎「他者が欲望する黒船都市、トーキョー ねじれたトポロジーの表出」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第3章第3節〕
・ 森川喜一郎「ラブコメ都市東京 マンガが描く現代の<華の都>」
八角聡仁「東京コメディー、あるいは「写真都市」の亡霊 荒木経惟の私東京」
・ ヨルグ・ライナー・ネニッグ「東京/都市/運動」(松畑強訳)
・ クリストファー・クナーベ「電化時空 フラット・スペース」(松畑強訳)
田中純「腐敗する湿原都市 〈昭和〉の死と東京」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第1章第3節〕
・ 毛利義孝「東京はいまいかに記述されるべきなのか? 「ポリス」の概念を中心とした都市論の試み」
・ 藤茂生「近代都市空間と公衆衛生 序論 後藤新平の衛生思想の臨界点へ」
中筋直哉「東京論の断層 「見えない都市」の十有余年」
・ ジャック・レヴィ「新しい地理学の誕生 フランスにおける」(大内和子訳)
・ 八束はじめ「ユニヴァーサル・スペースの起源 ミース・ファン・デル・ローエvsハンナ・アーレント」 〔『ミースという神話 ユニヴァーサル・スペースの起源』彰国社、2001.2、第9章〕
連載
松浦寿輝「知の空間=空間の知8 スペクタクルとしての動物 動物園というイデオロギー装置」 〔『知の庭園』筑摩書房、1999.1、第3章第2節〕
田中純「非都市の存在論8 暗号的民主主義 ジェファソンの遺産」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第2章第5節〕
・ 宮本隆司「コンビニ」
桂英史「東京ディズニーランドの神話学4 ディズニーランドという「日本文化」」
若林幹夫「時間の都市 空間の都市 時空の「現在」のエコノミー」 〔『都市のアレゴリー』INAX出版、1999.2、第3章、改題「時間の都市 空間の都市」〕
10+1 REVIEWS
 大島哲蔵「建築の言説、都市の言説8 隠喩としてのテクスト 多木浩二の病理的ゲーム」
・ 松岡新一郎「建築とイマージュ8 舞台について2 夢の異質性」
 五十嵐太郎・大川信行「ビルディング・タイプの解剖学8 教育と学校2 クエーカー教と近代施設」 〔加筆修正し、大川信行・五十嵐太郎『ビルディングタイプの解剖学』王国社、2002.12に所収〕
・ 毛利嘉孝「情報空間の地理学8 「接続」でなく「切断」を グローバライゼーションと知識の生産の一元化に抗して」
・ 米沢明「住居の視点、住居の死角7 <郊外>は都市の縁側空間ではない 「団地化」「コンビニ化」が引き出した位相」

No.13, 1998.2, 「特集=メディア都市の地政学」
編集協力 田中純
・ 田中純・岩崎稔「「メディア都市の地政学」をめぐって 記憶/サイバースペース/テレポリティクス」
・ フリードリヒ・A・キットラー「都市はメディアである」(長谷川章訳)
・ フリードリヒ・A・キットラー「インターネット 郵便システム/流出/都市」(神尾達之訳)
田中純「建築の哀悼劇 ヴァーチュアル・ハウスをめぐって」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第2章第2節〕
・ フロリアン・レッツァー「テレポリス デジタル時代の都市空間」(武村知子・高橋伸幸訳)
・ マーティン・ポーリー「どうして幻影都市を再建しなければならないのか?」(五十嵐光二訳)
・ M・クリスティーヌ・ボイヤー「暴力のテクノロジー」(篠儀直子訳)
・ 図版構成 五十嵐光二・瀧本雅志・槻橋修・伊藤香織「DIS*POSITION OF CARTOGRAPHY 非場所の測定術」
・ リチャード・バーブルック&アンディ・キャメロン「カリフォルニアン・イデオロギー」(篠儀直子訳)
・ ノーマン・M・クライン「フィクションズ」(篠儀直子訳)
・ 田崎英明「工場と劇場 あるいはトラウマと公共領域について」
・ ポール・トレノア「ヨーロッパの都市の倫理」(加藤茂生訳)
・ ジェラルド・トール「ジオポリティクスの終焉? 世紀末の複数的プロブレマティックに関する諸考察」(篠儀直子訳)
 磯崎新「メタボリズムとの関係を聞かれるので、その頃を想い出してみた。 日本の建築アヴァンギャルド私註」
連載
・ 内田隆三「都市の断層線/切断線1 東京のソシオグラフィ 都市の地層構成」
田中純「非都市の存在論9 奇妙な天使たち 〈言葉なきもの〉の都市」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第3章第3節〕
・ 中村秀之「映像のトポス1 逃げ去る都市 遊歩の凋落と映画の出現」
・ 森山大道「大阪」
五十嵐太郎「ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1 ヴィリリオ/パランからジャン・ヌーヴェルへ 転回点としての1968年」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第1章第1節〕
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 1 アーバン・トライブとは何か? グローバリゼーションとトライバリゼーションの往還の地平」

No.14, 1998.5, 「特集=現代建築批評の方法」
編集協力 五十嵐太郎
・ 土居義岳・後藤武・五十嵐太郎「ジェンダー×人間中心主義批判×表象文化論×精神分析をめぐって」
後藤武「批評と盲目性」
・ 米田明「現代建築批評の方法と視点 批評のモード」
・ 飯島洋一「建築批評は必要ない」
南泰裕「構成と批評 建築に内在する他者をめぐって」
・ 岡田哲史「モノとしての批評性と現在 フラヌールに化けぬこと」
塚本由晴「ズーム・バック・イン・トーキョー」
・ 田中禎彦「二元論と反復と逸脱の作法 戦後建築ジャーナリズムに見る建築批評の構図」
青井哲人「現代建築批評の方法論」
・ ナディール・ラーイジ & D.S.フリードマン「シンク(sink)にて アブジェクシオンの建築」(五十嵐光二訳)
・ ヘンリー・アーバック「クローゼット、衣服、暴露」(篠儀直子訳)
・ リー・エードルマン「メンズ・ルーム」(瀧本雅志訳)
・ 図版構成 槻橋修・笠置勇星・岡由実子「身体劇場 形式と空間」
・ ジョージ・ハーシー「なぜ建物ではなく女が装飾されねばならないのか アドルフ・ロースをめぐる諸考察」(篠儀直子訳)
・ 土居義岳「テルプシコラの神殿、あるいは「女性の空間」 18世紀末パリにおけるデルヴィユ嬢の場合」
・ ジョアン・オックマン「鏡像 第二次世界大戦以降のアメリカ建築における、技術、消費とジェンダーの表現」(赤川貴雄訳)
・ アンソニー・ヴィドラー「顔の喪失」(大島哲蔵・道家洋訳)
・ ピーター・アイゼンマン「視覚を(が)開く 電子情報時代の建築」(丸山洋志訳)
・ 岡崎乾二郎・中谷礼仁「建築の新たなフレームの構築 表現・技術論、近代主義批判を通して」
鈴木了二・小林康夫「映画と建築の接線 海洋性をめぐって」
図版構成・論考 五十嵐太郎「黒の表象 アフリカン・アメリカン・アーキテクトの憂鬱」 〔『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』彩流社、2010.1、第1部第6章〕
図版構成・論考 五十嵐太郎・斉藤理「黒の表象 黒をめぐる博物誌」
福屋粧子「フリーズフレームス 写真と建築の横断線」
・ 吉村靖孝「第三機械時代」のアルケミー 白・銀・透明をめぐるサブ・クロニクル」
連載
・ 内田隆三「都市の断層線/切断線2  資本の地層 身体・空間像の変容」
田中純「非都市の存在論10  エクリチュールの夢魔 漢字という(ス)クリプト」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第3章第2節〕
・ 中村秀之「映像のトポス2 群衆のなかの道化 『群衆』(1928)における言説とアレゴリー」
 北小路隆志「映像/写真1 建築と映画あるいは映画館の思考」
・ 柿本昭人「都市の傷痕とRe=publik1 病理的なものの転倒」
・ 木村重樹「オルタナティヴ・スペース1 自律的な居場所としての(サイベリア)」
 陣野俊史「書物1 記号を解読しないということ 藤沢周『境界』の都市像」
・ 小倉虫太郎「新・都市の下層民1  路上生活者」
 小沼純一「音1 都市の「音」/「耳」の論理」
五十嵐太郎「ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2 D+Sの変タイ建築論 ポストヒューマニズムの身体へ」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第1章第3節〕
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 2 今日のシャーマニズム」
・ 森山大道「大阪2」
・ 建築等学会通信 Vol.1

No.15, 1998.8, 「特集=交通空間としての都市」
編集協力 田中純
・ 田中純・東浩紀「交通空間から郵便空間へ」 〔東浩紀『郵便的不安たち』朝日新聞社、1999.7、改編『郵便的不安たち#』朝日文庫、2002.5〕
田中純「都市の子午線 1998年10月21日」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第4章第4節〕
・ キャサリン・イングラム「直線性の重荷 ろばの都市計画」(五十嵐光二訳)
・ 五十嵐光二「路上の身体 ル・コルビュジエと都市計画の成立」
・ フリードリヒ・キットラー「アウトバーン」(三本松倫代訳)
・ マルク・リース「在不在 ここと自己 アウトバーンとメディアの親近性」(斉藤理訳)
・ 図版構成 韓亜由美「速度の肖像」
・ ミハイル・ルィクリン「世界でもっともすぐれた地下鉄。1930年代モスクワの地下鉄をめぐる言説」(萩原健訳)
・ 竹内孝宏「歩く観察者の技術 超芸術トマソンと都市の体験」
瀧本雅志「オン・オフの彼岸のマイクロ・サーフ モバイル・メディア論へ向けて」
・ ディーン・マッカンネル「民主主義の曲がり角 ホームレス・ノワールについて」(篠儀直子訳)
・ M・クリスティーヌ・ボイヤー「都市のなかの犯罪、都市の犯罪 都市アレゴリーとしてのファム・ファタール」(篠儀直子訳)
・ マーガレット・クローフォード「都市を取り調べること 都市解釈としての探偵小説 M・クリスティーヌ・ボイヤーへの応答(篠儀直子訳)
図版構成 森山学「ウルバノフィリア」
連載
・ 内田隆三「都市の断層線/切断線3 性愛と「私」の地層」
田中純「非都市の存在論11 《言葉》と《建築》 性差という分割」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、第2章appendix、改題「二つの扉 性差という分割」〕
・ 中村秀之「映像のトポス3 群衆のなかの道化(承前) 『群衆』(1928)における言説とアレゴリー」
・ 森山大道「東京」
・ 「建築等学会通信 Vol.2」
・ 岡崎乾二郎・中谷礼仁「建築の解体新書2 発明の射程」(中谷礼仁「畳 フレーム論」、岡崎乾二郎「シェーカーとテクノロジー」)
五十嵐太郎「魚座の建築家、フランク・ゲーリー 路上から転がり続けること」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第1章第4節〕
・ 上野俊哉「トランスクリティックとエスノグラフィ」
10+1 PASSAGE
 伊東乾「音2 ノートルダムの二重側廊 音楽を創発する建築」
・ 柿本昭人「の傷痕とRe=publik2 建築唯我論」
・ 窪田栄一「オルタナティヴ・スペース2 増殖する自律的なユルめのネットワーク」
 奥村賢「映像/写真2 映画における建築的美学 構図論」
・ 小倉虫太郎「新・都市の下層民2 引き籠もる人々」
・ 南泰裕「書物2 都市と書物との果てしない離隔のはざまで建築家は何をなしうるのだろうか」

No.16, 1998.12, 「特集=ディテールの思考」
編集協力 五十嵐太郎
・ 伊藤豊雄「透明なディテール 建築の消去作業としてのデザイン」(聞き手:槻橋修)
上原雄史・塚本由晴「善悪の彼岸 OMA/レム・コールハースのディテール」
・ マルコ・フラスカーリ「語りかけるディテール」(佐藤美紀訳)
・ ゲヴォーク・ハルトゥーニアン「ミース・ファン・デル・ローエ 柱と壁の系譜」(五十嵐光二訳)
後藤武「シフターとしてのディテール」
米田明「Stairway from/to where? ル・コルビュジエの階段について」
佐藤考一「建築部品に宿るもの」
・ 図版構成 塚本由晴・香川貴範・小林太加志・長岡大樹・吉村英孝「首都高速ガイドブック」
・ ケネス・フランプトン「テクトニック、という視座をめぐる省察」(南泰裕訳)
五十嵐太郎「ミニマリズムと装飾主義 二つの近代宗教建築をめぐって」  〔大川信行との共著『ビルディングタイプの解剖学』王国社、2002.12、所収〕
倉方俊輔「反近代としての装飾/反表象としての装飾 建築装飾における思想・理論・技術」
松原永季「吉阪隆正のディテール ことばから姿へ姿がことばに」
・ 酒井一光「ディテールと伝来」
本江正茂「サイバーアーキテクチャーのディテール」
・ 牧田知子「フランクフルト・キッチン」
・ メアリー・マクレオード「日常性と「他者」の空間」(佐藤美紀訳)
連載
・ 内田隆三「都市の断層線/切断線4 東京の座標系」
田中純「非都市の存在論12 寓意への愛 都市表象分析の方法」 〔『都市表象分析I』INAX出版、2000.4、エピローグ〕
・ 中村秀之「映像のトポス4 路上の馬鹿息子 機械の言説そして/または機械状のイメージ」
・ 森山大道「東京2」
・ 岡崎乾二郎・中谷礼仁「建築の解體新書3 建築の訓読を巡っての書簡」(岡崎乾二郎「詞の通路(かよひみち)と、建築の通路」、中谷礼仁「建築史の本然を辿って〈作業〉の根幹を知る」)〔加筆修正、「詞の通路(かよひじ)と、建築の通路」、磯崎新・浅田彰監修『漢字と建築』INAX出版(10+1別冊)、2003.3〕
五十嵐太郎「ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4 チャールズ、チャールズ ポスト・モダンの折衷主義と保守主義」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第2章第1節〕
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 4 ディオニュソス・グラフィティ」
10+1 PASSAGE
篠儀直子「映像/写真3 忘却は都市ゆえに」
・ 柿本昭人「都市の傷痕とRe=publik3 相互主観的閉所嫌悪」
 吉村靖孝「建物 記念碑の事情 モニュメントのモニュメントと擬モニュメント」
・ 東琢磨「音3 音の仕上がりの外側で」
・ 小倉虫太郎「新・都市の下層民3 電話線の中にいる人々」
・ 高山建築学校記録委員会ロングパス「高山建築学校の方法と軌跡」
・ 「建築等学会通信 Vol.3」

