2008年12月29日月曜日

心惹かれるブログ 二つ

1.
(最終更新08.12.29)

 nos氏のブログdaily report from mt.oliveをちらちらと読んでいる。このブログはパヴェーゼやストローブ&ユイレへの持続的関心が光っており刺激されていたのだが、最初の記事から読み直して着眼点に驚いた。更新速度の速さや記事の分量から想像するに、文章執筆にはさほど長時間はかけていないのだろう。しかし、長きにわたって思考してきたらしき足取りが短い短評にも生かされている。こうしたブログを見ると、人間、蓄積がないと思考の出汁もでないものだと思う。
 興味を引かれた論点にかぎり、しばらくにわたっていくつか抽出し、できれば小見出し作成のごとき一言コメントのみならずじっくり加筆考察していきたい。

ブログで注目した論点
●ベンヤミン-クロソウスキーへの関心:
 シミュラクルとアレゴリーを接続
 シミュラクルの複数性が、同時に同一性でもあり、そこに複数神学を見出す(フーコーのクロソウスキー論)
 ※ただしこれはグロイス/ジジェクの言う単一性と多様性は表裏一体という議論と同じ道に嵌らないか
  あるいはこの議論とさらに別の射程が今からでも引けるのだろうか
 (07.5.22a07.5.22b
 ・ドゥルーズ『シネマ』におけるウェルズ評価についてこの線で読む
  ウェルズの偽なるものをベンヤミン~クロソウスキーのアレゴリー/シミュラクルであるとする。
  そのため、『市民ケーン』の「薔薇の蕾」を「結晶核」と見るのは偽なるものの力を取りこぼしていると指摘。
 (07.07.1007.7.24、再論:07.11.10
 ・平倉圭のゴダール理解、ドゥルーズ読解を「類似」では同一性に回収されてしまうものであり、
  切り返しショットを類似ではなくそこにおける間隙として見ないとまずい、という指摘。
  ※ これは平倉論文評としては納得できるものだった。
    イメージ/言語にして、外的であるイメージを言語に回収するとまずい、
    という平倉は素朴すぎるのではないか。
 (07.07.0607.07.07
 ・ベンヤミンのカイロス的時間から『帝国』の時間論的展開としてのネグリTime for Revolutionへ注目
  ただの左翼ロマンティシズムだとする、よくあるネグリ誤解に嵌らないためにも重要な書とする
 (07.5.1507.10.30
 ・樺山三英『ジャン=ジャックの自意識の場合』をデリダ/ルソー、ドゥルーズ/トゥルニエ、ベンヤミンから注目
  ※議論らしい議論にはなってないがこうした着目の線を作る記事には惹かれてしまう 
  (07.5.23、再論:07.07.19

●マルレーネ・デュマスの絵画作品からまなざしとアイロニーを考える
 視線の非対称性、モデルのまなざし、見られているのに見られていない観客の関係
 (07.6.11
 ・ゴダール『アワーミュージック』や下記の小津読解は同様の視線関係の問題として展開されている

