2009年11月17日火曜日

ゴダールをめぐる諸思考・断片2

目次 2009.11.9-11.17
[断片1の続き]
天国とretour、survie、証言について
朗読の上演性と翻訳・多言語状況、顔-媒介、不可能性の可能性、亡霊ショット再読
ゴダールが講義で語るテキスト/イメージと、ヴィジョンについてのテキストの位置、夜の主題

天国とretour、survie、証言について
2009年11月09日
(...)私はSans espoir de retourについて作中で出てきたのを完全に忘れてたんだけど、要はnon retourable pointってことかと。「決定的移行」の言い換えと理解できる範囲の語彙かと思った。移行ののち、survie(生存/余生)が無いかと言うと、そういうわけでもなく、むしろ移行ゆえにsurvieが可能になるのでは、と思ってたので。というわけで、retourの語は、survieの運動としての retourでありそれが不可能になる、という意味ではなく、survieを可能にするretourの「以後」に置かれていますよ、ってことかと。fatalなmomentによってsurvieが可能になるということでしょう。

>あれは「犠牲」を実行した人間が行く処です。もし「犠牲」ではなく「テロ」だったならばそこは「地獄」だったのです。
 なるほど。その差が大きいという読解がありえるわけか。ほとんど偶然みたいな死に方なのに、同時に犠牲でもある(平和運動でもあるんだし)というのがキーになるんですね。
 ただ、なんでアメリカ海兵隊がいるのか、そこが結局すっきりしないんですよ。あれは何なんだろう。ここが腑に落ちなくて、視線とオルガの関係に焦点を絞ってたんですよね。(...)で、あの海兵隊の要素がよくわからなかったんで、天国の位置づけの多義性を高めるため、または多義的な喚起性をさらに強化するための工夫として盛り込んだ、ということだったのかな、と思ったわけです。移行の後にあっても軍事的な力関係の不均衡もまた残る、ということなのか、海兵隊もまた天国の住人であって、ある意味で対等にそこにあるのだ、ということなのか。単に出てくるだけ、という扱いに見えたので、それ以上読解を進ませる契機を見つけ出せなかったのです。

>オルガの顔とドライヤー『裁かるゝジャンヌ』の一シーンのジャンヌの顔とは、コマレベルで厳密に対応するように重ねられている
 なるほど。というか、上記のようにsurvieの論旨を整えてやっと受難・殉教の扱い方が腑に落ちた。suriveを可能にするmomentを、受難・殉教でもって作っているわけだ。デリダのブランショ論みたいな話だな。無理矢理世俗的に翻訳すると、passionの経験やpassivilityがもたらす時間-空間がmomentとなり、fatalな出来事が生じ、以後はsurvieが作動し始める、といったような。でもこう抽出すると、平和運動とかパレスチナとかもろもろの内容面が薄まりすぎるかな。

2009年11月09日 加筆修正
 久しぶりに『私たちの音楽』を見ています。通しで見たのは、今までに3度もないのですが。――というのも、私はゴダールの作品構成では、積極的な意味でphrasesというかエクリチュールとなっている、すなわち断片やその負荷から問うことができるものになっているし、ゴダールが成し遂げた成果の一面はそれだと思っているからでもあるのですが。と同時にこの見方は、作品の全体構成としての線の収束と展開を時には見捨てる、読解放棄することにもつながちかねないリスクがある――というわけで今回も途中から唐突に見始めるのですが、1:01:36-あたりの〔PAL方式DVDではない海外盤では1:04:20-あたり〕キュルニエ/マイヤール/ゴダールの会話がちょっと面白い。

 インタヴューでもダルウィーシュの発言はかつて別のインタヴューで言われたことの再演だと言われているように、おそらくゴダールはその筆者たちを起用させるに至った関心の出所だったテキストなり思考なりをピックアップし、それを再上演するというかたちで喋らせているのでしょう。その意味では、オルガやジュディットといったfictionalな登場人物では「一体何を彼女らは考えていたのか」という問いかけが可能であるのとはまた別に、彼ら著者は「なぜ・どのように再上演(演奏、翻訳)されたのか」という問いがありえている。

 そこでこの三者シーンですが、証言者の話になった後では"絡みがない"。ルフォールのくだりと証言者のくだりである程度は別箇の話題に移行しちゃってますね。ゴダールの発言はないので実質二者シーンと言っていいのですが、その後のマイヤール/キュルニエが順々に喋ってる箇所では、応答として台詞が続いていない。二人ともがそれぞれ、一繋ぎの文章を再上演的に交代で話しているだけのようになっている(ここはちょっと『ウイークエンド』終わりごろの黒人労働者と白人労働者の分断的な併行語りを思わせる)。邦訳は英訳srtと対比する限り、どうも訳し下しすぎている。仏語採録欲しいなあ。

 で、言われていることは、
・マイヤール「私が信じるのは、死を前にした証言者だ」
英訳srt:I only believe stories whose witnesses would have their throats cut.
重訳:「自らの首をかき切るであろうことを証言/目撃[witnesses]する物語/歴史だけを、私は信じる」。 histoire d'on temoigne...とか言ってる。
・キュルニエ「よほど皮肉な人でなければ、その意図と関係なく、怒りを表さない被害者は耐え難いものだ」
英訳srt:Without getting so cynical. It's virtually intolerable...to hear victims without anger or disgust be reduced to this. Due to, or despite, oneself.
重訳:「シニカルにならずとも、犠牲者(被害者)が犠牲を怒りや不満へと還元することなく話すのを聞くのは、潜在的には耐えがたい。〔その犠牲が〕犠牲者自身に基くにせよそうではないにせよ」
・キュルニエ「目の前にあるのは不可能な意志を受け継ぐ、思考なき物語のようだ。かつてないほどの空虚さだ」
英訳srt:What lies ahead of us now... is like a story without thought... as if bequeathed by an impossible will. More than ever, we're faced with the void.
重訳:「私たちの前に今あるのは、思考のない物語/歴史に似たものだ。まるで不可能な意志によって遺贈される/後世に残される[bequeathed]物語/歴史。今までになく私たちは〔思考のない物語/歴史という〕空隙・間隙[void]に直面している」
ということです。

 これはまさに犠牲と証言と、それについての不可能性をめぐる語りの話で、作品におけるオルガのモチーフへの言及になってるんじゃないかな。ここまで明確に作中言及するのも珍しい。ほとんど「解題」に近いし、レヴィナスの引用箇所を継いでいる線でも読める。テクストの上演劇の最後尾にこれが置かれているという点でも、オルガが自殺の話をした後に配されているという意味でも、大きな重要性があると思う。
 この3つで言われているのは、自殺についての証言の物語は特異性を持ち、その特異性は聞く人を限界に追いやるし、その怒りや不満に回収することなく話されたときにとりわけ開示され、それは語りや思考にとっての引き金にも決定的移行点にもなる不可能性-空隙として遺される、ということでしょう。survieについてほとんどもろに語ってる。

> そういえばオルガはゴダールの講義を受けている時もまぶたを閉じていました。あの時は、恐らく「天国」に思いを凝らしていたのでしょう。
 今回はじめて気づきましたが、よく見てみると、「王国3 天国」が出る直前のファウンド・フッテージ[日本盤DVDの1:08:36-45]、目蓋を開いたかたちで映像が切り抜かれて戦死者を見つめているショットがありますね。あそこは地獄篇と煉獄篇/天国篇をつなぐ場所になってるんでしょうね。

>海兵隊ですが、まずエデンの守護天使ケルビムであるということ。
 それは鮮烈な読解ですね。エデンだっていうのは何となく連想してはいたんですが…(『21世紀の起源』でも出てきているしこの作品でも重要なんですが、あれはセリーヌ的な俗語表記仏語を朗読するギヨタが把握できないのでちょっと放り投げている)。見返してみると、黒人海兵隊が出てくるのは3つの場所ですよね。川辺(での釣り)と、海辺あるいは湖畔(での防衛)と、同じく湖畔/海辺(でラジオのそばで子供と佇む検問役)。川はエデンにとっての外との境界ではなく、湖畔/海辺が境界になるんでしょう。そして検問を超えて通過した途端に「弟が生まれた」の声があがり、その後のシーンで黒人海兵隊は出てこなくなる。Sans espoir de retourが強調されるのも、リンゴを食べあうのも、この通過の後にある。

 蛇足的にいうと、アイロニーと言ったのは、皮肉という意味ではなく、多義性のことです。ソクラテス/シュレーゲルあたりで形成された意味におけるアイロニーであって、意味A/意味Bの同居がそこから生じる。ズレを可能にする振動体として、一つのユニットとして機能するのではと。

 私は天使について必要なはずの基本的知見がごっそり欠けていたりしているんですが(いつかしっかりやらんとと思いながら先延ばしにしてきている)、ミシェル・セールの『天使の伝説La légende des anges』をたまにざっと読むわけです。この本は対話体で進行する物語みたいなつくりになってるんですが、セールにあってはケルビムは「インターチェンジとしてのケルビム(...)ケルビムは水陸両棲なので、自分のなかのふたつの世界を接続している」(邦訳p.135)、「彼はその中に〔二つの世界のあいだ〕にさまざまの媒介物を統合している」(p.137)とされる。これはこれで整合的につながるような話ですね。おそらく防衛しているだけではなく、天国の外と内をつなぐ者なのでしょう。
 『神曲』はいまだ読み通してないのですが、聞くところによると、『神曲』では煉獄山の山頂にエデンがあるそうですね。天国に一番近くはあるのでしょうが、天国そのものではない。エデンは地上にあるものとされているわけですが、検問の手前(の海兵隊)と向こう(回帰不能点以後[apre non-retourable point])というのは、この場合どうなっているのだろう。エデンの東にケルビムと炎の剣を神は置いたわけで、(エデンの)境界の外にあって防衛しているという意味であの海兵隊がケルビウだというのは筋が通りますね。

 ただし、あの海兵隊がケルビムだとして、「なぜケルビムがアメリカ海兵隊なのか」。これは依然として多義的な作用のなかにあり続けているのではないでしょうか。

2009年11月11日 加筆修正
>例えばイスラエルの和平はアメリカの武力なくしては(いま)ありえない。アメリカが正義などではまったくないにもかかわらず、です。同時に、アメリカの世界戦略の最前線で戦っているのは誰なのか。そこで死んでいる兵士は何のために誰のために死んでいるのか。そこには若い黒人兵がいる。
 なるほどなあ。つまり、アメリカ軍事戦略・政治の尖兵ってだけじゃなくて、アメリカの軍事力・政治力そのものに宿るアンビヴァレンスとしても読めるのだと。登場、防衛、検閲ぐらいの要素しかない海兵隊の身振りなので、読み込むのが難しいのですが、少ない描写のなかにあっても海兵服・黒人というふうにアメリカ軍そのものに多義性を充填させたりして、切り出そうとしたんでしょうね。説得的な読解だと思います。

>ギヨタと言えばまさに『エデン エデン エデン』ではありませんか。
 いやあ、まだ読んでないんですよ。いろいろあって入手しないままに放置してて。『ヒア&ゼア』状態ですね。

持田さんへ
 レウコ読解はおろかパヴェーゼ読解がろくに進んでないので、それではさすがに申し訳がない、せめて「月とかがり火」ぐらいは読んで応えよう…と思ったはいいけど、集英社版選集が見つからない。仕方ないので、持田さんの前述の引用箇所と持田さんの主旨からだけで話します。
 ちょうどこのコメント欄でのnosさんと持田さんのやりとりが始まったときの不死者と死すべき運命をめぐる線が回帰し、唐突に始まったはずのForEver Mozartについてのやり取りだったはずがつながってきました。

>オルガの悲観的(=ロシア的?)あり方(...)
>パヴェーゼの『レウコとの対話』における「不死の生」の概念、「死にたくても死ねず、生きたくても生きられない」(...)
>カリュプソー: (...)ここだったら、なんにも起こらないのよ。(...)ここだったら、あなたはいつまでも生きていられるのよ。
>オデュッセウス: 不死なるものの暮らしか。

 これは死の契機を失って、本来的な死への切迫性がなくなって停滞し、かつ、「閉じ込められている」みたいな意味合いが出てきているってことかな。境界の外にいるのが海兵隊なので、逆手に取れば、見ようによっては海兵隊によって封鎖されたゲットーにも読めちゃうんですよね。

 パヴェーゼにおけるミュトスにかかわる対話、死の問題、oui/nonと出来事、という問題が絡み合いながら再浮上してきた感があるので、唐突に提起しますが、思うに、この問題に足を突っ込み始めると、ブランショのattendre(『期待 忘却』)と、ハイデガーの言う本来的な死に対する現存在の「己自身への切迫」[steht sich bevor]を翻訳するかたちでデリダが取り上げて論じたs'attendre(『アポリア』)のそれぞれの議論系をまずまとめ、かつ、『ForEver Mozart』がそれとは違うものとしてどういった可能性として読めるのか、はたしてそこまでいけてるのかどうか、というのを議論しなくちゃいけなくなる。しかも、ブランショにおけるヘーゲルとハイデガーの扱いと、デリダにおけるそれを吟味しなおし、かつ…、という矢鱈しんどい作業になります。さらにはそれらと、ミュトス、神話的なるものと、それについての作品とは何か、というパヴェーゼからヘルダーリン、『私たちの音楽』まで含む巨大な問題が出てきちゃうはずなんですが(キュルニエのいう思考なき歴史-物語というのは、要はロゴスを超えるミュトス、という昔ながらの議論の変奏でしょう)、私はヘルダーリンとハイデガーのヘルダーリン読解、パヴェーゼに、ほとんど触れてない段階なので、まだやれてない。ですが、一応言わないよりは言うべきことなのかな、と思い、拙速ながら書き込んでおきます。

 ヘルダーリンからパヴェーゼへと、ミュトスをめぐる主題系として継承的に移行したと思われる持田さんは、おそらくこのへんの、やり出せば相当厄介な問題系に気づきつつも、半ば暗示的にウィとノンの相補性というところで一旦は議論を終え、「字幕の不備とそれに基づく読解(浅田)の不備の指摘」というかたちで文章を締めたのではないか、と思っていました。

朗読の上演性と翻訳・多言語状況、顔-媒介、不可能性の可能性、亡霊ショット再読
2009年11月11日 加筆修正
 おそらくはあの作品で出てくる著者たちの発言には、露骨に彼ら自身の著書や発言などという出典があるにもかかわらず、採録および(とりあえず国内の)『私たちの音楽』読解において誰もこの点を明確にできていないんですよね。朗読・再上演という意味では、ストローブ&ユイレ的なやり方をゴダールなりに取り込んでるんじゃないの? って読み方も可能だと思うんですよ。インタヴュー中のウィットの発言で「え、そうなの?」と驚いたものでした。
 特に、内容が内容だけにキュルニエとマイヤールの文章は出典を特定したいところなんですが、よくわからない。キュルニエはタイトルからして、著書ならば、La culture, suicidée par ses spectres, Editions (Sens & Tonka, 1998)かMontrer l’invisible. Écrits sur l’image, (éd. Jacqueline Chambon, janvier 2009)、雑誌寄稿であれば、"Il faut cesser d'être contemporain", revue Lignes, no.36, Editions Hazan, janvier 1999. "Le noir du vivant, la cruauté, encore", revue Lignes, no.03, Editions Leo Scheer, octobre 2000. "Oui", revue Lignes, no.04, fevrier 2001.あたりかとも思ったのですが。時期からして著書ならば前者の可能性が高い。cf. Jean-Paul Curnier - Wikipédia
国内公開時冊子の二つ目のフロドンによるインタヴューでは「例えば、ジャン=ポール・キュルニエは、彼が雑誌「Lignesリーニュ」に寄稿したテキストに興味を持ち、出演してもらいました」とあり、Lignes寄稿記事が出典である可能性が高い。ゴイティソーロの『包囲状態』、ダルウィーシュ『メタファーとしてのパレスチナ』を使ってるのだとほのめかしていますしね。『包囲状態』とは包囲下サラエヴォの経験をもとにした小説『包囲の包囲』(El sitio de los sitios, Alfaguara, 1995, 未邦訳)の仏訳書だと思います。
 採録が出たとしても、Phrasesシリーズは句読点を剥ぎ取って改行しまくった、まさしくPhrases(楽句群・詩句群)といった類なので、文章の区切りの確定という意味ではそれぞれの著書に当たるしかないのでしょう。

>特定の人種かつフランス語を口にするものたちだと言う点です。『ストリート・オブ・ノー・リターン』のフランス語版を読んでいる男ははっきり「ボン・ジュール」とオルガに挨拶しています
 ああ、そこは確かに重要だと思う。煉獄最初の空港あたりとか、ダルウィーシュインタヴューとか、完全に多言語空間と並行的関係、翻訳という問題があったはずなのに、対比されるようにしてそれらが消えてしまっている。ペシミスティックでシニカルな線として一度きっちり読み込む必要もあるでしょうね。

>自分たちのせい、とか、やむをえず、なんて言葉で片付けられているのを(...)
 ああ、そっちのほうが的確な理解かもしれないですね。due to oneselfというのは、「犠牲者自身の自己責任」って意味か。
>自分たちの惨めな状況を声にするために列をなすものたちと、公開陳列された犠牲者を目にするものたちとにね。
 これは、要するに証言者の語りが、第三者にとって利用されちゃうってことですよね。「不可能な意志によって遺贈される/後世に残される[bequeathed]物語/歴史」というのは、いわばそれを真摯に見つめるときの局面であり、という方だと思い、つまり、証言というのはかなり翻訳者・読解者側にとって左右されてしまう危うげなものだってことだろうと思い、とりあえずこっちの線を重視したわけですが。(...)

 まあ、ヘーゲル/ハイデガー~ブランショ/デリダ/ラクーラバルトにのみこだわるべき、というわけではないのですが、概念的な背景を最大限に出すと、どうしてもこのようなプレッシャーが出てくると思うんですよ。「思考なき物語」としての歴史・語り、ロゴスなき思考としての神話、これは結構面倒な問題で、たとえばカッシーラーにあっては神話とは結合と分離である、しかし悟性による結合ではない、とか言う。新カント派的な発想だとこうなるし、バフチンにせよ神話を題材に始めたロシア・フォルマリズムにせよ、新カント派とのつながりが結構色濃い(まああの時代はどこを向いても新カント派がいるんですが)。ラクーラバルトなら神話はタイポグラフィック(類型記述的)な機能があり、存在-類型論によって裏打ちされている、といった議論を展開する(『ハイデガー 詩と政治』)。政治と神話という問題圏は、かなり厄介で、その神話の全体性とは何か、とかやりだすと、先に提起した歴史の問いやヨーロッパの全体性といった問題はまたしても密接な問題となって浮上する。多言語、他民族、という主題が出ている以上は、どうしてもこの種の込み入った難問になるんじゃないかな、と思いまして。

2009年11月12日
 あまりに素朴な疑問ゆえか、誰も言ってないのですが、「なぜ、カトリックと無縁ではない『神曲』なのか」「その上なぜエデンなのか」という問題もありますよね。ユダヤ教やカトリックならばまだエデンでも話は通りますが――といっても、ユダヤ教でのエデンは神曲のそれはとは別物らしいですが――インディアン、パレスチナ人(つまりアラブ)、ムスリムなどともつながるはずのゴイティソーロを持ち出しておきながら、エデンでまとめあげる、あるいはエデンにはもはやインディアンもムスリムもいやしない、っていう。この点にこだわると、シニカルな位置づけなのかなあ、とどうしても思えてしまいますね。誰もが「まあゴダールだし、そのへんはかなり適当なんだろう」と済ませがちですが、よく考えたら無茶苦茶ですよねw (...)