No.17, 1999.3, 「特集=バウハウス1919-1999」
編集協力 伊藤俊治・大口晃央
大口晃央「神話とモダニズム バウハウス・プロジェクト1919-1999」
・ ヴァルター・プリッゲ「デジタル・アーバニズムはいかに都市的か? プログラム化された双方向性への批判に向けて」(大口晃央・吉田治代訳)
・ ロルフ・ザクセ「フェロポリス 工業社会の改変」(大口晃央・吉田治代訳)
・ 写真(伊奈英次)構成・文(伊藤俊治) 「バウハウス再訪 ワイマール―デッサウ―ベルリン 1919-1933」
・ 監修:伊藤俊治、制作協力:三本松倫代「年表 バウハウス1919-1933」
・ 伊藤俊治「光のなかの創造 アクト・バウハウス1919-1999」
四方幸子「ポスト・バウハウス 拡散する情報身体としての現在」
米田明「バウハウスと論理実証主義」
加藤道夫「バウハウスの図的表現 その建築における軸測投象の使用について」
連載
・ 南泰裕「建築の還元1 関係の切断」
・ 岡崎乾二郎・中谷礼仁「建築の解體新書4 テニヲハと納まり」(中谷礼仁「空間の創出と喪失に関するメモ」、岡崎乾二郎「読(よ)むは看(み)るに如かず」)
・ 田島則行・納村信之「動態都市プロジェクト1 田町フィールドワーク1997―1999」
五十嵐太郎「ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 5 アポカリプスの都市 ロサンゼルス/ロンドン/サラエヴォ」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第3章第1節〕
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 5 逃走と飛び地」
・ 「建築等学会通信 Vol.4」
10+1 PASSAGE
 加藤幹郎「映像/写真4 映画都市 京都」
・ 柿本昭人「都市の傷痕とRe=publik 4 広場嫌悪とスタイルの増殖」
 永渕康之「音4 ジャズあるいはジャンゲールの挑発 統治者を模倣するバリ人」
・ 小倉虫太郎「新・都市の下層民4 動く人、動かない人」
・ 貝島桃代「オルタナティヴ・スペース3 屋上の過激な使い方」

No.18, 1999.6, 「特集=住宅建築スタディ」
編集協力 青木淳
青木淳「つくることの対象化 現代住宅建築論序」
INAX住宅フォーラム 
・ 青木淳・西沢立衛「nLDKシステムをめぐって 30代建築家100人会議/ウィークエンドハウス」 〔青木淳編『住宅論 12のダイアローグ』INAX出版、2000.10、第1章第1節〕
・ 青木淳・西沢大良「規模、配置、ヴォリューム 立川のハウス/熊谷のハウス/大田のハウス/諏訪のハウス/移動する聖地展」 〔青木淳編『住宅論 12のダイアローグ』INAX出版、2000.10、第1章第2節〕
・ 青木淳・塚本由晴・貝島桃代「建ち方、隣接性、空間の勾配 ミニ・ハウス」 〔青木淳編『住宅論 12のダイアローグ』INAX出版、2000.10、第1章第3節〕
・ 図版構成 須磨一清・瀬山真樹夫・野村俊一・松田達「住宅フィールドワーク」
山中新太郎「偽装する住宅 非決定論的住宅論の試み」
木下光「高層高密都市に棲む ホンコン・スタイル」
三浦展「独身者の部屋宇宙 高円寺スタイル」
大塚英志「「食卓のある家」への屈託」
山崎泰寛「葛藤する家具」
・ ビアトリス・コロミーナ「イームズ自邸についての考察」(後藤武訳)
・ 石崎順一「『スウィーツ』カタログのユートピアは如何に思考されたか」
・ ドラモンド・バックリー「住宅のなかのガレージ」(篠儀直子訳)
・ エドワード・J・ブレークリー、メアリー・ゲイル・スナイダー「分断せよ、さらば滅びん アメリカのゲーティッド・コミュニティをめぐって」(佐藤美紀訳)
連載
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究1」(西沢大良「ハイブリッド」、塚本由晴「配置」「斜面」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
・ 南泰裕「建築の還元2 建築的還元」
・ 岡崎乾二郎・中谷礼仁「建築の解體新書5 建築と古文辞学」(岡崎乾二郎「躾と添削」、中谷礼仁「石組と木組」)
五十嵐太郎「ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6 批判的地域主義再考」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第2章第2節、改題「批判的地域主義再考 コンテクスチュアリズム・反近代・リアリズム」〕
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 6 都市のファルマコロジー」
・ 森山大道「新宿2」
10+1 PASSAGE
 小倉虫太郎「新・都市の下層民5 死んだふりをする人」
・ 柿本昭人「都市の傷痕とRe=publik 5 記憶の建築/忘却の建築」
 熊倉敬聡「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート1 『わいわい音頭』 野村誠と老人たちの愉快な「作曲」」 〔加筆修正し、『脱芸術/脱資本主義論 来るべき"幸福学"のために』慶應義塾大学出版会、2000.9所収〕
西川祐子「部屋の文化研究1 ワンルームは家族のおわり、個人のはじまり」
・ 貝島桃代「トーキョー・建築・ライナーノーツ1 空間のリサイクル 空いている空間を使え!」
・ 青山真治「映画の地理学1 「ここ」について」
・ 酒井隆史「都市音楽ノート1 革命はテレビ化できない」
鷲田めるろ「アート・レヴュー1 ヴェネツィア・ビエンナーレの建築」

No.19, 2000.3, 「特集=都市/建築クロニクル1990-2000」
編集協力 五十嵐太郎・南泰裕・後藤武・松田達
磯崎新「破壊と救済のメトロポリス」(聞き手:五十嵐太郎・南泰裕)
南泰裕・瀧本雅志・松田達「90年代都市・建築キーワード/キーパーソン」
・ 小倉虫太郎・酒井隆史「風景/視線のポリティクス ストリート・音・スペクタクル」
奈尾信英「90年代都市プロジェクト」
・ 柴俊一「90年代の都市と音/針の音mix」
三浦展「マイ・ホーム・レス・エイジ」
若林幹夫「90年代社会学/都市論の動向をめぐって」
五十嵐太郎「90年代の建築/都市計画の文献をめぐって」
松田達「90年代、メディアのなかの都市」
奈尾信英・岩谷洋子「方法論の展開 90年代都市史文献序説」
・ 図版構成 池袋ワークショップ「都市NODEの現在 ソシオランドスケープ」
・ 緒方恵一「映像作家たちの捉えた都市模様」
・ 林道郎「Tokyo Image 1990s 地下を廻って」
後藤武「都市計画 潜在性について」
上原雄史「無印な風景 90年代、OMA/レム・コールハースのアーバニズム」
・ 図版構成 MVRDV & Ballast Nedam 1999「KM3/3D city」
・ ハンス・イベリングス「スーパーモダニズム」(佐藤美紀訳)
・ マーコス・ノヴァック「ネクスト・バビロン、ソフト・バビロン (トランス)アーキテクチャーとは、戯れの場としてのアルゴリズムである」(松永太郎訳)
・ オーウェン・クランクショー、スーザン・パーネル「アパルトヘイト撤廃と南アフリカ・タウンシップの景観の変貌」(日比野啓訳)
 大田省一「首都空間の変容 中心をどう表現するか ヴェトナムの事例」
連載
田中純「都市表象分析1 演劇と都市計画 生-政治学の時代のアンティゴネー」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第2章第2節〕
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究2」(西沢大良「小さな建物」「増改築」、塚本由晴「アウトドア」「〈エスプリ・ヌーヴォー型〉」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
五十嵐太郎「ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 7ミレニアムの都市(前編) 1999年、ポストバブルの東京論」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第3章第4節〕
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 7 リズム・ダンス・ミメーシス」
・ 森山大道「新宿3」
10+1 PASSAGE
・ 小倉虫太郎「新・都市の下層民6 ものをもらう人々」
・ 柿本昭人「都市の傷痕とRe=publik6 《建築》への意志」
 熊倉敬聡「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート2  ジョージ・ソロスの「開かれた社会」:「超資本主義」の〈脱資本主義〉的運用?」 〔加筆修正し、『脱芸術/脱資本主義論 来るべき"幸福学"のために』慶應義塾大学出版会、2000.9所収〕
西川祐子「部屋の文化研究2  同潤会大塚女子アパートを読む」
・ 貝島桃代「トーキョー・建築・ライナーノーツ ペット・アーキテクチャー」
・ 青山真治「映画の地理学2 交通について」
・ 酒井隆史「都市音楽ノート2 グリーンは美しい」

No.20, 2000.6, 「特集=言説としての日本近代建築」
編集協力 八束はじめ
八束はじめ・五十嵐太郎「「日本近代建築史」の中の「日本建築史」」
・ 篠原一男「1950-60年代の建築とその言説空間」(聞き手:石崎順一)
・ 藤岡洋保「戦前の建築評論家の建築観」
黒石いずみ「史学・民俗学・解釈学 今和次郎再考」
八束はじめ「様式がはがれ落ちる時、あるいは構造合理主義という形而上学」
青井哲人「神殿と遊興の時代 幕末維新期の神社と[言説]の複層性」
五十嵐太郎「直線か、曲線か 伊東忠太と岸田日出刀を中心に」 〔『戦争と建築』晶文社、2003.8、第2章第1節〕
矢代真己「第三日本という墓碑銘 日本工作文化連盟の視座と射程」
・ カローラ・ハイン「西山夘三と日本における西洋理論の伝播」(佐藤美紀訳)
倉方俊輔「「日本近代建築」の生成 「現代建築」から『日本の近代建築』まで」
・ 早稲田大学戦後建築研究会「〈日本近代建築史〉年表」
連載
田中純「都市表象分析2 警察/都市の頽廃 亡霊的暴力批判論」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第2章第4節、改題「ポリスの頽廃 亡霊的暴力批判論」〕
・ 岡崎乾二郎・中谷礼仁「建築の解體新書6 自明の理の発見」(中谷礼仁「正確な絵本」)
・ 塚本由晴・西沢大良「現代住宅研究3」(西沢大良「室内風景1」「室内風景2」、塚本由晴「部屋と通路」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
・ MVRDV「BRABANT CITY 2050」
・ 南泰裕「建築の還元3 純粋化への意志」
五十嵐太郎「ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 8 ミレニアムの都市(後編) ディズニーランド化×マクドナルド化」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第3章第5節〕
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 8 TJの言葉はどこにあるのか? あるいはテクスタシーの彼方に」
・ 森山大道「新宿4」
10+1 PASSAGE
・ 小倉虫太郎「新・都市の下層民 7  働く人/働かない人」
・ 柿本昭人「都市の傷痕とRe=publik 7 《技術》と建築」
熊倉敬聡「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 3 半プロダクション:脱芸術/脱資本主義とは何か」
西川祐子「部屋の文化研究 3  カンガルーハウスのポケット」
・ 貝島桃代「トーキョー・建築・ライナーノーツ 3 アーバン・スポーツ」
・ 青山真治「映画の地理学 3 構図について」
・ 酒井隆史「都市音楽ノート 3 グリーンの翳り」
・ アトリエ・ワン&リサイクル・エクスプロージョンズ「トーキョー・リサイクル・ガイドブック」
・ ホンマタカシ「トーキョー・リサイクル2000」
・ 中村政人「スキマ・プロジェクト」

No.21, 2000.9, 「特集=トーキョー・リサイクル計画作る都市から使う都市へ」
編集協力 塚本由晴・貝島桃代
塚本由晴・貝島桃代「Dialogue トーキョー・リサイクル計画 作る都市から使う都市へ」
塚本由晴・貝島桃代「トーキョー・リサイクル・ガイドブック」
・ 津村耕佑「FINAL HOME」
・ クライン・ダイサム・アーキテクツ「re-cabling!」
中川正博「東京リサイクル・プロジェクト」(聞き手:塚本由晴・貝島桃代)
・ みかんぐみ・田中皇彦・吉岡寛之・川元美奈子・近藤創順「団地再生計画」
東京理科大学小嶋研究室(小嶋一浩・佐貫大輔・寺本健一・小谷研一)「ON THE SURFACE」
・ 河川軸都市研究会「河川軸都市計画」
White Page
・ 吉村英孝「リサイクル・ビルディング・タイプ」
・ 長岡大樹「リサイクル感覚によってインフラストラクチャーとして組織されるもの」
・ 長岡大樹「都市の副産物のリサイクル」
・ コーネリア・エルドマン「ホームレスネス 都市におけるリサイクルの位相」(?訳)
藤原徹平「施設のリサイクル」
・ 藤原徹平「リサイクルメディア」
・ 吉村昭範・本郷いづみ「素材のリサイクル」
・ 臼井敬太郎「公共建築リスト1950-1969」
篠原真基「トーキョー・リサイクル「使える」ブックガイド」
藤原徹平「秋本治/東京/リサイクル」
五十嵐太郎「サバイバルとしての東京リサイクル」 〔『戦争と建築』晶文社、2003.8、第3章第1節〕
・ 木下光「島=現代の中世都市・香港」
連載
田中純「都市表象分析3 セイレーンの誘惑 ナポリ、カプリ、ポジターノ」
・ 岡崎乾二郎・中谷礼仁「建築の解體新書 7 レトリックとストリック」(岡崎乾二郎「論理的徴候」)
・ 塚本由晴・西沢大良「現代住宅研究 4」(塚本由晴「へこみ」「空」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
・ 森山大道「新宿5(北新宿)」
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 9 TJの言葉はどこにあるのか?II 群衆と力」
・ MVRDV(text by Winy Maas)「ロッテルダムはもう一度ポートシティに戻れるだろうか? 」(吉村靖孝訳)
10+1 PASSAGE
・ 小倉虫太郎「新・都市の下層民8 食べる人/食べない人」
・ 柿本昭人「都市の傷痕とRe=publik 8 《不定さ》を担う建築 あるいは球形の荒野」
 熊倉敬聡「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート4 これってアート? ヴォッヘンクラウズール」 〔加筆修正し、『美学特殊C:「芸術」をひらく、「教育」をひらく』慶應義塾大学出版会、2003.10所収〕
西川祐子「部屋の文化研究4 究極のワンルームとコーポラティヴハウス」
・ 酒井隆史「都市音楽ノート4 わたしに必要なのはあなただけ」
三浦展「都市観測者の手帖1 ホームレスな家具」
・ 青山真治「映画の地理学4 実感について1」
・ 貝島桃代「トーキョー・建築・ライナーノーツ4 トーキョー・リサイクル・オリンピック計画」