●ハイデガーのハイマート/ウンハイムリッヒを西谷修では済まないとし、故郷/異郷の問題を考える。
 ※ここでのギリシアーヘルダーリンとする視覚、およびフィクションの問題を考えるのは鋭い。
  ファリアスでも、リンギスやナンシーでも、ラクーラバルトでもハイデガーの故郷問題は
  まだ片付いていないというのはそのとおりだと思う。
 (07.7.21
 ・四方田犬彦『先生とわたし』で漏れ落ちる由良君美について
  ※ これは今まで見た本書の評としては最もいいものだった。
    高山、田中純の評はまだセンチメンタルな面が残りすぎているし、
    それ以外の好評となると、師匠/弟子の関係に共感している程度の域を出ない。
    哲次を父としたがゆえにロマン主義の問題にああもかじりつき、メタフィクション論から神話論、
    デリダやド・マンの読者にもなり、葛藤のなかにあったはずだという指摘にはうならされた。
    本書の評の多くで欠けていたのはこうした世界史的文脈における視点である。
    ただし、その上で今どこまで由良が読めるものであるのかが焦点になるだろうとは思うが。
    四方田には三木清、西田、由良哲次を含めた、京都学派の技術論やハイデガーとの共振問題が
    根本的に抜け落ちていて、哲次に関する章は「秀才の書いた体のいい伝記」程度のものだ。
  (07.8.17
 ・賈樟柯(ジャ・ジャンクー)『長江哀歌』読解
  ※ ここで論じられている男女は、いわば、別の錯時性のある時間が堆積した地層が
    人称化され、ドラマとして展開されているということだ。これはきわめて興味深い。
    本作は私は未見なのだが、言及されているCG映像とこの男女ペアの扱い方は、
    私にとってスレイマンの『D.I.』を考えるために発想した視点とほぼ重なり、
    この作品を見てみたいと思わせられた。nos氏が「みごとな韜晦」と呼んだ監督の発言は、
    スレイマンが『撮影ノート』で記した「ユダヤ系イスラエル人」への屈託と奇妙に重なる面がある。
  (07.08.30a07.08.30b
  ローカリティ/世界という対比からヴェンダースの軌跡とジャ・ジャンクーの軌跡を見る。
  ※ だがこの「世界」は全体小説における「全体性」とどう違うのか。
    世界都市=国際性という混交を導入しているのは理解できるが、
    こうした「世界」とは、世界=映画=ゲーム とし、そこからの脱出として
    アルトマンを読み(07.07.1307.07.1907.11.10)、トゥルニエ/ドゥルーズを読むnos氏の姿勢
    につながっているのだろうが、少々留保を置きたい。
    (中原・松浦の趣味的な言説など心底どうでもいいのだが、
    複製としてクロースアップやクレーンショットを用いるアルトマンの抵抗もまたシニカルなのではないかと疑問がある。
    とはいえ、nos氏のアルトマン評はポール・トーマス・アンダーソンの先駆者かつ、
    アンダーソンよりも優れた作家とするものであり、腑に落ちる議論であった)
    ただし、ヴェンダース評としては「今読めるヴェンダース」になっており、未見作品を含め興味を引かれた
  (07.09.29
 ・ストローブ&ユイレ『彼らとの出会い』『ヨーロッパ 2005年10月27日』の読解
  開かれとしてのカイロス(希望の時)、いまと永遠(クロノス)との間の間隙としてのカイロスの回路。
  そして、間隙を導入するためのゴダールの切り返しショットと、
  ストローブ&ユイレの視線の交差なき向かい合いを、問題設定を同じくするものとして読む。
  いわばここにもまた、天使の問題があるのだと。
    ※ 失われた神話とその出会いの想起という軸。
    これはまさにハイデガーの故郷/異郷、ギリシアとその翻訳(ミメーシスとしての翻訳)である。
    この点で、ストローブ&ユイレはロマン主義と単に無縁であろうとしているという藤井仁子の指摘は
    かなりまずいものがあり、nos氏の指摘は浅田でも藤井でも漏れてしまう重大な問題を見ている。
    (藤井の視点にはマッケイブの語るゴダールにハイデガー/ベンヤミン的なロマン主義が抜けているのに似たところがある)
    そもそも、アファナシエフとの対談でヴィーゼルが、ゴダールがどこかで語った
    「儀式の喪失と、その喪失の記憶」のユダヤの寓話に触れる浅田が
    まずもってこの問題を無視しているのがおかしいのだが。
    (2005年の講演のように)旧左翼の歴史的弁証法/新左翼のミクロ政治力学 を
    ストローブ&ユイレ/ゴダールに当てはめてしまっては、双方ともに見えてこなくなる局面が多く、
    むしろゴダールもストローブ&ユイレもともに翻訳の問題に取り組んでいるとみなすべき。
    ただしその介入局面、制作プロセスとの関係はかなり違うものであり、
    かつ、原作のアダプテーションとしては双方ともに「正しさ」が基準ではないのだと。
    これのみならず、浅田のこの講演は問題が多いのだが以下略。
    浅田-蓮實を「各ショットのトポロジカルな既成の美学に押し込んでしまう」と指弾する
    nos氏の見切りかたには共感を覚える。
    トポロジカルな分析に代えてストローブ&ユイレを「ショットの光と音が明確に切断/接合されていく」と指摘するのだが、
    同様の発想から私はフォーサイスをかつてストローブ&ユイレに見出していた。
    高速/低速という対比は二次的な差異に過ぎない。あるいは、速度を知覚能力に沿って考えすぎなのではないか。
  (07.10.08a
  ロッセリーニ『ヨーロッパ 1951年』は「死者、つまり「過去」をも救済することを目指」したものであり
  イングリット・バーグマンは「世界そのものとの切り返しショットのごとき向き=合いを見せる」。
  (「戦後映画」としてのnos氏のこの着眼は小津論における原節子の取り上げ方と好一対となっている)
  この継承、続編として『ヨーロッパ 2005年10月27日』があるのだとする。
  クロノス的には単なる同一物の反復でしかない同じショットを、
  同じものではないとして見るために5回の反復が要請されている。
  かつて言った「1968年5月についての映画を撮ることはできない」という発言。
  その姿勢は出来事の再現、再演奏に対しての留保であっただろう。
  晩年において日付を冠した『ヨーロッパ 2005年10月27日』を少年の死を再現するのではなく撮ろうと、
  日付の固有性/脱固有性とともにストローブ&ユイレは模索したのだろう。
  ※ これは同じく遺棄されたがごとき「少年の死」でもって終わる『ドイツ零年』に対して
    東西ドイツの終焉において歴史の間隙を見取る『新ドイツ零年』を撮ったゴダールと対比するとき、
    ストローブ&ユイレのペアとしての最後の作品になる『ヨーロッパ 2005年10月27日』は興味深い軌跡だ。
    変電所というそれ自体は歴史的固有性が希薄な土地・建造物を映しだしながら、
    日付の刻印とともに不在の少年の死を反復とともに提示しようとしている。
    ただ、この二つの日記は、「それはカイロス的時間である」で止まってるな。
    もうちょっと論を展開させることができるように思う。それは私の関心であるが。
  (07.10.08b