2009年11月12日 加筆修正
(...)
a. 顔-死体の媒介性
 持田さんが取り上げなおしたペクー/ジュディットの前の箇所に、レヴィナスのEntre nousをジュディットが取り出すとき、ペクーが(おそらくテキストを)話していますね。ここ、よく仏語を聞いてみて、英訳srtとも対照しましたが、邦訳字幕・邦訳採録(これは同一文章です)が間違ってます、あるいは訳し下しすぎです。

「苦しみと罪悪感とを結びつける」云々の後、ペクーはこう言う。「二つの岸と一つの真実。それが橋だ」(採録邦訳)。
仏語では、"Deux visages et une verite. Le pont."
英訳srtでは"Two faces and one truth.: the bridge."
岸じゃなくて顔ですね。だからこそ、レヴィナスがつなげられている。ペクー起用の動機は、レヴィナスへの接続のためでしょう。

 で、その後で
>「For me, he's the one I'm responsible for. Here, a Muslim and a Croatian.」[英訳srt]
と、ムスリムとクロアチアの間の非対称的な関係(が「私」/「他者」間の非対称性と同じであるとして)提起されるわけで、つまりここで言っているのは、ムスリムの顔、クロアチアの顔、そして真理、という話です。
 そのため、ジュディットは「どうやって石たちに顔を向けることができるのか?」[英訳"how can we make a face with stones?"]と問うわけで、採録の「石は何を表すのか?」はもはや誤訳でしょう。この英訳を読むかぎり、石は橋として紐帯になる、というよりは、むしろ鏡のような媒介性をなしていて、二つの顔のそれぞれが、石に顔を向け、そこに「一つの真理・真実」があるという話をしているわけですから。
 ”responsible for”を責任と訳すのも、このときやはり微妙です。「”私”にとって、”彼”は私が応答可能性=責任を負う者です」でいいと思う。鏡=石を介した応答可能性の責務を負うわけです。

 そのあとのペクーの言葉で、こうある。”Each stone was identified on a card... on which each detail was noted. Its position in the water, its position in the structure... and a description of each face...”[英訳srt]。
「それぞれの石は、カードに同定=身分照合され[identified]、詳細を書きこまれた。水中での位置、構造上の位置、それぞれの顔の記述といった詳細を。」
 これ、たぶん、アウシュヴィッツなど収容所の名簿と同じですよ。顔や特徴をまとめあげ、それをカルテにし、ダビデの星をつけるようにカードを作ったわけでしょう。ナンバリングされた石たちはほとんど死体じゃないですか。オルガではなく、大使にドイツ軍から逃げるユダヤ人の話を蒸し返すジュディットがこのシーンを担当しているのは、必然的なつながりがあるんじゃないかな。
 で、そんな石が、橋の修復に使われるわけで、「過去の修復」という言葉にはかなりの負荷がこめられている。クロアチア/ムスリムをドイツ/ユダヤの延長線上に見ているわけで、だから「(被害者側の)苦しみと(加害者側の)罪を結びつける」となるわけです。結びつけるのは死体であり、死者たちの遺された記憶でしょうね。したがって、「どうやって(そんな痛ましい)石たちに顔を向けることができるのか?」なわけです。答えはないわけですが、応答可能性という/の責任を「私」となって負うしかない、ということでしょう。

 さて、その石の説明の後に、ペクーはシュメール人は過去はavant、未来はapresと呼んでいたと言うわけですが(英訳ではそれぞれafter、before)、nosさんはこれを「後」「前」と訳しては逆だ、「前」「後」で訳さなくてはいけない、と言っていたわけですね。私はその見解に不満はないのですが、visage[face]の話がある以上、ここでは「眼前」「背後」がより適訳なのではないか、と思います。つまり、front/backの方に近いと思うんですね。過去(石=死体・記憶)が、眼前にあって、顔向けする対象になっている、という話なので。こうして読むとき、教室の後の川面からインディアンが出てくるまでの一続きのシークエンスは、しっかりと一つの主題で構築されているわけです。おそらくは過去のインディアンが、ふと「眼前」にいる、という。
 こうしてみると、オルガとジュディットというのは、別の動的作用や別の経路をもつ観測機となって同じものをとらえている、みたいな関係なのかもしれませんね。犠牲と天国にまでいたるオルガがどうしても主線に見えちゃうから、ジュディットの影が薄くなっちゃいますけども。

b. 不可能性の可能性
>「We can consider death in two ways / the impossible of the possible / or the possible of the impossible」
 ここですが、邦訳採録では出典を明らかにできていない箇所でして、『時間と他者』第3章のなかの「苦しみと死」の注3の文章を変形したのではないか、というふうに補注がつけられているだけです。
「ハイデッガーにおける死は、ジャン・ヴァール氏の言うように「可能性の不可能性」であるのではなく、「不可能性の可能性」なのである。一見したところ些末な区別であるように見えるが、この区別は根本的な重要性をもつものである」(原田訳、p.105)
 ※ちなみに合田正人訳が『レヴィナス・コレクション』にも入ってますが、いまざっと確認したかぎりでは、なぜか注が訳されていないし、原田よりも訳し下しすぎているので、大筋において原田版の方がいいと思います。

 で、この可能性の不可能性、というのは、生という可能性―尽きる、死ぬ、という不可能性、という話で、要はコメント欄の最初にnosさんが言った本来的-固有なる死という契機を、契機として見ない発想ということなんですよ。レヴィナスはそれに対置して、不可能性の可能性、つまり、死による契機にはじまる可能性、を言うわけですね。この論脈はレヴィナス/デリダにあっては非常に重要で、「翻訳不可能性ゆえの翻訳可能性」というような「不可能性ゆえの可能性」みたいな議論となって継承されていくわけです。行為遂行性にとっての契機でもあるわけですね。

 で、それはそれとして、ゴダールがここでやっているのは、文章からして、むしろ単なる併置ではなかろうか、というのは、説得的な読解ではあるんですが、それって果たして面白くなる読解なのかという疑問が…。

 まあ、訳としてはまずいですね。「私たちは二通りで死を考える。可能性の不可能性として、あるいは、不可能性の可能性として」ぐらいでいい。レヴィナスの線に沿うにしても「死とはありうることが起こらないのではなく、むしろありえないことが起こることなのだ」じゃあ誤訳でしょう。レヴィナスの線で訳し下すなら、「死を生という可能性の終わりであり不可能性とする考えと、逆説的にではあるが、不可能性としての死の切迫による可能性の始まりとする考え」とかになるんじゃないかな。

 さて、ここでまた一つ付け加えると…どうやらautreの負荷がかかってますね。英訳でorにあたる箇所が、", d'autre, "って区切りになってる。まあ普通に訳すと、「もう一つは」なわけですが、その直後に"Or, Je "est" un "autre"."なわけで、これはestへのランボー的負荷、かつ、autreへの負荷から、「不可能性の可能性として考える方だ」という二重の言い回しじゃないですかね。訳し下せば、「さて、私は一個の非人称的な他者であり、不可能性の可能性として死を考える側である」でしょう。
 こうして考えると、ランボーを持ち出したのは、「不可能性の可能性として死を考える者」「非人称的(あるいは三人称的)他者」「"私"はそれである」が絡まっていて、この地獄篇の映像を見つめている・編んでいる話者である、ということでしょう。話者の立場規定をここでしている。ほとんど発話人称化された亡霊です。

c.
>『アワーミュージック』の思想的背景というのは僕はすべてはとても読めてはいませんが、ある線はなんとか感得しているつもりです。それはレヴィナスーハイデッガーです。
 それはおおむねそうだと思うし、あと感じられるのは「昔は結構バタイユだったんじゃないか?」ぐらいの直感かな。『呪われた部分』とか意外に読んでるんじゃないかな、と。戦争と供犠(sacrifice)の議論とか結構あるんですよ。バタイユからヘーゲル、バタイユからハイデガー/レヴィナスに移ったのではないか……というのが私が抱いてる妄想です。
 ただ、マッケイブがいろいろな人の発言を引いて、ゴランやゴダールの家族などの証言、初期作品の引用分析の結果から考える限り、ゴダールは必ずしもまともに読み込んでない、冒頭と終わりごろだけを読んで引用しているケースが多く、下手な推測ができない、と言ってるような危うさがあり、また、ゴダールの批評文も出典などを明確にするものではないですからね。つまるところ、読み手自身が決定し、それに基づいて問えばいいんじゃないか。そう割り切るしかないと思うんですよ。その上で、バタイユ/ヘーゲル/ハイデガー/レヴィナスは、変な読み方ではあるにせよ、ある程度以上は読んでいるだろう……と思います。1994年に、歴史とモンタージュについて語ったときに言った「私はかなりのヘーゲリアンです」(全評論・全発言III, p.464)、これは冗談じゃないと思う。

d. レヴィナスへの接合やイスラエル/パレスチナを担当していたジュディットからオルガへ 亡霊ショットの再読
 (...)ところで、前にnosさんが
>ダーウィッシュへのインタビューでは彼女選任のカメラマンはピンポンとしての「切り返しショット」を撮ろうとするばかりです。モスタルではインディアンたちを撮ることができない。彼女はレヴィナスを読む。しかしオルガは本に対して命を賭す。
と対比したわけですが、上記のように顔、顔向けの主題をジュディットが担当しているにもかかわらず、そして講義で言及されたデジカメを持っているにもかかわらず、彼女は何も応答できていないわけですね。石の話をした後で、その石ではないのでしょうが、観光客だかヒッピーだかわからない怪しげな連中が川に投石してるのに、制止できず眺めてしまう。カメラまで持ってるのに、カメラが議題になってるのに、彼女の行動線の弱さは異様な欠落で、ちょっと不気味ですよ。インディアン出現とともにちょっとホラーっぽいBGMがかかった途端、ジュディットの存在は、作中ではインディアンとともにもう消滅してしまったかのようにいなくなってしまう。インディアンへのリアクションのショットすらない。そして、ジュディットがピンボケショットに映るのは、この直後でしょう。あたかもジュディットはインディアン出現の時点ですでに即死し、オルガに憑依したみたいな…w  よく考えると、何が契機となってオルガがあのピンボケショットのような視線の対象になったのかは不明なわけです。講義によって「ジャンヌへの生成」を遂げたから、とも考えられますが、ジュディットが消えたから、みたいにも思える。

 「1492年」にさまざまな局面を器のように盛り込んだ(かもしれなかった)のと同様に、サラエヴォに煉獄の住人を盛り込んだのと同様に、オルガはここで器のようにジャンヌやジュディットを盛り付けられていってるんじゃないか。それまでパレスチナやイスラエルの話なんてオルガは一度もしていないわけで、ジュディットが消えた後で、彼女は平和運動を単独敢行しちゃう。ジュディットが消える前、講義を受ける前のオルガは恋人と諍いしてるだけで、かぎりなく白紙状態なんじゃないかな。(...)

拙訳
「それは...まるで..イメージ。だが離れた・遠くの[loin]ところの。隣り合う二人がいる。彼女の横にいるのは私だ。彼女、これは見たことがない。自分、これはわかってる。だが何も思い出せない。ここからずっと離れている・遠いはずだ。あるいは後の。」
仏語
"C'est... comme... une image, mais qu'il'y a loin. Elles sont deux côté à côté. A côté d'elle, c'est moi. Elle, je n'ai jamais vu. Moi, je me connais. Mais tout ---je ne souvient pas. Ce doit être loin d'ici? Ou plus tard." [---は聴き取りできなかった箇所。Ils sontかとも思ったけど、Elles sontだと思う]
英訳srt
"It is... like... an image, but a distant one.There are two people side by side. / I'm next to her. I never saw her before. I recognize myself. But I have no memory of all that. It must be far from here. Or later on."
[英訳は英訳でloinをdistantやfarに分けちゃってるので微妙]
邦訳採録・字幕
「それは何かのイメージだ。ぼんやりしている。二人が横に並んでる。私の横に女性がいる。見知らぬ彼女だ。自分は分かる。だが私には覚えがない。はるか彼方の出来事? もっと先の?」
[「ぼんやりしている」は映像に引きずられすぎ。「自分は分かる」だと、Je la connaisかと思ってしまう。「彼女のことは知ってる」の意味で。Moi, Je me connaisでは「他方、自分のことはわかる」という意味合い。「だが私には覚えがない」では彼女についての記憶のように意味が限定されてしまう。「はるか彼方の出来事」では、loinであるはずのCe[It]をショットに近づけすぎ。「もっと先の」だと、時間軸だとわかりにくいし、plusを強調だと勘違いしている。plus tardはこれ一つで「後日」「後刻」「のちに」「将来」「あとで」といった慣用語。]

●A説 イメージとイメージが対岸のように向き合ってる、と仮定して読む場合
 (Elles sont deux côté à côté.のEllesに、A côté d'elle, c'est moi.のelleが含まれていないとする場合。この「私」は此岸にいて、一文目で対岸について語り、一文目で此岸の「彼女」と「私」について語っている。この仮定では、ペクー/ジュディットの顔と媒介をめぐっているのだと継ぐことができる)
 向こうにイメージがある。離れていて人影の数しかわからない。こちらにはもう一人女性がいる。併せて4人がいる。ただ、その場合、「ここからずっと離れている・遠いはずだ」のCeとの距離が、向こうのイメージとの距離を言ってるのか、「彼女」と「私」のいる「此岸」と話者の視点との距離を言っているのか、対岸と此岸の両方との視点との距離を言っているのか、わからない。
●B説 あるイメージがある。そこでは「私」の姿と「彼女」の姿がある、と仮定して読む場合
 (二人のEllesを「私」と「彼女」とする場合。姿と発話視点が幽体離脱的に分離している。この仮定では、オルガ/ジュディットあるいはオルガ/ジャンヌといった憑依的二重性によって、像と視点が分離しているのだと継ぐことができる)
 向こうにイメージがある。離れているが、顔立ちぐらいならわかる。「彼女」と像の「私」と視点の「私」の3人がいる。視点の「私」は、「だが何も思い出せない。ここからずっと離れている・遠いはずだ。あるいは後の。」からわかるように、記憶も失い、時間軸も遠く離れたところにいる。

大雑把に、二通りの読み方ができると思います。ただし、A説、B説のどちらであれ、「オルガの声」が語っているからといって、A説の「私」、B説での視点「私」のどちらも、私=オルガ、とはかぎりません。オルガの声を借りて別の誰かが言ってるという路線でも読めるのだから。再生したジャンヌが? ジュディットが? とも。

2009年11月13日
(...)
>私には「elles」 ではなく「ils」と聞こえます。
 そこは私も迷ったんですよね。本当にどっちにも聞こえる。英訳のtwo peopleはそれに迷ったすえに、性別をぼかしてなんとか訳したんだと思う。

>彼女の隣にいるのは、僕。
 あの声がオルガ声だからといってオルガだとは限らないんですよね。まず("彼女")(視点"Je")(像"Je")("Je"と語る声の正体)の4項があるんですが、(視点"Je")(像"Je")が同一人間ではないとも限らないし(A説でやってもこれはもちこめる)、(像"Je")("Je"と語る声の正体)が同一人間ではないとも限らない。と憑依的に分裂して錯視してるかもしれないんだから。というわけで、たとえこの4項目を女性キャラクターだけで振り分けて、
・地獄篇のJe-Autre ・オルガ ・ジュディット ・ジャンヌ
の、(同一重複の可能性のため)重複順列ありで順列で考えても、4の4乗で256通りがあるw 4項がJe-Autreでも、つじつま合わせて説を作ることぐらいできますよたぶん。で、10個ぐらい組み合わせを提示して、それぞれに説得的な読解を付して、多義的な作動をまさに再演してみようかとも思ったんですが、労力的にやる気なくしました。
 で、Ils/Ellesの識別困難性もあって、男女も不確定だし、隣り合うイメージと言えば、なるほどたしかに林檎食ってるあのイメージもある。洒落にならない量の解が想定できちゃうんですよね。ここまで絞る材料が減らされてるのは、たぶん意図的だろうな。

 テキストかヴィジョンか、という対立で考えるのは私は回避したいんですが、あの一つ目のピンボケショット(私は亡霊ショットと呼んでる)は、サイレント映画の映像/文字画面や、アフレコでの声の重ね方ぐらいに分裂してて、たとえば、テキストだけ精読して想起するイメージとはズレていたりと、齟齬が桁違いだと思います。
 ペクー-レヴィナスにかけてる負荷というかトリックを1単位、マイヤール/キュルニエにかけてる負荷を1単位、ぐらいに考えると、3、4個ぶつけてるなーって感じ。相当練って作ってありますね。

 唇が動いて、でもその声が無音になってて、そのあと後ろ向いた途端、"J'en ai rien a foutre."がくるわけでしょう。「誰が」「誰に向かって」「どこで」「いつ」言ってんの、って感じですが。これって、時差とか非同期性、つまり声と姿と発話者の非同期性、あるいは場所と時間の非同期性を明白にしてますね。なんかね、ある人が手紙書いて、その手紙が届くと同時に、当人が家に来て、「あれ、同時に来ちゃった」と面食らって、しかも会話の内容が"一部"重複してる、みたいな感じですよ。ここの箇所のオルガ声と映像は、転送経路が別のものがたまたま同時に並んでる、ぐらいの不均衡がありますね。

ゴダールが講義で語るテキスト/イメージと、ヴィジョンについてのテキストの位置、夜の主題
2009年11月15日
(...)
>「(...)だってテキストの領域は、ヴィジョンの領域をすでに覆ってしまっているんだものね。」
>「(...)Because the field of text had already covered the field of vision.」
 ここですが、何度も仏語を聞きなおし、復元してみました。

"Parce que les champs de[?]... le champ du texte avait recouvert du champ de la vision."
(聴き取りにくいですが、"re"couvertだと思います。「再び覆われている」という意味もありますが、「すっかり覆われている」の意味もあるし、「覆い・包み隠す、秘める」の意味もあります。英訳は二つ目の意味に沿ったのでしょう。大過去なので過去完了で英訳するのは正しい。se couvrirを大過去にしたのかな、とも思いましたが…再帰動詞の大過去ってetre使うし、etreの前にseが来るはずなので、再帰動詞じゃないだろうな。ただ、couvrirは自動詞・他動詞両方使えますが、recouvrirって他動詞のみとあるのですが……。まあ、所詮辞書で確認しただけなので、実際は自動詞でも使われているのかも。
英訳ではalreadyとありますがこれは付加。les champs de[?]は聴き取りに少々自信なし。ただし、この瞬間にBGMが消えるのはちょっと意味深)
 ちなみに私の聴き取り能力は犬猫並なんで、"C'est... comme... une image"以下もそうですが、一応10~20回聴いて確かめてはいるものの、あんまり信用しすぎてもだめですよ。

拙訳
「というのは、光景...テキストによる光景は、ヴィジョンによる光景を、再び/秘めて/すっかり覆ってしまっていたからだ」
邦訳採録・字幕
「すでに映像が言葉によって覆い隠されていた時代だった」
まあいろいろ駄目。ヴィジョン=映像にしてしまっているし、champも無視してしまっている。
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<読解>
1. vision
 visionについては「見者の手紙」を意識してると思う。『私たちの音楽』ではvisionなんて単語はここしか出ない。そもそもJe est un autreは「見者の手紙」で出てくる言葉です。そしてランボーにあっては見者[Voyant]は詩人のことで、二つ目の「見者の手紙」ではこうあるわけです。

"この「詩人」は、「あらゆる感覚tout les sens」の、長く、無制限なimmense、理性的なraisonne「錯乱dereglement」によって「見者」となります。〔tout les sensとは〕愛と苦痛と狂気のあらゆる形態toutes les formesです。自らを探求し、自らの中であらゆる毒を汲みつくしますepuise――精髄quintessencesだけを残すために。あらゆる信念と、あらゆる超人的な力が必要とされる、えも言われぬ拷問であり....."
見者の手紙/アルチュール・ランボー 手紙 - 門司邦雄による翻訳・解読
(手元に詩集がなかったので、この邦訳で代行し、ちょっと訳文変えました。Pocheの詩集を参照しましたが、そんなにおかしな訳文ではないと思います)

 まさに地獄編の話者の使命を彷彿とさせるわけですね。二つ目の手紙の後の箇所では、「詩人は真に火を盗む者です」(これはプロメテウスのことでしょう)、「「彼方」から持ち帰ったものに、形があれば形を与え、形が定かでなければ、定かでない形を与えます。言葉を見つけることです」とあり、言語でありかつテクノロジーの問題となっているわけです。つまり、texte/visionは単に対立でないのだととらえた方がいい、少なくともそっちの方が面白いと思います。

2. champ
 これは「ショット/光景」というchampの多義性を使ってます。shot/fieldやショット/領域、というふうに訳し分けても見えなくなっちゃうんですよ。おそらくはもうちょっと別の話であって、思うに、真理としてのヴィジョン=光景の話でしょう。

3. recouvenir
 たぶんハイデガーです。伏蔵性、覆蔵性、とか訳されるあのへんの訳語の可能性がある。Google Booksが仏語著作も対応してきたので、適当に検索かけてみましたが、Verbergung(覆蔵性)の仏訳にはocculation, recelement, dissimulation、Verdeckung(隠蔽性)の仏訳にrecouvrementが、あるのがわかりました。
 つまり、これはヴィジョン=真理を隠蔽するものがテキストなわけで、でも同時に開示もする蝶番的な層、champなのではないでしょうか。

1,3の点で私が関連付けるのは、映画史2Bの10:14-あたりの箇所です。ゴダールはこう言う。
fr.
"Longtemps je me suis couché de bonne heure", "longtemps je me suis couché de bonne heure." Je dis ça et tout à coup c’est Albertine qui disparaît. Et c’est le temps qui est retrouvé et c’est parce que c’est le romancier qui parle. Mais si c’était l’homme de cinéma, s’il fallait dire sans rien dire. Par exemple, "je me suis réveillé de malheur". Il faut le cinéma et pour les mots qui restent dans la gorge et pour désensevelir la vérité.
La « partition » des Histoire(s) du cinéma de Jean-Luc Godard[par Céline Scemama]
eng.tr
"For a long time, I went to bed early...". I say that and suddenly Albertine disappears. And time is regained. For the novelist is speaking. And the director? If we had to speak without saying anything. For example: "I woke up surly." Cinema must exist for words stuck in the throat and for the truth to be unearthed.
拙訳
「朝の早い時分から長く寝ていた」「朝の早い時分から長く寝ていた」。私がこう言うと、たちまちにアルベルティーヌは姿を消す。これは再び見出された時であり、なぜならこう語るのは小説家だからだ。だが映画の人は言うことなくして言わなくてはならない。たとえば、「朝の遅くに起きてしまった」と。映画が必要なのは、語を喉に残さなくては・留める[restent dans la gorge]ためであり、真理の覆いを剥ぎ取る・掘り出す[désensevelir]ためだ。