No.22, 2000.12, 「特集=建築2001 40のナビゲーション」
編集協力 五十嵐太郎・槻橋修
・ 1. ハンス・イベリンス「国際化するヨーロッパ建築」(佐藤美紀訳)
・ 2. 田中浩也「サイバースペース 対面から体現へ」
アメリカ
・ 3. レイマンド・ライアン「デリー・ゲニック、ガスリー・ブレーシュ、ピーター・トルキン、ジョン・ジャーディーほか ロサンゼルス――次の世代へ」(篠儀直子訳)
オランダ
・ 4. ペネロピ・ディーン「ワン・アーキテクチャー 建築的経験主義」(吉村靖孝・坂本知子訳)
・ 5. 吉村靖孝「NLアーキテクツ 「/」」
・ 6. 吉村靖孝「アトリエ・ファン・リースハウト 「良い、悪い、醜い」」
・ 7. 寺本健一「ノイトリングス&リーダイク 太ペンで描く」
イギリス
・ 8. 納村信之「オーシャン・ノース/アーバン・オフィス ネットワーク化するイギリス・北欧の建築状況」
フィンランド
・ 9. 池田雪絵「マッティ・サナクセンアホ 回帰への建築」
オーストリア
・ 10. 牧田知子「プール 前衛という伝統のジレンマ」
スイス
・ 11. 網野禎昭「イボワ スイスの新世代建築家「IBOIS」」
・ 12. 久野靖広「ユルグ・コンツェット、ベアルス・デプラザス、ギオン・カミナダほか 山の建築──スイス若手建築家の活動から」
イタリア
・ 13. 柳志野「アンドレア・スティーパ 隙をつき隙間を埋める設計手法」
スペイン
・ 14. 坂本知子「アバロス&エレロス 花模様のアーキテクチャー」
・ 15. 坂本知子「アクタール/アクタール・アルキテクトゥーラ メディアと建築家」
・ 16. 三好隆之「マンシーリャ・トゥニョン 見ることの建築的考察」
・ 17. 三好隆之「RCRアーキテクツ 沈黙の技法」
メキシコ
・ 18. 赤川貴雄「ヒルベルト・L・ロドリゲス メキシコのモダニズム──「メキシカン・アイデンティティ」と「建築技術」のはざまで」
トルコ
・ 19. 青木美由紀「ベヒッチ・アク トルコ現代建築の新潮流」
シンガポール
・ 20. 葛西玲子「ウオーハーアーキテクツほか 転換期の重層的建築文化」
中国
・ 21. 村松神「張永和 バンブー・チャイナ」
・ 22. 村松神「紅石 スノッビー北京を創る」
香港
・ 23. 木下光「OMAアジア コンセプトとしてのタブラ・ラサ」
台湾
・ 24. 丁榮生「金石建築師 皮相な建築の深遠な意図」(篠儀直子訳)
韓国
・ 25. 禹東善「張允圭 Floating+Floating──「浮游する建築」あるいは「張允圭論」」
・ 26. 五十嵐太郎「ユニット派あるいは非作家性の若手建築家をめぐって」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、エピローグ、第1節〕
国内
・ 27. トーマス・ダニエル「F.O.B.A 「フィッティング・イン」──F.O.B.Aと日本の都市」(篠儀直子訳)
・ 28. 大島哲蔵「I.C.U. クロノスの奪回」
・ 29. 山中新太郎「アトリエ・ワン 〈状況〉との距離」
・ 30. 宮本佳明「阿部仁史 geometrical fetish」
・ 31. ケヴィン・ニュート「遠藤秀平 連続する曲面による空間の可能性──遠藤秀平と連綿体の建築」(五十嵐光二訳)
・ 32. 丸山洋志「岡田哲史 「行為としての思考」の到来」
・ 33. 槻橋修「佐藤光彦 ハウス・ゲームの理論」
・ 34. 大島哲蔵「玉置順 白のプロポーション」
・ 35. 趙海光「中谷礼仁 作家としての中谷礼仁」
・ 36. 磯達雄「西沢大良 建築は「規模」でできている」
・ 37. 倉石信乃「ホンマタカシ 郊外から建築・環境へ──ホンマタカシの写真をめぐって」
・ 38. 後藤武「丸山洋志 差異・反復・転倒」
・ 39. 大島哲蔵「宮本佳明 カタスタシスの建築」
・ 40. 槻橋修「リバース・アーキテクチャ」
連載
田中純「都市表象分析4 ボナパルティズムの署名 都市クーデターの技術」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第2章第5節〕
・ 岡崎乾二郎・中谷礼仁「建築の解體新書8 キャラクターと鬼神」(岡崎乾二郎「不快な様式」、中谷礼仁「建築の定義と無意識」)
・ 塚本由晴・西沢大良「現代住宅研究5」(西沢大良「室内風景3」、塚本由晴「豪邸」「外装」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
 中村政人「スキマ学会通信1 スキマ学のはじまり」
・ 森山大道「新宿6(歌舞伎町) 」
・ 村松伸「東アジア建築世界の200年1 なぜ、東アジア建築世界の200年か 19世紀の波、20世紀の風」
・ 丸山哲史「循環する都市1 内田百間と帝都」
・ 南泰裕「建築の還元4[表現することの方法と基準をめぐって] 仮構の記述」
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 9 TJの言葉はどこにあるのか?II 群衆と力」
・ MVRDV(text  Winy Maas)「フライト・フォーラム エイントホーフェン」(吉村靖孝訳)
10+1 PASSAGE
 大島哲蔵「ブック・レヴュー1 批評の無重力に抗して 『怨恨のユートピア 宮内康の居る場所』」
 熊倉敬聡「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート5 野村誠流「総合的な学習の時間」:教育の脱資本主義化に向けて」 〔加筆修正し、『美学特殊C:「芸術」をひらく、「教育」をひらく』慶應義塾大学出版会、2003.10所収〕
西川祐子「部屋の文化研究5 デザイナーズ・ワンルーム」
・ 酒井隆史「都市音楽ノート5 Dancing in the Street」
・ 青山真治「映画の地理学5 実感について2」
三浦展「都市観測者の手帖2 バイク 「働く」ことの再発見」
・ 貝島桃代「トーキョー・建築・ライナーノーツ5 オールド・ニュータウン」

No.23, 2001.3, 「特集=建築写真」
編集協力 五十嵐太郎・磯達雄
・ インタヴュー 山田脩二/大橋富夫/仲佐猛/宮本隆司/ホンマタカシ「現代日本建築写真の系譜」(聞き手:磯達雄)
・ 磯達雄「転位する建築写真 リアリズムからスーパーフラットまで」
・ 倉石信乃「Ruin/Desolation Row 廃墟と写真をめぐって
・ 大島哲蔵「建築写真のヴァーチュアリティ」 〔『スクウォッター 建築×本×アート 』学芸出版社、2003.6、所収〕
・ 五十嵐太郎「メディアと建築 建築史の中の写真」
 清水重政「瞬間としての保存=写真 保存の始まりと建築の記憶」
・ 飯沢耕太郎「網目状の…… 建築と都市への視点/森山大道と荒木経惟」
・ トーマス・ダニエル「すっきり空っぽ ホンマタカシの写真」(篠儀直子訳)
・ ロルフ・ザクセ「建造物のイメージ」(暮沢剛巳訳)
・ デボラ・ファウシュ「ロバート・ヴェンチューリとパオロ・ポルトゲージにおけるローマの写真」(加藤耕一訳)
・ 写真構成 ホンマタカシ「ボルドーの住宅」
・ 阿野太一「コンビニ/パースペクティヴ┼《C》」
・ 新良太「Under-construction 首都圏外郭放水路」
連載
田中純「都市表象分析5 地図のメランコリー 地図制作(マッピング)の喪」
・ 岡崎乾二郎・中谷礼仁「建築の解體新書9 確率の技術/技術の格律」(岡崎乾二郎「月の住民」)〔「確率の技術 技術の格律」としてWebsite "Module"に再掲載、2003.8-9、(1), (2), (3), (4)
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究6」(西沢大良「寸法・距離」、塚本由晴「窓」「建具(ドア)」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
・ MVRDV「パイン・シティ オスロ・トリエンナーレ2000」
・ 村松伸「19世紀の波、20世紀の風2 東アジア建築世界の200年 第1章 ゆるやかな建築の再編」
 大田省一「南方主義建築の系譜 南のモダニズム・フランス植民地での実践」
・ 伊藤俊治「ニューバウハウスとダイナミック・イコノグラフィ 空間・視覚・精神の相互浸透をめぐって」
・ 森山大道「新宿7」
10+1 PASSAGE
浅田彰「レヴュー 磯崎新の夢/レム・コールハースの現実」
西川祐子「部屋の文化研究6 DK改造のワンルーム」
 熊倉敬聡「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート6 ケイオウ★パンチ:キャンパスの「日常」にダンサー伊藤キムが乱入!!」 〔加筆修正し、『美学特殊C:「芸術」をひらく、「教育」をひらく』慶應義塾大学出版会、2003.10所収〕
・ 酒井隆史「都市音楽ノート6 インナーシティのブルース」
・ 青山真治「映画の地理学6 実感について3」
三浦展「都市観測者の手帖3 美容室 身体と空間の改造」
・ 貝島桃代「トーキョー・建築・ライナーノーツ6 インテリアから」

No.24, 2001.4, 「特集=フィールドワーク/歩行と視線」
編集協力 五十嵐太郎
・ 庄野泰子・office shono(長村貴之・野崎祥子)・長壁純子「トーキョー・サイレンス 都市の耳の0度」
松原永季・田中正人「被災都市のフィールドワーク:プランナーズネットワーク神戸
・ マイケル・ウェインストック、納村信之、田島則行「AAスクール・ディプロマユニット9 東京コラボレーション・ワークショップ 都市のコレオグラフィ」
・ landscape network901「フィールドワークの方法 ランドスケープ批評宣言の布石として」
・ 安森亮雄・鈴木祐一郎・岩間航「空地のフィールドワーク」
・ 西牟田奈々・和田江身子「コンビニ・プロジェクト」
・ トマス・マクドナウ「漂流とシチュアショニストのパリ」(暮沢剛巳訳)
・ エドワード・ソジャ「ちょっとした戸惑いを刺激として アムステルダムとロサンゼルスの同時代の比較」(加藤政洋訳)
・ デボラ・ファウシュ「醜くて平凡 日常の表象」(篠儀直子訳)
連載
田中純「都市表象分析6 箱をめぐる戦略 都市のレディ・メイド」
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究7」(西沢大良「一階」「装飾」、塚本由晴「二階建て」「殻」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
・ 森山大道「新宿8」
・ MVRDV「ピッグ・シティ」
・ 丸川哲史「循環する都市2 手探りの文化復興 谷崎潤一郎『春琴抄』再読」
・ 村松伸「19世紀の波、20世紀の風 3東アジア建築世界の200年 第二章 擬洋・欧化・工学」
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 11 学び/まねび逸れる野郎ども」
・ 森川嘉一郎「趣味と都市」
10+1 PASSAGE
 暮沢剛巳「ブック・レヴュー「要塞都市」と「流言都市」」 〔加筆修正し、『「風景」という虚構―美術/建築/戦争から考える』ブリュッケ、2005.9所収〕
 熊倉敬聡「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート7 資本主義と社会主義の狭間で喘ぐキューバ」 〔加筆修正し、『美学特殊C:「芸術」をひらく、「教育」をひらく』慶應義塾大学出版会、2003.10所収〕
西川祐子「部屋の文化研究7 最小限住宅 起きて半畳、寝て一畳」
・ 酒井隆史「都市音楽ノート7 もし今夜、ぼくが死んだら」
・ 青山真治「映画の地理学7 実感について4」
三浦展「都市観測者の手帖4 ホーチミン」
・ 貝島桃代「トーキョー・建築・ライナーノーツ7 東京大人公園計画」

No.25, 2001.10, 「特集=都市の境界/建築の境界」
編集協力 五十嵐太郎
・ 香山リカ・森川嘉一郎「趣味のランドスケープ オタクカルチャー新論」
・ 佐々木正人・塚本由晴「建築/アフォーダンス」
・ 小野田泰明「領域/公共圏 阿部仁史・小野田泰明の思索/活動から」
・ 長岡大樹「建築と道路」
・ シャロン・E・サットン「安全のランドスケープの創造」(篠儀直子訳)
・ イアン・ボーデン「炎のスケーター」(日比野啓訳)
・ 霜田亮祐「ボストン 都市の三つの領域性」
柿本昭人「「シームレス」化に抗するために」
若林幹夫「現代都市の境界線 包装される都市と身体」 〔『都市への/からの視線』青弓社(青弓社ライブラリー)、2003.10、第9章〕
・ エドワード・ソジャ「ちょっとした戸惑いを刺激として(承前) アムステルダムとロサンゼルスの同時代の比較」(加藤政洋訳)
連載
田中純「都市表象分析7 双子の死 パルチザン戦争の空間」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第1章第1節〕
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究8」(塚本由晴「100%」「太陽」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
・ 森山大道「フィルモグラフ1」
・ MVRDV「ファンクション・ミキサー」(吉村靖孝訳)
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市1 アジアのジェネリック・シティとレム・コールハース」
 三宅理一「密集市街地論1 木造密集市街地を再考する」
・ 村松伸「19世紀の波、20世紀の風4東アジア建築世界の200年 第三章 手先・シンボル・蕩尽・知の制覇 建築・都市の帝国主義」
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 12 学び/まねび逸れる野郎ども(承前)」
10+1 PASSAGE
 熊倉敬聡「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート8 川俣正『アートレス』の方へ」 〔加筆修正し、『美学特殊C:「芸術」をひらく、「教育」をひらく』慶應義塾大学出版会、2003.10所収〕
西川祐子「部屋の文化研究8 個室はどう集まるか」
・ 酒井隆史「都市音楽ノート8 マイルスがまじないをとなえる」
・ 青山真治「映画の地理学8  田村正毅試論」
・ 貝島桃代「トーキョー・建築・ライナーノーツ8 トーキョー・建築・ツアー」

No.26, 2002.1, 「特集=都市集住スタディ」
編集協力 五十嵐太郎
・ 大野秀敏・隈研吾「公共性と集合住宅」
・ 渡辺誠「脱力化システム/ちらしの街 「誘導都市」第四期へ」
渡辺真理「集合住宅のフレームワークを考える」
・ 安田綾香「公団賃貸生活 2DKに凝縮された「モノ」、「住空間」、「人間」模様」
・ 和田江身子「岐阜県営住宅ハイタウン北方 住まい方調査」
鈴木明「陽のあたる洗面台 ジェンダーが裏返したプラン」
・ 浅見雅之・田中正人・松原永季・吉川健一郎「ポスト震災の集住体 歪められた集住の諸像」
・ モニク・エレブ、アンヌ=マリー・シャトレ「住まうことの快楽」(五十嵐光二訳)
南泰裕「離合集散モデルについての試論 可能態としての住居集合」
・ 米田明「ニューアーバニティーについて」
・ 丸川哲史「首都・巡礼・メディア 太宰治『思い出』再読」
・ 毛利嘉孝「RE/MAP 北九州再地図化計画」
連載
田中純「都市表象分析8 砂漠のなかの砂漠マンハッタン/カンダハル 殺される大官たちの都市」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第1章第2節、改題「砂漠のなかの砂漠 殺される大官たち」〕
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究9」(塚本由晴「図形(別荘)、西沢大良「マイホーム」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
・ 森山大道「フィルモグラフ2」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市2 アポカリプスの都市2001 ニューヨーク/アフガン/ベルリン」 〔『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、2001.2、第3章第2節〕
林道郎「屋上に佇んで」
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 13 ラジオ・トライブ、あるいはラジオ・アクティヴィティ」
10+1 PASSAGE
・ 佐々木正人「アフォーダンスのフィールドワークから1 鰺」
金森修「都市環境の文化政治学1 「場所」の変幻」
丸山洋志「ポスト・ストラクチャリズムの建築1 「ポスト構造主義の建築」に纏わる身近な話題」
増田聡「音楽批評の解体文法1 だれが謳った音階理論?小泉文夫の歌謡曲論、その後」
・ 林卓行「Waiting for Art 1 完全さの先にあるもの」
・ 船橋淳「Cinemascape 1 映画の無国籍性」
・ 倉石信乃「写真のシアトリカリティ1 自分の顔を見る」
三浦展「都市観測者の手帖5 歩き食べ」
松原弘典「中国で家具をつくる1 棚」

No.27, 2002.4, 「特集=建築的/アート的」
編集協力 五十嵐太郎
・ 鈴木了二・小林康夫・ 西谷修「廃墟・建築・零年 建築家はいかにして可能か」
・ プロジェクト 中村政人・岸健太・田中陽明「nIALL Project/帯広」(構成 高橋耕平)
・ 会田誠「新宿御苑大改造計画」
四方幸子「アウト・オブ・コントロール・スペース 変動するインフォ・ジオグラフィ」
・ 野々村文宏「カフェ、あるいは「空間の生産」」
・ フランク・O・ゲーリー、リチャード・セラ「ファイナンシャル・タイムズ「ミレニアム・ブリッジ・コンペティション」」
・ グレゴリー・ヴォルク「カーニヴァル的崇高 ヴィト・アコンチの建築プロジェクト」
暮沢剛巳「ミニマリズム・ラスヴェガス・光の彫刻 「建築的美術」と「美術的建築」の 連続と断絶」
連載
田中純「都市表象分析9 死者たちの都市へ 敷居の技法」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、プロローグ〕
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究10」(塚本由晴「コートハウス」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市3 反フラット建築論に抗して」
 三宅理一「密集市街地論2 木造密集地区に住む 京島の例 密集市街地のジレンマ」
・ 村松伸「19世紀の波、20世紀の風5東アジア建築世界の200年 第四章 帝国主義化する日本建築 建築・都市の帝国主義」
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 14 ニューエイジ・トラヴェラー」
・ 森山大道「フィルモグラフ3」
10+1 PASSAGE
・ 佐々木正人「アフォーダンスのフィールドワークから2 靴下」
金森修「都市環境の文化政治学2 「場所」のナラトロジー」
丸山洋志「Post-Structualismの建築2 観念的建築空間の不可能性、不可避性」
増田聡「音楽批評の解体文法2 誰が何を盗むのか? 「パクリ」と類似とアイデンティティの倫理学」
・ 林卓行「Waiting for Art 2 どうでもいいものをなせ ド・デューヴ、ベケット、カウリスマキ」
・ 船橋淳「人生の複雑さを受け止めるために 反メソッド論」
・ 倉石信乃「写真のシアトリカリティ2 すでに開かれたファイルの中身」
三浦展「都市観測者の手帖6 砂町銀座と阿佐ヶ谷団地」
松原弘典「中国で家具をつくる2 ベッド」