mixiの方
・小津「東京物語」の紀子(原節子)を情が凍結された空虚であり、紀子のショットは無限を見ている
 あるいは何も見てはいない、亡夫を愛してもいない、という指摘(mixi05.4.23-5.1)
 ※ここで思考されているのは、山中がこだわった原節子と言及されているように、
  時間をとめたように亡夫の写真を飾り「歳をとらないことに」決めたという紀子は
  いわば戦争後遺症のような巨大な穴として描かれているのだという視点にほかならない
 義母の紀子宅での宿泊後の死は紀子の嘘に由来した犠牲なのだが、
 その贖いのために本当のことを言おうとする紀子を義父は肯定するという転換がある
 「許されるはずのないことが、許されるはずのない人間が、許されてしまうのである。
 ありえざることが、起こっている。」と氏は言う。義父が肯定するのは
 彼もまた時の止まった尾道に生きているからであるのだと。
 小津の時無き人口世界はこうして必然性をもって成立している。
 終わりもまた紀子の顔はそら恐ろしいのだと。
 ※もはやこの段にいたって戦争後遺症などと(ドゥルーズがネオリアリスモについて語るようには)
  うまく回収されない。虚空に向かって突き抜けているような無のみが口をあけている。
  ここにいたって、もはや東京物語読解はジュネを語るバタイユよりもなお無性の露呈と化している。
・井筒~スフラワルディーのラインからイスラム神秘主義への関心
・エラノス会議、ショーレム/アドルノ/ベンヤミンにいたるメシアニズム・ユダヤ時間観への関心
(以上の二つはmixiのa:b:r:a:x:a:sトピック、エラノス会議トピック、ショーレムトピックなどで言及)

感傷的想起
 読んでいくうちにnos氏がmixiをやっているとの記述に出くわし、はたと気づいた。私はこの人の名をかつて何度か目にしていたのだと。たしか彼の『アワーミュージック』評を最初に目にしたのだ。そしてまるで日記の多くをチェックしないままにお気に入り登録だけはしていたのだった。きっと何か気にかかるところがあったのだろう。お気に入りにはおよそ登録されていないのに残っていたのだから。なぜか記憶の中ではパラジャーノフやビクトル・エリセの印象とつながってすらいた。しかしそれは日記とは何の関係もない印章のごときイメージだったのだろう。2,3年ぶりに彼の日記欄を再び開いてみる。2004年から2005年にわたって詩のような語りのような作品があった。光景が立ち上がる詩をネットで偶然見つけて胸打たれたのは久しぶりだ。いや、気取るのはよそう。おそらく初めてのことだ。そして彼がドゥルーズとベンヤミンを愛するのを、昔の友達と再開したように得心した。それはかつて見た文章だったからではない。
 思うに文章の淀みのなさに私は感銘を受けていた。数年前、私がチャットと掲示板だけで何がしかのことを議論しあっていたとき、ある種の流れのある文体が書けていた。その文章は今読み返すと、無用な気取りと拙速な結論、力量不足のために当時どのような文字の走らせ方をしていたのかを取り違える。自分の過去は幼さばかりが目に付いてしまう。だが、私もある種の文章の思い切った走らせ方に賭けていたときがあった。論理的展開にとって一見これは些事に思える。だが、筆の進み具合が持ち込むリズムは不意に書き手の思考を喚起させるものがあり、文章への姿勢を貧しくさせ切断しようとしていた私には、その絡み合ったものを忘れていたようだった。そう、私はnos氏の文章を読んで何かを取り戻したのだろう。