 ここで言われているのは、言葉では駄目だ、ということではなく、「寝ていた」のような持続的時間を語るのではなく、瞬間性を語るべきであり、かつ、その時間性としては"de malheur"のようなタイミングを逸したものとして語らばければならない、その逸し方においてloinがあるのであり、「寝ていたこと」については間接的に示すだけでよいのだ、と。単に否定的関係ではないんですね。dire sans dire(言うなき言う)、ほとんどハイデゲリアンの仏語みたいな、思考なき言葉といったような言い回しになってる。とどめはdésensevelir。こんな仏語、辞書レベルでは載ってない。英訳すると、uncover, unburyということで、ensevelir(包み・覆いをかぶせる/埋める)に否定辞をつけた言葉。おそらく、ハイデガーの仏訳著作かフランス内ハイゲリアンの本から持ってきたのではないかと。「真理をdesensevelirする」なんてもろな使い方ですからね。
 私がゴダールにおけるハイデガーと真理の問題がかなり根深くあちこちにあると確信したのは、この実に両義的な箇所を目にしたときからです。

 先の箇所は、語彙レベルではかなり含意があると思った方がいい。真理としてのvisionの覆蔵性・隠蔽性でしょうね。
 さて、ここに戻ります。
「というのは、光景...テキストによる光景は、ヴィジョンによる光景を、再び/秘めて/すっかり覆ってしまっていたからだ」

 そもそもその直前の箇所は、ハイゼンベルクがそこにある城を見て「たいしたことない」と言い、ボーアが「いや、ハムレット城だ」と言う箇所でしょう。このボーアの言葉は単に滑稽な発言じゃない。ボーアの言葉が馬鹿げているという話なら、真理-ヴィジョンは「実際にそこに行けばある」というものになってしまうからです。真理をrecouvenirしつつ保持しているテキストを介して、真理-ヴィジョンに接近するのではないか。これは対立関係ではなく、媒介関係です。このとき、映像で示されているのが、エルノシア城の写真ではなく絵であったり、霧がかったように粒子の粗いザラついた挿画だったりすることも示唆的です。表象物でありつつ、それを介しなくてはならない、というものとしての真理-ヴィジョンがある。あるいは、現実性(realite)が「そこにある」という素朴なものと「真理・ヴィジョンとしての実在性」の二通りで出てくるわけです。

 したがって、続くゴダールの語り、
拙訳
「エルノシア城、現実のもの[le réel]。ハムレット、想像/イメージのもの[l'imaginare]。champとcontre champ。想像/イメージのもの、確実性。現実のもの、不確実性」
fr.
Elsinore, le réel. Hamlet, l'imaginare. Champ et contre champ. L'imaginaire, certitude. Le réel, unceritude.
eng.tr
Elsinore the real, Hamlet the imaginary. Shot and reverse shot. Imaginary: certainty. Reality: uncertainty.

 ここでの映像である、闇の中で揺れる裸電球と、続く「光[lumière]で私たちの夜[nuit]を照らす」という含意は結構厄介で、しかも『映画史』で繰り返される文字「闇からの応答[reponse des ténébres]」や『JLG/JLG』の冒頭箇所にもかかわります。
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fr.
L’Espoir lui appartenait mais voilà le garçon ignorait que l’important était de savoir à qui il appartenait lui, quelles puissances ténébreuses étaient en droit de la réclamer lui.
D’habitude, cela commence comme cela. Il y a la mort qui arrive. Et puis l’on se met à porter le deuil. Je ne sais exactement pourquoi, mais j’ai fait l’inverse. J’ai porté le deuil, d’abord. Mais la mort n’est pas venue, ni dans les rues de Paris, ni sur les rivages de lac de Genève.
eng.
He possessed hope, but the boy didn't know that what counts is to know by whom he was possessed, what dark powers were entitled to lay claim to him.
Usually, it begins like this: Death arrives, then we put on mourning. I don't know exactly why, but I did the opposite. I first put on mourning, But death never came. Neither on the streets of Paris, nor on the shores of Lake Geneva.
拙訳
 希望は少年のもとに現れたが、少年は肝心なこと、つまり自分が誰のもとに現れているのか知らなかった。彼を求め訴える権利を持つ闇の力がどのようなものかも知らなかった。
 普通はこう始まる――死が到来し、人は喪に服す。だが、なぜか私は逆だった。私はまず喪に服した。だが死はパリの路上にも、ジュネーヴの湖畔にも訪れなかった。
------
 ここで、少年、ゴダール少年は闇の下へと現れ、闇の力[puissances ténébreuses]は彼に対してréclamer(訴える・抗議する・騒ぐ)する権利をもつ。直後に服喪の話が出ているように、この闇とは死と深くかかわっています。

 ここで闇と死の話をすると、ある時期以降の闇と死と応答の主題系をまとめる必要が出てくるので、ここではこのぐらいにとどめておきますが、certitude(確実性)も素朴な意味ではありません。同じく『JLG/JLG』ではまさに確実性の問題が触れられるからです。その直前のアトラン『結晶と煙のあいだ』を引用した直後のくだりも含めて引用しましょう。
------
00:12:39,560 --> 00:13:46,840
fr.
Quand on sait que les deux formes d’existence entre lesquelles navigue le vivant, cristal et fumée, désignent aussi le tragique des morts qui dans la génération de mes parents se sont abattues sur le individus, véhicules de cette tradition. "La nuit de cristal”... et le brouillard de la fumée.
eng.
When one knows that the two forms of existence between which a being navigates, Crystal and smoke, also signify the tragedy of the dead, which in my parent's generation struck down individuals, vehicles of this tradition. The 'Kristallnacht'... and... the fog of smoke.
拙訳
 水晶と煙という、生命〔生者〕が航行するふたつの存在形態があると知るとき、その二つの存在形態は死者の悲劇を思い起こさせる。私の両親の世代に諸個人を襲った悲劇を。伝統の伝達手段・媒介手段[vehicules]を。「水晶の夜」……そして、煙の霧。
00:14:06,040 --> 00:14:45,319
fr.
121, Peut-on dire le manifeste des 121? "Peut-on dire où manque le doute manque aussi le savoir?" 125. “Si un aveugle me demandait "as-tu deux mains?", ce n’est pas en regardant que je m’en assurerais? Oui, je ne sais pas pourquoi j’irais faire confiance à mes yeux, si j’en étais à douter. Oui, pourquoi ne serait-ce pas mes yeux que j’irais vérifier en regardant, si je vois mes deux mains." Wittgenstein, de la certitude.
(extrait de Ludwig Wittgenstein, de la certitude, traduit de l'allemand par Jacques Fauve, Gallimard, Poche, coll."tel", 1976)
eng.
121, one might say, ''The Manifesto of 121 ''. "Might we say, that where doubt is lacking, knowledge, too, is lacking?" 125. A blind man asks me, ''Do you have two hands?'' Looking at my two hands would not reassure me. Yes, I do not know why I would trust my eyes, if I were in doubt. Yes, why woudn't I check my eyes by looking at whether I see my two hands?" Wittgenstein, ''On certitude''.
jp.
 121、これは「121人宣言」とも言えるか。疑いのないところには知識もないと言えるだろうか。125、「両手はあるか?」と盲人に聞かれたら、私がそれを確かめるのは、見ることによってではないのではないか? そう、[そして]その目の存在を私が疑っているとしたら、どうして自分のその目を私が信頼しているのかわからない。そう、自分の両手を見ているのなら、私が見て確認している対象は私の視線の方ではないとどうして言えるのだろうか〔私が確認している対象は両手の方ではなく私の視線の方ではないか〕。ウィトゲンシュタイン、『確実性の問題』。
------
一つ目:
 「水晶の夜」とある以上、Kristallnacht、ナチスによるという疑惑もある1938年のユダヤ人殺害の暴動ですよね。その死者の悲劇が伝統の伝達手段・媒介手段[véhicules]である。つまり、前に言った石=死体=媒介だというのは、ここから見て妥当性があるわけです。
二つ目:
 確実性はこのとき、素朴に「そこにある」というものではなく、それを見る目すらも疑いの対象となり、対象を確認するとき、そこで起きているのは、見ることによって・見つつ[en regardant]おのれの目を確証する、という行為だ、となる。

 ゴダールにあっては対象の実在性(realité)は最初から揺らいでいて、『私たちの音楽』のこの箇所は、「現実のもの[le réel]、不確実性」であり、媒介として介する表象物が、このとき相対的に確実性、とされている、というくだりなんですよ。ここでのテキストは「それはハムレット(城)である」という表象でしょう。テキストであれ、イメージであれ、l'imaginareとされている。この表象は重要なわけです。伝達・媒介の経路なのだから。

2009年11月17日
>> 「長いこと、私は早い時間に(de bonne heure)寝るのがつねであった。」
>というプルーストの小説『失われた時を求めて』の冒頭の一文と結びつけられるや否や、
>>不機嫌に(de malheure)起きる
 あ、冒頭文だったか+そっちの訳のほうがどう考えてもまともだ…。でも、de bonne heure/de malheureで、ゴダールが後者の文を付加することで、前者の意味合いに別のものを持たせ、慣用的な意味合いを外させる作用を狙ってるのはあると思いますよ。

>19世紀末の辞書に出ているようです。
 html版リトレには載ってるから、昔は使われた語彙ではありそうですね。フーコーが「Distance, aspecte, origine」(1963)でdegagerの言い換えの一つで使ってたりして、まれに現代に使う人がいるって程度。
 まあ、証拠にするには弱いのはわかってるので、ほとんどフィクションの勢いでごまかして使う予定だったんですよ。闇、夜の主題にしてもレヴィナスでしばしば出てきますけど、出典であるという言質をとるのも難しいですしねぇ…。recouvenirのハイデガー説を冷静に突っ込まれると困るんですが、ここは強引に押し切りました。割と無理があるんですけどね。

>サイト、知りませんでした。これは素晴らしいです。
 Celine Scemamaは楽譜みたいな資料本Histoire(s) du cinéma de Jean-Luc Godard. La force faible d’un art, (L’Harmattan, Paris, 2006)の著者でして、そのサイトver.がここです。40分以上ある1Aの部分が23分しかなく、あれ?ってな不備があったり、ものすごく細かくチェックするとECRITSのタイミングとかもろもろが遺漏があったりしてるんですが、それでも精度はかなり高い。
 désensevelirもs'ensenvenirかどっちなのかと悩んだ挙句、セリーヌシェママ採録に従った、という経緯を辿りました。この本ははたして、ゴダールのチェックを経てるのかどうかは知らないですが。まあでも、POLのやつだって完全ではなかったり、まれに変な誤植あったはずので、気にしないことにしてますが。


 モーツァルトで言うと、前に「私はかなりのヘーゲリアンです」(全評論・全発言III, p.464)を引きましたが、このアンドレ・S・ラバルトとの対談で「映画でモーツァルトに対応するのはチャップリンで」っていう一節がありましてね。そのくだりでは結局チャップリンについてさほど大したことは言ってないし、チャップリンで『フォーエヴァー・モォツアルト』を読めるかっていうといろいろ難しいんですが、「ゴダールにおけるチャップリン」というのはたぶん重要で、『JLG/JLG』読解の際に使える線になるとは思ってる。ロメールもそうなんですが、「キートンからチャップリンへ」という動きをとる人がたまにいて、実際ゴダールもある時期を境に「実はチャップリン、面白くないか?」というふうになっていくんですよね。

2009年11月17日
>「喉から出ない言葉=詩の言葉」こそが、「テキスト」に支配されることのない「ヴィジョン」を生み出すための契機になる
 私はそうしたテキスト/詩の区別や、テキストによる支配関係で見ることには躊躇があって、2Bというのは言葉とイメージに関して両義的なんです。デルピーとゴダールが交互に語るシーンありますよね。そこではこうなっているわけです。
[手持ち英訳srtではデルピーの訳を漏らしてるので仏語/拙訳だけ併記。ここは邦訳字幕が理解をミスってる箇所です]

00:08:05,490 --> 00:08:19,087
fr.
- Oui, la nuit est venue. [Delpy]
chapitre 2 B [écrits]
- Et la caméra stylo, [Godard]
- Un autre monde se lève. [Delpy]
- C’est Sartre qui a refilé l’idée au jeune Alexandre Astruc [Godard]
- dur, cynique, analphabète, amnésique, [Delpy] [Celine-Schemama版では”dur, cynique”がfemmeとなっているがDelpyが正しい]
- pour que la caméra tombe sous la guillotine du sens [Godard]
- tournant sans raison [Delpy]
- et ne s’en relève pas. [Godard]
- étalé mis à plat comme si on avait supprimé la perspective, le point de fuite. [Delpy]
FATAL [écrits]
- Et le plus étrange, [Delpy]
L’INSTANT FATAL [écrits]
- c’est que les morts vivants de ce monde se construisent sur le monde d’avant leurs réflexions. Leurs réflexions, leurs sensations sont d’avant. [Delpy]
FATALE BEAUTÉ [écrits]
HISTOIRE(S) DU CINÉMA [écrits]
- “... Je parvins à saisir le pistolet de femme.” [son d’une femme] (d’Amants du Capricorne)
拙訳
- そう、夜が到来した。 [デルピー]
2Bの章 [文字]
- そして「カメラ=万年筆論」、 [ゴダール]
- 他なる世界が立ち上がる(注1)。 [デルピー]
- サルトルがアレクサンドル・アストリュックに吹き込んだアイデアだが、 [ゴダール]
- 耐え難く、シニカルで、文盲で、記憶喪失(健呆症)で、(注2)、 [デルピー]
- これはカメラを意味のギロチンにかけるものだった。 [ゴダール]
- 遠近法や消失点が廃されたように、 [デルピー]
- そしてもう立ち上がってこない〔出現しない〕 [ゴダール]
- 平面の上に配置される根拠-理性もなく、曲がりくねった世界。(注3) [デルピー]
命がけの〔宿命的な・致命的な〕 [文字]
- 最も奇妙な〔不気味な〕もの、 [デルピー]
命がけの〔宿命的・致命的な〕瞬間 [文字]
- それは、この世界の生ける死者が、前の世界[le monde d’avant](注4)の上に構築されているということだ。彼ら〔この世界の生ける死者〕の反射-投射〔réflexions〕も、彼らの感覚も、前にある[sont d’avant](注5)。
命がけの〔宿命的・致命的な〕美 [文字]
(複数の)映画史 [文字]
- 「...女の銃を止めようと頑張ったのに」[女声] (『山羊座のもとに』(ヒッチコック監督作、1949)より抜粋)

注1 un autre mondeには「来世・あの世」「大昔・太古」の意味もある。この主題系は、文字で示されるle monde perdu(失われた世界)、『古い場所』でのold、イマージュとイデーを収蔵するmuséeなどと連結する。また、ここでデルピーが言う「夜」「違う世界」は、劇場での映写の比喩にも読める。まず暗転(夜)が起こり、作品が上映されるのだと。
注2 この形容はゴダールの発言と絡み合っている。「耐え難く、シニカルで」の意味はわからないが、意味のギロチンなしでの映像は、「文盲[analphabète]で、記憶喪失(健呆症)[amnésique]」だというのは、文字による記憶補助を失い、諸細部の関係を保持することができず、構文的秩序がなくなっているということだろう。続く「遠近法や消失点が廃され」た状況とは、いわば表現主義絵画のように筆触が混沌としているということだろう。
注3 特にこの箇所は邦訳字幕が不完全。おそらく意味を読み取れていない。
注4 前=過去の世界、前世、眼前の世界〔目の前にあるスクリーン〕などに読める。
注5 事前に存在している/前の世界に・からある/前世に・からある/眼前の(スクリーン上の)世界に・からある ぐらいの幅で読める

 ゴダール「カメラ-万年筆論→意味のギロチン」だけを見ると誤解してしまいますが、スクリーンのことを言ってると思われるle monde d’avantは同時に前世にも読めるし、デルピーの言い回しはle monde d’avantに対して楽天的ではない。

 『私たちの音楽』でオルガが死んだのをガルシアに告げられるとき、彼が言ってるのは「dans le Cinema」で、映画館の中で/映画のなかでという意味があるし、本を持って死ぬわけですね。国内盤DVDで59:22-、海外盤で62:00-の箇所で、オルガはこう言う
fr.
L'Autre monde, l'autre modne, l'autre modne! (...) l'autre modne, unique l'autre modne.
eng.
The next world.(...)Just the next world.
jp.
来世、来世、来世よ! (...)来世、唯一の来世。

2Bにあってl'autre modneは夜(上映前の暗転)のあと到来する他なる世界であり(定冠詞/不定冠詞の差異はありますが)、映画です。そこでは記憶がないし、そこにいる生ける死者[les morts vivants de ce monde]は前の世界・前世[le monde d’avant]の上に打ち建てられている。これはスクリーン上の登場人物は白黒となっていたり(たしか映画史では白黒は喪に相応しいと言われている)スクリーンの上にいる、という意味もありますが、その世界の観客が生ける死者であり、眼前の世界[le monde d’avant]の上に打ち建てられているという逆の読みもできる。その間にあるのはreflexionsで、逆説的な意味にも読める。
ここでの言葉/イメージの両義的なモメント、前/後の両義的なモメントが、オルガの来世云々には引き継がれているのだと読める。そして、仏語で普通「来世」にあたるのはl’au-dela(彼方)なのですが、おそらくゴダールがこの語を使わなかったのは、”autre”に負荷をかけているからでしょう。

夜とは何か。『JLG/JLG』ではこういう音声が突如挟まれる(たぶんマルローの映画『希望』から)。35:00あたり
fr.
[un voix: Le début de cette histoire se situe pendant ces quelques minutes qui séparent la nuit du jour pendant le crépuscule du matin.]
eng.(srtから部分的に改訳)
[an voice: "The beginning of this story is set in the minutes separating night from day, during dawn."]
拙訳(邦訳採録では漏れてる)
[声: この歴史-物語の始まりは、暁の10分間が昼から夜を切り離している只中に身を置く。]

どうやらこの音声を断片化させるかたちで、レヴィナスの言う「イリア」の経験である夜が終わり、暁の到来とともにhistoireの開始がある、というふうにゴダールは読み替えてるんじゃないかと思います。ならば、夜の後に目覚める[se lève]Un autre mondeは映画であり、histoireでもあるわけです。そしておそらくはじめから、言葉による絡み合いがあり、しかしそれなくしては「文盲[analphabète]で、記憶喪失(健呆症)[amnésique]」であるのを免れない。天国の住人が本を読める以上(Sans espoir de retour)、ここが違うわけで、両義性は残存し続けているのでしょう。

ゴダールをめぐる諸思考・断片1

 個人的なやりとり、および持田さんのblogでしていたやりとりの、私の書き込みをざっくりまとめた。長めの論立てをしようと思っているのだけれど、その後から見ると前哨戦という位置づけになるのかな。やりとりの間で結構思考が進み、いい機会になったと思う。

目次 2009.10.30-11.8
『ForEver Mozart』の待機とoui/non
待機された出来事と到来 『ForEver Mozart』から『私たちの音楽』へ
ゴイティソーロとoui/non、「1492年」
余談もろもろ
[断片2へ続く]

『ForEver Mozart』の待機とoui/non
2009年10月30日 加筆修正
 (...)簡単に言うと、持田さんの記述と絡んで思いついた件でして、カミーユの失業に関する初言及箇所であるシルヴィーとヴィッキーの会話にEn attendantとあって意味深だって話です。『JLG/JLG』や『古い場所』などと同様にいつ終わるともしれずにちょこちょこ対訳シナリオ注解の文書を作ってるんですが、まだそれは1割ぐらいしか終わってないので途中経過で発想した読解です。『ForEver Mozart』は語彙操作が他よりも面白い印象が。(...)持田さんが記事で注目した食卓シーンのカミーユのリハーサルめいた「失業してから」云々の朗読箇所ですが、もうちょっと先にシルヴィーとヴィッキーが「三年前にも失業しちゃってさ」みたいにカミーユの来歴がそれとなく初めて説明されるシーンがありますよね。10:00 あたりの箇所なんですが、

fr.
- Je la connais. Il y a trois ans, elle voulait déliver Jérusalem. [Vicky]
- Oui. En attendant, elle est un chômage. [Silvie]
eng.tr.
- l know her. Three years ago, she wanted to deliver Jerusalem. [Vicky]
- Yes. ln the meantime〔Being Waiting〕, she's unemployed. [Sylvie]
jp.tr.
- カミーユのことはわかってる。三年前、カミーユはイェルサレムを解放したがっていた。 [ヴィッキー]
- そう。カミーユはイェルサレムの解放を待っているうちに失業した。〔とにかく、カミーユは失業した〕(注1) [シルヴィー]
ってなってるんですよ。澤田訳とは違って邦訳は変更しました。