No.28, 2002.6, 「特集=現代住宅の条件」
編集協力 五十嵐太郎
難波和彦・松村秀一「素材・エンジニアリング・構法 あるいは建築のヴィジョンをめぐって」 〔『箱の家 エコハウスを目指して』NTT出版、2006.11、第5章、改題「サステイナブル・デザイン 対話」〕
塚本由晴「施主と建築家 あるいは建築が住宅になるために」(聞き手:永江朗)
・ 磯達雄「「環境」体験としてしか伝わらないもの」
山中新太郎「ポスト・ロマンティシズムの住宅に向けて 住居の境界をめぐるデザインの軌跡」
瀬山真樹夫「「住宅」にまつわるエトセトラ 住宅環境をとりまく言葉についての八抄」
松田達「不連続性の問題と密度の問題」
連載
田中純「都市表象分析10 類推的都市のおもかげ ノスタルジックな形態学」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、エピローグ〕
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究11」(西沢大良「崖・擁壁・樹木・庭」、塚本由晴「庇・軒」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
・ 森山大道「フィルモグラフ4」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市4 世紀の変わり目の建築について」
 三宅理一「密集市街地論3 木造住宅に罪はない 本当に負の遺産か」
・ 村松伸「19世紀の波、20世紀の風6東アジア建築世界の200年 第五章 建築とオリエンタリズム/ナショナリズム」
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 15 接触領域 (コンタクト・ゾーン) としてのパーティ」
・ 森川嘉一郎「趣味と都市2」
・ 丸川哲史「「植民地」の亡霊」
林道郎「光に照らされて」
10+1 PASSAGE
・ 佐々木正人「アフォーダンスのフィールドワークから3 机面」
金森修「都市環境の文化政治学3 「風景画」としての都市」
丸山洋志「ポスト・ストラクチャリズムの建築3 「この人を見よ」建築篇」
増田聡「音楽批評の解体文法3 音楽ジャンルとは何か? サウンド・概念・権力のトポロジー」
・ 林卓行「Waiting for Art 3 ソニアのめまい」
・ 船橋淳「Cinemascape 3 音のクローズアップ」
・ 倉石信乃「写真のシアトリカリティ3 汚い白で空を塗れ」
三浦展「都市観測者の手帖7 庶民の田園都市」
 松原弘典・戴長靖「中国で家具をつくる3 卓」

No.29, 2002.9, 「特集=新・東京の地誌学 都市を発見するために」
編集協力 五十嵐太郎
・ 都築響一・岡崎祥久「東京スタイル 部屋からの眺め」
宮本佳明「環境ノイズエレメント 風景の加工性」
・ 石川初「東京エキゾチック植物ガイド2002」
・ 塚本由晴研究室「TOKYO SUBDIVISION FILES 細分化された東京のファイル(ダイジェスト版)」
成瀬厚「拾い集めて都市と成す 泉麻人の街歩き」
加藤政洋「都市空間の史層、花街の近代 ひとつの「場所の系譜学」へ向けて」
 山崎泰寛・藤村龍至「都市は学校でつくられる ローカリティがオーバーラップする場所」
・ トーマス・ダニエル「動的平衡 東京の都市構造モデルとしてのテンセグリティ」(五十嵐光二訳)
・ ホフマン真帆子「消されたリアリティ」(篠儀直子訳)
・ ナンシー・フィンレイ「名前の知恵」(張希実子訳)
大島哲蔵追悼
・ 福田晴虔「「工作者」の影 大島哲蔵論にかえて」
 大島哲蔵「斜視の虎 ダッカの議会堂」
 大島哲蔵「タイポロジー アルド・ロッシからドナルド・ジャッドまで」
 宮島照久「コーディネーター/スクウォッター大島哲蔵」
連載
田中純「都市表象分析11 アウシュヴィッツからの頓呼法 悪夢への目覚めをめぐって」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第2章第1節、改題「アウシュヴィッツからの呼びかけ 悪夢への目覚め」〕
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究12」(塚本由晴「収納」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市5 自由な建築 坂本一成論」
 三宅理一「密集市街地論4 密集市街地とアートマネージメント」
・ 村松伸「19世紀の波、20世紀の風7東アジア建築世界の200年 第六章 都市と建築の「直接継承感」」
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 16 トライバル・ウォリアーズ、あるいは「新しい野蛮人」?」
・ 森山大道「フィルモグラフ5」
10+1 PASSAGE
・ 佐々木正人「アフォーダンスのフィールドワークから4 街」
金森修「都市環境の文化政治学4 都会性の夢」
増田聡「音楽批評の解体文法4 歌の意味とはなにか? 声・歌・歌詞の意味論に向けて」
・ 林卓行「Waiting for Art4 "The Man Who Wasn't There"」
・ 船橋淳「Cinemascape4 他人の悲劇にキャメラを向けること」
・ 倉石信乃「写真のシアトリカリティ4 壁はチョークで書かれてあった ブレヒトの「フォトグラム」」
三浦展「都市観測者の手帖8 中野ブロードウェイ」
 松原弘典・戴長靖「中国で家具をつくる4 箱」
丸山洋志「ポスト・ストラクチャリズムの建築4 三次元曲面と建築術の行方」

No.30, 2003.1, 「特集=都市プロジェクト・スタディ」
編集協力 五十嵐太郎・貝島桃代
 大阪 連鎖都市研究会(中谷礼仁・清水重敦・矢本宏・中島陽・登尾聡)「都市は連鎖する」
 京都 梅林克「Kyoto Mode 「京都グリッド」からのダイアグラム抽出とその展開」
・ 下田 山中新太郎・橋本憲一郎「新開港 下田リノベーション計画 予定調和的計画概念のオルタナティヴとして」
・ 千葉 小川 次郎・黒田潤三「〈場所〉〈素材〉〈住民参加〉ちはら台と鍬柄沢の経験から」
・ 筑波 筑波大学芸術学系貝島桃代研究室「ツクバ・オールド・ニュータウン」
・ 茨城 筑波大学芸術学系安藤研究室「筑波再生プロジェクト」
・ 室蘭 山田深「サークル都市は完成するか 室蘭市の都市事情とヴィジョン」
・ 東京 吉村靖孝・川邊真代・吉村英孝「東京デ・コード計画 SUPER-OS」
・ 福岡 石田壽一・九州芸術工科大学石田研究室「福岡リビングコンディション GAO/ゴースト・アーキテクト・
・ オフィスのためのコレクション もうひとつ別の現実   シミュラークルプロジェクトとしてのドットシティ」
・ 神戸 神戸芸術工科大学大学院、鈴木明・小山明・橋本英治・岡部憲明・藤山哲朗ゼミ「変型地図 (talking maps)、「プログラム・デザイン・プロジェクト」(報告 鈴木明)
連載
田中純「都市表象分析12 時を建てる WTC、ザクセンハウゼン、伊勢神宮」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第1章第3節〕
・ 西沢大良・塚本由晴「現代住宅研究13(完)」(塚本由晴「隙間」、西沢大良「軽・薄・短・小」) 〔西沢大良・塚本由晴『現代住宅研究』INAX出版、2004.2、所収〕
 五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市6 九坪ハウス考」
林道郎「ベンチに座って 『パーク・ライフ』論」
・ 上野俊哉「Urban Tribal Studies 17 Tokyo Techno Tribes」
・ 森山大道「フィルモグラフ6」
10+1 PASSAGE
金森修「都市環境の文化政治学5 工学的世界のなかの都市」
増田聡「音楽批評の解体文法5 なぜ音楽について語りたがるのか? 音楽の倫理学に向けて」
・ 林卓行「Waiting for Art 5 すべてを見とおす技術」
・ 船橋淳「Cinemascape 5 憶えてしまう映像 ドゥルーズの「任意の空間」について」
・ 倉石信乃「写真のシアトリカリティ5 デュナミスとしての空き地」
三浦展「都市観測者の手帖9 宇都宮」
松原弘典「中国で家具をつくる5 アイディア編」
丸山洋志「ポスト・ストラクチャリズムの建築5 三次曲面と建築術の行方(承前)」

No.31, 2003.7, 「特集=コンパクトシティ・スタディ」
編集協力=太田浩史・南泰裕
南泰裕・太田浩史「コンパクトシティ 都市批判としての都市をめぐって」
・ 太田浩史+南泰裕「populouSCAPE」
・ 原広司・太田浩史・南泰裕・法政大学大学院「500M×500M×500M -CUBE 2003 -β version」
・ design neuob「NEW URBAN OBJECTIVITIES for Sustainable Urbanization」
・ オオニシ・タクヤ+南泰裕+太田浩史「ワールド・シティ・プロファイリング」  
・ 南泰裕「都市に抗する都市 小都市の多数性と可能性をめぐって」
太田浩史「操作論としてのサステイナブル・アーバニゼーション」
・ 岡部友彦・坂口祐・山雄和真「コンパクトシティを考察するためのブックガイド」
・ リチャード・ロジャース+アン・パワー「『Cities for a Small Country』 イントロダクション 都市の未来はどうなるのか?」(樫原徹訳)
・ マーク・ヴェルツマン「エレヴェイテッド」(篠儀直子訳)  
・ 長嶋千聡「大名古屋論1 純建築としてのダンボールハウス」
連載
田中純「都市表象分析13 イメージの/による葬儀 コロッソスとしての記念碑」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第1章第4節、改題「イメージの葬儀 コロッソスとしての記念碑」〕
・ 森山大道「filmograph 7 フィルモグラフ」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市7 再発見された《エレクトリック・ラビリンス》」
・ 八束はじめ「グローバリズム1 ポストスクリプト? グローバリズム論の前提」
納村信之・田島則行「現代建築思潮[Exhibition Review] スペース・インベーダー 建築という領域の拡張、そして侵犯 「SPACE INVADERS―クロスオーバーから生まれる建築」展から」
 今村創平・日埜直彦「現代建築思潮[Dialogue] 「現代建築思潮研究」のための序」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 1 殺す・な 3/21」
・ 倉数茂「蒐集(コレクション)の曖昧な対象 1  ゴミとしてのコレクション」
 南明日香「景観の視学/史学/詩学 1 夢の島になった軽井沢」
日埜直彦「ポストモダニズムと建築 1 「暗黒」から建築を建ち上げる」
小田マサノリ「都市ノ民族誌 1 昭和四五年の呪いとゼロ次元の笑い(別称=昭和残響伝・号外篇)」
 松原弘典・戴長靖「中国で内装をつくる 1 五○平米の事務所(前編)」

No.32, 2003.9, 「特集=80年代建築/可能性としてのポストモダン」
編集協力 五十嵐太郎・日埜直彦
・ 磯崎新「ポストモダン 1968-89 近代批判としての」(聞き手:五十嵐太郎・日埜直彦)
日埜直彦「80年代リヴィジョニズム」
・ パオロ・ポルトゲージ「禁止主義の終焉」(加藤耕一訳)
・ レム・コールハース「ラ・ヴィレット公園 パリ 1982-1983」(太田佳代子訳)
・ ジェフリー・キプニス「/区分線をねじる/(前編)」(川田潤訳)
・ マーク・ウィグリー「デコンストラクティヴィスト・アーキテクチャー」(入江徹訳)
・ 入江徹「訳者解題 あなたは一体いつまで表現し続けるというのか」
勝矢武之「形態表現から物質現前へ 現代建築の問題構成」
・ 吉村靖孝「動物化する建築」
・ 岡部友彦・佐々木一晋・山雄和真「60's→80's→00's→ ARCHITECTURE MATRIX」
丸山洋志「「最後の啓蒙」「啓蒙の最後」 コーリン・ロウ『コラージュ・シティ』をめぐって」
・ 都市連鎖研究体「都市はたたる」  
・ 東京ピクニッククラブ「PICNIC FIELDWORK」
・ 宇野享/C+A+北川啓介(名古屋工業大学)「大名古屋論2 パラサイトアーキてくちゃ」
連載
田中純「都市表象分析14 帝国と都市 方法の問題」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第2章第3節〕
・ 中谷礼仁「セヴェラルネス:事物連鎖と人間1 ペリカン島戦記」 〔加筆修正し、『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』鹿島出版会、2005.12、第2章〕
・ 森山大道「filmograph 8 フィルモグラフ」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市8 白昼の怪物 彼岸と接続されるテレビ<個室<都市<テレビ」
・ 八束はじめ「グローバリズム2 ナショナリズムとその美学化」
 今村創平・今井公太郎・日埜直彦・吉村靖孝「現代建築思潮[オランダ現代建築紀行/討議]オランダ現代建築をめぐって」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 2 U字ポールの無味乾燥に増殖の欲望を」
・ 倉数茂「蒐集(コレクション)の曖昧な対象 2  蒐集される〈私〉」
 南明日香「景観の視学/史学/詩学 2 東京歩行術」
・ 千田智子「別種の自然 1 熊野本宮新論」
・ 矢部恒彦「ポピュラー文化としての都市空間 1 スケーターのまちがい」
 成実弘至「都市とモードのフィールドノート 1 ブランド化する建築」
小田マサノリ「都市ノ民族誌 2 東京フォークゲリラ・ノーリターンズ(別称=昭和残響伝)」
 松原弘典・戴長靖「中国で内装をつくる 1 五○平米の事務所(後編)」