※nos氏はmixiにおけるエラノス会議、山城むつみ、『エデン・エデン・エデン』、メルヴィル、クライスト、フラナリー・オコナー、ロバート・アルトマン、ユジャン・バフチャル、ハンス・ヘニー・ヤーン、ヤコブ・ベーメ、a:b:r:a:x:a:s、などをはじめとするトピック主でもある。

2.
Uoh!というブログがある。
 パヴェーゼに興味を持ち、岩波書店によるパヴェーゼ全集企画を耳にしたことをきっかけに(ただし残念ながら選集といった企画である)、一体いままでの訳にはどんなものがあるのかと探している途中で見つけた。そのときに他に出会ったのがnos氏のブログだった。Uohの持田氏は未だ未邦訳のパヴェーゼ『レウコとの対話』を2008年6月から断続的にブログ上で邦訳しており(2008年12月現在、27編中9編が邦訳されている)、その持続性、パヴェーゼを読むためにイタリア語をやり出したという歩みには驚嘆させられる。
 とりわけ注目すべきは、ヘルダーリン、ハイデガーに親しみ、パヴェーゼと厳しく格闘するさなかにある者ゆえのストローブ単独監督作『アルテミスの膝』への鋭い指摘である(08.12.15)。かくも目を開かしめるストローブ作品評に出会うのはきわめて稀なことであり、私自身すら力強く叱咤されたかのような気持ちになった。ストローブ&ユイレ作品はいまなおろくに議論されていないのだと言ってよい。

 「分からないことを口にするのはよろしくないことです。分からないことを分かっているかのような口ぶりで語るのはさらによろしくありません。だからと言って分からないことを分からないままにして押し黙るのも意気地のないことですし、分からないことから完全に目を背けてしまうのは卑怯な場合さえあるでしょう。分からないことを前にしたら分かろうとしなければなりません。分かるまでその場に立ちつづけなければなりません。」(08.12.20)。
 この一節には少なからず心を揺さぶられ、泣きそうになった。感動のみならず自らの羞恥心によって。

 ピンダロス/ヘルダリン『第三オリュンピア/ピューティア祝勝歌』を原案とする戯曲『SoPrates』に持田氏は演出・翻訳・編集として参加しているようだ。一体どんな作品なのだろう。

2008年12月16日火曜日

ジュネの話法と裏切りの軌道

2ちゃんねる文学板のジャン・ジュネのスレッドで書いた文章を加筆・再構成して投稿。《》に囲まれた文章はレスの引用箇所。新訳『花のノートルダム』(河出文庫、2008.12)を私はまだ未読。

● W.G.ゼーバルトとの対比(2008.9.19-9.23)
わたしはこの世界を観察し、解読したのち記述することでよしとしよう。そしてわたしの人生の各節は、エクリチュールというあの軽労働に、言葉を選択し抹消し、個々の挿話を逆さまに読むだけのことになろう。それも超越的な目に映ずるような真実の挿話ではなく、このわたしが自分で挿話を選択し、解釈し、並べ方を決めるものである
                            ジュネ『恋する虜』