注1箇所の添付
(注1 “En attendant”をどう読むかによって意味が違ってくる。直前のヴィッキーの言葉を受けて”En attendant de déliver Jérusalem”の意味で言ってるとみなせば、「イェルサレムの解放を待っているうちに失業した」あるいは「イェルサレムが解放される前に失業した」と読める。また、”En attendant”単体で慣用的な意味に「とにかく」「それでもやはり」の意味があるが、この場合は直前のヴィッキーの言葉が失われる。澤田訳は後者よりに、曖昧に訳し下したもの。
 語彙の選択からして、前述のソンタグ/ソレルスの件を受けて、「ゴドーを待ちながら(En attendant Godot)」を模して「イェルサレム解放を待ちながら(En attendant Jérusalem délivrée)」というフレーズが分解されて仕込まれているのだと思われる。澤田訳ではこの箇所が「頑固なんだ。3年前も中東問題にのめりこんだ」「そうなのよ。教師を首になって」と訳し下されており、語彙選択が消えてしまっているので改めた。なお、フレーズとしては重なる「La Jérusalem délivrée(解放されたエルサレム)」(1575)はトルクァート・タッソによる叙事詩で、11世紀の十字軍侵攻を素材とし、のちにオペラや戯曲などに翻案される。リュリによる翻案の「アルミード」(1686)をゴダールは「アルミード」(1987)で用いている。(後略))

 要は、カミーユは「イェルサレム解放を待ちながら/待ってる間に、解放されないうちに」失業しちゃった、って人なんですね。ゴドーの到来ととイェルサレム解放の到来が重ねられているわけです。だから、持田さんのこだわったカミーユの朗読箇所は、「ゴドーを待ちながら」のテキストと呼応関係にある可能性がある(ゴドーをじっくり読んでないのでこれ以上はわかんないけど)。

 よって、ここは労働と失業と、ゴドーとイェルサレムとサラエヴォが一堂に会する、フレーズ群のトポスみたいなのがあるんじゃないかと。70-80 年代のゴダールのパレスチナ/イスラエルをめぐる取り組みと、90年代以後のサラエヴォをめぐる取り組みが、ちょうど移行点のように明確に結集してるのって、他にあまりないんじゃないかな。
 持田さんがこだわった、一種のカミーユ・リハーサルのシーンの末尾でソレルスの記事がもう一度出てくるのは偶然じゃなくて、ゴドー/サラエヴォ/イェルサレムという主題系の確認だと思えるわけです。


 (...)私がこだわるのはむしろゴドーに近づけることよりも(あんまりゴドー読んでないので)、作中に出てくるattendreの使い方でして、割と負荷かかかってる語彙だとは思うんですよ。attendre(wait)の頻発ぶりは、ウィ/ノンの運動をめぐってかなり密接です。「ペナルティ!」とか見えないサッカーをやるシーンではじまる、最初にボカと男爵が登場するシーンでは
fr.
Alors, Boka, on vous attend.
eng.tr.
Well, Boka, we're waiting!
jp.tr.
ほら、ボカ、みんながお前を待ってるんだぞ。 [男爵]

そして次の男爵/ボカのやりとりはこうです
fr.
- Allons-y Boka. Vous allez chercher mademoiselle Solange au collège, et vous revenez. Alors c’est oui ou c’est non?
- On va le savoir.
eng.tr.
- Go Boka. You will seek Miss Solange with the college, and you return. ls it yes or no?
- We'll soon find out.
jp.tr.
- おい、ボカ。娘のソランジュを学校に迎えに行って、一緒に戻ってこい。わかったな?〔ウィかノンか?〕 [男爵]
- じきに判ります。 [ボカ]

そして、この指示の結果の経過は割と不透明ですね。ソランジュはオーディション会場に来るだけなんで。

次のattendreの箇所はここです
fr.
- On vous attend. [Félix]
- Suivant. [off-voice]
- Harry aussi. [Félix]
eng.tr.
- We're expecting〔wainting〕 you. [Félix]
- Next. [off-voice]
- Harry come too. [Félix]
jp.tr.
- あなたを待ってるよ。 [男爵]
- 次。 [off-voice]
- ハリーも来る。 [男爵]

そして、ハリー、男爵、ヴィッキーによる会食のシーンは「描かれない」。明らかに意図的に、待機[attendre]された事柄のシーンは除かれている。そして、ウィ/ノンの応答の話は、待機と関わるシチュエーションが多いわけです。そんで、三回目のattendreの出てくる箇所が、先のイェルサレム解放が~ ってあたりなので、この語彙を出しているシーンは何らかの意図的な構成を狙っているのはほぼ間違いないと思います。まあ、慣用的に読もうと思えば読めるんですが、oui/nonと関わる出来事性と待機が関わっているとみなした方が面白く無理矢理読めるかと思って。
ま、ここらへんまでしか精査が進んでないんで全貌はつかめませんが、ここまでの箇所だけでも結構面白い発見がありました。

待機された出来事と到来 『ForEver Mozart』から『私たちの音楽』へ
2009年11月01日 11時20分
(...)ゴダールの作品っておおよそ「場所Aから場所Bに行く」って話でしょう。はなればなれにでは「さあ強盗も成功したし、B(アメリカ)行こうぜ」で終わるし、ウィークエンドでは「Bに行く途中でいろんなことが起きて夫は死ぬし妻は人食っちゃいますよ」なんてものだし。要はプロセスを出すためのA/Bの設置なんですよね。新ドイツ零年も「東ドイツ(A)から西ドイツ(中継地点)を通り、フランス(B)に帰る、その途中で…」だし、ForEver Mozartも「サラエヴォ(B)へ」ってなってるしね。で、大抵、非対称的であったり不可逆であったりする変化や切断があるわけです。
 『私たちの音楽』は「煉獄/天国」というかこの世/あの世ってことでしょう。だから煉獄編で出てくる誰とも知れぬ視線ショットとか、天国にいるオルガが誰かか見られている、という非対称性の出し方とその見方が重要になる。あと、誰か→オルガとかオルガともう一人のペアの女のような、二人一役的な問題は、『ForEver Mozart』でもカミーユ/女優間で出てますね。
 人にゴダールについて言うとき私は、「要はあれは、どっかからどっかに行く話です。別に難しくはないから気構えることはない」とかではじめます。

 で、こういうトポスとトポスを移動する人物の線ってやっていくと、「BはすでにAだったんじゃないの」とか「Aの分身がBである」というのが、非対称性を維持しながら、つまり同一性なくして反復するようなかたちも展開できるんで、つまり、展開していくと時間論が浮上するんでしょう。
 それらと対比したとき、『JLG/JLG』は、A→Bを「使えなくなってる」逆境が面白いんですよ。そこで室内/室外の平行処理にもなっていくし。音声が画面外か画面内かの違いも大きくなってくるし。この逆境が、時間論に発展する契機の一つかもしれない。まあ、初見のとき私は「トポス間の非対称性を封じられたら、四季の循環になってしまってる。これは失敗ではないか」とか思ってちょっとがっかりしたんですけどね。でももっと再読の余地ありそうだな。

 あ、余談ついでに言っておくと、私がオリヴェイラの『世界の始まりへの旅』に特にこだわってたのは(アワーミュージックの煉獄編最初の車のシーンはあの作品を意識してる気がするけど)、そういうトポス間の非対称性、翻訳的な関係が突出してたからでしてね。オリヴェイラの作品の中でもあれぐらいなんじゃないかな、ああいうのが出てるのって。言わば、オリヴェイラのなかで一番ゴダール的な映画になってる。

2009年11月02日 加筆修正
>ただ私は逆にこう推測するのです。『フォーエヴァー・モーツァルト』はむしろ「もはや待たないこと」についての映画、あるいは「待つことの彼方」にある映画ではないか、と。
>(...)この「モーツァルト?」の登場こそが『フォーエヴァー・モーツァルト』の頂点であり、何をしでかすか分からない=天才ゴダールの本領を発揮した場面ではないか
 なるほど! これは刺激的な発想ですね。それゆえにあのタイトルがあるのだし、「モーツァルトに祈る」といった語呂合わせ説などが出てくるだけの負荷がかかっているのか。
 私は『私たちの音楽』については煉獄篇と天国篇の非対称性というか決定的移行がキーだと思っていて、あの作品は天国篇をどう位置づけるか次第で読み方が全然変わってくるわけです。で、煉獄篇に対して埋め込まれているように追加された天国篇が面白い。で、『私たちの音楽』というのは、これまでのゴダール作品のなかにあってもきわだって二者間の非対称的な関係とその齟齬が配置されているわけですが、いわば煉獄/天国という二種のトポスがその非対称性をさらに増幅するような構成になっているというか。ここまで全体構成において顕著に模索し、かつ試みとして明確になっているのは珍しく、ゴダールがこれまで問いに付してきた非対称的なモチーフの集大成めいたところがあるわけです。
[11.17.※ この読解の大筋は「非対称性の操作 - ゴダール『アワーミュージック』」に転載した]
 で、そうした模索の線なり可能性と限界を追い詰めてみたいというのがあったんですが、持田さんのその四部構想、「音楽」の位置づけをめぐる読解というのは、いわば「天国篇」のような特殊な両立しがたいトポスの模索の萌芽的なものと指摘しているように読める。到来(venir)で言えば、舞台・世界劇場・映画 / 音楽が、来るべき(à venir)/すでに到来した(venue déja)みたいな時間の飛躍があるということなのでしょう。出てくるモーツァルトもなんだかinnocentな感じあるし、部分的には天国の人たちと似たところもありますしね。そもそも、ハイデガー/デリダの論脈だと、この種の問題は死とも深く関わるものですし。
 天国篇では到来の問題は失われているけれども、転生というか再生というか、飛躍して翻訳的な継承と言ってもいいのか、そうした展開が明確になっていて、しかもなお亡霊のような非人称的な何者かからの視線の場所は天国のオルガからは認識できず、非対称性は消えることなく残余する、といったことになっているんですが、ForEver Mozartではカミーユ/女優→世界劇場・映画/「モーツァルト?」→音楽 という分裂のもとで展開しているわけですね。そういえばアワーミュジックのどこに「我らの音楽」があるのかさっぱりですし、その謎っぷり、音楽に託されたエレメント(実際に文字通り音声・音響を指すのかはともかく)などはかなり近いですね。私としてはやっとあの不可解な4部構想の狙いが腑に落ちるような気がしました。

ただ、そう考えれば考えるほど、
>「待つことの彼方」
という、こうした二場所のおのおのの扱いをどう考えるかは重要になるのでしょう。到来というのは、「そこに出来事があります」と指差せてもしょうがないところがありますし、それだと出来事性が消えちゃうわけで(レヴィナスとかが実詞化とか言って批判する)、出来事の手前と彼方、みたいな感じで考えた方が面白くなるのかな、と思いました。物事はつねに言い過ぎるか言い足りないかの二つになる、というような意味で、出来事をめぐる的確な表象の終点というのは無いのだと。そういう意味では音楽は終点のように読まない方が面白くなるのでは、とか、おそらくアワーミュージックや愛の讃歌における時間軸の意図的な崩し方や入れ子っぽくなってる相関関係を持ち込んでいるのはそうした試みをより出してみた結果なんじゃないか、などと思いました。

ゴイティソーロとoui/non、「1492年」
2009年11月02日 加筆修正
(...)「映画」が「宿命のボレロ」なのは、たぶんゴイティソーロの一節を含んでのことなのでしょうね。『サラエヴォ・ノート』の一部に「90年代のヨーロッパの政治は、オーストリア、エチオピア、スペイン、チェコスロヴァキアなどで繰り広げられた30年代の無思慮・無分別を、少しアレンジして繰り返しているだけなのだろうか。いつ終わるともしれない、うんざりするラベルの『ボレロ』のように……。」(p.94) とあるんですが、「映画」をめぐるoui/nonの運動が「いつ終わるともしれない、うんざりする」ような探求、痛ましく際限のない(lamentable et interminable)ラヴェルのボレロの繰り返し、それがヴィッキーの撮りたかったであろう『ボレロ』なのでしょう。あるいはゴイティソーロが別の箇所で何度も嘆いているように、不毛に繰り返される政治外交のやり取り、という位置づけとして。
 浅田の指摘にはこれはなかったような、と思って読み返してみたら、一応近いところは紹介されてるけど、oui/non読解としては重要になると思われる「いつ終わるともしれない、うんざりする」のところが抜けているから、これだと片手落ちだな。「いつ終わるともしれない、うんざりする」待機、だから重要なのでしょう、たぶん。(...)
fr.
- Voilà ce que m’a dit Juan Goytisolo quand je l’ai vu à Madrid. Est-ce que l’histoire européenne des années quatre-vingt-dix n’est pas une simple répétition avec de légères variantes symphoniques de la lâcheté et de la confusion des années trente? [Vicky] [off-voice]
- Autriche, Ethiopie, Espagne, Tchécoslovaquie, un lamentable et interminable boléro de Ravel. [Vicky]
eng.tr.sub
- This is what Juan Goytisolo told me in Madrid: ls the history of Europe in the 1990's a simple rehearsal with slight symphonic variations of the cowardice and chaos of the 1930's? [Vicky] [off-voice]
- Austria, Ethiopia, Spain, Czechoslovakia: a dreadful, unending Bolero by Ravel. [Vicky]

該当するゴイティソーロのテキスト部分のスペイン語原著からの邦訳
「90 年代のヨーロッパの政治は、オーストリア、エチオピア、スペイン、チェコスロヴァキアなどで繰り広げられた30年代の無思慮・無分別を、少しアレンジして繰り返しているだけなのだろうか。いつ終わるともしれない、うんざりするラベルの『ボレロ』のように……。」(『サラエヴォ・ノート』山道桂子訳、みすず書房、p.94)。

2009年11月03日 加筆修正
(...)ゴイティソーロ絡みで言いますと、まず、採録に入ってるインタヴューでは
1. ペソアの『不穏の書』(近年出た邦訳の完訳では『不安の書』)を下敷きに映画的創造の創設的行為を描くという案 →ForEver Mozart第3部素材へ
2. ソレルス/ソンタグの記事からサラエヴォの発想 →ForEver Mozart第2部素材へ
3. 導入部と終盤部モーツァルトを追加して4部構成へ到達、そこでショーペンハウアーを意識する
といった説明になってるんですが(...)、5、6年前にパウロ・ブランコに制作を提案し、お流れになった映画『クリストファー・コロンブスの帰還』というのも、おそらく『サラエヴォ・ノート』での一節を意識している可能性が高いと思います。1996年時点での「5、6年前」ならばちょっと時系列が違っちゃうので、ゴイティソーロを読む前から発想してるのかもしれませんが。

 ゴイティソーロのこの本では『パレスチナ日記』と同様に「記憶殺し」への怒りというモチーフがあって、1992年、サラエヴォ包囲にて旧東方学研究所であるサラエヴォ国立図書館がセルビア系ウルトラナショナリストによって焼き尽くされてしまったことについてこうあるわけです(たしかアワーミュジックでも廃墟となった図書館は出てきましたが)。引用しますと、
「シスネロス枢機卿がグラナダのビバランブラの門の前でアラビア語の手稿本を焼いてから5世紀が経ち、「新大陸発見500年」の記念行事が数々執り行われる中、この500年前のエピソードは、はるかに大きな規模で繰り返されたのである。セルビア民族の神話の捏造者たちは、同国の重鎮ジューリッチやボグダーノヴィッチからも見事に断罪されながら、先祖殺しの夢をかなえたわけである。その結果、アラビア語、トルコ語、ペルシャ語の何千冊という手稿本が、永久に失われてしまった。」(『サラエヴォ・ノート』山道桂子訳、みすず書房、p.55)。

 1492年はイベリア半島からユダヤ人が追放された年でもあり、スペインから異教徒・異文化を排斥して近代化した転換点にあたる。ゴイティソーロはある意味で文章においてスペイン人に向けて呼びかけてもいて、かくもスペイン系の文化の名残をもつセファルディのユダヤ人をなぜ見捨てるのか、というふうなサラエヴォのユダヤ人の証言を文字にし(p.60)、イスラム教徒、正教徒、カトリック教徒、ユダヤ教徒が共存しえた中世のトレドをサラエヴォに見るような視線を送っている(p.146)。これはちょっとゴダール好みの視点で、在りし日のサラエヴォにもう一つのありえたかもしれないスペインを見出す、という手つきなわけですね。で、ユダヤ人、イスラム教徒、カトリック教徒という要素が終結するのみならず、コロンブスを起点とするアメリカ侵略の開始でもあるのだから、ネイティブ・アメリカンという要素が加わっている。こうしてみると、「1492年」というのは年号というよりも半ば固有名に近い操作が可能になっていて、そういう構想が『クリストファー・コロンブスの帰還』にあったんじゃないかと。

 そして、『アワーミュジック』にアメリカ独立戦争やインディアンが唐突に出てくるのも、この線で考えると別に不思議ではなく、残滓のようにいろいろつながっているんでしょう。先のセルファディはこうも言っている。「ボスニアの異なる宗教の共同体間には、とても良い関係が存在していました。サラエヴォは『小さなエルサレム』と呼ばれたものです。イスラム教徒の子息が、ユダヤ人の職人の工房に仕事を習うため、働きにくることもよくあった」(邦訳p.61)。ここで、別の意味での固有名「イェルサレム」が出てきてもいるわけだし、『アワーミュージック』でゴイティソーロとダルウィーシュを選んで引っ張ってきたというのは、以上の背景からすると実にわかりやすい構図だと思います。ゴダールにとって「スペイン」は、以上のような問題系の結び目だったんじゃないかと。先のヴィキーの箇所では、マドリッドでゴイティソーロに会って『サラエヴォ・ノート』の一節の話を「聞いてきた」ってことになってるわけで(邦訳採録では抜けている)、マドリッドに行く用事の一つとして組み込まれている以上、あの作品でスペインが導入されているのは、一つにはゴイティソーロの強調にあるわけでしょう。

余談もろもろ
2009年11月03日 加筆修正
 (...)マッケイブの『ゴダール伝』はいいところもあるとはいえ、後期の作品読解はややゴダールの個人史に引き付けすぎになってて、作品から見失ってるものもあるという感じです。『ForEver Mozart』についての言及箇所だけちらっと読んで、一層そう感じちゃったんだけど。で、蓮実の『ゴダール革命』は買わずにいるから知らないけど(半分以上はすでに何かの媒体で読んだと思う)日本公開時販売の冊子での浅田・蓮実対談を見ると、蓮実もまた個人史に引き付ける読み方をしてる。悪い意味で実証研究的なものに向かってるというか、作者自身の細かい研究に傾いちゃってて、研究のあり方が保守化する路線と暗黙にあるいは無自覚に結託してるように感じた。これは少なくとも批評としては駄目だろうと。いや、マッケイブみたいにその路線でガツンと行くなら行くで、それはそれでありだと思うんですが。で、たぶん青山真治のアワーパンフ文章もこの蓮実路線の踏襲になってて、「無闇矢鱈に個人史的に読解、ゴダール自身の愛着の読解、そして問いとしてはくだらないレベルに終わる」という典型なんでしょう。蓮実以降、そういう病気が漠然と広がってる可能性があるなあ、と思った。マッケイブだと、もうちょっと文化史的、政治経済との関連との射程でやってるからまだいいんだけどね。平倉は、個々の論文はあまり良くないけど、方向性としては必ずしも嫌いじゃない、と私は何度か言ったけど、それはそうした背景での評価です。とはいえ、問いとしてはあれも微妙なんだけど、ゴダールの(試みの限界を疑って)背後をつかもうとする、ってのはまだいい。
(...)ベケット/マリヴォー/ミュッセの複合体というか、重ね書きされている文書みたいな感じか。その間で切り返しみたいな齟齬を走らせていて、と。おっしゃるように、『ForEver Mozart』ではジャミラが重要でしょうね。オルガみたいな生き延び方をするし。オルガはまあ、死んで生き延びる、みたいなアンビヴァレンスなんですが。『愛の讃歌』はなんかするっと見てしまって、これという見方をしてないんですが、いろいろつながるんだろうな。(...)『私たちの音楽』や『ForEver Mozart』、『愛の讃歌』の後で見ると、時間軸の変動や構成の試行錯誤としては、映画史制作途中および完成以降は如実に一歩一歩進んできてたんだなあ、という感じですね。

2009年11月06日
 (...)ペレシャンの『始まり』をyoutubeで見ましたが、時系列上にファウンド・フッテージを並べていくという意味と、構成の若干のleadingのルーズさという意味で、『始まり』と地獄篇はよく似てますね。下敷きの作品だったのかな、ってぐらいに。ウィットがインタヴューでペレシャンについて言及したのは、おそらく単に「ペレシャン入ってましたね」ということを言いたかったのではなく、ペレシャンの作品に対してはどういう関係にあるのか? といったことを聞き出したかったのでしょう。

>Saint Joan
プレミンジャーの『聖女ジャンヌ』ですね。『勝手にしやがれ』に出演する前のセバーグの前史みたいな作品で、たしかゴダールを含めカイエで絶賛された作品だったかな。興行的には惨憺たるものだったらしいですが。
 まあ、セバーグと言ってもあんまりセバーグ自身にはこだわってなくて、こだわることで面白くつながるとしたら、『勝手にしやがれ』ラストショットのセバーグは、「自分が裏切った男の死を見つめている顔」なんですよね。裏切り者の顔が、ほとんど無時間的な感じの長さでショットが持続し、何ともいえない不穏なものになっていて、顔つきから何から、死人はむしろセバーグのようにも見えるような…。そういう、裏切り者/死者の顔であり、名も無き人々の顔であり(『21世紀の起源』で使ったように)、という振幅が面白いぐらいかなあ。実際、戦争なんてやむにやまれぬ裏切りが多発するものですし、生き延びる人間は事実はどうあれ、死なれた隣人に対しての裏切りのような後ろめたさがあるでしょうし。そういう意味で多義性を見出してゴダール自身はこだわったんじゃないかなあ、という気はする。まあ、あのショットは、セバーグ自身はどうあれ、ちょっと特異なんですよ。

 (...)ジガヴェルトフ時代、ミエヴィル時代、とあって、次にあるのはしばしば「映画史制作開始以降の時代」とされるんですが、ここにはもうちょっと多線的なものがあるように思うんですよ。まずは「冷戦崩壊以後」であり、その端緒として『新ドイツ零年』がある、そして92年には、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(と日本語では表記されますが、要はボスニア戦争(Bosnian War))、そしてその代表のごときサラエヴォがあり、上記のインタヴューでもウィットが暗に言いたそうにしているように「サラエヴォ以後」がこのとき始まるし、サラエヴォに言及した小作品がぽつぽつと出てくる。

 ざっと考えるだけでも、
映画史制作: 諸断片と構成の問題系がいまだかつてなく浮上する
冷戦崩壊: 歴史の問いが俄かに浮上する
サラエヴォ: 「ヨーロッパ」の全体性とそれによる逆説的な注目がはじまり、遠近は括弧に括られつつ(ウンハイムリッヒなものとしての「サラエヴォとここ」みたいな)戦争と日常の混在が全領域化するという視点が浮上する
 少なくともこうした三本の線が一気に炸裂しはじめ、90年代中期ぐらいからゴダールなりの歩みとその成果が出てくる、という姿がある気がするんですね。(...)