No.33, 2003.12, 「特集=建築と情報の新しいかたち」
編集協力 仲隆介・中西康人・本江正茂・五十嵐太郎
仲隆介・中西泰人・本江正茂「情報と建築の新しいかたち」
塚本由晴「空間のレイアウト/情報のレイアウト 有機的建築への筋道」(聞き手:仲隆介・中西泰人・本江正茂)
山本理顕「一回性の建築」(聞き手:中西泰人・本江正茂)
・ 暦本純一「情報/建築の融合とデザイン」(聞き手:中西泰人・本江正茂)
環境情報デザインワーキンググループ「環境情報デザイン・カタログ」
トランスネットワークシティワーキンググループ「Trans Network City ネットワークが重層する都市を横断する」
・ 大内宏友・根來宏典/日本大学大内研究室「内在的普遍 アーバンデザインと情報環境」
・ 京都工芸繊維大学山口・仲研究室・岸本章弘「ワークウェア オフィス空間と情報の新しいかたち」
・ 小林隆「電子自治体論 都市計画のなかのコミュニティウェア」
・ 北田暁大「「届かなさ」の修辞学 監視社会(論)と動物化」
・ フィリップ・タボール「わたしはビデオカメラである」(加藤政洋訳)
・ ジェフリー・キプニス「/区分線をねじる/(中編)」(川田潤訳)
・ 恒川和久/名古屋建築会議、名古屋大学パチカフェグループ「大名古屋論3 パチカフェ 名古屋のビルディングタイプ その1」
・ ARAC(藪崎涼・後藤淳・中山利恵)・村松伸「陸に上がったナーガ Bangkok 水の都市から陸の都市へ」
連載
田中純「都市表象分析15 アメリカの二つの顔 暴力と恥辱の景観」 〔『死者たちの都市へ』青土社、2004.5、第1章第5節〕
・ 中谷礼仁「セヴェラルネス:事物連鎖と人間2 建築職人ウィトルウィウス 弱い技術」 〔加筆修正、『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』鹿島出版会、2005.12、第3章〕
・ 綿谷修「On-Site 1 KOTOBUKI-CHO Aug.2003」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市9 過防備都市 1 情報社会はいかにわれわれを管理するのか」 〔加筆修正し、『過防備都市』中公新書ラクレ、2004.7所収〕
・ 八束はじめ「グローバリズム3 植民都市と散逸する主体」
 ヨコミゾマコト・藤本壮介・今井公太郎・今村創平・日埜直彦・吉村靖孝「現代建築思潮[討議] 部分的/離散的 ヨコミゾマコトと藤本壮介の建築」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 3 崩れ落ちるビデオ装置『ワラッテイイトモ、』から垂れたアカルイ導火線」
・ 倉数茂「蒐集(コレクション)の曖昧な対象 3  閉ざされた部屋」
 南明日香「景観の視学/史学/詩学 3 都市をn次元化するテクスト」
・ 千田智子「別種の自然 2 都市/夢/写真」
・ 矢部恒彦「ポピュラー文化としての都市空間 2 まちがいから豊かさへ」
 成実弘至「都市とモードのフィールドノート 2 アイデンティティの空間体験」
小田マサノリ「都市ノ民族誌 3 議会制民主主義の果ての狂い咲き国会前サンダーロードを偲ぶ(別称=昭和残響伝)」
日埜直彦「ポストモダニズムと建築 2 ポスト=古典主義としての現在」
松原弘典「中国で内装をつくる 3 八八二〇平米の書店(前編 コンペから設計契約まで)」

No.34, 2004.3, 「特集=街路」
編集協力 五十嵐太郎
・ 隈研吾・森川嘉一郎「ポスト地政学の趣都論 ストリート/建築への眼差し」
石川初「車道の論理」
・ 木下剛「私道の誕生 18-19世紀イギリスのエステート開発」
・ 高橋靖一郎「舗装考」
石川初「Where the Streets Have No Name」
稲葉奈々子「In the Street 〈人々が交差する場・記憶が蓄積する場〉を考察する」
織田竜也「自由への導火線 地中海都市、街路の祝祭性」
増田聡「ストリートの音 「路上」を領する者たち」
・ 上野俊哉「民族誌的シチュエーショニズム」
・ 毛利嘉孝「要塞化する街路 監視テクノロジーと対抗的な文化実践」
中谷礼仁「虚体バンクとしての路地 課題「軒切りサバイバルハウス」で見えてきたもの」
・ 山崎泰寛・山田協太「都市街路年表〈1945―2004〉 都市のアクチュアリティ」
・ ジョン・R・ゴールド「ブールヴァールの終焉」(加藤政洋訳)
・ ティム・クレスウェル「ナイト・ディスコース ストリートにおける意味の生産と消費」(日比野啓訳)
・ イアン・ボーデン「スケートボーディングは犯罪ではない」(矢部恒彦・斎藤雅子・中川美穂訳)
・ ジェフリー・キプニス「/区分線をねじる/(後編)」(川田潤訳)
・ 名古屋大学アングラグループ「大名古屋論4 アングラシティ 地下街図鑑」
・ 小川次郎/日本工業大学小川研究室「城郭都市 環境構成における〈混成化〉のための空間スタディ」
連載
田中純「都市表象分析16 都市の伝記 自伝という死の訓練」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第1章〕
・ 中谷礼仁「セヴェラルネス:事物連鎖と人間3 ピラネージ、都市の人間」 〔加筆修正、『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』鹿島出版会、2005.12、第4章〕
・ 尾仲浩二「On-Site 2 Edge: CHIBA[SOGA/FUNABASHI]Jan.2004」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市10 過防備都市 2 戦場としてのストリート」 〔加筆修正し、『過防備都市』中公新書ラクレ、2004.7所収〕
・ 八束はじめ「グローバリズム4 アジアの〈栄光(c)〉と〈悲惨(c)〉」
 吉村靖孝・今井公太郎・今村創平・日埜直彦「現代建築思潮[討議] 法規から解読(デ・コード)する建築/都市建築法規とローレンス・レッシグ『Code』をめぐって」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 4 "コブラ"という戦場」
・ 倉数茂「蒐集(コレクション)の曖昧な対象 4  数えることと語ること」
 南明日香「景観の視学/史学/詩学 4 コミュニティ今昔物語」
・ 千田智子「別種の自然 3 子供になれば」
・ 矢部恒彦「ポピュラー文化としての都市空間 3 空間を開く 豊かさをうみだす仕掛け」
 成実弘至「都市とモードのフィールドノート 3 ファッションと建築の近さについて」
小田マサノリ「都市ノ民族誌 4 春よこい(別称=昭和残響伝)」
日埜直彦「ポストモダニズムと建築 3 『ユーパリノス』註解」
松原弘典「中国で内装をつくる 4 八八二〇平米の書店(中編 設計から着工まで)」

No.35, 2004.6, 「特集=建築の技法 19の建築的冒険」
編集協力 プロスペクター[今村創平・南泰裕・山本想太郎]・吉村靖孝
今村創平・南泰裕・山本想太郎「建築の技法 つくることの楽しさへ」
素材―構造
・ 1. 吉村靖孝「妹島和世《梅林の家》 厚い壁」
・ 2. 井坂幸恵「坂茂 可能性としての紙」
・ 3. 今村創平「鈴木了二《神宮前の住宅》 物質・技術・コラージュ」
・ 4. 今村創平「ヘルツォーク&ド・ムーロン《プラダ ブティック青山》 豪奢な意匠の合理性」
・ 5. 南泰裕「スティーヴン・ホール《サルファティストラート・オフィス》 シンセサイズの着床点」
・ 6. アラン・バーデン「イェルク・ヒーバー&ユルゲン・マルクァルト《ラインバッハのガラスパヴィリオン》 透明物のエンジニアリング」
生産―技術
・ 1. 勝矢武之「梅沢良三+アーキテクト・ファイブ《IRONY SPACE》 鉄造建築 「外部」からの思考」
・ 2. 山本想太郎「《国立西洋美術館》免震レトロフィット 免震は「技法」であるべきではない」
・ 3. 今井公太郎「レンゾ・ピアノ《メゾン・エルメス》 ガラス・ブロックのリマテリアライズ」
・ 4. トーマス・ダニエル「foa《横浜大さん橋国際客船ターミナル》 機能主義と形態形成」(五十嵐光二訳)
・ 5. 横山太郎「フランク・O・ゲーリー《ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール》とその前後 コンピュータ技術の進歩を飲み込むゲーリーの手法」
制度―都市
・ 1. 坂牛卓「アトリエ・ワン《ガエ・ハウス》 《ガエ・ハウス》のオフサイドトラップ」
・ 2. 山本想太郎「隈研吾《ONE表参道》 建築家のバランス感覚」
・ 3. 松田達「アイレス・マテウス《アルカセル・ド・サルの住宅》 建築/都市の発生以前に向かって」
・ 4. 末廣香織「OMA「ホイットニー美術館」増築案 政治と芸術の境界線」
自然―環境
・ 1. 今村創平「小嶋一浩+赤松佳珠子/C+A《東京大学先端科学技術研究センター3号館(1期)》 ヴォイドの愉悦を支える仕掛け」
・ 2. 柳沢潤「手塚建築研究所《越後松之山「森の学校」キョロロ》 ランドアーキテクチャー」
・ 3. 樫原徹「ジャン・ヌーヴェル《アグワス・デ・バルセロナ》 メタファー化する自然」
・ 4. 藤木隆明「ジュルダ&ペローダン・アーキテクツ《モンセニ・アカデミー》 《モンセニ・アカデミー》と「来たるべき建築」について」
フィールドワーク
・ 塚本由晴+ヤコブ・ファン・ライス+吉村靖孝「URBAN FARMING PROJECT」
連載
田中純「都市表象分析17 心の考古学へ向けて 都市的無意識のトポロジー」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第6章、改題「生者と死者のトポロジー 心の考古学1」〕
・ 中谷礼仁「セヴェラルネス:事物連鎖と人間4 自尊心の強い少年」 〔加筆修正、『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』鹿島出版会、2005.12、第5章〕
・ 綿谷修「On-Site 3 KOGANE-CHO May. 2004」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市11 過防備都市 3 住宅/学校を開くのか、閉じるのか」
・ 八束はじめ「グローバリズム5 グローバリズムの彼岸と此岸」
日埜直彦×今井公太郎×今村創平×吉村靖孝×横山太郎×ジン・ヨハネス「現代建築思潮[討議] フォールディング・アーキテクチャー 横山太郎 《横浜大さん橋国際客船ターミナル》/ジン・ヨハネス プロ ジェクト・スタディを交えて」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 5 パルテノンと縄文、そして近代」
・ 倉数茂「蒐集(コレクション)の曖昧な対象 5  個室、まなざし、コインロッカー」
 南明日香「景観の視学/史学/詩学 5 街の記憶とマテリエル パリ」
・ 千田智子「別種の自然 4 建築における自由」
・ 矢部恒彦「ポピュラー文化としての都市空間 4 スケーターが住む街」
 成実弘至「都市とモードのフィールドノート 4 インティメイト・アーキテクチャー」
小田マサノリ「都市ノ民族誌 5 自衛隊に入ろう(別称=昭和残響伝)」
日埜直彦「ポストモダニズムと建築 4 古典性の零落」
松原弘典「中国で内装をつくる 5 八八二○平米の書店(後編 施工監理から竣工、開業まで)」
 廣瀬浩司 「ブック・レヴュー ジャック・デリダ 『コーラ プラトンの場』 「場」のおののきを聞く」

No.36, 2004.9, 「特集=万博の遠近法」
編集協力 五十嵐太郎・小田マサノリ
・ 黒川紀章「万博という問題系1: 都市、万博、メタボリズム 破壊と再生のプログラム」(聞き手:五十嵐太郎・小田マサノリ)
・ 椹木野衣・五十嵐太郎・小田マサノリ「万博という問題系2: 『戦争と万博 もうひとつの戦争美術』をめぐって」
・ 磯崎新「万博という問題系3: 年代記的に 浅田孝、瀧口修造、60年代」(聞き手:五十嵐太郎・小田マサノリ)
小田マサノリ「インタビューを終えて/昭和残響伝リターンズ さよなら万博、三たび/にっぽん万博70ニュ-ス」
渡辺真也「万博と国民国家 「もう一つの万博 ネーション・ステートの彼方へ」のために」
・ アーキベンタ 原田祐馬 + 大場美和「あとちのあと」
三木学「「太陽の塔」の図像学 試論」
・ 五十嵐太郎「内破する万博」
・ 笠原一人「歴史・観光・博覧会 第四回内国勧業博覧会と平安遷都千百年紀念祭の都市空間」
・ 内田隆三「万博・待訪録」
・ 名古屋建築会議「大名古屋論・番外編 万博オルタナティヴあるいは万博補完計画」
・ マーク・ヴェルツマン「オランダ4都市」(篠儀直子訳)
連載
田中純「都市表象分析18 「メタ世界」としての都市 記憶の狩人アルド・ロッシ」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第2章〕
・ 中谷礼仁「セヴェラルネス:事物連鎖と人間5 出来事とその徴 ダイコクノシバのアレゴリー」 〔加筆修正、『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』鹿島出版会、2005.12、第6章、改題「ダイコクシバのアレゴリー 出来事とその徴」〕
・ 尾仲浩二「On-Site 4 square tokyo : NAKANO June.2004」
・ 北田暁大「政治の空間学1 chap 1 空間の蒸発 リベラリズムについて1」
・ 黒沢隆「CONCEPTUAL 日本建築1 第一章 導入編」
今村創平・今井公太郎・日埜直彦・吉村靖孝「現代建築思潮[討議/ブックガイド] 建築情報の受容再考「正統性」から「生産性」へ 文化の受容・翻訳・発信を考察するためのブックガイド20」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて6 核戦争が起こった場所で」
増田聡「文化所有のポリティクス 1 香水の著作権を望むのは誰だ」
 北川卓・松本淳「モノとマチの向こうに見えるもの 1 コピー+α」
 堀潤之「映画とニューメディアの文法 1  ニューメディア時代の映画」
榑沼範久「視覚の身体文化学 1 色の知覚の生態学?」
 土屋誠一「デジタル・イメージ論 1 過剰露出:アブグレイブの拷問」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 12 光のテロリスト 高橋匡太論」
 山根伸洋「明治期「近代交通業発達」余話 1 在来交通網の継承と革新」
菊池誠「ミュージアム・テクノロジー随想 1 博物館的思考あるいは記憶の劇場」
日埜直彦「ポストモダニズムと建築 5 編成的指向と解釈的指向」
 森田團「ブック・レヴュー 1 ユルゲン・ハーバーマス+ジャック・デリダ+ジョヴァンナ・ボッラドリ『テロルの時代と哲学の使命』」

No.37, 2004.12, 「特集=先行デザイン宣言 都市のかたち/生成の手法」
編集協力 中谷礼仁・宮本佳明・清水重敦
 第一回先行デザイン会議参加者一同「先行デザイン宣言」
・ 清水重敦「先行デザイン論」
先行デザインのためのイントロダクション
・ 「環境ノイズエレメント イントロダクション」
 「都市連鎖研究体 イントロダクション」
・ 宮本佳明「小論 1 環境ノイズエレメントとしての建築(前編)」
・ 前川歩「小論 2 なぜ生える、高層ビル」
会議1日目 「市区改正」
 都市連鎖研究体プロジェクト 1 区画復元整理」
・ 「環境ノイズエレメントプロジェクト 1 大阪国際不条里空港 コンパクト・シティのための歴史空間的ジャンクション」
・ 都市連鎖研究体・環境ノイズチーム「討議 1 市区改正」
会議2日目 「福利更生」
 「都市連鎖研究体プロジェクト 2 オバケミニ開発」
・ 林泰介・中谷礼仁「小論 3 オバケテクトン」
・ 岡田愛「小論 4 田園都市はなぜまるい?」
・ ヘタ地ボランタリー・ネットワーク「小論 1環境ノイズエレメントプロジェクト 2 鋭角の詩 氷川台・平和台」
・ 都市連鎖研究体・環境ノイズチーム「討議 2 福利更正」
会議3日目 「都市基盤」
 「都市連鎖研究体プロジェクト 3 建築の浸透圧 天王寺廃線跡リサイクルセット」
・ 「環境ノイズエレメントプロジェクト 3 ジャンタル・マンタルな「花の道」 砂防都市宝塚のための地質学的観測装置」
・ 都市連鎖研究体・環境ノイズチーム「討議 3 都市基盤」
会議4日目 「国土改造」
 「都市連鎖研究体プロジェクト 4 Fujiko 大阪湾埋立地改造計画」
・ 「環境ノイズエレメントプロジェクト 4 近つ飛鳥宮 古市古墳群首都移転計画」
・ 宮本佳明「小論 4 環境ノイズエレメントとしての建築(後編)」
・ 藤森照信・岡崎乾二郎・中谷礼仁・宮本佳明・清水重敦「討議 4 ディスカッション 先行デザイン宣言をめぐって」
・ 黒田泰介「ティポロジアと積層する都市組織 空間形成の原点を求めて」
・ 青井哲人「紀元二千六百年の空間 万博・オリンピック/神社・宮城」
 磯崎新「『日本の都市空間』の頃  『建築文化』、「間」展、デリダ」(聞き手:日埜直彦)
連載
田中純「都市表象分析19 土地の名 青天白日覓亡都」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第3章、改題「青天白日覓亡市  小村雪岱『日本橋檜物町』」〕
・ 中谷礼仁「セヴェラルネス:事物連鎖と人間6 セヴェラルネス 事物転用のためのかたち」 〔加筆修正、『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』鹿島出版会、2005.12、第7章〕
・ ハイナー・シリング「LOCUS SOLUS 1」
・ 北田暁大「政治の空間学2 chap.1 空間の蒸発 リベラリズムについて2」
・ 黒沢隆「CONCEPTUAL 日本建築2 第二章 展開編」
・ 佐々木一晋・田中陽輔・今村創平・今井公太郎・日埜直彦「現代建築思潮[討議] 物質と形式 建築における想像力の問題 質料・形相・変容 素材の集蔵体に向けて」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 7 美術批評という戦後体制」
増田聡「文化所有のポリティクス 2 「大地讃頌」事件について 前編」
 北川卓・松本淳「モノとマチの向こうに見えるもの 2 バリアフリーとユニヴァーサル・デザイン」
 堀潤之「映画とニューメディアの文法 2 データベース映画 1」
榑沼範久「視覚の身体文化学 2 色のショック体験」
 土屋誠一「デジタル・イメージ論 2 潜在性/アーカイヴ」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 13 仏教とメタボリズム 黒川紀章論」
 山根伸洋「明治期「近代交通業発達」余話 2 測量地図の集積と物理的基盤の構築」
 菊池誠「ミュージアム・テクノロジー随想 2 記憶の劇場あるいはステージ・セット」
日埜直彦「ポストモダニズムと建築 6 フィクションとアレンジメント」
 森田團「ブック・レヴュー 2 ヨハン・ヤーコプ・バハオーフェン『古代墳墓象徴試論』」