《結局、漂白者でありながら、真実すら裏切ってのがれてしまう「書く」》という側面でW.G.ゼーバルトと類似があるということですが、たしかにゼーバルトには偽記録ともつかぬ記録と挿話の配置や、話者と媒介を重ねた奇妙な裏切り、中間休止のようなものがある。『恋する虜』や「シャティーラの4時間」などの後期ジュネにもそういう展開があるということなのでしょう。《『アウステルリッツ』の誰にも知られず朽ちはててゆく布団》《『恋する虜』の、すでに肉のあぜのなかにきざまれていたように近しい、パレスチナの少年たちの歌声》というふうにジュネとゼーバルトの差異を強調することができるということですが、これは現前化への経路というか描く際に現前の構造のどこを切り取るかで違ってくるため、必ずしも差異として対比できないかもしれない。
 ゼーバルトには《「回想」という行為そのものにまつわる登場人物の強迫観念に支えられていた一方》で、ジュネにはそうした強迫観念が無くあっけらかんとしているとされているが、私はゼーバルトにおける話法は一種の装置として勝手に動いてて、人物の葛藤などはむしろどうでもよく、(大文字のではない)歴史が人称のかたちをとって語ってるように読んだ。話者/アウステルリッツの、分離させる必要があるとも知れない二重体は、人称的なズレを出しながら、人称のかたちでやる上で要請されてるのではないか。
 
 噛み砕いて説明すると、(大文字のではない)歴史と言ったのは、『アウステルリッツ』では非常に個人史に比重がかかおっており、しばしばアウシュヴィッツの背景がある云々と言われるが(しかしそんなのを全く意識せず読むこともできる)、他の作品、たとえば『移民たち』では名も無き老婆がただひたすら移民してきた頃、その記憶をつらつら語るみたいなところがある。アウステルリッツでも、人物アウステルリッツがごく個人的な話題である父や母と過ごした日々の回想や、学校時代の歴史教師との語らいなどが出たり、小さな個人史、地域的な風土史や建築物(要塞)のモチーフも出たりする。記述方法で匿名の話者や歴史家を置いたり、大きな政治的事件を語ることもなく進行してゆく。
 歴史が人称のかたちをとって語ってるというときに念頭にあったのは、話者がエッセーや歴史読物のように語りだすのではなく、話者が人物アウステルリッツが語るのを語る、という二重性があって、『アウステルリッツ』ではよく顕著な特徴と言われるように、「と、アウステルリッツは言った」が、回想している過去の描写の中に通低音のように何度も何度も反復される。誰かが語った、という媒介性を何度も強調しながらも、かといってアウステルリッツや話者そのものが重要なのではなく、こうした躓きながらの話法が目指されていたんだと思う。そこで、歴史を「誰かのものとして」の歴史としてありありと出すために、「語る」人称性みたいなものが出てきているのかなと。人称については、ブランショの「ひと(On)」とか、それをやや継承的に議論していたドゥルーズ・ガタリの間接話法の非人称性などから発想していた。
 人称のズレというのは、話者(作中の「私」)とアウステルリッツのズレのことであり、二重体といったのは、語られている内容だけで見れば、話者とアウステルリッツを別々の人物にする必要も無く感じるが、このセットで語らせることに主眼があったのだろう。読んでると、話者がアウステルリッツの言葉にどう相槌を打ってるのかすら不明確で、どんどん話者の存在感が希薄になり、=アウステルリッツなんじゃないの、という気になる。
 話法が装置として勝手に動くと言ったのは、ゼーバルトはそのような登場人物の内面や衝動といったものを描きたかったというより、それを介して現れる歴史の姿の方に重点があるのではないかという意味で、「歴史を語る装置」として動いてるんじゃないかと。勝手に、と言うと、何やら自律的な意味合いが出てきてしまうけど、そこまでは言いすぎかな。また、小歴史のトラウマを抱え込む人物を描きたいってのもあったんだろう。