2009年11月08日
>ただオルガ/ジュディットの分身関係というのは必ずしもそうではない。(...)ジュディットには「犠牲」が無い(後略)
たしかに。私の中ではジュディットって存在感が一段落ちるんですよね。なんかこう、対等の分身というよりはサブユニット程度っていうかw 外見上の見分けのつきにくさの仕掛けという以上に、行動の筋があまり鮮明ではないという気がするし。オルガと対比すると、前段階的なステージって感じの扱いなのかな。

>「デジタルビデオは映画を救うか?』への沈黙について
 これはねぇ、文字通りの問いとして扱うと、「どう使うかの問題であって、そんな質問は意味が無い」ぐらいにしか言えないわけだし、デジタルだろうとアナログだろうとそれ自体でどうこうって問題じゃないでしょう、という話になる。
 あのシーンって、「でも何であんなシーンをゴダールは入れたんだろうね」ぐらいの話にしかできないと思うんですよね。私はそこに平倉のようにゴダールの特別な挙措を見出すのはどうもうなづけなくて(そもそもムーゼルマンとつなげる発想自体が、彼の類似性読解の路線に根拠付けられているし)、「無言+表情不明確」の顔でもって対峙させる、という試みをやってみたかったのか? ぐらいにしか感じないというか。質疑応答の場にあって穴を空ける行為を持ち込みたいという――見ようによっては三篇間のつながりの謎と同じようなタイプの間隙を持ち込むという――意志ぐらいなのかな、と。

>ゴダールのインタビューというのはすごくおもしろくて、つまりおもしろく語られていて、7の韜晦に3の本音という感じ。
 これは同感ですね。嘘言ってるんじゃないかって思うときはかなりあるし。彼のインタヴューで一番得られるのって制作進行の経緯とか、脇のことが多い気がする。あと、作品についてのコンセプトというよりは、彼自身の雑談を聞いているうちにふと漏れる1割ぐらいの心境告白的な独白というか思考の癖みたいなのをつかめるっていう感じかな。話している時点で、彼の体質的な思考の定型句をブリコラージュ的に用いてその場その場で作ってるような言い回しが多いと感じるというか(大半については「またこの話か」と思う)、即興でそれっぽいことを言ってるように思えることが多いというか。一つには、「作者の意図」として期待されたり、作品に対して牽制的な発言になってしまうのをかわしたいからというのがあるのでしょうし、また、一種の自己防衛的な身振りでもあるのでしょう。

>『男と女のいる舗道』でアンナ・カリーナが『裁かるゝジャンヌ』を観ている。ジャンヌ/セバーグ/ジャンヌ/カリーナ/ジャンヌ/オルガ、という切り返しショットが織られている。
これはねぇ、ドライヤーが晩年期にイエス伝みたいな作品を撮ろうとしたときにマリア役をカリーナにやらせる話があった(が、たしか着手するまもなくドライヤーが死んだ)とか、その手の接点はあちこちにあるんだけど、言い出したら切りがなくなるし、作品として提示された、イメージとしてそこに提示された、という良かれ悪しかれ輪郭や一定の構成がある範囲から外れすぎちゃうんで、波及させない方がいいと思うんですよ。セバーグを喚起させた私が言うのも何だけどw
 まあ、ショットの特性としての話法の一時中断的視線、視線の帰属先の抹消線の刻印、といった意味で『勝手にしやがれ』ラストショットの可能性とその発展的継承、ということであって、「裏切り者/死者の顔であり、名も無き人々の顔であり」というのは、『21世紀の起源』ではある程度合致するかもしれないけど、アワーミュージックでこれを絡めてもあまり面白くならないでしょうね。むしろ、一旦『勝手にしやがれ』ラストショットを序章的に引き合いに出しつつ、アワーミュージックでのオルガを見つめるあの二つのショットを精緻に分析する……といったシフトをした方がいいと思う。(...)

2009年11月08日
(...)
>「天国」はやはり、薄気味が悪い
 いろいろ奇妙な要素を故意に入れているのは間違いないのですが、しかし面白く展開して読めるかっていうと、なんか構成が今ひとつな気がするんですよね。ただ、言えるのは、あれはユートピアというよりはディストピアで、ほとんどアイロニーだっていうことでしょう。

>ペレシャンの『始まり』
 簡単にまとめると、十月革命→レーニン死去→計画経済開始→驀進するドイツ軍→独ソ戦争→もろもろ みたいな感じで振り返られる1918~1945って感じですよね。革命も労働も戦争も犠牲も、すべてはもはや粒子の運動のごとき群集の力能/犠牲なのである! みたいな。
 地獄篇の場合、注意して見ると、戦争が機械兵器に移行していくとか、大雑把な時系列があったりするのですが、映像が多彩になってしまった分、締まりをどう構築するかに迷った感がある。

>"ユダヤ人たちはフィクションの題材になり、パレスチナ人たちはドキュメンタリーの題材になる。"
 それは『JLG/JLG』以来あるモチーフですよね(『ヒア&ゼア』は知らないのでここでは除外)。表象の光学があり、national identificationとしての表象が生じて、その光ゆえに敵(パレスチナ側)もまた同じ道を辿る…という。『愛の讃歌』におけるその箇所の「フィクション」の意味合いは、表象されているイメージってことでしょう。対置されている「ドキュメンタリー」とは対抗的な事実、ってことでしょうね。

 ただ、何だろう。こういうくだりについて一々大げさに、あるいは軽率にゴダールを称賛するのは率直に言って少々馬鹿らしく感じていましてね。これって一次的/二次的、直接的/間接的、本質的/派生的といった序列を喚起させやすい含みがあるでしょう。フィクション=表象で、ドキュメント=真性? ふざけんな、と。ドキュメントかつフィクションであるような絡み合いは避けられないし、フィクションの生成力とか創出性とかもあるわけだし(「かくもドキュメンタリーであるがゆえに可能になる創造」といった口ぶりは容易に浮かびますよね)。ウィットによるインタヴューでの読む/見るにも言えることですが、単純な二元論や固有性の称揚をやりすぎなんですよ、ゴダールは。少なくとも、台詞や発言ではその種の甘さがあちこちにある。

 たとえば、じゃあ『愛の讃歌』におけるカラー/モノクロ/デジタル加工カラーは何らかの本質(真性)からの距離から序列になるのか、というと、そう考えても面白くならないでしょうし、むしろ、自然=カラーみたいなのを一旦崩すために色彩加工カラーを持ち込み、カラーとモノクロをともにフィクションの別々の相のもとに置こうとした、ってところでしょう。そしてそれは、単に順序の問題にとどまらない時制の複合状況と重なるわけです。
 ちょっとなあ、ゴダールは奮闘してるので、一定の好意はもちながら模索における可能性を選択して問うわけではありますが、実際のところ、ナイーブな二元論などもちらほらあるわけですよ。かつてゴダールファンがそういった二元論に平気でのっかかり、さらに馬鹿になった、というのを散々見てきたので、そういう警戒は適宜必要ですよ。結局、自分にとって何の糧にするために読むのか、ってのが重要になるわけです。(...)

[断片2へ続く]

2009年11月8日日曜日

ゴダール・インタヴュー:私、イメージの男

「ゴダール・インタヴュー:私、イメージの男」
Jean-Luc Godard, «The Godard Interview: I, A Man Of The Image», (interviewed by Michael Witt), Sight and Sound, June 2005.〕
凡例
・小見出しに相当する「○」や「:::::(後略)」は訳者による付加。
・〔〕内は訳者が補った文章。
・[]内は英文原語。
 (見た目上煩わしくなってしまうのだが、カーソルを当てると表示される、といった手法はないものなのか)
・注はすべて訳注。
(最終更新 2009.11.11)


 ゴダールの『私たちの音楽』[Notre Musique〔邦題『アワーミュージック』、2004〕]は――そこでは戦争が地獄であり、サラエヴォは煉獄であり、天国は湖畔の田園詩である――その明るい雰囲気が持続するように構築されていない。「それは使い尽くされている・疲れ果てている[exhausted]」と監督はマイケル・ウィットに言う。

 ジャン=リュック・ゴダールの明朗で多声的な映画作品『私たちの音楽』は、明るい接触と、深い思考と、形式的な実験における喜びとを結合し、そうすることによって、バルカン半島諸国における戦後の和解といった切迫する現代的問題やパレスチナ人とイスラエル人の間で成熟した相互理解を探求を喚起し、直面させる。『フォーエヴァー・モォツアルト』(1996)や『愛の讃歌』〔邦題『愛の世紀』〕(2001)といった以前の主な二作品よりもエッセイ的な文体で、観客がすぐにとっつきのよさを感じるだろう本作は、三つの王国からなるダンテ的な三連作で組み立てられている。「地獄」(戦争と虐殺[decimation]を描いたファウンド・フッテージのコラージュ)、「煉獄」(現代のサラエヴォ)、「天国」(アメリカ軍に守られた田園詩的な湖畔の森)の三王国だ。作品の核心が当てられている「煉獄」の中心部は、サラエヴォのアンドレ・マルロー・センターで2000年以来毎年開催されている企画であり、ゴダールも2002年に出席した「ヨーロッパ文学の諸遭遇[European Literary Encounters]」[1]を少々フィクション化しつつ再演することにある。

 今日のゴダールは伝統的な特徴をもつ映画作家であるのと同じぐらいマルチメディア・アーティストであり、『私たちの音楽』は、過去十年間の膨大な作品――その多くは、長年にわたる同伴者であり映画作家・写真家・作家であるアンヌ=マリー・ミエヴィルとの共同制作で作られたものだ――とのあいだに主題的・文体的な強い親和性を示している。彼の主要作品に加えてこの作品は『(複数の)映画史』〔邦題『ゴダールの映画史』〕を含んでいる(1988-98、現在ヴィデオ、書籍、CDで発表され、また、劇場公開用に設計された90分の「最善の」編集版『(複数の)映画史の選ばれた契機=瞬間』〔邦題『映画史特別編 選ばれた瞬間』〕が発表されている)。6つのさらなるヴィデオエッセーがあり(3つはミエヴィルが共同監督)[2]、視聴覚的作業から派生した「フレーズたち」の6冊の本があり(1つはミエヴィルが共著者)[3]、これまで未発表だった集合的で映画的なパリの肖像となるはずだった短編がある[4]。さらには、ゴダールは時間を見つけてミエヴィルの『わたしたちはみんなまだここにいる[Nous sommes tous encore ici]』(1997)、『和解のあとで[Après la réconciliation]』(邦題『そして愛に至る』, 2000)に出演し[5]、ごく最近では、これまで大いに期待されていた美術館内インスタレーション計画『コラージュ・ド・フランス』を準備中である(ポンピドゥー・センターで2006年4月から6ヶ月間の展示予定)。

「煉獄」の冒頭のショットは「昔々…」と告げ、通過する路面電車に貼られたポスターが「ある日」という文字を示すのを通過する。そして私たちは日常生活を送るサラエヴォの住人を目にし、他所から来る訪問者の多様性を目の当たりにする。その訪問者とは、スペイン人作家のフアン・ゴイティソーロ、パレスチナ人詩人のマフムド・ダルウィーシュ、フランス人著者・彫刻家のピエール・ベルグニウ、フランス人建築家ジル・ペクー(ちょうど映画撮影の時期に彼は、有名な16世紀のモスタル橋の再建計画に責任を負っていた)、ゴダール自身(テキストとイメージについて講義をおこなう)、そして、若いイスラエル人ジャーナリストのジュディット・レルナル(イスラエル人女優サラ・アドラーが絶妙に演じている)、ロシア系のユダヤ・フランス人のオルガ・ボロスキー(フランス人女優ナード・デューが演じている)といったわずかにフィクショナルな登場人物たちだ[6]。多くのシーンではこの第二部の力能[power]を発揮しており――時おりロッセリーニの『ドイツ零年』(1948)を力強く連想させる――、その力能は、近年の戦争〔ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のサラエヴォ包囲〕によって傷ついた都市を描いたドキュメンタリー的肖像であることに由来している。

 この作品では、サラエヴォの復興[reconstruction]とボスニア戦争の通夜/痕跡[wake]にあるモスタル市とを、世界中の敵対しあう諸勢力の間にある潜在的な和解[potentional reconcliation between warring factions around the globe]の隠喩として探求している。最近にあった過去よりは破局的ではない未来を想像しつつ、作品は楽観的な立場を表明する。多少は恐ろしさの減るだろう未来への不確かな歩み[a tentative step]が対話によって生まれるのを期待しつつ、誠意と率直さで互いに近づきあうサラエヴォの人々の可能性にゴダールは興味を抱く。作中の講義で、アメリカ南北戦争[American Civil War]で1965年に徹底的に破壊された町、ヴァージニア州リッチモンドの写真[image]をゴダールは掲げる。この写真は、ちょうどアメリカ合衆国が現在そうであるよりももっと統一されていなかったことを示す簡単な方法であり、それゆえここには、憎しみで引き裂かれた他の場所〔国々〕にとっての希望があるのだと。

 サラエヴォの有名な(1992年にセルビアからの砲撃で破壊された)公共図書館の燃え尽きた残骸のなかに立つゴイティソーロは――彼は1993年のサラエヴォ包囲についての注目すべき目撃証言『サラエヴォ・ノート[Cahier de Sarajevo]』で[7]、欧州連合が大量殺戮を阻止するにあたって決定的な失敗行動をとったことについて激しく非難した――、復讐をではなく蛮行に対抗する創造性の大波を求めて叫ぶ。「私たちの時代に終わりなき破壊の力があるのと同様に、私たちの時代はそれに匹敵する創造力が必要だ。記憶を強化し、夢を明確にし、イメージに実体を与える創造力が。」[8]

 フィクションの人物ジュディットはパレスチナ人とイスラエル人の関係について新鮮な考え方を見つける可能性を求めてサラエヴォに惹かれる。希望に突き動かされた彼女は、強く固定された差異を傍らに置くのを夢に描き、同じ区画の土地において愛を共有することについて簡単な会話をはじめるのを夢に描く。彼女はこう問う、「人はそこから始められるのだろうか――土地から、約束から、許しから?」。『私たちの音楽』は平易な答えを提供するのではなく、もろもろの終わりなき問いを提起する。この30年間の多くのゴダール作品やゴダール&ミエヴィル作品と同じく、受け取られたアイデアの専制に対する防塁として、そして新鮮なパースペクティブを生成する実験場としてこの作品は機能する。

 この作品は去年完成した。先日私がロールにあるスタジオへゴダールを訪ねたとき、作品がフランスでたいした興行的収益を上げないだろうことには彼はあまり気にしておらず、批評の反応で質の悪いものが出てくるかどうかについて気にしていた。それは、全体的には、人々は言葉を失うだろうから、と彼が感じているということであり、部分的には、パレスチナとイスラエルの問題をこの作品で取り組んだ[addresses]手法は非伝統的なものだから、と彼は言ったということだ。
〔聞き手:マイケル・ウィット〕

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――この作品で目覚しい印象を覚えるものの一つに、サラエヴォの街路が探求されていることです。これは、ヌーヴェル・ヴァーグにあったドキュメンタリー的な好奇心を想起させるものです。

 それは私が保持し続けているものなんだ。友達のアンヌ=マリー・ミエヴィルもそれを持ってて、彼女は現実に存在する事物を撮るように車を撮る方法を知ってる。ヌーヴェル・ヴァーグのとき、私たちは自分たちがよく知ってて関係してた場所に登場人物を歩かせたがった。まあ、今の監督たちは古い街路を何でも使うようだけどね。もし君がブルース・ウィリスが街路にいるのを見たとしても、それは監督やウィリス演ずる人物がその街路を好きだからじゃない。かつて監督はスタジオを使っていた。けれど、私たちは私たちの愛する場所にカメラを歓待[welcome]させたかったんだ。

――この作品はドキュメンタリー的な表現によって、未知のものについて力強い感覚を喚起します。

 シナリオは、その前の年に「ヨーロッパ文学の諸遭遇」に参加したときの私の経験に基づいてる。そのときは誰かがヴィデオカメラを使ってそこに来た多様な参加者たちや、作品で再演[re-enact]したような、私が生徒に講義しているのを記録していたようだった。けれども、それ〔映画作品での再演〕はまったく同じものではないだろう、作品には映画制作チームって重みや映画にとってのフィクショナルな装置が必要だった、と感じた。作品で撮った人たちには、サラエヴォには心に触れるものが何かあるのを感じてた。私たちが作った映画は、マイケル・ウィンターボトムの『ウェルカム・トゥ・サラエボ』〔1997〕のような交戦地帯の映画じゃない。たとえば、その映画では、彼はサラエヴォで何も見なかったようだし、彼の見たものはすべてすでに彼が知ってることだったようだ。そうして彼は演劇的な演出を創りあげてしまったというわけだ。

――あまりにも頻繁に映画作家たちは、周囲の世界を調べるために(顕微鏡や望遠鏡、聴診器といった線に沿って)準科学的な道具としてカメラの力を引き出すよりも、前もって決めたことを単に撮影してしまうのだ、とつねづねあなたは提起してきましたね。

 人はある事物を見るためにカメラを必要とするんだ。今日の映画作品の大部分は、探求の道具としてのカメラを使わずして撮影されている――撮影の間、分析的な力を導き出すことの代わりに、人々は実に大量の説明で代用するわけです。「これを意図した。これを意図した」と。一方で顕微鏡を用いる科学者や化学者にはその顕微鏡が必要なんだ。そしてホークスがロザリンド・ラッセルやケーリー・グラントを撮ったとき、そのためにはカメラが必要だった。彼は本を書いていたわけじゃないんだからさ。

――あなたは世界を記録し研究するためにカメラを用いる大きな必要を今でも感じますか?

 うん、現実を分析するのに聴診器を用いるようにね。カメラはある事物を可能にするんだ。文学や絵画は違うし、それらは別の事物を可能にする。

――私がヌーヴェル・ヴァーグと関連付け、あなたの1970年代のUマチック[9]のヴィデオによる探求と関連付ける世界への感受性が、『私たちの音楽』では示されています。これは、再生の新局面がはじまるのを示唆しているんでしょうか?