No.38, 2005.4, 「特集=建築と書物 読むこと、書くこと、つくること」
編集協力 五十嵐太郎
隈研吾・五十嵐太郎・永江朗「建築と書物 読むこと、書くこと、つくること」
・ 秋山伸「図版構成 書物と建築のあいだに」
建築家的読書術
難波和彦「必読書をめぐって」
みかんぐみ「それぞれの読書」
鈴木了二「建築論として読むベンヤミン」
石山修武「建築の現場・歴史・技術」
渡辺誠「ワンダフル・デザイン」
ヨコミゾマコト「水≒鏡への憧れ」
 藤本壮介「空間・秩序・弱さと建築」
・ 岡田哲史「建築家ピラネージの現代性」
建築を拓くメディア
南泰裕「建築と思想の離接について:四つの系をめぐる八つのキーワード」
中村研一「コンペティション学序説」
山中新太郎「読み解かれる住宅/読み解く快楽」
丸橋浩「マテリアル・イマジネーション」
日埜直彦「磯崎新における「日本的なもの」」
横手義洋「西洋建築史 現代へのまなざし」
永江朗「職業としての建築評論」
保前信英「オープンハウスという経験」
田中浩也「〈情報と建築〉をめぐるブック・ガイド」
山崎泰寛「都市の棚 書店空間の建築的冒険」
若林幹夫「都市景観の変容をめぐる諸問題」
五十嵐太郎「建築系映像ランダム・ガイド」
岡部友彦・佐々木一晋・田中陽輔・山雄和真「建築ガイドブックガイド」
福屋粧子「建築写真を拡張する三人の写真家」
・ 野々村文宏「建築的、物体的」
暮沢剛巳「アートと建築の越境的動向」
田中陽輔・山雄和真・岡部友彦・佐々木一晋「建築と展覧会カタログ」
・ マリ=アンジュ・ブレイエ「「アーキラボ」/あるいは建築のキュレーションについて」(聞き手:今村創平)
・ 一時停止都市デザインスタジオ「一時停止都市のデザイン [研究編]」
連載
田中純「都市表象分析20 自然の無関心 畠山直哉の鉱物的都市写真」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第4章、改題「自然の無関心 畠山直哉「都市とその起源」」〕
・ ハイナー・シリング「LOCUS SOLUS 2」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 1930年代を中心に 1」
松村秀一「技術と歴史1 文化財になったアメリカの未来住宅」
・ 黒沢隆「CONCEPTUAL 日本建築3 第三章 成立編」
 今井公太郎・今村創平・日埜直彦・吉村靖孝「現代建築思潮[討議] 新しい物質、新しい素材 複雑化/集積化する素材」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 8 美術と建築の逆転」
増田聡「文化所有のポリティクス 3 「大地讃頌」事件について 後編」
北川卓・松本淳「モノとマチの向こうに見えるもの 3 設計条件がない!?」
 堀潤之「映画とニューメディアの文法 3 データベース映画 2」
榑沼範久「視覚の身体文化学 3 ギブソンを再軍事化する」
 土屋誠一「デジタル・イメージ論 3 イメージ、その欲望する「場所」」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 14 日本人と結婚式教会」 〔加筆修正し、『「結婚式教会」の誕生』春秋社、2007.8所収〕
 山根伸洋「明治期「近代交通業発達」余話 3 「つぎはぎ」交通の時代」
菊池誠「ミュージアム・テクノロジー随想 3 メディアとしての博物館」
日埜直彦「ポストモダニズムと建築 7 野性的領域に向けて」
 森田團「ブック・レヴュー 3 アビ・ヴァールブルク『異教的ルネサンス』」

No.39, 2005.6, 「特集=生きられる東京 都市の経験、都市の時間」
編集協力 内田隆三
・ 内田隆三・遠藤知巳「生きられる東京 東京の「現在」における生の様態」
・ 貞包英之「東京の事件学 ソシオグラフィとしての世田谷事件」
秋元健太郎「東京ファンタスマゴリー クラブ・カルチャーと都市」
・ 青山賢治「都市の寓居 高齢者向け施設の現在」
・ 文:内田隆三/撮影:蔵真墨・本山周平「東京カタログ」
皇居 丸の内 城南五山 野川・国分寺崖線 環状一六号線・町田 多摩ニュータウン
駅ビル くらやみ祭 東京競馬場 外資系ホテル 銀座通り 芸能人 六本木ヒルズ
秋葉原・電気街 墓地再生 佃島・月島界隈 空襲の記憶 千住大橋 ホームレス 
表参道(文:平井太郎) 地下街(文:園田慎二) クラブ、あるいは〈現われの空間〉(文:五野井郁夫)
お受験(文:山本理奈)
・ 一時停止都市デザインスタジオ「一時停止都市のデザイン [デザイン編]」
・ ナンシー・フィンレイ+東北大学都市・建築学講座フィンレイ研究室「Body, City and Architecture Workshop on discernment and conscious acts」(篠儀直子訳)
ピーター・クック+デニス・クロンプトン+デヴィッド・グリーン+マイケル・ウェブ+磯崎新+五十嵐太郎「カウンターカルチャーと建築 アーキグラムの1960-70年代」
連載
田中純「都市表象分析21 チマタのエロティシズム 映画による夕占」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第5章〕
・ 中谷礼仁「セヴェラルネス:事物連鎖と人間7 クリティカル・パス 桂の案内人」 〔加筆修正、『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』鹿島出版会、2005.12、第1章〕
・ ハイナー・シリングLOCUS SOLUS 3」
・ 北田暁大「政治の空間学3 chap.1 空間の蒸発 リベラリズムについて3」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 一九三○年代を中心に 2」
 佐々木睦朗「技術と歴史2 空間構造に見る構造合理主義の系譜 近代から現代への変容」
・ 黒沢隆「CONCEPTUAL 日本建築4 第四章 工作編」
 田村順子・吉村靖孝・今井公太郎・今村創平・日埜直彦「現代建築思潮[討議] 建築/統計/アーバン・デザイン ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』、MVRDV「REGIONMAKER」を端緒に」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 9 建築家のロマンティシズム」
増田聡「文化所有のポリティクス 4 文化的所有物の多層性」
 北川卓・松本淳「モノとマチの向こうに見えるもの 4 プロダクト化再考」
 堀潤之「映画とニューメディアの文法 4 「データベース映画」と著作権」
榑沼範久「視覚の身体文化学 4 運動情報装置」
 土屋誠一「デジタル・イメージ論 4 サイバースペースにおける主体の位置」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 15 デジタル・コピーされる結婚式神社」 〔加筆修正し、『「結婚式教会」の誕生』春秋社、2007.8所収〕
菊池誠「ミュージアム・テクノロジー随想 4 ストックとフローのあいだに、あるいは非同期の情報伝達テクノロジー」
日埜直彦「ポストモダニズムと建築 8 自由な三次元」
 森田團「ブック・レヴュー 4 ルードルフ・オットー『聖なるもの ―神的なものの観念における非合理的なもの、および合理的なものとそれとの関係について』」
 山根伸洋「明治期「近代交通業発達」余話 4 移植による在来の包摂」

No.40, 2005.9, 「特集=神経系都市論 身体・都市・クライシス」
編集協力 田中純
・ 鷲田清一・田中純「都市の皮膜/身体の皮膜」
田中純「装飾という群衆 神経系都市論の系譜」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第8章〕
・ アンソニー・ヴィドラー「広場恐怖症 都市空間の精神病理学」(川田潤訳)〔「広場恐怖症 都市空間の精神病理」、アンソニー・ヴィドラー『歪んだ建築空間 現代文化と不安の表象』中村敏男訳、青土社、2006.9〕
・ 五十嵐光二「エンプティ・フェイス 近代都市計画の精神病理」
門林岳史「探偵、バイオメトリクス、広告 『マイノリティ・レポート』にみる都市の時間と空間」
・ サラ・ティズリー「セクシュアリティの造形力 クィア映画の空間原理を出発点に」
・ フラン・マーティン「ポストモダン都市とウィルス的主体 『荒人手記』」(日比野啓訳)
南後由和「動物化するグラフィティ/タトゥー 都市/身体の表面への偏執」
・ 荒川修作・小林康夫「身体の(再)誕生、〈建築〉の場から」
石岡良治「抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム」
・ ベルナール・カッシュ「柔らかい大地 テリトリーを備えつける」(石岡良治訳)
蘆田裕史「劇場としてのショウ・ウィンドウ」
小澤京子「都市の解剖学 剥離・切断・露出」
・ 宮坂奈由「都市表象のミクロ分析 印象派展時代の油彩画をめぐって」
・ 嵯峨紘美「肉の壁、大地の皮膚 クルツィオ・マラパルテの表面への眼差し」
・ 倉数茂「日本の〈グラウンド・ゼロ〉 原爆の表象をめぐって」
・ 平倉圭・土屋誠一/SETENV(入江拓也・井上亮・光岡寿郎)「プロジェクションズ リサイクル工場を巡る変奏 O.F.D.A.(坂牛卓+中島壮)」
特別寄稿
・ 内藤朝雄「憎悪の社会空間論 青少年問題を手がかりにして」
・ 鈴木久美子「東京のエスニシティ 「アジアの新宿・池袋」を彷徨う」
連載
田中純「都市表象分析22 アハスウェルスの顔 都市の生命記憶へ」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第7章、改題「アハスウェルスの顔 心の考古学2」〕
・ ハイナー・シリング「LOCUS SOLUS 4」
・ 北田暁大「政治の空間学4 Chap.2 都市に対して「リベラルである」とはどういうことか?1」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 1930年代を中心に 3」
・ 黒沢隆「CONCEPTUAL 日本建築5 第五章 関西普請編」
・ 「現代建築思潮[討議] 建築家の有名性の生産、流通および消費 南後由和+成実弘至、日埜直彦×今井公太郎×今村創平×吉村靖孝
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 10 再読・石子順造 もの派/幻触からマンガを通じ、トマソン、アール・ポップ、日グラ、そしてスーパーフラットまで」
・ 仲俣暁生「新しい書き言葉をもとめて 1 「バカの壁」と「踊る社会学者」」
清水穣「ピクトリアリズムの現在 1 鈴木理策《サント・ヴィクトワール山》(前編)」
・ ドミニク・チェン「Architecture的/Archive的 1 序説・MMO現実感の誕生」
 平田知久「新たなコミュニケーションの座標軸 1 共感とテレパシーのあわいで」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 16 ユートピアとしての平壌」 〔加筆修正し、『美しい都市・醜い都市:現代景観論』中公新書ラクレ、2006.10所収〕
日埜直彦「リアリティについて 1 便宜的リアリズム」

No.41, 2005.12, 「特集=実験住宅」
編集協力 今村創平
藤森照信・中谷礼仁「実験住宅と発明 個別技術が可能にしたもの」
今村創平「実験住宅訪問記 住宅における実験的試みを目撃する」
・ 石山修武研究室・二一世紀型農村研究会「二一世紀型農村計画」
横山太郎・町田敦「構造から見た実験住宅」
・ 広瀬鎌二「セルフビルドという構法 マニュアルのない住宅」(聞き手:今村創平)
山名善之「ジャン・プルーヴェの工場製・組立住宅における実験的試み」
今村創平「アンビルトの実験住宅の系譜 その必然性について」
山本想太郎「スマートハウス考 ≪トヨタ夢の住宅PAPI≫」
・ ヴィンセント・グアラール+シルヴィア・バンチニ+マウリツィオ・ボニツィ+ジョバンニ・フランチェスチェリ「メディア・ハウス・プロジェクト [解題:トーマス・ダニエル] 住宅はコンピューターであり、構造はネットワークである。」(堀口徹訳)
・ 福田啓作・河野佑美・中里広明・山崎渉・村上祐資・岡村健太郎・川端悠一・浅野純人・岩元真明「図版構成 実験住宅カタログ」
連載
田中純「都市表象分析23 都市のアミニズム 小さなカミたちの人類学に向けて」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第9章、改題「都市のアニミズム カミの原風景」〕
 磯崎新「岸田日出刀/前川國男/丹下健三 日本における建築のモダニズム受容をめぐって」(聞き手:日埜直彦)
・ ハイナー・シリング「LOCUS SOLUS 5」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 1930年代を中心に 4」
・ 鈴木博之「技術と歴史3 技術と装飾」
・ 黒沢隆「CONCEPTUAL 日本建築6 第六章 外廻り編」
今井公太郎・今村創平・日埜直彦・吉村靖孝「現代建築思潮[討議] 中間的/総括的 現代建築思潮研究会2003-2005」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 11 砂の器 「アート&テクノロジー」という名の」
・ 仲俣暁生「新しい書き言葉をもとめて 2 J・J氏的「雑文」と「ブログ文体」」
清水穣「ピクトリアリズムの現在 2 鈴木理策《サント・ヴィクトワール山》(承前)」
・ ドミニク・チェン「Architecture的/Archive的 2 第2回・ MMO現実感の接続面(インターフエイス)としての建築物」
 平田知久「新たなコミュニケーションの座標軸 2 今、芸術作品に出会うということ」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 17 Renewal of Modernism 谷口吉生論」
日埜直彦「リアリティについて 2 軽さ・速さ その一」