《ジュネがパレスチナの歴史的闘争にあってみずからを「夢のなかにおける、夢想家の機能」と捉えていたこと》《「語りを介して現れる歴史」が虚構であることをいささかも恐れていないかのよう》と語られ、そこがゼーバルトとの違いではないかと言われたわけですが、これは書く対象の違いに由来するものかもしれない。イスラエル/パレスチナという対立自体が、ナショナルな、あるいはエスノ-ナショナルな独立意識と国家の建設という、フィクションの相が大きいものなわけでしょう。
 また、私はサルトルの『聖ジュネ』は積んだままでいまだ要約ぐらいしか知らないのだけれど、ジュネが自らを「自発的偽造者」として描くということがすでに、周囲や環境による間主観性から自己規定していること=虚構 とみなしているというかたちで、サルトルの言う「ユダヤ人はユダヤ人とされるがゆえにユダヤ人」といった論法を引きずってもいるのではないか。ひょっとするとその上で、さらにその圏域からも逃れて逸脱しているのかもしれないけれど。問題は、フィクションの相を導入するにしても、どういうレベル、どういう構造で考えるかであって、フィクションの要素が見られるというだけでは問題含みだと思います。
 ただ、《唐突に政治家の状況分析やフェダイーンの論争を挿入》というのはいい。『アウステルリッツ』読んでるときにいつこうなるのか期待してたんだけど、そういう感じにはならず、どうも「雑学的」な余談のモザイク状の集積にも見えてしまうといった、ややつまらないところがあった。
 また、ゼーバルトについて考えると、挿入される写真や図面によって読者が見返される感覚みたいなのもあって、結果的に妙にジュネ側の記述-読解関係に近しい効果もあったりするのかもしれないが、この議論はまだ棚上げとなることでしょう。

● 新訳『花のノートルダム』(鈴木創士)訳者解説と初期ジュネについて(2008.12.15-12.16)
《天国と地獄はこのカテドラルにおいてはあらゆる弁証法的な契機を奪われ、「ざらついて」、目を覆いたくなるような、あるいは歓喜に満ちた、分断され絶えず横滑りしていく現実の核心を喚起することによって、そのまま同時に二つの世界として現存している》(訳者解説)。これは、和解・止揚にむけた弁証法的な契機が奪われることで非和解のままに二者が共に出現している事態を言ってるのだろうか。明記はされていないが、この視点には、ヘーゲルとジュネをつなげるデリダのGlasや、止揚抜きの(留保なき)ヘーゲルを語るデリダを思い出される。
鈴木創士(レス番号237)
「現実の核心」というのは、この場合、「ごろつきたちの身振り」のことなのですが、いい表現とは言えないかもしれませんね。ただ「現実的なもの」とか、また意味はちがいますが、「実在性」という言葉を使いたくなかったのです。むしろこれはマラルメがいっていたような「サスペンスの中心」を絶えず逸脱していく「ざらついた現実」(ランボーの幻滅)に近い意味で使ったつもりでした。ジュネのゴロツキたちの「悪」はジュネ自身がそれを裏切ることによって書かれるものだからです。それが弁証法的にひとつの世界になることは、微妙ですが、ないと私は考えています。その点ではサルトルの見解にもバタイユの見解にも組みできないのです。

 おそらくここで念頭に置かれているのはサルトル『聖ジュネ』とバタイユ『文学と悪』のことだとして、なるほど、サルトルでは間主観的な認識としての「悪」になっていて、容易に回収されるが、ジュネの悪はそういう視点以外からいまなお読めるということだろうか。初期ジュネと後期ジュネを分けて、後期にとりわけ可能性がある、という読解は多いが、のみならず、初期もサルトルでは済まないのだと。
鈴木創士(レス番号245)
私が解説で明言しなかったことですが、あなたの言うとおりです。「初期もサルトルでは済まないのだ」と私もますます考えるようになっています。後期のジュネにいたる空白は、サルトルが『聖ジュネ』を書いて彼を生きながらに解剖したせいだけではないということです。

《ジュネのゴロツキたちの「悪」はジュネ自身がそれを裏切ることによって書かれる》という箇所を見るならば、ジュネの描くゴロツキたちの悪/それを描くジュネによるさらなる裏切り といった構図をなし、弁証法的に統合できない運動がえがかれるとして読んでいるようですね。これはいささか乱暴すぎる整理かもしれないが、間主観的な悪ならば「ユダヤ人と思われている人がユダヤ人である」と同様に、「悪とみなされていることが悪である」という図に収まるのではないか。そしてその場合、ジュネの悪は、そうした認識を先取りする行為としてあって…と回収され、ある種の基底が避けられない。一旦描かれた悪、とさらにそれに対する裏切り、として展開されていくように、鈴木さんが関心があるのは、むしろ「裏切りとしての悪」というか、そうした基底、回収不可能性へ向けた運動として考えたいってことなんだろう。実在性という言い方を拒んでいるのもそのためなのだろう。
 あと、鈴木さんが読んでるか、好ましいと思うかはともかくとして、十川幸司の新著『来るべき精神分析のプログラム』の末尾についてる付論では二度にわたるジュネの変貌の契機を読解しているんだけど、『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』に言及される二度目の変貌である、72年のジュネの啓示について、コミュニケーションの不可能性を基礎付ける「同一性」という視点が出ていて、ちょっと面白かった。identitéというよりle mêmeの方を感じさせる同一性となっており、相互循環的なナルシスの視線関係を破壊する、永遠回帰としての同一性、と扱われていた。
 けれども、初期ジュネと後期ジュネを分けて、後期にとりわけ可能性がある、という読解は多いが、のみならず、初期もサルトルでは済まないとするとき、十川もまた初期ジュネをサルトルで整理しているわけで、「後期のジュネにいたる空白」と言われている視点から見ると、ナルシスからナルシス脱却という図式じゃ済まない異なった連続性や変化から考える余地もありそうだ。