 私の人生や私の知性の軌跡に対応していたヨーロッパについてのあるアイデアの終焉の後、やりなおしたいという欲望があったんだ。私たちがやりなおせるかもしれない可能な出発点というのはあるんだろうか? シネマに関するかぎり、それは見つけられていない。そして、異なった話し方や異なった撮影方法を私たちが身につけているようには見えないわけで、そのような出発点が可能かどうかは疑わしい。〔この事態は〕さしあたり、むしろ終焉に似ている。

――あなたがそんなことを言うとは驚きです。私にとっては、この作品はきわだって明るい調子をもち、前向きですよ。

 たしかに他の作品に比べると快活だし、この作品をペシミスティックだと言った人は間違ってる。逆にあまりに子供じみてオプティミスティックなんだ――だけど、私たちはそのオプティミズムにおいて一年間を生き、今ではそのオプティミスムも使い尽くされて・疲れ果ててしまった[exhausted][10]


――「地獄篇」のモンタージュは、あなたの別の作品のほかの箇所でサンプリングされた多くの作品断片を再加工していて、そのうちの一つはアルメニアの映画作家アルタヴァスト・ペレシャンのモンタージュ作品『始まり[Beginning]』(1967)があります[11]。あなたの象徴的な作品形態においてペレシャンは役に立つ参照点・基準点[point of reference]なんですか?

 うん、少なくとも「地獄篇」では。というのは、地獄篇は使った音楽に基づいて構築されてるから。〔地獄編全体は〕10分か12分が必要だとわかっていたので[12]、〔三篇のうち〕この一篇は最後に作った[I did this part last]。私は3、4の音楽の部品を編集することから始め、それから表現したいもろもろのアイデアに対応するイメージを探した。そのアイデアとは、一つ目には、あらゆるところで交戦がつねにあり続けていて、そこでは互いに殺しあう人々がいて、そこに、大洪水[the floods]の後に武装した人間たちが現れ、互いに殺戮しあうことについてのモンテスキューの引用を伴走[accompanied by]させよう、というものだ[13]。二つ目には、戦争の機械[the machinery of war]のイメージが来るというもの。三つ目には、犠牲者たちのイメージが。四つ目には、戦争中のサラエヴォのイメージが。


――数年前にあなたの『私たちの音楽』と題された映画作品のシノプシスを見ましたが、それは、マンフレート・アイヒャーのECMレコードにかかわってる音楽家の何人かを訪ねるというアイデアを中心に展開していました。完成された作品にはこの計画の痕跡がほとんどまったくありません。

 音楽についてのアイデアは〔完成作品においても〕残った。そのアイデアはサラエヴォに行くまで消えていたんだけど、それはちょうど路面鉄道の軌道に鳴る音がある種の音楽として私たちに聞こえるようなもので、そのため私はそれを『私たちの音楽』と呼んだんだ。すなわち、彼らの、私たちの、みんなの音楽、と。その音楽は私たちを生かすものであったり、私たちに希望を抱かせるものであったりする。人は「私たちの哲学」とか「私たちの生」と言うことができる、しかし「私たちの音楽」はよりうまい言い方だし、そこには異なる作用がある。そしてまたそこには、私たちの音楽のどのような側面がサラエヴォで破壊されたか? という問いがある。そして、サラエヴォにある私たちの音楽にいまだ何がある〔残っている〕のか? という問いが。


――あなたの2分間の献辞作品[homage]「たたえられよ、サラエヴォ[Je vous salue, Sarajevo]」(1994)は、ゴイティソーロの『サラエヴォ・ノート』のように、包囲された都市の住人に対するEUのシニシズム、怠惰、無関心への憤慨に満ちています。ゴイティソーロの『ノート』は重要な参照だったのですか?

 私はゴイティソーロの作品はよく知らなかったけれど、その小さな『ノート』は、当時私が見つけたヨーロッパ人によるサラエヴォについての本では最良のものだった。

――戦争開始以来、あなたの作品ではしきりにサラエヴォが繰り返し登場してきました。

 ちょっと、1968年以前のヴェトナムみたいにね。1968年以前、ヴェトナムについて定期的に言及するのが私の異議申し立て方法[my way of protesting]だったんだ。

――パレスチナ人詩人のマフムード・ダルウィーシュはこの作品ではキー・ポジションを占めています。「煉獄篇」の上演された[staged]ジュディットとのインタヴューでは、イスラエル人ジャーナリストが実際におこなったインタヴューで語った彼の発言を反復します。「なぜパレスチナ人が有名なのかあなたたちにわかりますか? それはあなたたちが私たちの敵だからですよ。私への関心ではなくあなたたちへの関心…。あなたたちは私たちに敗北と有名さをもたらしたのです」。

 ダルウィーシュは重要で、それは彼が言うように、イスラエルが重要だからなんだ。しかし、彼がスクリーンに現れるのは、他の人よりも短い。

――かつて『ヒア&ゼア』(1975)でアンヌ=マリー・ミエヴィルと探求したアイデアを、講義においてあなたは再訪します。そのアイデアとは、第二次世界大戦で〔ナチの〕ある強制収容所の瀕死の囚人が「ムスリム〔回教徒、イスラム教徒〕」として描かれたということです。

 最初に私は、ラーヴェンスブリュックに収容されていた民族学者にしてレジスタンス闘士のジェルメーヌ・ティヨン[Germaine Tillion]の報告のなかに、たまたまそれを見つけたんだ。物理的な存在として末期に〔死の淵に〕あり、逝きはじめ、死を待ち、自分でできることをおこなう囚人たちのグループのもはや一員ですらなくなった人たちが「ムスリム」と呼ばれたことについて、誰もふれないのを私はいつも驚いていた。その〔ナチの〕ドイツ人たちが彼らをそう呼んだにちがいないのだけど、そのとき私が奇妙に思ったのは、そのドイツ人たちはなぜ「犬」や「ゴミ」という呼び方やユダヤ人やジプシーについて使われてきたあらゆる言葉を使わなかったのか? ということだった。しかし今ではこう思う。瀕死の囚人をムスリムと呼んだのはユダヤ人であり、〔ユダヤ人にとって〕ムスリムは代々の敵だったのであり、生き延びよう[try to survive]としない者たちだったのであり、ユダヤ教・ユダヤ主義[Judaism]に反する者だったのであり、困難に関係なく生き延びるはずの者だったのだ、と。


――あなたの講義では、古典的話法の映画に馴染み深い標準的な「ショット/リヴァース-ショット」[14]に荒削りな批評を行う方法としてホークスについて短い議論が提出され、同時にその批評は、真に詩的なイメージを合成・構成[composition]するモデルとして提案されます。

 現実の「ショット/リヴァース-ショット」のいい例は、ドイツ人物理学者のヴェルナー・ハイゼンベルクの書いた本から、彼が戦前に友人のニールス・ボーアを訪ね、エルシノア城に着いたのを記した箇所から抜粋した。ここではショットは城であり、リヴァース-ショットは「ハムレットの城」という記述だ。この場合、イメージはテキストによって創られている。それは――二つの星が関係付け[15]られて生み出される星座と同じく――詩人の行為なんだ[It's what poetry does]。

――そして、それが問いを喚起する、と。

 それが問いを喚起し、問いのかたちをとって他の応答を招き寄せる[introduces]。その結果、私たちは同じことを何度も重ね重ね言わずに済むというわけだ。

――軽量のデジタルカメラが映画を救うのかと講義で尋ねられるとき、あなたは応えていませんね。

 私は、そのシーンを素っ気なく・短く[short]したかった。ともあれ、私にはわからないよ。まずいことに、生徒たちは小型カメラがあれば何か映画作品を撮れると思っている。デジタルカメラのメーカーは(批評家もですが)こう言う、「すばらしい! 誰にでも映画を作れるね!」。違う、映画は誰にでも作れるんじゃない。映画を作ろうと思うことは誰にでもできるし、映画を作ろうと言うことも誰にでもできる。だけど、人が鉛筆を手にしたところで、ラファエロやレンブラントのように描けるわけじゃない。もし作中でこうしたことを私が言ったなら、このシーンはあまりに長くなったことだろう。〔だから、素っ気無く・短くしたんだ〕

――でも、それ〔デジタルカメラの可能性〕を追求しないのなら、どうしてこの問いを作品に残したのですか?

 生徒たちが映画学科の学生であり、話しているのが私だからだよ。それに、問いの4分の3は馬鹿らしいものだっただろう。これは、そうすることで生徒が尋ね方を学ぶといった種類の問いなんだよ。

 アメリカで講義をしたときのことを思い出すんだけど、そのときある少女を見つけたんだが、その子はきれいで私の注意を引いたんだ。そのとき、私は、集団に対してじゃなくて一個人に対して話しかけた方が、話しやすいのだと気づいたんだ。そのときその子は「ゴダールさん、あなたは云々かんぬん~~~ をあなたは詳しく説明できますか?」と長い質問をしてきた。それから私は一時間にわたって詳しく説明した。ともあれ、私はより一層詳しく説明をしたんだが、気づいたら彼女が自分のファイルケースを抱えてその場を去っていくところだった、ってな結果になってね。君の生徒たちはどうなのかは知らないが、〔これと同じことになるのを〕疑ってしまうね。

――イメージがテキストに支配されていることについての批判を、あなたはこの作品で追求していますが、あなたが提案するのはより両立的な[conciliatory]な姿勢です[16]

 私、イメージの男である私は他者に代わって弁護したんだ[I, a man of the image, was pleading on behalf of the other]、ちょうどセルビア人に代わってボスニア人が弁護するようにね。テキストの名において私は弁護していたんだ。

――あなたはフィルムを本のように他所・他なる場所として描きました。

 本じゃなくて、フィルムだ。だけどそれは、本の人たちに向けた言い方だったんだ。「フィルムを本のように見てください」「ただし、読むのではなく、見てください」と。若い人たちはイメージやフィルムを読む方法を学ばなくてはならない、とフランスのある文化大臣が言っている。違う。若い人たちはそれらを見る方法を学ぶ必要がある。読み方を学ぶのは別のことです。


――〔地獄篇に挿入されている〕1993年のアマチュアビデオの断片映像では、クロアチア人側からの砲撃の後、モスタル橋が崩壊するのを私たちは目撃しますが、次いで〔煉獄篇では〕ネレトヴァ川から原石を引き揚げる等を含むモスタル橋再建の初期段階を目撃することになります。橋には大きな隠喩的負荷[metaphorical charge]がかけられています。というのは、建築家ジル・ペクーの手がけるその計画は、単に橋を再開する探求ではなく、「過去を修復し未来の可能性を作り、苦しみと罪を結合させる」[17]探求だからです。

 それは実行されなかったんだ。ジル・ペクーは首にされ、新しい石や本物っぽい加工材を用いるような、どこにでもありそうな橋を作るクロアチア人がその計画責任者の地位に取って代わった。人がDVDですることと一緒さ―-修復なんだ。石は川から採掘され、それぞれ数字が振られ、そして使われはしなかったんだけど、その石のすべてを私は撮った――しかし、この映画を見る人は石が使われたんだろうと思うだろうね。今ではその石はモスタル市の住民が「石の広場」と呼んでる場所にあるよ。


――ジュディットは「煉獄篇」前半の中心にいますが、あなたの講義のあとはトーンが切り替わり、より暗い登場人物であるオルガが次第に目立ってきます。

 それはフィクションへの切り替わりなんだ。フランスの批評家には、この二人の少女で混同した人も数人いて、二人の少女がいるのだということさえ気づかなかった人もいた。

――二人の間の関係には、分身的二重化[doubling]の感じ、あるいは二度現れる同一人物の感じがあります。

 ここにはたぶんリヴァース-ショットのアイデアがあるんだ――登場人物に対する関係という以上に、二人目の少女は一人目の少女に対するリヴァース-ショットの関係に似ている。そのような二重性だとは考えてなかったけど、そう指摘してくれるのはうれしいね。それは創造的な無意識には欠かせないよ。

 初期段階に私が思い描いていたのは、ただ一人の少女の、ユダヤ系イスラエル人ジャーナリストが最後には自殺する、というものだった。でもそれはちょっとやりすぎ[excessive]だったし、〔そのような描き方をしてしまっては、〕爆破するためにテル・アヴィヴ〔事件〕にその登場人物を戻らせるような誘発剤になった。そのときイスラエル人女優のサラ・アドラーはこの少女の役を演じたがっていたけど、自殺の箇所はやりたがらなかったんだ。「違う。私はそんなことはしない。それは〔自殺するというのは〕あなたの考え方であって、私の考え方じゃない」と彼女は言った。そのため、自殺の旅のために他の少女を導入しよう、そっちの方がいいだろうと考えたんだ。こうして、分身的二重化が導入されたわけだけど、単に安易なものにはなっていない。

――あなたの作品では自殺の主題が定期的に繰り返し登場します。オルガは実際に自殺しませんが、死を招き寄せてしまいます[invites death]。自爆めいた身振りをして[by acting like a suicide bombe]――そのとき実際には彼女は本を〔バッグから〕取り出そうとしただけなのですが――平和のためのキャンペーンに注意を引いた際に。

 自殺のこの問題は、すでに『中国女』で〔レックス・ド・ブリュインが演ずる〕キリーロフを通じてスケッチしてあった。本作では「煉獄篇」の最後の少し前で、オルガが〔ガルシアと〕会話する際に、ドストエフスキーの同じテキストを再び使った。自殺を興味深い哲学的問題だとみなしたために、彼女は自殺しようと思うわけだ。作品にはこのアイデアを入れようと思っていたが、それはテロリズムの名においてテロリズムを擁護しようと思ってのことじゃないし、その場合は討論に参加しなくてはならないだろう――少なくとも作品のなかで――「しかしあなたは罪も無い[innocent]な人々を殺しているのか?…」「そう、しかしだからあなたは…」「まず私は…」といったようなね。私はひそかにこう考えた、「彼女は、私が自らにできるだろう何かをしなくてはならない」。そして私は、理論的に、哲学的問題として、自殺についてしばしば考えるんだ。

 カミュの『シーシュポスの神話』冒頭部のある一節、「真に哲学的な問題は一つしかない、それは自殺だ」が私のなかにずっと滞留していた[has stayed with me]。たとえ私が自殺しようとしても、窓から投身自殺するのを望みはしないだろう、と思っていた―自分で自分を傷つけるのは怖いからね。それに銃の買い方も知らないし、断られるだろうから医者からシアン化合物をもらうこともできない。眠ってるときに絞め殺してくれるほどに私を愛してる? と誰かに尋ねるなんて無理だ。方や私は少しずつ、何らかのテロリストに加担することができたし、テロ活動をはたらいたりすることができたんだ。

 だけど、〔たとえテロ活動を実行したとしても〕私はオルガのように失敗することだろう。兵士が三十分後に私を射殺するんだろうなと知って自殺をやりとげるんだろうね――イスラエル兵士は決して射殺しないのだとサラ・アドラーは意見するけども。私の友人である本〔の主旨〕に沿って、平和の名において、それはおこなわれるのだろう。私は一つのイメージであり、友人つまり本を、ポケットに持っている。そして、そうすること〔友人としての本をポケットに持つこと〕ができるのだと私は自分に言い聞かせる。これは批判・批評される[be criticised]だろうと予想していたんだけど、誰もこれについて言及しなかった。それは議論不可能[unchallengeable]なんだ。

――「天国篇」は美しく、現実的で、可笑しくて[funny]、少し悲しいものです。

 これは反米[anti-American]だと批評家たちが言ったが、私たちがアメリカ映画で何百回となく耳にした「アメリカ海兵隊賛歌」では、彼ら〔海兵隊〕は言ってるんだ。「もし陸軍と海軍が/天国の情景[scenes]を見渡すならば/天国の街路が/アメリカ合衆国海兵隊に守られているのに気づくだろう」[18]。人々は「それは単なる歌詞だ」って言う。違うよ。

訳注
[1] 日本公開上映時に販売された冊子では「本の出会い」と訳されている。
[2] 何年以降から6作と言ってるのかよくわからないが、『パリの人々』(Parisienne People, 1992, 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル)、『子どもたちはロシア風に遊ぶ』(Les Enfants jouent à la Russie, 1993)、『たたえられよ、サラエヴォ』(Je vous salue, Sarajevo, 1993)『TNSへのお別れ』(Adieu au TNS, 1996)、『古い場所』(The Old Place, 1998, 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル)、『二十一世紀の起源』(L'Origine du XXIème siècle, 2000)、『自由と祖国』(Liberté et patrie, 2002, 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル)のことか。
[3] P.O.L.から発行されているゴダールのPhrasesシリーズのこと。現在までで6冊が刊行されている。For ever Mozart (1996), 2 x 50 ans de cinéma français (1998), Allemagne neuf zéro (1998), Les Enfants jouent à la Russie (1998), JLG/JLG (1999), Eloge de l'amour (2001)。
[4] オムニバス映画『パリ、ジュテーム』に寄せた一編『Champ Contre Champ』(2002-2003)のことか。参考:「シャン・コントル・シャン - Wikipedia」
[5] 日本でミエヴィルの作品はあまりまとまって公開されない。概要はwikipediaのミエヴィル作品項目など参照。
[6] wikipediaの『私たちの音楽』項目は英語発音での表記でジュディス・ラーナー、オルガ・ブロツキーとなっているが、ここでは仏語発音に即した。
[7] Cahier de Sarajevo (tr. par François Maspero, La nuée bleue, 1993)は、ゴイティソーロのCuaderno de Sarajevo. Anotaciones de un viaje a la barbarie (El País / Aguikar, 1993)の仏訳書。邦訳は『サラエヴォ・ノート』(山道桂子訳、みすず書房、1994)。
[8] ロニー・クラメール演じるラモス・ガルシアによる仏語通訳からの邦訳ではこうなっている。「巨大な破壊力を前に今こそ革命が必要である。破壊に匹敵する創造力の革命だ。記憶を補強し、夢を明確にし、イメージを実体化する」(寺尾次郎訳)。
[9] 1969年にソニー、松下電器、ビクター等が世界初の民生用(家庭用)カセット式VTRの規格「U規格」を発表した。1971年からソニーが発売を開始した商標が「Uマチック」。カセット方式による規格で、民生用として発売された。ソニーのBetamax規格、ビクターのVHS規格よりも優秀な画質を備え、長年にわたって支持された。その後のデジタル記録方式の出現等により、今では使用されていない。2000年にU規格のVTRは生産が終了した。
 参考:「U規格 - Wikipedia」
[10] この言葉は、『フォーエヴァー・モォツアルト』序盤で脚本家ハリーが言う「その希求すらも窮状によって追いやられている結果にすぎない(大意)」を思わせる。
[11] Artavazd Pelechian。ウィットの発言箇所ではArthur Pelechianと表記されているが、誤りあるいは西欧風の表記だろうか。『始まり』(原題Skizbe, 仏訳題Au début, 英訳題Beginning, 1967, 10mins)は1917年10月革命の50周年に際してソ連・ロシアの写真群やフィルム断片を用いて制作されたコラージュ映画。やや画質は粗いがYoutubeで見ることができる。地獄篇で『始まり』が使用されているのは、『私たちの音楽』1:37-1:39。
 ゴダールにはペレシャンとの対談がある(岡村民夫訳「バベルの塔以前の言語」、『ユリイカ』2002年5月号「特集=ゴダールの世紀」)。ゴダールは『新ドイツ零年』ロシア語版をペレシャンとともに作ったり、『映画史』4Bでは『四季Vremena goda』(1975)の一部を用いた。ペレシャンは1995年10月に来日し、山形国際ドキュメンタリー映画祭に訪れた。赤坂大輔によるそのときのインタヴューがある。imdbでの作品一覧
[12] 「地獄篇」は9分30秒分ある。
[13] モンテスキュー『法の精神』第23編第23章からの引用(邦訳p.387)。
[14] 作中のchamp/contre champのこと。「ショット/切り返しショット」。ただし、champはむしろ英語で言うところのfieldの意味合いの方が強く、shotに相当する単語はplan。そのため、仏語の字義通りに英訳するならばfield/couter-fieldとなるだろう。「光景/対抗する・反対する光景」ぐらいの広い意味がある。
[15] ウィットはここでrapprochmentをそのまま書き写すことで英直訳しているが、英語ではrapprochmentは和解・親善の意味になってしまう。仏語ではこの語はその意味のみならず、より原義には、近づけること/近づくこと、比較対照・関連付けの意味があり、形容詞proche(近い/近接した/近似の)から派生している。仏語のrapprochementを英訳するにはapproximationやconnection, comparisionなどの方が適切かも。
[16] 英語のconciliatoryには和解、懐柔、妥協、融和、なだめるような、の意味が主となるが、仏語のconciliationでは調停・勧解、両立、校訂の意味もあったので、仏語の意味に即して訳した。
[17] ジル・ペクーの発言。邦訳ではこうなっている。「過去を修復し、未来をつくる(…)。苦悩と罪悪感を結び付けること」(寺尾次郎訳)。
[18] 原文は"If the army and the navy/Ever look on Heaven's scenes/They will find the streets are guarded/By United States marines."。邦訳ではこうなっている。「もし海軍と陸軍が天国の情景を見ることがあれば、天国の通りが合衆国海兵隊によって守られているのを見出すだろう」(寺尾次郎訳)。

2009年11月3日火曜日

非対称性の操作 - ゴダール『アワーミュージック』

 以下は『アワーミュージック』を見た当時、2005.11.15に書かれ、2005.11.17-18に追記された文章の転載である。持田睦氏の「かすかに聞こえる「ノン」の響き」(『Divagation』5号、2009年夏)およびblogコメント欄での興味深い読解に刺激されたので、その当時の考えをもう一度練り直し再考するために引っ張り出した。今後、補注は増やしていくかも。小見出しは今回新たに付し、文章以外の書式はいくぶん改めた。

[2005.11.15]
●映画『アワーミュージック』(Notre Musique, 監督:ジャン=リュック・ゴダール, 2004)
非対称な要素群の配置
 ゴダール新作の『アワーミュージック』を見ました。ゴダールが途中で放置していたと思われるいくつかの問題設定が再び一堂に会しているという印象があり、その点で好感を持ったのですが、だからといって何事かの進展や新たな模索がなされたというふうには見えない。

・『For Ever Mozart』ではフランスとサラエヴォの境界が大きかったのですが、今作ではサラエヴォとフランスという二つの場所はそうしたものになっておらず、むしろ煉獄と天国との境界が大きなものになっている。
・ユダヤ人と表象の相互作用 
・視線の双方向性と非対称性
・『勝手にしやがれ』ラストのセバーグのショットの問い直しとも見えるショット(今作のキーはこのショットと天国篇の位置付けでしょう)
・外国語が字幕なしで頻出することや仏語が翻訳される言葉として登場すること(車内のシーンから推測できるように、オリヴェイラの『世界の始まりへの旅』が意識されているのは間違いないと思われる)
・執拗な二者関係の設定とその非対称性の提示(オルガとセバーグ(あるいは死者である女性の視線)、フランス系ユダヤ人オルガとスイス人ゴダール、観衆とゴダール、通訳であるレルネルとオルガ、非対称性をめぐるレヴィナスの引用、亡命者たちが会するホテルという場所、アメリカ人&イスラエル人とインディアン&パレスチナ人、死者と死者をとらえるカメラ…etc.)