No.42, 2006.3, 「特集=グラウンディング 地図を描く身体」
編集協力 石川初・田中浩也
石川初・佐々木一晋・田中浩也・元永二朗「グラウンディング 地図を描く身体」
石川初「Bird's Eye, Burn's Spirit」
皆川典久・松岡里衣子「東京スリバチ学会」
元永二朗「時間遡行、地形観察、幻影のグラウンデ ィング その手法と実践の記録」
田中浩也「天空と地球と都市と私 異なるスケールを同時に受け止めることについて」
・ 岩嵜博論・吉澤眞太郎・山根高志「グラウンディング・ヴィークル 地形体験の手段としての電車」
佐々木一晋「東京スキーパーク その必然性について」
田中浩也「都市のマラソン 地形を拡大経験することについて」
元永二朗「歌川広重 名所江戸百景に見る江戸-東京の地形」
石川初「森の気配 白昼夢としてのイノデータブノキ群集」
石川初「地表の事情」
安藤幸央「Google EarthからMitakaへ 視線の拡張と「地球観」」
石川初「グラウンディング支援ツールとしてのカシミール3D」
佐々木一晋「都市の微地形を発掘する ジオウォーカーの試み」
・ ジェレミー・ウッド「GPSドローイング」(堀口徹訳)
・ Living World「The World is (Always/Already) Living」(聞き手:石川初)
・ 坂口祐「埋葬の手順(プロトコル)」
元永二朗「Grounding on Datascape」
・ 佐々木一晋「写真構成 グラウンディングへの眼差し G感覚という新たな日常」
田中浩也「環境採取装置としてのiPod」
岩嵜博論「アナログ地図と身体性」
須之内元洋・assistant Co., Ltd.「天気模様 Creative Boxと地球のアーカイヴ」
早川大地「音楽と地相性 楽器・録音をデヴァイスとして」
木下剛・根本哲夫「多摩ニュータウン自然地形案 地形をめぐる諸関係のダイナミクス」
宮本佳明「風景の構法 環境ノイズエレメントはどうすれば見つかるか」
本江正茂「没場所性に抗して」
松本文夫「アドレス、グラヴィティ、レシーバ試論」
中谷礼仁「ザ・コンゲンノート 都市の根源的要素についての準備ノート」
石川初・佐々木一晋・田中浩也・元永二朗「グラウンディング・ブックガイド」
連載
田中純「都市表象分析24 犬の街 境界の都市人類学のために」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第10章、改題「犬の街 境界の叙事詩、森山大道『新宿』」〕
 磯崎新「「桂」/タウト 重層的なテクストとしての」(聞き手:日埜直彦)
・ ハイナー・シリング「LOCUS SOLUS 6」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 1930年代を中心に 5」
 石山修武「技術と歴史4 開放系技術について」
・ 黒沢隆「CONCEPTUAL 日本建築7 第七章 作庭編」
 今井公太郎・今村創平・日埜直彦・吉村靖孝「現代建築思潮[討議] 「東京オリンピック計画二〇一六」のための序 4つの提言と討議」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 12 電気の黄昏、あるいはその武者の帰還?」
・ 仲俣暁生「新しい書き言葉をもとめて 3 「小説」の言葉とはどのようなテクノロジーか」
清水穣「ピクトリアリズムの現在 3 鈴木理策《サント・ヴィクトワール山》(承前)」
・ ドミニク・チェン「Architecture的/Archive的 3 第3回・archival architectureモデルによる MMO現実感の実現」
 平田知久「新たなコミュニケーションの座標軸 3 ポピュラー・サイエンスは何と等しいのか?」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 18 醜い景観狩り」 〔加筆修正し、『美しい都市・醜い都市:現代景観論』中公新書ラクレ、2006.10所収〕
日埜直彦「リアリティについて 3 軽さ・速さ その二」

No.43, 2006.7, 「特集=都市景観スタディ いまなにが問題なのか?」
編集協力 五十嵐太郎
隈研吾「景観の現在 グローバリゼーションのなかでの変容」(聞き手:今村創平)
五十嵐太郎「景観は記号ではない」 〔『美しい都市・醜い都市 現代景観論』中公新書ラクレ、2006.10、第1部所収〕
斉藤理「過去の景観 未来の景観 ベルリン─東京の景観考」
坂牛卓「景観・法・建築家」
・ 吉村靖孝「となりの超高層」
若林幹夫「景観の消滅、景観の浮上」
キーワード
・ 木下剛「コード」
石川初「ユニヴァーサル」
石川初「インフラ」
 白井宏昌「スカイライン/サーフェイス 都市の線、都市の面」
岩嵜博論「広告」
岩嵜博論「夜景」
・ 木下剛「名所」
・ 竹山奈未「風景」
・ リヴィオ・サッキ「グローバル・シティ」(横手義洋訳)
太田浩史「景観の先を見よ」
・ 磯崎新・石山修武「二一世紀型オリンピックのための博多湾モデル [福岡オリンピック制作総指揮室]」
・ 「City of Innocence「国際建築ワークショップ in 卸町 2005」のノート 国際建築ワークショップ in 卸町 2005実行委員会 特別寄稿=大野秀敏」
 梅岡恒治・岩元真明・今浦友恵/今井公太郎・今村創平・日埜直彦・吉村靖孝「現代建築思潮[討議] バルセロナ・オリンピック 都市の成長と発展」
連載
田中純「都市表象分析25 狩人たちの物語 都市博物誌の座に向けて」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第11章、改題「狩人たちの物語 連歌としての路上観察」〕
 磯崎新「堀口捨己 モダニズムから「日本的なもの」への転回」(聞き手:日埜直彦)
・ ハイナー・シリング「LOCUS SOLUS 7」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 1930年代を中心に 6」
 安田幸一「技術と歴史5 近代建築における素材について 伝統と革新」
・ 黒沢隆「CONCEPTUAL 日本建築8 第八章 モダニズム編」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 13 失踪者と故人のためのサウンドトラック」
・ 仲俣暁生「新しい書き言葉をもとめて 4 『あゝ、荒野』から『阿修羅ガール』まで」
清水穣「ピクトリアリズムの現在 4 「ヨセミテ」から松江泰治へ(承前)」
・ ドミニク・チェン「Architecture的/Archive的 4 物理=情報空間の享楽的な統合について」
 平田知久「新たなコミュニケーションの座標軸 4 (非)同一性について」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 19 本物の教会/フェイクの教会」 〔加筆修正し、『「結婚式教会」の誕生』春秋社、2007.8所収〕
日埜直彦「リアリティについて 4 正確さ・視覚性」

No.44, 2006.9, 「特集=藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。」
編集協力 中谷礼仁・清水重敦・青井哲人
・ 藤森照信「トレーシング・ザ・藤森照信」(聞き手:中谷礼仁・清水重敦・青井哲人)
・ 渡邉晶「建築技術史一万年とドクターフジモリ」
・ 浅川滋男「先史学/考古学と想像力の限界」
青井哲人「多くはうたかたに消え、いくつかは生きて地に降り 都市史の主語は何か」
横手義洋「看板建築考 様式を超えて」
・ 南後由和「笑う路上観察学会のまなざし 都市のリズム分析へ向けて」
清水重敦「先行建築学のすすめ バイパスとしての藤森式都市建築保存論」
菊地暁「〈民俗学者〉としての藤森照信 その歩く/見る/聞く作法を考える」
林憲吾「世界建築地図の展開/〈伊東忠太+藤森照信〉のその後 近代アジア調査術」
・ デイナ・バントロック「小さな建物を大きくすること 藤森照信の建築における儀式」(松田達訳)
・ 陳正哲「原生建築への招待 食用の建築、つくれますか。」(青井亭菲・青井哲人訳)
・ アンドレア・マッフェイ「藤森照信の批評根拠」(入江徹訳)
・ エルウィン・ビライ「藤森照信とモダン・ヴァナキュラー」(篠儀直子訳)
・ 「LINK TOKYO MADRID 都市構造とライフスタイルに関する共同研究プロジェクト」
・ (構成:ホルヘ・アルマサン・カバジェーロ+伊藤喜彦、文・図版:久野紀光(序文)・東京工業大学塚本研究室・東京大学景観研究室・東京大学千葉研究室・筑波大学貝島研究室・慶應義塾大学妹島研究室)
連載
・ 田中純「都市表象分析26 無縁の根源 河原という魂の市庭」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第13章〕
 磯崎新「五旗会、『現代建築愚作論』、スターリニズムからの脱却 1950年代における建築運動とその思想性」(聞き手:日埜直彦)
・ 中谷礼仁「『日本の民家』再訪2 準備編」
・ ハイナー・シリング「LOCUS SOLUS 8」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 1930年代を中心に 7」
 中川武「技術と歴史6 共同体の歴史構造と技術の性格」
 難波和彦「現代住宅論1 現代住宅の諸問題 1 なぜサステイナブル・デザインなのか」
 今井公太郎+今村創平+日埜直彦+吉村靖孝+金子祐介+アリ・セリグマン「現代建築思潮[討議] オリンピックと団地2010年問題」
10+1 PASSAGE
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 20 距離のねじれを生む、ガラスのランドスケープ 妹島和世論」
・ 濱野智史「ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ 1 Winny 「脱社会性」の可能性」
 安田昌弘「音響場試論 1 アンセスト・ド・トシロン」
・ 廣瀬純「マゾヒスト映画宣言 1 前田陽一を再導入する 「イメージ」との出会い」
 池上高志「サウンド+アート+サイエンス 1 サウンドアートと音響空間デザイン」
 日埜直彦「リアリティについて 5 視覚性」
乾久美子「ダブル・ストーリー 1 否定からひろがっていくこと 「奥村さんのお茄子」と「広尾アパートメント」」
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 14 衛生思想の滝壷は近いか」
・ 斎藤環「都市の病理、心理学化する社会 1 顔には名前があり、あるいは文脈がある」

No.45, 2006.12, 「特集=都市の危機/都市の再生 アーバニズムは可能か?」
・ 北沢猛・太田浩史「都市再生のアクチュアリティ」
日高仁「柏の葉アーバンデザインセンター/UDCK」
・ 中島直人「「中心市街地活性化」のアーバニズム」
・ 鄭波「今日の中国都市計画」(翻訳校正:二瓶士門)
岡部友彦「「影」のデザイン」
・ マティアス・センドア・エチャノヴェ「下北沢における都市環境と人災」(入江徹訳)
鈴木智香子・中島直人「歴史的港湾都市・鞆の浦 再生の「まちづくり」の生成」
・ 酒井隆史「「ヴァーチュアリズム」のなかの公園」
・ マイク・デイヴィス「余剰人類?」(篠原雅武訳)
・ リチャード・バーデット編「Cities. Architecture and Society」(伊藤香織・篠儀直子訳)
松田達「ユルバニスムをめぐって」
・ フランソワ・アシェール「移動の意味 近代と機動性」(桑田光平訳)
・ 斉藤理「タウトが歩いた東京 1933-1936」
連載
・ 田中純「都市表象分析27 博物誌という遊戯 驚異の部屋としての都市」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第12章、改題「都市という驚異の部屋 博物誌の知再考」〕
 磯崎新「『空間へ』《お祭り広場》『日本の都市空間』 1960年代における都市論の方法をめぐって」(聞き手:日埜直彦)
・ 瀝青会・中谷礼仁「『日本の民家』再訪3 都市の水面 内郷村再訪」(写真:大高隆)
 ヨコミゾマコト・山中新太郎/太田浩史/大村洋平/落合正行/金龍大/権藤智之/夏目翔平(イラスト)/見立竜之輔「テクノロジーロマン1 第一回:ユニバーサリズムのオブセッション」
・ ハイナー・シリング「LOCUS SOLUS 9」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 1930年代を中心に 8」
伊藤毅「技術と歴史7 歴史のなかの都市グリッド」
 難波和彦「現代住宅論2 建築の四層構造」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 15 美、あいまい、分裂 新・日本主義と「未生」の美術史」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 21 ゴースト・イン・ザ・サンプリング・マシーン」
 安田昌弘「音響場試論 2 音響技術の発達と音響場のメディア化」
・ 廣瀬純「マゾヒスト映画宣言 前田陽一を再導入する 2 「イメージ」との契約」
 池上高志「サウンド+アート+サイエンス 2 Regulation」
 日埜直彦「リアリティについて 6 多様性 その一」
乾久美子「ダブル・ストーリー 2 視点の錯綜と親密さ 「噂の娘」と「T邸」」
・ 濱野智史「ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ 2 mixiとゲーテッド・コミュニティという隠喩」
・ 斎藤環「都市の病理、心理学化する社会 2 「記述」はなぜ「笑い」とともになされなければならないのか」

No.46, 2007.3, 「特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits 極地建築を考える」
編集協力 松村秀一
松村秀一「地上にしか関心のなかった私にとっての「宇宙建築」」
・ 松村秀一+アニリール・セルカン+村上祐資「宇宙建築からはじまること」
極地環境/地球外
・ 村川恭介「火星居住」│082
・ デヴィッド・ニクソン+ジェーン・ヴェルニック「「ムーンウォール」プロジェクト 月面に壁をつくること」(前島彩子訳)
・ 松本信二「地球周回軌道上宇宙ホテル」
極地環境/地球上
 三橋博巳「南極基地建物と極環境 南極大陸からのながめ」
野崎健次「潜水艦から海中居住まで」
野崎健次「特殊技術としてのシェルター」
構造・材料
 十亀昭人「宇宙にひらく、三次元展開構造物」
 畑中菜穂子「ルナ・コンクリート 月の砂から生まれる建設材料」
・ マヌエラ・アグッジ┼サンドラ・ハウプリック「インフレータブル構造技術 夢から現実へ」(畑中菜穂子訳)
マニュアル
・ 村上祐資・ヒデホマレ「DO-IT-YOURSELF MANUAL in SPACE」
技術転用・スピンオフ
・ アニリール・セルカン「インフラ・フリー・システム 持続可能な都市形成を促すための東京大学の役割」(畑中菜穂子訳)
・ 文:アンドレア・ヴォグレア+アトロ・ヴィトリ/図版:アーキテクチャー+ヴィジョン「宇宙居住のスピンオフ Architecture+Visionの試み」(畑中菜穂子訳)
・ 梶川泰司「極地用テンセグリティ・テント The North Faceドームテント」
身体・心理研究
・ 大串純「宇宙極地探査のヒューマン・ファクター ヒューマン・ファクターからミッション・デザインへ」
・ 村上祐資・杉岡克俊「The Right Stuff 宇宙飛行士の資質」
 小口美津夫「閉鎖環境居住を支える技術開発」
宇宙建築年表
・ 村上祐資・杉岡克俊・前島彩子「宇宙建築構想史」
設計思想・教育
・ スコット・ハウ「キット・オブ・パーツ・システム 自己組織化建設システム」(村上祐資訳)
 池田靖史「極環境建築における自律分散協調の自己組織的設計思想」
 関戸洋子「ヒューストン大学SICSAのデザイン思想」
・ オスカル・アレナレス「“極限”への挑戦 ラルフ・アースキンによる極地建築のデザイン構想」(畑中菜穂子訳)
・ フィリップ・オスワルト+大野秀敏「図版構成 縮小する都市に未来はあるか?」
連載
・ 田中純「都市表象分析28 方法の生態学 ダーウィン、ベンヤミン、宮本常一」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第14章〕
・ 磯崎新「丹下研究室から独立した頃 およびル・コルビュジエ受容をめぐって 1960年代の都市計画とプロセス・プランニングへの過程」(聞き手:日埜直彦)
・ 瀝青会・石川初/写真:大高隆「『日本の民家』再訪4 郊外町の痕跡 甲州街道再訪」
・ ヨコミゾマコト・山中新太郎/落合正行/権藤智之/夏目将平/朝倉悟郎「テクノロジーロマン2 リモコンな快楽」
・ ハイナー・シリング「LOCUS SOLUS 10」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 1930年代を中心に 9」
 嘉納成男「技術と歴史8 建築「ものづくり」技術の変遷とその影響 建築物の規模拡大を支える「ものづくり」技術」
 難波和彦「現代住宅論3 「アルミエコハウス」の開発と実験」
 日埜直彦・今井公太郎・吉村靖孝・今村創平「現代建築思潮 オリンピック/都心の郊外 まだ見ぬ郊外論に向けて」
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 16 世界のなかの見知らぬ世界へ 死者への挨拶、対話、返礼」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 22 城館と教会のキッチュ」 〔加筆修正し、『「結婚式教会」の誕生』春秋社、2007.8所収〕
 安田昌弘「音響場試論 3 RW技術の普及とローカル音響場のグローバル化」
 池上高志「サウンド+アート+サイエンス 3 Computation」
 日埜直彦「リアリティについて 7 多様性 その二」
乾久美子「ダブル・ストーリー 3 意識と無意識のあいだをゆれている対象 「猫に時間の流れる」と「ハウスK」」
・ 濱野智史「ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ 3 YouTubeはテレビを延命させる?」
・ 斎藤環「都市の病理、心理学化する社会 3 笑いの存在論」