 ゴロツキの身振りの悪があり、ジュネは魅了されている。そしてそれを書くことにおいて身振りが裏切られる。そうしたとき、いわば重要になるのは、書くということのステータスを、実定させた扱いをすることなくどう考えるか、ということなのだろう。弁証法に関しては、サルトル的な弁証法はヘーゲルと関係ないと喝破したアドルノに沿って、理論的な思弁だけでは掴めないステータスを考えるために、弁証法に寄り添って(簡単に離脱することなく)考えたい。それはまたいつかの機会になり、またしても棚上げされてしまいそうではあるが……。

2008年12月10日水曜日

ウィリアム・フォーサイスの現在

 2005年3月にフランクフルトのフォーサイスカンパニーで1週間のワークショップを行った日野晃とそのときの記録である日野晃・押切伸一『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』(白水社、2005.8)を読んで以来、フォーサイスの作品とその組織化、現在にいたるまでのプロセスを支えた制作モチーフなどを再考する衝動に駆られている。この本は怪しげな表紙写真といい、ピンクの文字といい、内容を知らずにタイトルだけを見ると来日時のイベント本か何かかとずっと誤解したままだったのだがまったくの勘違いであり、この1,2年でも屈指の拾い物の本だった。(内容紹介は省略)

 フォーサイスとそのダンサーにフランクフルトバレエ団解散からフォーサイスカンパニーへの移行が生じていたことはよく知られているし、フランクフルト市財政上の理由から団の危機が起きた際、桜井圭一らをはじめとしてメールで反対署名を集める動きがたしか2002年前後にあったことは記憶に残っていた。
 人が知るその後の経緯は、カンパニーに変化してその後、2004年に来日し安藤洋子をメインに据えた公演「WEAR」をおこない、また2006年にはさいたま芸術劇場で「one flat thing, reproduced」「7 to 10 Passages」「Clouds after Cranach」を上演、2008年になって「one flat thing, reproduced」と「From a classical position」の日本版DVDが発売(one flat thing, reproducedの方は英仏版DVDと同時発売)、しかし最近日本に来るという情報も無いなあ、といったところだろう。そして映像版の「one flat thing, reproduced」を見るかぎり、多人数・同時進行・高速複雑動作といった大雑把な面ではフォーサイスダンスの印象の差がなく、一見齟齬は無いように見える。が、どうやらそうでもないようなのだ。というわけで、以下はいろいろ考えた内容。

・私は未見だが「WEAR」上演のさいに出ていた評価はこんな感じだったと思う。
1.「安藤のようなバレエトレーニングの経ていない身体が浮きすぎだ。坂本のオペラ「LIFE」の頃から安藤のダンスには「大母の大地」的な、舞踏的な面があり、フォーサイスが安藤を好むのには懸念が。これまでの「超絶技巧」スタイルからするとこれは一体どうしたことなのか。やっつけ仕事なのか?」
2.「バレエ団解散とともに30人以上いたダンサーたちも10数人に減り、身体技能の低下が目に付く(1999年時点と2006年時点で比較すると残っているのはダナ・カスパーセン、フランチェスカ・カロティ、ジョーン・サン・マルティン、ファブリス・マツリアの4人のみ)。今回上演された過去の演目(N.N.N.N.やクインテット)にしても以前の1999年公演の方が際立ってしまっている。今後のフォーサイスはどうなるのか不安だ」
3.「パフォーマンスアートっぽくなってる。メディアインスタレーション作家の方向がより顕著になってきた? あの超絶複雑な身体文法の構築からのこの転身は一体どうなることなのか」