 ゴダールの核心であるこれらの問題設定がこうもはっきり出ているにもかかわらず、何か手ごたえが薄いのが難点に思います。この作品を見たからといってゴダールの可能性と限界をめぐる認識を修正する必要に迫られるような驚きはない。三部構成という、これまでのゴダールの傾向からすると奇妙に思えることや天国篇が短いことや全体構成のバランスの奇妙さにおいて(3つに分ける点では『愛の讃歌』でもそうだったわけですが)、一体次の作品はどうやるのかと興味深くは思えますし、驚きもないわけではないですが、どうしても見なくてはならないほどのものかというと、そうとまでは言えないというところでしょうか[1]

[2005.11.17追記]
非対称的な要素群から歴史や生存=余生(survie)への接続としての「天国篇」へ
 ただし、焦点になるのは来世の話をどう処理するかでしょうね。作中ではオルガの自殺の動機として来世が語られるにすぎないわけですが、これを単に個人的なものとして来世を考えるのか、それとも何らかの歴史性につながるものとして考えるのかで、可能性を模索させれるのではないか。

 たまたま、とあるSF小説を読んでいたところだったのですが、未来をどう語るか、未来に対して責任が担保されるようにすることで自殺を抑止することができるのではないか、という一節があり、そこで来世と前世を遺伝子レベルで導入すればいい、という冗談とも本気ともつかない考えが出ていて、奇妙に問題設定が似ているのを感じながら読んでいました。遺伝子レベルの処置がどういうものを指しているのかよくわからないのですが、次世代に向けて破滅を先送りして責任を放棄することがそれによってできなくなるだろう、というような小噺として出てきている。

 もともと、『JLG/JLG』でもゴダールは死後の生と文字としてのビデオを重ねていたわけですし、今作においても、かつての死者(セバーグ)と新たな死者(オルガ)が出会う――しかし天国にさえあっても二人は互いを視認することはできない。地獄篇の声はセバーグに相当するのかオルガのものなのかは判然とせず、煉獄篇で「それは何かのイメージだ(…)二人が並んでいる」と語る声はオルガのものだが、ショットの視線はオルガを見ている眼になっている。天国篇のラストのオルガの声にしても、「オルガのいるところまでは見えない」なのであって、この声もまたオルガの声でありながら、おそらくオルガの声ではない。
 ならば、この天国の位置は、死後の生=ビデオ・文字としての再生=決定的にすれ違いながら二人が死者となって出会い、同時にそれは前世と現世と来世の接続になっている場所(前世がセバーグあるいは何者かの死者であろうと見ることができても、来世が何者なのかは確定されていない) ということなのでしょう。

 というわけで、あの来世云々、自殺云々というのは字面通りに受け止めるよりは、再生とか歴史として接続されることの話なのだ、と試行錯誤したほうが面白くなるのではないか、と思います。その上で、あまりそうは見えない、および、模索や進展があったのかは微妙、というところです。

[2005.11.18追記]
「視点人物」的なものの措定と語りのあり方
・古谷利裕氏が日記で書いている指摘(05/11/10(木))を読んで
> 正直言って、最初の地獄編はまったくのれなくて、本当にゴダールがモンタージュしたのかと疑うくらいの、たんなる「殺戮映像集」にしか思えず、もし「音」がなければどうなっていただろうと思い、凄く嫌な予感がはしったのだけど、

 地獄篇というのは一見『映画史』と同じ手法で映像を構成しているようですが、実はやや異なった試みになっているのではないか。
 『映画史』では、作業台に載せられる映像群⇔ゴダール というふうにこの間で切り返しが起きているわけですが、地獄篇では姿が映し出されることのない何者かの話者の声が対比されるのみであり、また、映像の特徴が異なっているように見えます。
 色彩の調整と構図の変化、挿入される暗転、音楽の起伏によってのみ緊張を持続させているので、単調な印象は確かにあるのですが、地獄篇の半ばあたりから【撮影している側/被写体の死体】という関係を見せる映像が続きます。たとえば、兵士の戯れを撮るカメラ側への兵士の振舞いや、道沿いに積まれた死体を兵士を乗せたトラック側から撮っている映像など。つまり、地獄篇は【不在の声の話者による語り/やや単調な殺戮シーン/死体や殺戮を映している撮影サイドからの一方向的な視線の存在】 というふうに3層構成になっているのではないか。
 この3層構成を束ねる声は、はたして何者なのか。映像を作ったオルガ自身の声があのDVDに挿入されていたのか、それとも、あのDVDとは関係のない映像なのか、あの語り手はオルガではない死者である何者かなのか、というふうに宙吊りにされています。

 私の自信のない記憶によれば、『映画史』においてそのような関係性を組み上げていく試みはありませんでした。もちろん、この試みがどこまで模索可能なのか、どこまで成功しているのか、さらに試行錯誤できるとすればどのようなものになるのか、と問いは続くのですが。

語りと視線における非人称性、残余となる亡霊
・『勝手にしやがれ』ラストのショットについて
 ベルモンドの死の後で、奇妙に表情を欠いたセバーグを真正面からアップで撮っているショットがあります。ゴダール作品のショットというのは、誰かの視点としての主観ショットだとみなせるものは少なく、映っている対象が何かの動作をおこなっているかぎり映像があり、視点が誰であるかはあまり問題ではないのですが、このショットにおいては例外的に、誰かの視点であるかのような印象を強く感じさせるものになっています。
 細川晋氏、松浦寿輝氏の両氏もまた、このショットに腑に落ちない引っ掛かりを感じていたようで、かつて言及していたのですが(細川晋『ヌーヴェルヴァーグの時代』エスクァイアマガジンジャパン、1999、pp.22-23;松浦寿輝『ゴダール』筑摩書房、1997、p.119)、このショットは一体誰が見ているのか、観客と映像を媒介している関係は何なのかと戸惑わせる効果があり、いわば映像と観客の間ではしごを外されて空白として突き出されるような感触がある。
 『パゾリーニ・ルネサンス』においてパゾリーニショットについて語られている箇所では、ゴダールの試みとは対比されて語られているわけですが、かつてそれを読んだときこう思ったものでした。いや、ゴダールにだってパゾリーニショットと同じ問題系を扱っているショットがあったではないか、あのセバーグのショットはそういうものだったではないか、確かにその後のゴダールにおいてはこの試みは捨てられているようだが、セバーグのショットはパゾリーニショットよりも興味深いものだったのではないか、観客としては「あのショットをさらに模索し、ありえたもう一つのゴダール」を考え、本当に現在のゴダールには接続できるのか考える方が、下手に両者を対立にしてしまうよりよほど試行錯誤のしがいがあるのではないか、と。
 松浦氏の『ゴダール』のそれに続くⅤ・Ⅵ章で『JLG/JLG』『新ドイツ零年』を重点的に考察し、『新ドイツ零年』を「ここで世界を見ているのは亡霊だ」と言う(p.159)。風景にひそむ孤独を、世界そのものの孤独とみなし、ベンヤミンの「歴史の天使」を想起させる口調で亡霊の視線が漂っているのだと考察しているわけですが、私はこれを「亡霊」と名指すだけではやや片手落ちなのではないかという疑問をもっていました。

 別のかたちでのショットと話者や視点(のような何か)への関係のつけ方がありえずはずで、ゴダールにはそうした模索が失われてしまったのではないか。数々のゴダール作品で【(声を発している)話者=ゴダール】と陥ってしまった陥穽をこえてそれを構想できるのではないか。
 そうした意味で、今作『アワーミュージック』でずいぶん久しぶりに取り組まれた「何者かの視線」(地獄篇および煉獄篇のピンボケショット)には好感をもちました。あのピンポケショットは、いわば死者であるセバーグ、あるいはセバーグに特定されない死者である何者か、からの視線によってオルガが見つめられるというショットだったのでしょう。いわば、あのセバーグショットを一旦裏返してさらに新たな問題系を追加したものだったのだと思います。
コメント欄での応答1[2005.11.18]
>ところで、なんでジーン・セバーグなんでしょうか
 オルガを見ている人・目線=セバーグ、とまで断言するのは、作品をゴダールの個人史と感傷で回収することになりそうですし、大体セバーグだったとしたらサラエヴォでオルガを見ているというのは理由がないので、「セバーグのショットを連想した」というのが正直なところでした。
 ですので、パンフの青山氏の文章を読んだときには、ああ似たような着目をしているな、とは思いましたが、あの目線自体はセバーグと特定することもないんじゃないかと思います。戦地となったサラエヴォの数々の死者たちが、生死の境界にいるオルガを見ているというのが無理のない読解なのではないでしょうか。
 ただしそれだと、横にいる目に見えないイメージのことを「見知らぬ女性だ」と女性に特定する理由も薄くなってしまうので、あのイメージはセバーグでもあるのかな、と。

 一つ引っかかったのは、来世について語っているオルガが、他方で前世のことは一切気にもとめていないことでした。来世を信じたいのならば、気付いていないだけで自分がまた誰かの来世でもあることを考えそうなものなのですが。
 そこで、もしサラエヴォでの戦争だけが戦争ではないという視線がゴダールにあったのならば、オルガ自身も知らない前世であり、オルガの生涯よりも前に死んだ死者であり、かつユダヤ人でもパレスチナ人でもない死者という存在もあるはずで、ゴダールはオルガの二重写しになっている輪郭のあやふやなイメージに、そうした姿のとらえようのない死者を重ねたかったのではないか、と。
 80年代以後、『勝手にしやがれ』のラストを見返したゴダールが、早死にしたセバーグの死者としての存在をそのショットから強く喚起され、何らかのモチーフとなって残っていたというシチュエーションは想像しやすい。
 とはいえ、同時にあれは名もなく輪郭もはっきりしない死者であることが重要なのだろうと思います[2]

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現在時点での補注[2009.11.3]
[1] なぜこのように異様に厳しい口ぶりをとっているのかを説明すると、この当時私が考えていた問題は錯綜していて、今読んでも謎めいた文章になっている上に、断片的な文書からしか読み直しできないのだが、構成とショットとの関係、「ショット」への帰属への軽減とそれによる画面外との経路の作り方、再現前性と観者が翻訳せざるをえない状況にいかに追い込むか、といった問題設定のもとで、(ゴダールに限ったことではないが)ゴダールは奮闘しつつもゴダール自身の手癖や限界などもまた同時にあり、問いを継承しつつも、ゴダールの限界を指摘しつつかたちを変えて再開すべきだ、ということだった。ショット間関係としてのchamp/contre champをめぐる『アワーミュージック』でのくだりは、『映画史』以降明確になるゴダール流のモンタージュ論とゴダールの「ショット」をめぐる手つきからすれば、別段『アワーミュジック』においてわざわざ驚くことでもなく、その意味で私は「手法、モチーフの集大成的なもの」と呼びつつ一蹴することを選んでいた。
 私が議論の継続ができていない理由は、つまるところ、わかりにくい問題なので十分に明確に理論的に示すための準備中だから。翻訳と経路と諸構成を問い直す議論をしなくてはならない。
 たとえば、近い時期にはこのようなことを発言/記述している。本文を食い尽くすような分量になるが、断片的に並べてみる。灰色字は抜粋箇所、黒字は現在時点での要約や位置づけの類。
"「ゴダールとその作品について語ると、さながらゴダールのようにカッコがつく」んですよ。ほら、いろんなセンスのいい作家を思い出してください、彼らは「ゴダールのようなカッコよさとともにゴダールを語ってしまえている」でしょう。でも、前途を憂うならば、ゴダールをゴールにしない闘争が必要だと思うんです。(...)こうした「語りなおし」さえも巻き込んでしまって、非常に強力な規範になっているでしょう。作品・語り・語り直し・「今こそ」「快活な」…と、あの手この手で魅力的になってて、誰もが規範にしてしまったんです。しかも、一人の講演の語りでも解きほぐしきれないゴダールの織物について語っているという前提でなされているから、[慧眼ある人によってありうる一つとしてその一端を触れる/別の読みを夢想する]という二段構えになっていて、必ずしも「共有・参加」とみなさくても否定しきれない、という気持ちが成立しやすくなっていると思います。"(2004.2.7)
 ※ 要は、「ゴダール作品を解読」するときに生じやすい罠についての警戒。浅田を筆頭として語ることに淫しているというか、何を問うことを念頭に置いて作品読解をしているのか不明となっているものが多いことについて疑問を持っていた。蓮実・浅田以降、作品読解が「ショットの強度の美学」とでも言うものに一気に傾斜したことが、そうした傾向に拍車を掛けているように思う。また、この頃はまだダニエル・シュミットもダニエル・ユイレも死んでおらず、ロメールが引退してもいなかったが、彼らやゴダールもいつ死んでもおかしくはない、死んだ後で悲哀に満ちた文章や追悼文を書くのは実に容易だが、問いと模索の継承、展開をどうやってするのか、それは現在の惨状からはとても考えられないだろう、騒々しく追悼劇が繰り広げられるような醜態が待ち受けているに違いない、とひしひしと感じていた。病気が噂されていたデリダが他界したのはこの年の後半のことであった。
" 見たところスレイマンの『D.I.』の面白いところは、位置の相互参照性がつかめにくく、老人たちや人種の区別もつきにくく、他方、検問は仮設性が強いし、何度も出てくる検問は実は違う場所なのかもしれないとさえ思えちゃう。また、言葉の交換や移送というのが非常に意図的に導入されているでしょう。バス停の壁にかかれている「あなたに狂ってる」とかの落書きは、誰のものともわからない事態が生じたり、次々、カードとなって病院の壁に貼ってあったり、主人公は気軽にそれを入れ替えたりしちゃう。(...)基本的にある時期以降のゴダールは、どのくらい前のシーンと時間が隔たっているのか・どこなのか、というのがわかんないしね。表示されてても気付かなかったりもするし。名指し・仮設性/無名orどこかわからない場所]での、これまただれなんだかよく分からない人物群による喜劇なのか悲劇なのか判然としないまま滑走する、というやり口はゴダールにもスレイマンにも共通しているのかな。ゴダールのように、モノローグを使わない、だからと言って、ストローブの視線のあり方とも違う、というところでスレイマンは面白い位置にいると思うんですけどね。細かいショットの関係が、不必要に錯綜していて位置がつかみづらい、という側面はスレイマンの方が強いと思いますけどね。ゴダールのは、一つのシーンではショットとショットの位置関係はある程度つかめると思う。(...)ただ、「移動や亡命、時間や記憶の問いを~」と言うだけならたやすい口ぶりなんですよ。どうやって話法を読み直しておくか、ということになるんでしょうね。"(同日)
 ※ まず、ゴダールのある時期以降の過密な進行の結果、ショット個々が場所や人物の特定性を不分明にしながら疾走することになった。そのとき、そうした特性に陥ったショットのままに、いわゆるゴダールのショットの強度=速度を剥奪させながら、ゴダールはやらないであろう再構築をした場合、どうなるのか。そのような視点で、エリア・スレイマンは明白なゴダールの継承的な作家であるとまず当時みなしている(『パレスチナ・ナウ』で四方田の語る『暗殺へのオマージュ』の特徴を見るかぎり、これは的確な判断だったようだ)。スレイマンの場合、イスラエル/パレスチナという境界の向こう(A)/手前(B)の往復と通過というプロセスが物語を牽引し、このあり方はゴダールの映画の大半で見られる場所A→場所Bというプロットからの変形だろう。『D.I.』に顕著なのは、A/Bの見た目上の識別困難性や、配置される場所の相互関係性・参照性がつかみにくくなっていることだ。また、視点人物の一種の空洞にしてしまう手際が目立ち、これは明らかにモノローグの回避から生じている。そうしたショットと全体的な構図の連関はどのようにありうるか、構図に収束するとは一体何か、そのとき人物はどのように作動させる=戯れさせることが可能になるか、こうしたことを考えていた。

"不在とか画面の外との交渉関係という問題で言うと、(...)「無はゼロじゃなくて、むしろ打ち消しあう緊張状態であって、そうしたかたちで存在と関係をもっている」と(....)。問題は、「画面の外を」作り出すにいたる、画面・音響に現われる諸事物・諸動作や諸音声と、それが画面の外へと糸が放たれて成立するネットワークのプロセスを、どのようにつかみとるか、になるんでしょう。"(2004.2.24)
 ※ これはたしか、岡崎乾二郎の絵画作品におけるフレームが喪失する感覚や、ゲルハルト・リヒターのアトラス前後期の9枚組写真作品などのようなそれ自体一つのショットとしての輪郭が微振動を続けたまま安定していない作品を念頭に置いて、画面を「画面」として指示できないものにするために、まず画面外という余白で絶えざる作動を続ける差延のようなものを置き、そしてそこから画面をどう位置づけしなおすか、というような話。

"キャメラの問題は、「いかにして見ることを許させるような関係をキャメラと作るか」という問題でもあって、ドキュメンタリーなどでは露骨に撮っていいのか撮ってはいけないのかという選択にもなるわけですが(村落の儀礼とか、人類学で問題になるものでは特に)、それだけではなくロッセリーニのキャメラというのは、「なぜだかポコンと人がいる、それは起こってしまった」というかたちで人が出てくるでしょう、でも、難しいのはそういうショットだけを置いてそれが成り立つのかと言うとどうもそうじゃないんじゃないか、ある種のプロセスの蓄積や組織があって、そういう現われ方をするんじゃないか、とも考えられる。(...)ゴダールでは初期から、『勝手にしやがれ』の時点で、ベルモンドが死ぬときにセバーグがアップで出てくるでしょう。あのショットは「誰が見ているのか・誰を見ているのか」と当惑させるような、立ち止まってしまうようなところがある。あれは、媒介だったものとか、媒介を介してみていたこちら側とかが、ドンと背中を叩かれてしまうようなところがあるんですよね。まぁ、裏にはベルイマンからの系譜もあるのでしょうが…。(...)ゴダールは多分、①ロッセリーニの拡大ともはや媒介さえ見えにくくなる方向、②セバーグのシーンの立ち止まり、③モンタージュと歴史と引用、という方向に展開し、こうしたものが絡み合ってて、それが[見る人が]ゴダールに対峙するときにどこから踏み込めばいいかわかりにくくなっているんじゃないかな。(...)一方で、「誰が媒介しているのか・誰の目か・誰が見ることを許しているのか」という問いをうまく外したかたちで、まず被写体から、という順にしているのがストローブ&ユイレになると思うわけです。つまり、関係の作り方において、順序や許しや契約みたいなものを成立させる過程やその関係がちがっているんだろう。"(2004.3.2)

"「ある光景をみて、「あ、これは映画になりうる」とみなすような目」とは、いわばすべてがショットである、映画とはショットであると受容した結果だとも言える。ただ、私はそのショットにおける時間関係をひたすら組み込みたいんです。一つのショットが一つになりようがないようなかたちで提示することによって、ゴダールの編集の手つきの提示化とは違うかたちで、ショットへの自己言及性を与えれるんじゃないかと思うんですが…。その意味で、交錯してはいるが運動としてはかぎりなく凝固に近い印象を与えるショットの時間としてストローブ作品があるんだと思う。(...)ただ、その場合、ストローブにも限界があるわけですけどね。あの時間進行でなくともよい。止まっていてもいいくらいですから(まあ『セザンヌ』とかだと、映像としては作品の写真があって、言葉が進行するだけだったりしますが……しかし、その「言葉の進行スピード」に頼ってショットが成立している気がする。)(...)あとは速度の問題として音楽が出ているんで、これをより掘り下げるとか。あと、映画における音楽という話には不思議になってないですよね、これ…。あれも不思議なものだというか、私はよくわかんないものなんだけど…。"(2004.10.17)