No.47, 2007.6, 「特集=東京をどのように記述するか?」
 柄沢祐輔・南後由和・藤村龍至「アルゴリズムで表層と深層を架橋せよ」
 塚本由晴・藤村龍至「東京のタイポ・モルフォロジー」
・ 毛利嘉孝・東京藝術大学音楽環境創造科毛利研究室「千住四五分 千住を線によって再構築する」
 木村覚「コレオグラフィとしての都市・東京」
・ 北小路隆志「東京、その解体と建設」
 土屋誠一「写真は東京を記述しうるか 篠山紀信の「東京」」
鈴木一誌「地表への接近 〈宙の眼〉と〈地の眼〉の界面」
ドミニク・チェン「プロクロニズムとその都市への適用について」 [pdf]
石川初「続「地図を描く身体」 パーソナル・トレイル」
・ 池田秀紀・石川初「GeoWalker」
 岩嵜博論「浮遊するナヴィゲーション 無線LAN網の普及と都市経験の変容」
 元永二朗「風景・時間」
 池上高志「不可視の都市の複雑系理論」
連載
・ 田中純「都市表象分析29 都市の詩学 萩原朔太郎のステレオ写真」 〔『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007.11、第15章〕
 磯崎新「エーゲ海の都市/見えない都市/霧状のモナド:都市構造とアーバンデザインの方法をめぐって」(聞き手:日埜直彦)
・ 瀝青会・清水重敦・御船達雄/写真:大高隆「『日本の民家』再訪5 「民家」の範疇 四国再訪・山村編」
 ヨコミゾマコト・山中新太郎・地引重巳・朝倉悟郎・伊藤暁・落合正行・川上恭輔・鈴木達也・夏目将平・町田恵・村上真「テクノロジーロマン3 感応空間」
・ ホンマタカシ「Our Planet 1」
・ 八束はじめ「思想史的連関におけるル・コルビュジエ 1930年代を中心に 10」 
 桑村仁「技術と歴史9 鉄骨造の歴史」
 難波和彦「現代住宅論4 クリストファー・アレグザンダー再考」
・ Supersudaca・田村順子「AND PREVI?」
・ ジェーン・ジェイコブス「悪循環を解く」(石山友美訳)
10+1 PASSAGE
・ 椹木野衣「「悪い場所」にて 17 悪い場所からしばし離れて 転位と遮断、助走と突入、斜角から」
五十嵐太郎「1990年代以降の建築・都市 23 日本は教会をどのように受容したのか」 〔加筆修正し、『「結婚式教会」の誕生』春秋社、2007.8所収〕
 安田昌弘「音響場試論 4 音響場の構造と都市空間の見直し」
 池上高志「サウンド+アート+サイエンス 4 Morphology」
 日埜直彦「リアリティについて 8 非古典的な時代の建築」
乾久美子「ダブル・ストーリー 4 生け捕りという手法 「無情の世界」と「安中榛名の小屋」」
・ 濱野智史「ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ 4 「繋がりの社会性」は公共性の敵か?」
・ 斎藤環「都市の病理、心理学化する社会 4 笑い・言語・再帰性」

No.48, 2007.9, 「特集=アルゴリズム的思考と建築」
編集協力 柄沢祐輔
 柄沢祐輔「建築におけるアルゴリズム的思考」
 磯崎新「アルゴリズム的思考の軌跡をめぐって」(聞き手:柄沢祐輔)
伊東豊雄+フロリアン・ブッシュ「アルゴリズム的思考と建築の「新しいリアル」」(聞き手:柄沢祐輔)
 藤本壮介「新たな秩序の現われとして」(聞き手:柄沢祐輔)
・ ヤコブ・ファン・ライス(MVRDV)「ソフトウェアを用いた大規模都市計画の実践」(聞き手:柄沢祐輔、訳:服部暁文)
・ セシル・バルモンド/ピーター・ロイド・ジョーンズほか「相互触媒的な建築」(服部暁文訳)
 江渡浩一郎「Wiki的都市は構想可能か?」(聞き手:柄沢祐輔)
 神成淳司「複数のマテリアル/複数のアーキテクト」(聞き手:柄沢祐輔)
・ バート・ローツマ「何が(実際のところ)なされるべきなのか? MVRDVの理論的コンセプト」(松田達・桑田光平訳)
 [作品構成] 田中浩也・久原真人「Natural Computationの景相化」
・ 松川昌平「アルゴリズム的思考とは何か」
 藤村龍至「超線形設計プロセス論 新たなコンテクスチュアリズムへ」
 柄沢祐輔「アルゴリズム的手法によるフォームの生成」
・ アランダ/ラッシュ(Benjamin Aranda & Chris Lasch)「Tooling」(篠儀直子訳)
 福西健太+ジェニー・サビン「Can Architecture Heal?」(福西健太訳)
・ 南泰裕・国士舘大学南研究室「多数性としての東京 21世紀における都市空間の遷移をめぐって」
連載
・ 田中純「都市表象分析30 波打ち際の知 『都市の詩学』への追記」 〔『イメージの自然史 天使から貝殻まで』羽鳥出版、2010.6、第5部第3章〕
・ 磯崎新「ターニングポイント、空間から環境へ」(聞き手:日埜直彦)
・ 瀝青会・中谷礼仁/写真:大高隆「『日本の民家』再訪6 瀝青会、海へ 四国再訪・漁村編」
ドミニク・チェン「ネット公正論 データの逆襲1 プロクロニスト・マニフェステーション」 [pdf]
 ヨコミゾマコト・山中新太郎・地引重巳・伊藤暁・落合正行・池上豊・川上恭輔・高橋弘毅・鈴木達也・夏目将平・平川祐生・町田恵・村上真・森まりえ・吉延詳朋「テクノロジーロマン4 象徴装置」
・ ホンマタカシ「Our Planet 2」
・ 石川初「地上にて 1 安全への22キロ」
野沢正光「技術と歴史10 サステイナブル・デザインを遡る」
 難波和彦「現代住宅論5 モデュールの現在」
10+1 PASSAGE
五十嵐太郎「ゼロ年代の建築・都市 1 家型の1950年代」
平倉圭「インヴァリアンツ 1 顔とダイアグラム」
 木村覚「オルタナティヴ・ダンシング 1 「タスク」について」
 小原真史「記録・抵抗・記憶 1 映画になった村」
 菊地暁「人文研探検、あるいは新京都学派の履歴書 1 『雲岡石窟』を支えるもの 京都・雲岡・サンフランシスコ」
・ 山下範久「次世代型世界システム論序説 1 従来型世界システム論の三つの限界」
 美馬達哉「バイオエシックスの場所 1 戦場にて」
・ 斎藤環「都市の病理、心理学化する社会 5 脳は空より広く、言葉より狭い」

No.49, 2007.12, 「特集=現代建築・都市問答集32」
・ 「現代建築・都市問答集32」
・ 五十嵐太郎「卒業設計、修士設計のメディア化。何が起きているのですか?」
塚本由晴「いまなぜ「ビヘイビオロロジー(ふるまい学)」なのですか?」(聞き手:南後由和)
 白井宏昌「レム・コールハースはどこへ向かうのか? OMA/AMOに見る、歴史と白紙との戯れ」
 藤村龍至「「批判的工学主義」のミッションとは何ですか? 1 定義・マニフェスト編」
 柄沢祐輔「「批判的工学主義」のミッションとは何ですか? 2 「虚の不透明性」をめぐる空間概念編」
南後由和「「批判的工学主義」のミッションとは何ですか? 3 歴史・メディア編」
 柄沢祐輔「アルゴリズミックな空間とは何ですか?」
・ 松川昌平「建築場理論とは何ですか?」
 田中陽輔「セシル・バルモンドのデザインと数学的思考の関連は何ですか?」
坂牛卓「モンスターは何を語っているのか?」
 南泰裕「新東京タワーに最新テクノロジーは必要か?」
 新堀学「都市の主体とそれにかかわる職能はどのようになっていくのでしょうか?」
横手義洋「建築保存はなぜ悩ましいのですか?」
倉方俊輔「モダニズム建築の保存はなぜ難しいのか?」
・ 中島直人「「景観」は都市建築に何をもたらすのでしょうか?」
田島則行「都市はどうなっているのか? どうなるのか?」
・ 村松伸「「全球都市全史学」のミッションとは何ですか?」
太田浩史「都市再生論のなかで建築はどのように見えますか?」
 加藤政洋「ポストバブル期の都市再編を読むには?」
・ 貝島桃代「現代美術展は都市を変えられるか?」
暮沢剛巳「国際展が都市に与える影響とは何ですか? 横浜トリエンナーレと開港150周年」
山本想太郎「アート・モデル表現に可能性はあるか?」
暮沢剛巳「「美術館都市」は可能か?」
 槻橋修「離散的ランドスケープは二一世紀のヒューマニズムを獲得できるか?」
皆川典久「スリバチ観察から東京の何が見えたか?」
本江正茂「Google Mapsは建築にどんな影響を与えますか?」
 田中浩也「ユビキタス“観測社会”とは何ですか?」
 中谷礼仁「アレグザンダーが再召還されていますが、なぜですか?」
 中谷礼仁「いま長谷川堯が再読されるのはなぜですか?」
坂牛卓「モダニズム言語は死滅したのか?」
日埜直彦「Any会議とは何であったか?」
今村創平「建築と言葉とメディアの関係はいまどうなっていますか?」
・ 難波和彦/山代悟/谷口景一朗・林盛・逸見豪・森田悠詩「バックミンスター・フラーの現代性」
連載
・ 田中純「都市表象分析31 都市表象分析とは何か1 自註の試み」 〔『イメージの自然史 天使から貝殻まで』羽鳥出版、2010.6、第5部第4章第1節〕
 磯崎新「『建築の解体』へ 60年代のムーヴメントをマッピングする試み」(聞き手:日埜直彦)
・ 瀝青会・中谷礼仁/写真:大高隆「『日本の民家』再訪7 民家へ 伊豆大島編」
ドミニク・チェン「ネット公正論 データの逆襲2 表現の領土性、その生と死の相補性」 [pdf]
 ヨコミゾマコト・山中新太郎・地引重巳・伊藤暁・落合正行・川上恭輔・小野津伽佐・夏目将平「テクノロジーロマン5 エネルギーリテラシー」
 今井公太郎・今村創平・日埜直彦・吉村靖孝・金子祐介・北脇将史・新井崇俊・安藤祐子・上杉昌史・桂奨・東京大学生産技術研究所 今井研究室/写真:鈴木豊「現代建築思潮 東京オリンピック計画」
・ ホンマタカシ「Our Planet 3」
・ 石川初/写真:大山顕「地上にて2 江東デルタ地帯のマジノ線」
 小玉祐一郎「技術と歴史11 環境デザインは進化しているか」
 難波和彦「現代住宅論6 建築的無意識」
10+1 PASSAGE
五十嵐太郎「ゼロ年代の建築・都市 2 家型の1960と70年代」
平倉圭「インヴァリアンツ 2 バカボンのパパたち」
 木村覚「オルタナティヴ・ダンシング 2 「ゲーム」について」
 小原真史「記録・抵抗・記憶 2 「南島」へ/「南島」から 上」
 菊地暁「人文研探検、あるいは新京都学派の履歴書 2 『村と人間』という邂逅 農村クライマックスの行方」
・ 山下範久「次世代型世界システム論序説 2 システム概念の再導入1 時空的界面」
 美馬達哉「バイオエシックスの場所 2 こころに入り込んだメス」  
・ 斎藤環「都市の病理、心理学化する社会 6 サーモスタットは自己言及するか?」

No.50, 2008.3, 「特集=Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960」
・ 八束はじめ「50 Years After 1960 グローバル・シティ・スタディーズ序説」
・ 「ポスター「東京計画1960」(1961)」
・ 豊川斎赫「20世紀日本建築の「悦ばしき知識」 丹下研究室の国土・都市・建築」
菊池誠「空間の開発・環境の制御 1960年前後の浅田孝と高層化研究・人工土地・極地建築」
・ 中島直人「高山英華の戦時下「東京都改造計画」ノート」
 金子祐介「20 Years Before 1960. And Now 内田祥文から見える今の世界」
・ 八束はじめ・大田暁雄・金子祐介・唯島友亮・水谷晃啓・福島北斗「図版構成 TOKYO METABOLISM 1960-2010: ENCYCLOPEDIA Vol.1」
・ 唯島友亮「「空間」と「経済」のデュアリティ 50-60年代アメリカ・アーバニズムの深層」
 レム・コールハース「新加被歌的路(シンガポール・ソングラインズ) ポチョムキン・メトロポリスのポートレートあるいは三〇年のタブラ・ラサ」(太田佳代子・八束はじめ訳)
・ 上原雄史「アクト城中村・新都市抹消の法学」(松下希和訳)
・ 福島北斗・唯島友亮・大田暁雄・坪井宏憲・太田口絢子・真喜志康功・金子祐介「図版構成 COMPARISON THREE MEGAREGION CITIES: TOKYO, HONGKONG, SINGAPORE」
 今村創平・八束はじめ「グローバル・シティ・スタディーズの諸相」
・ 「シンポジウム TEATRO SUPER STUDIO ユートピアを超えて」(講演者:クリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア、対談者:伊東豊雄、司会者:五十嵐太郎、訳:田丸久美子)
・ 「10+1 No.1-No.50 総目次」
連載
・ 田中純「都市表象分析32 都市表象分析とは何か2 自註の試み」 〔『イメージの自然史 天使から貝殻まで』羽鳥出版、2010.6、第5部第4章第2節〕
 磯崎新「廃墟、空白、生成 1950-70を俯瞰する」(聞き手:日埜直彦)
 瀝青会・中谷礼仁「『日本の民家』再訪8 化モノ論ノート」
ドミニク・チェン「ネット公正論─データの逆襲3 情報生態論 いきるためのメディア」 [pdf]
・ ホンマタカシ「Our Planet 4」
・ 石川初「地上にて3 遷都1300年の0.52パーセント」 
 山名善之「技術と歴史12 デザイン・マインドと資本とのあいだで」
 難波和彦「現代住宅論7 技術と歴史」
10+1 PASSAGE
五十嵐太郎「ゼロ年代の建築・都市 3 家型の二一世紀」
平倉圭「インヴァリアンツ 3 石と鉤十字」
 木村覚「オルタナティヴ・ダンシング 3 「死体」について」
 小原真史「記録・抵抗・記憶 3 「南島」へ/「南島」から 下」
 菊地暁「人文研探検、あるいは新京都学派の履歴書 3 新書という公共圏 桑原武夫編『日本の名著』という企み」
・ 山下範久「次世代型世界システム論序説 3 システム概念の再導入2 再帰的界面と人類学的界面」
 美馬達哉「バイオエシックスの場所 3 異化される脳」
・ 斎藤環「都市の病理、心理学化する社会 7 哲学的ゾンビの精神分析」