 1と2は重なる項目だが、ここで共通しているフォーサイスの思惑は、抽象的な身体から各々固有なる身体を活かしていこうという方向性の強化によるものだ。こう考えたとき、カンパニーから「バレエ」という文字が消え、少人数体制になったことも単に縮小を意味するのではなく、フォーサイスの関心が明確になったことでもある。いわゆる「モダンダンスの脱構築の人フォーサイス」ではなく、よりトリシャ・ブラウンやマース・カニングハムの系譜に連なるコンテンポラリー・ダンスの相貌が明白になった結果なのだろう。したがって、身体固有性と即興性をどう接続させ、組織化させていくかという課題が生じていた。また、ここで3が飾りや余分なものではなくもう一度関係してくる。コンタクト・インプロヴィゼーションに関与させる事物としてさまざまな仕掛けが凝らされてきたということなのだろう。

 こうして、いくつかの線が見えてくる
・コンタクトインプロヴィゼーションと身体固有性をどう考えるか
・それらの中で仕掛けや空間の設計、振付をどうするか
 この二面性はこれまでのフォーサイスにもあったものだが、アルゴリズムに基づき振付を自在に接続するといったコンセプトが際立っていたが、コンタクトインプロヴィゼーションと振付との関係は十分に言説にされてきたわけではなかったと言ってよいのではないか。

 日野が2003年にフォーサイスに着目され、親密になる背景はここにある。相手の身体作動、筋肉の緊張などを察知する高感度カウンター型の武道を培ってきた日野は同時にフリージャズの経験者であり、ベジャール「ボレロ」のジョルジュ・ドンから肘の操作による腕使用や胸骨操作による背骨使用を吸収し、ダンスに興味を示していた(とりわけシルヴィ・ギエムを彼は評価している)。身体の形態操作をよりミクロに力学分析したかのような日野の身体理論は、「形象化して残るのではなく(...)瞬間ごとに変容し消滅する」身体観をもっていたフォーサイスには、ましてやバレエ団から心機一転の端緒についたフォーサイスには心を射止めるものがあったに違いない(「interview ウィリアム・フォーサイス」(聞き手:立木燁子)、堤広志編『現代ドイツのパフォーミングアーツ』(三元社、2006.3))。「深く根源的な水準に達した知覚単位(a degree of perceptual unity so profoundly fundamental)」とフォーサイスが日野を激賞するのはこういった模索ゆえだった。

 ダンスへの身体技術貢献ができると感じた日野は、2005年の横浜BankArtでの安藤とおこなったワークショップをはじめとして毎年コンテンポラリーダンスのワークショップを開講している。最も最近開催されたものでは今年11月に神戸での佐藤健大郎やフォーサイスカンパニーのIoannis Mantafounisを交えたショーケースがあるが、これも大成功だったようだ。「ねじれ」トレーニングによる身体連動、「正面向かい合い」トレーニングによるコンタクト知覚の習得を下地とし、複数グループを組み合わせて高密度の空間を実現しているとのことだ。
 ただし、日野の日記による記述では「振付をどう設計するのか」という問題はボキャブラリー上、得意分野でなないからかあまり言葉にされて掘り下げられているとは言えない。日野のフォーサイスとの出会いの記録である上記書籍でも欠けている視点はこれだ。

 日野トレーニング以後のフォーサイス、日野以後の国内ダンサーにおいて重要な問題は、空間や事物の設計や振付をどう考えるかということである。つまり上の二面が再浮上することになる。思うにこの構造はダンサーと振付という要素を不可避とするダンスにつきまとうものなのだろう。この意味で再び「現在のフォーサイス作品」および「現在にいたるまでのフォーサイスにおける二面性」を考える必要がある。

■ 追記(12.19)
 日野晃のHP付属BBSで告知されたところによると、2004年末から2008年12月上旬まで続いていた日野晃の日記は残念ながら誤って削除されてしまったらしく、新規に12.11からブログがオープンした。過去ログの復旧は行う予定が立てられていないのか、そうした告知はない。開講したワークショップの日野自身によるレポートはHPに転載されているので読むことができる。本文中の日野日記のリンクは新ブログのものに代えておいた。