"ショットとショットの間、ぐらいの集積であれば、話法を成型するまでの自重が生じないのではないか、と思いつつあるんですよ。つまり、ゴダールにおいて話法への問題設定や模索が無いというのは、この意味ではわかりやすい。ゴダールはショットとショットの間のスパンでしか、構成がとれなくなっているのではないか、ということです。スレイマンは、ショットとショットの間の関係を反復させることで話法を形成しましたが、反復のためにはスパンのある作品としての自重が役に立った、と。つまりですね、話法といっても、ショットとショットの間との関連は無いわけではないのですが、ショットとショットの間に視線が行き過ぎると、話法として立ち上がってくる密度の勾配みたいなものまでいたらないうちに模索してしまって、結構危ういのではないか、と思うんですね。(...)
 最近、「あれ」と「これ」と視認可能な距離(作品と見るものとの距離 と ショットとショットの間の距離 の二つの意味での距離)だけで問うていると、引っかかる落とし穴もあるのではないか、と疑問に感じているんですよ。前者においては、この「ショット」やこの「マチエル」に目が行き過ぎてしまうのであり、後者においては時間軸に沿った「このショットとあのショット」「このマチエルとあのマチエル」に向かいすぎてしまう。人は、それを見る人の観察力に沿うがゆえに必然だと感じているのですが、私はこれに大きな疑問を感じているのです。(...)
 スレイマンとゴダールにおいて、どちらもショットとショットの間があることを振り返って言うと、「ショットとショットの間」においても、話法へと接続するものとそうでないものがあるということです。 そしてその際、おそらく、「「ショットとショットの間」の集積」への連動があるかないか、が鍵になるのではないでしょうか。しかし、そうした多量(無原則に多量であるのではなく適切な量というものがありうるはずですが)/ショットとショットの間、という連動のあり方が、「ショットとショットの間」を集めていけば成立する、といった段階的な処理だけではないのではないか、と思いつつあるわけです。とはいえ、一挙に多量な集積があって、それに触知できるというわけではない。構成要素は、「ショットとショットの間」だけではなく、これまで扱われにくかったような単位も絡んでくるような気がするんです。
 (...)つまり、すでにして、ある特定のフレームともう一つの特定のフレームとの交渉関係だけではない、と(...)。と、なると、一度「ショットとショットの間」の集積が密度勾配をなした上で、ふたたび「ショットとショットの間」がその上に乗ってくるといった意味での、話だったわけですね。
 (...)「ショットとショットの間」と言ったときにですね、やっぱり私はゴダールの手つきを思い出していたわけですね。ランボーとヴィシーを並べるとき、どっちもプレザンスみたいになっているのだし、非対称な二者が映し出されたとしても、どちらもがプレザンスであるようなところがあるわけですよ。つまり、再演の折込みが実に乏しかった。しかし、1「ショットとショットの間」と、2「「ショットとショットの間」の集積」とを一旦分けて、3「「「ショットとショットの間」の集積」における「ショットとショットの間」」を問わないと、どうにもこうにもやりにくいという感触はあるんですよね。最終的には1と3は絡まりあっているわけですが(4)、いきなり4を語ることは難しく、誤解が多く、また、軽率な混同を生じやすいように思ったのです。"(2005.12.18)


[2] 『21世紀の起源』でセバーグのショットをもって戦争による死者たちをまとめて表象したかのような試みを見るかぎり、ここで推測されたゴダールのこだわり方はおおよそ的を射ていたようだ。

2009年4月25日土曜日

十川幸司公開セミナーレポート

十川幸司公開セミナー(UTCP主催、2009.1.14)

 おおむね、新著の解説、未読者向けの要約という側面が大きいセミナーだったため、レポートを書く気乗りがあまりしない。気乗りしなくなった理由はもう一つ。
 私の新著の読みは、イメージと言語の二重作動、情動の回路のカップリング/デカップリングを反復させることでそれぞれが関与的に自己産出性を高める、といった路線がありうるのではないかというものであり、小説と読みの関係やその再記述化(批評なり何なり)、映画やその記述、といった問題系において出てくる焦点にもなりうるだろう、というものだった。しかし、前者を間接的に質問してる段階で威勢良く空振りに終わり、十川の前著以来の模索は、情動の場を基底において理論形成でまとめあげるみたいなものなのかな、というふうに冷めてしまったのだった。十川テキストを読んでるときの方が高揚してた私というのは何だったのか、とやや悩んでしまう回に。まあそれこそが転移なのかもしれないけど。その契機として、実際に話を聞いてみただけの価値はあったのだとは言えるのだろう。結局自分の問いは自分でやるしかないってことだね。
 とはいえ、こぼれ話として関心をもった箇所はいくつもあったのでそれを書く。ただし、最近は守秘義務が厳しくなってるので、あまり明確に語るわけにもいかない/本でも書けないとおっしゃっており、まずそうなところは省こう。[と言いつつも、書き上げてみたら、新著要約以外の内容をほとんど押さえた律儀なレポになっていた]

以下、『精神分析への抵抗』『精神分析』『来るべき精神分析のプログラム』を注記するときは、『抵』『精』『プ』と略記。本読めば知ってるはずのことは要旨の流れ上必要な箇所以外、できるだけ書かない。勝手に読めと。十川論文一覧はこちらにアップロードしておいた。

最終更新2009.1.18

【分析理論の形成】
・週5回のカウチ(寝椅子)を使った自由連想の実践が出発点になる。
 「今僕が診てる患者で週5回ってのは2,3人のみ。通常は週2,3回ぐらいでやってる」
・日本における精神分析実践の状況
 日本ほど精神分析の本が書店に並んでる国も珍しい。世界的にもずば抜けてる。しかしその多くが分析家ではないというズレもずばぬけてる。精神分析実践と知識人の乖離がすごく大きい国。
・精神分析に対する不安、警戒心
 「分析されて制作のエネルギーを失うのでは」といった不安を持つ作家や芸術家は多い。たしかに神経症的な動機は競争や制作に結びつくけれど、精神分析はエネルギーを失わせるような実践を目指すようなものじゃない。これはよくある誤解。

・自己分析(教育分析)-治療分析(スーパーヴィジョン) の過程のもとですべての分析家は自己の技法、スタイルを形成する。
 強いて言えばフロイトだけが例外。彼は師匠のフリースはいたが、教育分析を受けてないので創始者みたいになってる。[これは『抵』2章p.36の「分析的系譜」の話] 教育分析は同じ分析家を再生産するためじゃなくて、個人の気質、性格、特性を生かすのが望ましい。
 セッションの情動関係では椅子の位置から部屋の大きさにいたるまで作用の違いがある。ワロンは「認知では情動が中心機能」と言う。
 余談:いわゆる知能障害の多くは情動障害だと思う。情動機能がすぐれてる人は大体すぐれてると思う。
・精神分析理論の時代拘束性
 自我心理学に抵抗して自己心理学を提唱したハインツ・コフートがいるが、このように先行研究に対する理論提示はなされる。コフートの理論は共感を重視する、理論的にはフロイトの水準から言えば問題外。しかし、60-70年代のそのようなコフートの模索は、当時のアメリカの自己肯定の潮流ゆえにあっさり忘れられる。時代が変わればその理論も驚かれないという典型例。
 ラカン理論にしても、今からみれば時代的な背景がかなりあり、60年代の欲望をめぐる潮流と連携してる。[これは『プ』5章p.158の話]
・分析家の自己のセッション方法論、自己のスタイルは、多くの側面が自身の生理的リズムや個人的体質、思考の気質に拠ってることは否めない。新宮さんも含めてセッション技法の理論化をやるけど、みんな自分のやりやすいようにやってる。当人の生理的リズムや体質があるのを無視して鵜呑みにしちゃだめ。
 フロイトの50分セッションにしてもなぜ50分かは根拠ない。彼の体質だった。クラインだってラカンだって自分のやりたいようにやってる。
・ラカンの短時間セッションとラカン個人
 『カルチェ・ラカン』というラカンと接してた人の証言を集めたドキュメンタリー映画がいまパリでやってるけど、みんな口をそろえて「5分と座ってられなかった人だった」と言う。下世話な話に聞こえるけど、ラカンが体質的に「待てなかった人」だったってこと。これだけの理由で短時間セッションになったわけじゃないだろうけど、この側面は割と大きい。
 [『Quartier Lacan』、Emil Weiss監督作、2001。日本未公開。シナリオ担当のAlain Didier-Weilには同題の書籍あり。(Alain Didier-Weil, Quartier Lacan, Denoel, 2001)]
・ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』
 この本はラカン派のセッション技法についても書かれてる。彼は友達なんであんまり悪口言うわけにもいかないんだけど、一般の分析家からすると「こんなに酷いことやってるのか」という感想になると思う。短時間セッションが正当化されてるけど、説得力感じない。一番説得力があるのが「友達の分析家が短時間セッションやって成功したから僕もやってる」って箇所なんだから困る。「ラカンはそうやったから」って方法論を一緒にしちゃ駄目。自分のスーパーヴァイザーの模倣、同一化をやっちゃってる。
・ラカン派短時間セッション
 患者にずっとしゃべらせる。分析家は解釈行為を(行為遂行的に)語って介入したりしない。分析家は沈黙。で、セッションを切り上げるために時間を短くする。
 この沈黙・解釈行為しない、というスタイルが一番近いのは自我心理学のセッション。セッション技法としてはラカン派は、彼らが最も批判していた側と似ていく経過をたどった。ラカン派では教育分析、自我心理学では治療分析として顕著にそうなるし、違うところもあるけど、ラカン派セッションに一番近い技法となると自我心理学になる。顕著な差って「短い」ぐらい。
 自我心理学と対極になるセッション技法が、クライン、ビオンらの対象関係論の人たち。しかしラカン派のセッション技法はそっちにいかなかった。

【十川の理論形成の順序】
・ラカン・ラカン派は理論形成がテクスト読解中心になっちゃってて、人間の構造、病理形成、解釈による変化の理論モデルをおこなったが、臨床経験の深まりや連動がなくなっちゃってる。認識論的には卓越してるが、臨床的には弱い。
・後期ラカンのトポロジー
 トポロジーの議論はアプリオリな経験様式であり、経験を構成する超越論的な審級とされている。この時期のラカン派の本を読むと、ひたすらむすび目の話をやってる。後期ラカンはミレールやラカン派も放り捨ててる。明らかに臨床との接続がなくなり、明確な話にならない。まったく面白くないわけじゃないけど、「何の示唆にもならない」、これは困る。
[配られた資料はセミネール24巻『Le sinthome 1975-1976』の L'invention du réel(現実界の創出)の章の某頁]
・人文的には著名なラカン、人文的には著名じゃないが臨床的に著名なのがビオン。
 ビオンの作ったグリッドによる分析経験の定式化。ラカンのRSIにある意味で近い模索で、グリッドを使いながら患者の状態を把握する。直接実用的というわけではないけれども。メンデレーエフの原子の周期表みたいなグリッド。縦軸が認知系、横軸が思考の運動系。ただし、ビオンの理論は終始、セッションにおける心的状態の把握のためにとどまってる。

・イギリス経験論的なクライン~ビオン/カント的超越論のラカン
 ビオンとラカンは、フロイト以後最も理論的展開をおこなった2人。
「そこで僕はビオンからオートポイエーシスに行った。ビオンの認知系/運動系は各々相互に独立し、かつ、自己生成的に作動する。ここからたくさんの系列を見出して複合させていけばどうかと。ビオンは高次の経験論を立てたが、さらに展開させてみよう、と。」
「たとえば4章で外傷記憶として現れる死の欲動を、二つの記憶システムの誤作動と論じた[『プ』pp.125-130]。死の欲動については今までたくさんの議論がある。そして現在なされている議論の99%がテクスト読解。そこから見ると素朴に見えるかもしれないけど、記憶システムから議論することにした」
・ラカンの「事後性」
 これはもはやラカン以後自明の発想になっていて事後性の論理を用いることに疑いがなくなってきている。しかし事後性とは、現在を優位におく発想ではないか。そこでルーマン経由で、過去のコミュニケーションシステムが現在のコミュニケーションシステムに接続されるというふうに心的作動を考えてみる。これだと現在優位の時間論にならずに済むのでは。
・(小林康夫:「諸回路の作動としてのシステム論と情動関係論の二つがあり、齟齬が生じているように思う。『プ』p.171では情動関係によって十川さんが自己生成しているようにも読める箇所がある。俯瞰的にシステム論をやるのと、自己生成としての情動との間でずれが生じてるのでは。僕はもっと差異化の場を真ん中に持ってきているのを妄想して読んでた。情動は他の3回路をカップリングする回路ではなく、カオス的力能の場にできないか。なるほどシステム論はフロイト初期の局所論的発想の継承をできるだろうが、情動関係は複数の主体の場におけるものなのだから……」)
 うーん……。情動は『精』で中心的に扱ったので、今回はあんまり。あと、ラカンを言語論的といって片付けているのはかなりラカンを小さくしてるので、半ば無理矢理のやり方でもある。

【「フロイトの遺産」】
・精神分析の認識論的側面/臨床的側面
 フロイトは創始し、かつ、2つを両立した。20世紀後半では2つがラカン、ビオンというふうに分離してしまったが、新たな形でいかに縫合するか。
・システム論を導入したり、脳科学について読んだりしてる。
 これは経験科学につなげるということでやってる。ラカンは言語学、数学、論理学を導入したわけだが、精神分析は何らかの科学を参照点にする。フロイトもその意味では同じで、科学者。自然にやっていきましょうってわけにもいかないからなあ。ダニエル・スターンの発達論も参照したが[『プ』1章]、どの分析家も発達論に依拠している。
・精神分析は不思議な学で、フロイトから離れた人は単純な理論になってる。
 存命中のフロイトが「異端」と呼んでたのは彼から離れた人たち。コフートは離れた人で、ラカン、ビオンはフロイトに戻った人。なぜフロイトは19世紀の学で発想してるのに今でも通用する手法をやれたんだろう。フーコーはフロイトを権力として批判しちゃうけど、あれだとフロイトの特異性が見れない。なぜ精神分析という言説がこうなってしまうのか。フロイトに戻る以外の方法が見つからない。フロイトってのは何かとてつもないものを発見しちゃった人なんだと思う。「フロイトの遺産」、デリダもよくこう言うけど、これ以外ないんじゃないか。なぜフロイトはそのような地位、原動力になったのだろう。
・精神分析は中年の学といわれる。
 ラカンも変貌以前は穏健で非常に常識的だった(加賀乙彦の証言にもある)。が、50歳代になってスタイルを確立する。フロイトもそうだった。彼特有の手法、カウチ、自由連想法が生み出されたのも中年期。「僕もそういう頃になってきたのかもしれない。最近書いてるのはフロイト論。そうしたフロイトへの回帰に僕も入ってきている」
 「(別の質問を受けて)僕はラカン派じゃないよ。フロイディアン。ま、分析家はみんなそう自称するんだけど」

【関心事】
・(千葉雅也:「事後性の論理からいくと、いわば経験における直接的なものなどない、としばしばラカン派には言われちゃう。ドゥルージアンがこだわるようなsensation, affectionなど無い、と。しかし、十川さんの論立てでは、一種直接的に作用しているものがある、と。そこでidentification(同一化)はどうなるのか。ラカンだとarticulation、分節化されたデジタルなものによる形成になってるけど。trait unaireにおける同一化とは異なった論理になるのか」)
 原理的な同一化の話ですよね。これはまた難しいことを…。主体の生成に同一化が不可欠だってことかな?
(千葉雅也:「そうです」)
 システム論の観点をとると、同一化って出てこない。
(千葉雅也:「[『プ』7章]ルジャンドル批判して、エディプスの規範的作動に戻る話になってると。このくだりに感動したのですが、では別のやり方はどうなるのかと」)
 だからそのあとでジュネをもってきた。ああ、こうして生きたいなと。変わりたい! とつねづね思ってて。明日起きたら違う人間になりたいってのがある。ジュネみたいに生きられたらいいよね。
・分析セッションと理想像について
 セッションでは理想像をもってるとまずい。ラカンの症例で、患者がどんどんアンティゴネーみたいになっていくのがありますよね。なるわけないですよ。これは逆転移が起きてて、一種の分析家の権力の乱用。そういうのはよくない。
 (桑田光平:「「変わりたい」という理想像も臨床的影響もっちゃうのでは」)
 もちろんある。でも、価値観、価値判断のない人はいないから。自覚してればいいんじゃないかな。同時に「変わらなくてもいい」という気持ちだって当然あるし。
・ドゥルーズの言うように「歌ってる間だけ世界は変わる」とかね。
 最近、フォルスター[?よく聞き取れず]の小説ばかり読んでる。彼の作品は別の人になる話ばかり。神経症の人は現実は一つだと思ってるけど、そうじゃない[『プ』p.160]。自分のポジションを変えること。柄谷行人みたいな話だけど、最近、フロイトのユーモア論について考えてる。フロイトは「現実をまた違った角度から見る方法。これが人間の最も高貴なものだ」と。
「いま書いてるフロイト論はユーモアについて。癌に冒されてもあたかも自分の苦境を他人のように生きられるか」

【執筆過程についてのこぼれ話】
・『プ』3章の認知的エディプス/規範的エディプスの議論
「最初はエディプスについて論じるつもりはなかった。書いてるうちに、これしかない、という気になった。認知的エディプスってのは欲動の回路が情動の回路に調整されること。認知と言っても知的理解という意味じゃなくて、他者を創造していくもの。力の発露であり、複数的なあり方を可能にさせる。まあ、こういう言い方で「認知的」というのはまずい、と大澤真幸さんには言われましたが…」
・『プ』4章の「可塑性」(カトリーヌ・マラブー)導入
 「これを導入するのにはかなり警戒があった。取り入れるのはリスクが高い。なんだか単純な話にも見えるし。迷ったんだけど、とりあえず、これで行こう、と」
・[表紙などで用いられた]木本圭子の作品Imaginary Numbersについて
「大体ものを書くとき、終わりの方で音楽が浮かんでくると、ものができる。今回の本の場合、この絵が浮かんできた。別に本の内容上関連があるわけじゃないけど、イメージとして参考になった」
「精神分析的な経験の図示としてこの絵が一番ぴったりだと思った。コンピュータに詳しい人なら見てわかると思いますが、乱数表は使われていない作動の絵。だから予想がつくのに、不意に形が出てきて、エモーショナルな感動を与える。このような関係がまさに精神分析的ではないかと」

2009年1月29日木曜日

自作書誌のファイル置き場を作った

テキストファイル置き場 @ uploader.jp

 某所でそれぞれ公開したりあげたりしていたものをまとめてアップロードしておいた。2年ぐらいは優に保存されているようなのでzShareよりは保つだろう。需要があるのかないのかも、ダウンロードされているのかされていないのかも、確認できない仕様になってるけど、渡したときは各所でそれなりに好評だったので、ネットで確認できるものとしては上々のはずだ。

 先日一段落したデリダリストをアップするために作ったのだけれど、ついでにこれまでに作ったもののいくつかもアップしておいた。今の時点ではデリダリストがキモではないかと。主著は当然としてすでにデリダ読み込んだ人向けの、とても初学者にはお勧めできない充実振り。あまり読んでない人はこのデリダ書誌など見向きもせずに、主著から読んでいくこと。
 最近はリスト作成をあまりやることもないので、この場所に新規アップロード候補もなくその作成するつもりもない。記事にするには量がありすぎる+書式を維持できない という理由から別枠にしたかったのでこういうかたちになった。今後このアップローダーを駆使するわけではないので、ご期待はなさらずに。

 ひさしぶりにPeter Krapp編のデリダ音声・映像記録コーナーを見ていたら、カリフォルニア大学アーヴィン校のデリダアーカイブへのリンクがあった(音声・映像類は上記リストではあまり対応していない)。『環』別冊デリダ特集の浅利誠の記事によれば、講義録のテープ、ビデオをはじめとする資料類はここに結集しているとのことだが、中身までは公開していないけれども資料類の一覧などは閲覧できるようだ。
 書誌リストでも記載しておいたが、セミネールの一巻『獣と主権者』が去年刊行された。原宏之によるとガリレーからすべての講義録が刊行される編集委員会が設置されたのこと(原宏之「ジャック・デリダと政治的なもの」[ブログ記事. 2008.12.20])。
● 追記(2009.6.5)
 アップローダーの仕様変更にともなって、アップされてるファイルが全部消えちゃったので、やり直し。デリダと十川の書誌と、できているsrtファイルの書庫だけアップロードしておきました。